わたしと姫人形

阿波野治

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灰島ナツキ その1

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 姫は最寄りのアンドロイド修理センターに搬送された。救急車の手配や救急隊員への指示は、すべて黒服の男女が行った。
 黒服の男女は沈着冷静に行動し、姫を助けるために必要な作業のすべてを迅速に完了させた。彼らは、あるいは大人型のアンドロイドだったのかもしれない。そう仮定した場合、保護者という立場にもかかわらず、一切の機能を停止した姫を前に、立ち尽くすばかりのわたしに注がれた彼らの眼差しは、いささか人間的すぎる気がしないでもなかったが。

「姫ちゃんは、人間でいえば脳に該当する部位が激しく損傷し、このままだとほぼ百パーセントの確率で、蓄積されたデータのすべてを失います」
 吐き気を催すほど清潔な診察室で、娼婦に白衣を着せたといった雰囲気の女性医師は、淡々とわたしに説明する。

「データを繋ぎ止めるには、手術をするしか方法はありません。成功率は九十パーセント前後でしょうか。ただし、手術には莫大な費用がかかります。姫ちゃんの場合だと――」
 女性医師は具体的な金額を告げた。わたしは黙っている。心の動きを読みとろうとするように、数秒にわたりわたしの顔を凝視してから、言葉を続ける。

「姫ちゃんは購入してまだ五日、でしたね。データを初期化するほうが安上がりですし、医者としてはそちらをおすすめします。もちろん、保護者のかたのご意向が最優先ですが」
 椅子から立ち上がり、本棚に平積みにされていた薄手の冊子をとってわたしに手渡す。細かな文字がひしめき合っていて、内容がまったく頭に入ってこない。表紙の中央で、古めかしい筆致で描かれた女の子が笑っている。

「手術に関するパンフレットですので、よく読んだうえでご判断ください。ただし、時間が経てば経つほどデータが失われる確率が増すので、早めに決断なさったほうがよろしいかと思います」
 この女の子のイラスト、あまりにも不細工すぎる。姫が描いた絵のほうがよっぽど上手だ。
 頭の片隅でそう思いながら、「分かりました」と答えた。


* * *


 姫を修理するか、しないか、だって?
 そんなもの、したいに決まっている。
 姫はわたしの大切な家族だ。
 姫の親として相応しいのか。子どもを持つ資格はあるのか。自分本位な動機から姫人形を家族にすることの是非。問題は様々あるが、購入が成立した時点で姫はわたしの家族だ。大切に決まっている。修理したいに決まっている。記憶を繋ぎ止めたいに決まっている。まだまだ姫といっしょに生きていたい。

 ただ、お金がない。
 わたしは働いていない。収入がない。生きていくために必要なお金はすべて、母親からの仕送りで賄っている。生活費や光熱費やその他諸々にかかる費用以外は、すべて貯金していたが、姫を購入したことでゼロになった。 

 だから、手術にかかる費用を自力では捻出できない。
 頼める人間は、今現在のわたしの扶養者である母親、ただ一人。
 ――しかし。 

「ああ……」
 一人きりの部屋で、わたしは頭を抱える。心臓の拍動が不安定だ。問題が解決されるまでこれが続くのだと思うと、気分はますます沈む。
 ひとえに憎悪している人間に頭を下げるのが嫌なのだと、最初は思っていた。しかし、やがて、憎悪している人間の援助を受けなければ生活していけない事実、それが受け入れがたいからでもあるのだと気がつく。

 さらに言えば、援助を認めてもらえる可能性は限りなく低い。
 生活費や光熱費ならばともかく、娘が勝手に購入し、勝手に壊した姫人形の手術費用を負担するなんて、とんでもない。あの女はきっとそう考えるはずだ。
 姫はもはや、失ってはならない存在だというのに。

 葛藤と煩悶は、日曜日の半日――姫が倒れてからの十数時間を易々と消費した。浅い眠りを何度か挟んだだけの夜が明けた。
 それでも結論は出なかった。
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