僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 翌日から僕たちは、一日あたり一時間の規則に、双方の合意のもとで改定を加えた。「進藤レイが高校から帰宅してから」「曽我大輔の両親が絶対に帰宅しないぎりぎりの時間帯まで」を、二人で過ごす時間に定めたのだ。
 前者が十六時四十五分ごろで、後者がおよそ十八時二十分ごろだから、半時間程度増えたに過ぎない。ただ、一時間が一時間半になると考えれば大きいし、杓子定規に定められた決まりを打破するという決定は、僕たちにとって象徴的で、三十分の延長以上の意味を持っていた。

 過ごす時間が一・五倍に増えても、過ごしかたは基本的には変わらない。僕はゲームで遊び、レイは漫画を読む。菓子を食べ、ジュースを飲み、無駄話をする。
 ただ、「好きなことをして過ごす」「リラックスできる時間を静かに楽しむ」を基本に据える方針は不動ながらも、以前までと比べると若干、会話に費やす時間が増えた気がする。もっとも、漫画の内容や日常のささいな出来事についてなど、どうってことのない話題ばかりが選ばれるのは相変わらずなのだが。
 あの雨の日のように、人生にまつわる重大な問題に言及したことは、記憶する限りでは一度もなかった。互いに意識的に避けていたわけではない。その手の話題について話し合う空気になかなかならず、会話がそちら方面に流れないだけだ。

 もちろん、変わったこともある。
 僕がゲームの電源を切って漫画を読む時間をとったり、逆にレイが「ちょっと遊んでみたい」とおもむろに切り出してゲーム機を手にしたり、という機会がたまにあること。
 二人きりの時間を過ごすのに先立って、二人でコンビニまで飲食物を買いに行く日があること。
 互いが定位置ではない場所に腰を下ろし、ときには肩を並べて過ごすこと。
 そして――。 

「やばっ、ジュースこぼした。大輔、ティッシュとって」
「大輔、今日なんかテンション高くない?」
「その敵に苦戦するって、大輔、毎回言ってる気がする」

 レイがたまに、僕を「大輔」と下の名前で呼ぶようになったこと。
 頻度としては、一日に一回あるかないか。まったくの偶然なのだろうが、毎回毎回、心構えができてないときを狙い澄ましたようにそう呼んでくるから、どぎまぎさせられる。ついそう呼んでしまったというふうではなく、平然とそう呼んでくるから、動揺してしまう。
 僕に親しみを持ってくれているという意味では、文句なしにうれしい。ただ、親以外の人間に下の名前で呼ばれる機会はこれまでめったになかったから、すさまじく照れくさい。 

 僕としては当然、彼女のことを「レイ」と呼んでみようかと考える。知り合ったときからずっと、実際に口に出すときは「進藤さん」だが、心の中では一貫して「レイ」。飛び越えやすいハードルのような気もしていたのだが、

「進藤さん、もうそろそろ帰る時間だね」
「進藤さんはそのお菓子、好きだよね。毎回持ってきてる気がする」
「やっぱりそう考えるんだ。なんだかんだ真面目だもんね、進藤さんは」

 僕にとっては低いようで高く、あとひと押しが足りなかった。
 ただ、いつかは下の名前で呼び合う関係になりたい、という願いは持ちつづけた。
 きっとその未来が現実になる。そう信じていた。
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