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一日目
掃除と双子
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華菜が案内したのは、華菜と陽奈子の部屋があるのと同じ三階の、隣り合う二つの部屋。その二部屋を、夜になるまでに「掃除する前よりも綺麗になるまで掃除する」ことが、本日の陽奈子に課せられた仕事らしい。
「なにか困ったこと、分からないことがある場合は、同じフロアで仕事をしている同僚に尋ねて。勿論、私のところまで訊きに来てくれても構わないわ」
「私のところまでって、どこへ行けばいいの?」
「それは、同じフロアで仕事をしている同僚に訊いて」
「え……。それだと、訊きたいことは同僚に訊けばいいから、華菜のところまでわざわざ行く意味なくない?」
「仕事、頑張ってね」
華菜は素っ気なく去っていった。最後の一言がなかったならば、僅かながらプラスに転じていた華菜に対する好感度が、少しだけマイナスになっていたかもしれない。
最初に見た、東側の部屋から手をつけることにした。家具や備品の類が残らず取り払われていることを除けば、陽奈子と華菜の部屋と全く同じ造りをしている。もう一方の部屋も同様だ。掃除道具はクローゼットの中にあった。箒、ちりとり、バケツ、雑巾。必要な道具は一式揃っている。
ざっと見回したが、部屋の床や窓に汚れは認められない。掃き掃除を省略し、床の拭き掃除から始める。拭く必要もないくらいの清潔さだが、「掃除する前よりも綺麗になるまで掃除する」ようにと命じられたのだから、それを理由になにもしないわけにはいかない。
部屋は広く、全面を拭き終えるには思ったよりも時間がかかりそうだ。しかし、さほど苦痛ではない。むしろ、黙々と作業を行うだけの一人きりの静かな時間に、ある種の快さを感じる。何者にも監視されておらず、気が楽だからかもしれない。これを毎日続けていけば給料だって貰える。そう考えると、なんとかやっていけるかもしれない、という思いが深まった。
やがて床の拭き掃除が完了した。計っていたわけではないので正確な時間は定かではないが、一時間もかからなかったはずだ。最初ということで、丁寧すぎるほど丁寧に作業を行ったことを考えれば、次からはもう少し時間を短縮できるかもしれない。
「……さて」
次は窓を磨こうか。それとも水回りの掃除をしようか。
考えながら洗面台で雑巾を洗っていると、不意に靴音が聞こえた。
洗う手を止め、耳を欹てる。
三階の廊下を、陽奈子がいる部屋へと向かってくる。靴音は複数で、話し声も混じっている。声を潜めている様子はない。内容までは聞き取れないが、若い女性が談笑しているらしい。
「同僚、かな」
顔を見てみたい気持ちはあったが、閉まっているドアをわざわざ開けて、用もないのに彼女たちの前に顔を出すのは、推奨されない行為だという気がする。
廊下からの音を気にしながらも、洗い終えた雑巾を手に洗面所を出る。窓へ向かおうとした矢先、靴音が部屋の前で止まった。ノックの音。陽奈子が返事をする間もなくドアが開かれた。
「ごめんくださーい。国木田陽奈子さんは――あっ、いた」
訪問者は、メイド服に身を包んだ、二人の少女だった。
陽奈子は驚きのあまり言葉が出てこない。
二人の外見は、見分けがつかないくらいそっくりだ。髪型も、顔貌も、背格好も、なにからなにまで。唯一、ツインテールを構成しているリボンの色だけが、一方はピンク色で一方は水色、というふうに違っている。
「来たばかりなのに、お仕事ご苦労さま。床の拭き掃除をしていたの?」
「ピカピカになっていて、丁寧に雑巾をかけてあるのが分かるよ。真面目なんだね、陽奈子って」
「それにしても、背が高いんだね。うーん、だいたい百八十センチくらい?」
「力仕事が得意な子って、うちにはそんなにいないから、頼りになりそう」
二人は陽奈子に歩み寄ると、無遠慮に全身を眺め回しながら、好き勝手なことを喋り始めた。声までそっくりで、一人が延々と喋っているような錯覚を抱いてしまう。
声が途切れたタイミングで、陽奈子は単刀直入に問うた。
「二人って、もしかして双子?」
『うん、そうだよ。一卵性双生児なの』
寸分の狂いもなく声を揃えて答えたので、陽奈子は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。その反応を見て、双子は控えめな笑い声を重ねた。
「初めて顔を合わせたんだから、自己紹介しなきゃ、だね。ピンク色のリボンの私は、ミア」
「水色のリボンの私は、ノア。リボンの色は絶対に変えないから、ピンク色がミアで水色がノアって覚えてね」
「ほんとはリボンも同じにしたいんだけど、見分けがつかないとなにかと不便だって、琴音がうるさいから。ねー、ノア」
「ねー、ミア。どっちがミアでどっちがノアか、分からなくて戸惑っているみんなを見るのが楽しいのにね」
二人は瓜二つの微笑みを見合わせる。怖いくらいに息の合った動きに呆気に取られながらも、もう一つの疑問を口にせずにはいられない。
「二人は、なんであたしのところまで来たの?」
「今日のお昼は、庭の花壇の前で食べることになってるでしょ。だから陽奈子を迎えに来たんだ」
ピンク色のリボンが答えた。ああ、そういえばそんなことも言っていたなあ、と思いながら、胸の中で考える。ところで、この子はミアだっけ? ノアだっけ?
