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横断歩道

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 目の前の横断歩道を渡り始める。罠だとは考えなかった。正しい道が示されたという実感により、心はむしろ高揚していた。ただ、いささか矛盾しているようだが、車道上に忽然と出現した自動車が猛然と突っ込んでくるだとか、渡り切るよりも先に、信号が点滅を経ずに赤に変わり、突如として発生した脱出不可能な虚無に呑み込まれてしまうだとか、そういった荒唐無稽な破滅の予感は比較的強く抱いていた。
 足は自ずと急いた。急くことも破滅に繋がるのでは、という懸念がなくもなかったが、何事もなく渡り切った。両手を腰に当て、ありふれた長さの横断歩道を渡っただけにしては大仰な息を吐く。
 そして、私は再び選択を迫られる。道をそのまま真っ直ぐに進むか。それとも、右に折れるか。
 前者を選択した場合、待ち受けているのは、交差点で足を止める直前までと似たような景色だ。即ち、片側一車線で、歩道は狭く、荒れた印象だがゴミは認められず、川に沿って伸びている。道なりに進んでいけば、再び交差点があり、再び赤信号に一時停止を余儀なくされ、再び三択を迫られるに違いない。
 では右に進むのはどうかと考えて、横断歩道を渡る前に検討した際、その道こそが正道だという思いを抱いたことを思い出した。
 延々と同じ景色が繰り返される道と、どちらを通行すればベアトリーチェに辿り着けるだろうかと考えた瞬間、選ぶべき道は決定された。体を九十度右に回転させ、直進を開始する。
 私にしては短い思案時間だった。考えることに疲弊しつつあるのかもしれない。積極的に思案したいか否かと問われれば否だが、それでも、今後も考えずにはいられないのだろう。歩かなければならないことと同じだ。疲れるが、ベアトリーチェに到達するために必要不可欠な作業という意味で。
 しばらく歩くと、またもや道が交差していた。今度の道はかなり幅広で、片側四車線もある。夥しい数の車がひっきりなしに行き交っている。走行音、排気ガスの臭い、伝わってくる風。車窓越しに窺える運転者や同乗者の輪郭や表情の精密さ、自動車のボディの質感。それら全てに現実性が多分に抱合されている。
 人間と再会できたことは喜ばしいが、私は水着を着用している。できれば大通りには出たくない。
 ただ、直感を信用するならば、大通りを行けば、ベアトリーチェに会える可能性が非常に高い。
 問題の解決を後回しにしてきたが、向き合わなければならない時がとうとう訪れたのだ。
 解決策を求めて思案を巡らせたが、妙案は浮かんでこない。浮かんでくる気配もない。恥をかくのを覚悟の上で大通りに出るしかないのだろうか?
 恥をかくだけならばまだいいが、変質者と見なされ、警察の厄介になる事態に発展しては大事だ。
 事情を包み隠さずに打ち明ければ理解してくれるだろうか? 湖で溺れそうになったと思ったら、いつの間にか市民プールにいた。着替えを持っていなかったので、止むを得ず水着姿で公道を歩いた。そんな馬鹿げた言い分が聞き入れられるはずがない。相手の警官がどれほど愚鈍でも、慈悲深くても、現実的ではない。実際に対話してみるまでもなく明白だ。
 他に考えられる打開策の中で最も有効的なのは、衣類を調達することだが、私は金を一円も所持していない。そもそも、衣服を売っていると思われる店は、前回確認した時と同じく界隈にはない。仮にあったとしても、水着姿で入店する勇気を持てるかどうか。
 天に運を任せて大通りに出るか。それとも、引き返したくない思いを宥めて引き返すか。
 思案している間も、私は前進を続けている。最早、車の走行音がうるさいほどに交差点が近い。
 所持金がなくても衣類を入手する方法はある。民家の玄関のチャイムを鳴らし、「着ていた服を失くしてしまったので、貸してほしい」と頼む、というのがそれだ。気は進まないが、庭先に干してあるものを無断で拝借するという手もある。
 しかし、肝心の民家がどこにもない。左右どちらを見ても田畑と空き地ばかりだ。
 左の横断歩道を渡り、橋を渡り切った先は住宅地だった。やはり、引き返すべきだ。
 立ち止まり、時計回りに方向転換しようとした矢先、視界の端に建物の存在を認めた。
 首を反時計回りに九十度回し、視界の真正面に映す。二階建てで、公衆トイレを大きくしたような外観。看板などは出ていないが、交番だと一目で分かった。
 警察のことを念頭に浮かべると、呆気なく交番を発見した――あまりにもご都合主義が過ぎる。私を罠にかけるために、あるいは掌で躍らせる時間を長引かせるために、大いなる存在が超常的な力を行使し、本来存在しなかった場所に交番を出現させたのではないか。そう勘繰ってしまう。
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