わたしと姫人形

阿波野治

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わたしと姫人形 後編

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「ナツキ、これからどこに行くの?」
 センターの敷地内から道に出たとたん、姫が尋ねてきた。
「おうち? おうちに帰るの?」
「ううん、帰らないよ。あの家にはもう帰らない」
「え……」
「姫、わたしの家に運ばれてくる途中で、トラックの中から川を見たって言っていたけど、覚えてる?」
 姫の歩が緩む。わたしから視線を外し、考えこんでいるようだったが、やがてこちらに注目を戻してうなずいた。

「この町には川が多いっていう話は、したかな、してなかったかな。これまでに、ショッピングモールへの行き帰りと、公園と、それから首長竜を見に行ったときの三回、川を見たよね。その中には、トラックから見たのと同じ川はなかった、ということでいいのかな?」
「うん、見おぼえなかった。ぜんぶはじめてみる川だったよ」
 間を置かずに答えて、小首を傾げる。どうしてそんなことを訊くの、というふうに。

「そっか。じゃあ、トラックから見た川がどこにあるのか、二人でいっしょに探しに行こうよ」
「川を?」
「そう、川を」
「ぼく、川だっていうこと以外、なにも覚えてないよ」
「問題ないよ。ヒントが少なくても、見つかる可能性はゼロじゃないんだから。見つかるまでずっと、ずっと、二人で旅をしよう」
「たび? りょうこうのこと?」
「そう。いろんな町や景色を見ながら、その土地のものを食べて、毎日違う場所で眠るの」
「ほんとに? やった!」
 姫はその場で何度もジャンプして喜びを露わにする。この家に来た当初は考えられなかった、実に子どもらしいリアクションに、自然と顔が綻ぶ。

 姫の記憶が無事に繋ぎ止められたらそうしよう、と決めていたわけではなかった。しかし、事故前と変わらない彼女と再会したことで、自ずとその方針が定まっていた。
 かわいい子には旅をさせよ。
 そんなことわざがあるが、わたしの場合は少し違う。
 かわいい子とともに旅をしよう。
 もうじき二十歳だというのに大人になりきれないわたしには、それがいい。そのほうがいい。

 やがて橋に差しかかった。姫が家族になった日の翌日に通った、ショッピングモールへ行くための大きな橋だ。
 わたしは携帯電話をポケットから取り出す。
 これがあるからこそ、母親から電話がかかってくる。これがあるからこそ、「ふれあい会」への参加が決まり、マジケンの狼藉のせいで姫は壊れてしまった。
 こんなものは、いらない。

 手にしたものを欄干越しに投げ捨てる。重力に従って真っ逆さまに降下し、小さな音を立てて水中に没した。そのとき姫は、欄干越しに川を覗きこんでいたが、わたしが携帯電話を投げ入れた事実には気がついていないようだ。生じた音があまりにもちっぽけで、上がった水しぶきがあまりにも小さすぎたからだろう。
 それでいい。
 それも悪くない。 

「姫、どうしたの。そんなに熱心に覗きこんで」
「くびながりゅう、いないね」
「この川はもともといないよ。それとも、実はトラックの中から見たのと同じ川だったとか?」
「ううん、ちがうよ」
「だったら、行こう。今日はもうすぐ暗くなるから、どこまで歩けるか分からないけど」

 旅を終わりにしてもいいと思うそのときまで、歩きつづけよう。
 姫といっしょなら、きっとどんな困難も乗り越えていける。
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