「あれっ、知らなかった? 琴音から説明があったと思うんだけど」
「いや、知ってる。でも、来たときに傍を通ったし、花壇の場所くらい分かるよ。親切はありがたいけど、わざわざ迎えに来てくれなくても……」
「まあ、いいじゃない。さあ、庭へ行こうよ」
雑巾を洗面台に置いて手を洗い、双子とともに移動を開始する。陽奈子を真ん中にして、ミアとノアが両側につく陣形だ。
「仲がいいんだね、二人とも。息ぴったりで」
「当たり前でしょ。だって私たち、お母さんのお腹の中にいるときから一緒だったんだよ」
「自分そっくりな人間が傍にいると、反発し合うものかと思っていたけど、違うんだね」
「性格も好みも、なにからなにまで同じだからね。喧嘩しようと思っても、喧嘩の材料がないっていうか」
陽奈子が疑問を口にすればミアが答え、ノアが意見を述べれば陽奈子が反応を示す。三人は初対面とは思えないほど積極的に言葉を交わしながら、賑やかに廊下を進んだ。
「なにか困ったこと、分からないことがある場合は、同じフロアで仕事をしている同僚に尋ねて。勿論、私のところまで訊きに来てくれても構わないわ」
「私のところまでって、どこへ行けばいいの?」
「それは、同じフロアで仕事をしている同僚に訊いて」
「え……。それだと、訊きたいことは同僚に訊けばいいから、華菜のところまでわざわざ行く意味なくない?」
「仕事、頑張ってね」
華菜は素っ気なく去っていった。最後の一言がなかったならば、僅かながらプラスに転じていた華菜に対する好感度が、少しだけマイナスになっていたかもしれない。
最初に見た、東側の部屋から手をつけることにした。家具や備品の類が残らず取り払われていることを除けば、陽奈子と華菜の部屋と全く同じ造りをしている。もう一方の部屋も同様だ。掃除道具はクローゼットの中にあった。箒、ちりとり、バケツ、雑巾。必要な道具は一式揃っている。
ざっと見回したが、部屋の床や窓に汚れは認められない。掃き掃除を省略し、床の拭き掃除から始める。拭く必要もないくらいの清潔さだが、「掃除する前よりも綺麗になるまで掃除する」ようにと命じられたのだから、それを理由になにもしないわけにはいかない。
部屋は広く、全面を拭き終えるには思ったよりも時間がかかりそうだ。しかし、さほど苦痛ではない。むしろ、黙々と作業を行うだけの一人きりの静かな時間に、ある種の快さを感じる。何者にも監視されておらず、気が楽だからかもしれない。これを毎日続けていけば給料だって貰える。そう考えると、なんとかやっていけるかもしれない、という思いが深まった。
やがて床の拭き掃除が完了した。計っていたわけではないので正確な時間は定かではないが、一時間もかからなかったはずだ。最初ということで、丁寧すぎるほど丁寧に作業を行ったことを考えれば、次からはもう少し時間を短縮できるかもしれない。
「……さて」
次は窓を磨こうか。それとも水回りの掃除をしようか。
考えながら洗面台で雑巾を洗っていると、不意に靴音が聞こえた。
洗う手を止め、耳を欹てる。
三階の廊下を、陽奈子がいる部屋へと向かってくる。靴音は複数で、話し声も混じっている。声を潜めている様子はない。内容までは聞き取れないが、若い女性が談笑しているらしい。
「同僚、かな」
顔を見てみたい気持ちはあったが、閉まっているドアをわざわざ開けて、用もないのに彼女たちの前に顔を出すのは、推奨されない行為だという気がする。
廊下からの音を気にしながらも、洗い終えた雑巾を手に洗面所を出る。窓へ向かおうとした矢先、靴音が部屋の前で止まった。ノックの音。陽奈子が返事をする間もなくドアが開かれた。
「ごめんくださーい。国木田陽奈子さんは――あっ、いた」
訪問者は、メイド服に身を包んだ、二人の少女だった。
陽奈子は驚きのあまり言葉が出てこない。
二人の外見は、見分けがつかないくらいそっくりだ。髪型も、顔貌も、背格好も、なにからなにまで。唯一、ツインテールを構成しているリボンの色だけが、一方はピンク色で一方は水色、というふうに違っている。
「来たばかりなのに、お仕事ご苦労さま。床の拭き掃除をしていたの?」
「ピカピカになっていて、丁寧に雑巾をかけてあるのが分かるよ。真面目なんだね、陽奈子って」
「それにしても、背が高いんだね。うーん、だいたい百八十センチくらい?」
「力仕事が得意な子って、うちにはそんなにいないから、頼りになりそう」
二人は陽奈子に歩み寄ると、無遠慮に全身を眺め回しながら、好き勝手なことを喋り始めた。声までそっくりで、一人が延々と喋っているような錯覚を抱いてしまう。
声が途切れたタイミングで、陽奈子は単刀直入に問うた。
「二人って、もしかして双子?」
『うん、そうだよ。一卵性双生児なの』
寸分の狂いもなく声を揃えて答えたので、陽奈子は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。その反応を見て、双子は控えめな笑い声を重ねた。
「初めて顔を合わせたんだから、自己紹介しなきゃ、だね。ピンク色のリボンの私は、ミア」
「水色のリボンの私は、ノア。リボンの色は絶対に変えないから、ピンク色がミアで水色がノアって覚えてね」
「ほんとはリボンも同じにしたいんだけど、見分けがつかないとなにかと不便だって、琴音がうるさいから。ねー、ノア」
「ねー、ミア。どっちがミアでどっちがノアか、分からなくて戸惑っているみんなを見るのが楽しいのにね」
二人は瓜二つの微笑みを見合わせる。怖いくらいに息の合った動きに呆気に取られながらも、もう一つの疑問を口にせずにはいられない。
「二人は、なんであたしのところまで来たの?」
「今日のお昼は、庭の花壇の前で食べることになってるでしょ。だから陽奈子を迎えに来たんだ」
ピンク色のリボンが答えた。ああ、そういえばそんなことも言っていたなあ、と思いながら、胸の中で考える。ところで、この子はミアだっけ? ノアだっけ?
「あれっ、知らなかった? 琴音から説明があったと思うんだけど」
「いや、知ってる。でも、来たときに傍を通ったし、花壇の場所くらい分かるよ。親切はありがたいけど、わざわざ迎えに来てくれなくても……」
「まあ、いいじゃない。さあ、庭へ行こうよ」
雑巾を洗面台に置いて手を洗い、双子とともに移動を開始する。陽奈子を真ん中にして、ミアとノアが両側につく陣形だ。
「仲がいいんだね、二人とも。息ぴったりで」
「当たり前でしょ。だって私たち、お母さんのお腹の中にいるときから一緒だったんだよ」
「自分そっくりな人間が傍にいると、反発し合うものかと思っていたけど、違うんだね」
「性格も好みも、なにからなにまで同じだからね。喧嘩しようと思っても、喧嘩の材料がないっていうか」
陽奈子が疑問を口にすればミアが答え、ノアが意見を述べれば陽奈子が反応を示す。三人は初対面とは思えないほど積極的に言葉を交わしながら、賑やかに廊下を進んだ。
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