上 下
11 / 45

ひじき

しおりを挟む
 二列のラックによって構成された通路は延々と続く。収納されている箱の色は、一定の法則に則って反復されているらしい。時折、箱の口からひじきに酷似した、黒く、細く、短く、縮れた物体が顔を覗かせている。
 実際に見えているのではなく、そう思いたいだけなのだと、頭では理解している。単調極まる道に辟易するあまり、ひじきなどという馬鹿げた幻影を生み出したのだと。
 現在までのところ、建物の内部の明暗に変化はない。子猫と思しきか細い鳴き声は聞こえ続けている。初めて聞いた時から音量に全く変化がない。声の発生源があまりにも遠いせいで、音源との距離は着実に縮まっているものの、聞いた限りでは音量に変化が生じていないように感じられるのか。長時間発声し続けることによって体力を消耗するため、時間が経つにつれて音量が低下していき、距離は着実に縮まっているものの、声の大きさに変化がないように感じられるのか。
 声のことは考えないと心に誓ったはずなのに、違反している。
 自己嫌悪を覚えたのが引き金となり、絶望に通じる弱気が頭をもたげた。
 私は建物から出られるのだろうか?
 出られないのだとしても、この建物の中にベアトリーチェがいる、という可能性はないだろうか?
 そう考えてみたものの、青色の布に頭上を覆われた、微かだが気がかりな声がひっきりなしに聞こえる、蒸し暑い空間の中、金属ラックにもたれて待ち構えている彼女の姿を、私は思い描くことができなかった。美しく、華やかで、淑やかな彼女には相応しくない場所だからかもしれない。あるいは、単に疲れているからか。私の両脚は、疲労困憊というほどではないが、総歩行距離の割には疲弊していた。
 私の意識は、ラックに収納された緑色や黄色の箱へと流れる。
 途切れることなく設置され、天井まで高さがあるラックに、無様な間隙を晒すことなく収まっているのだから、総数は相当な数に上るはずだ。私が通り過ぎた箱は自動的に、進行方向にある、私の視野に入らない場所にあるいずこかの棚へと瞬時に移動している、ということではないならば。
 物心がついた頃には、コンシューマーゲーム機が一般家庭に普及していた世代の人間としては、建物から脱出するための鍵が箱のいずれかに隠されている、というゲーム的な発想を抱いてしまう。
 ただ、実際に箱に手をつける気にはなれない。数が膨大だからというのもあるが、それ以外にも理由がある気がする。建物の中にいると自覚した当初、ファスナーを開けて外に出るか否かに迷っていた際に危惧した、見えない世界と現在いる世界が繋がった瞬間、命が脅かされる恐怖。それとは別の何かに起因する気乗りのしなさだ。
 例えば、箱の中にベアトリーチェの死体が押し込められている。
 細いながらも頑丈な、宇宙空間の端から端まで長さがある透明な糸が、心臓の中心に突き刺さり、突き進み、突き抜けていったような刹那の感覚。
 恐怖も、混乱も、怒りもない。ただただ感心している。ベアトリーチェの死体が入っているから、箱の中身を確認したくない。なるほど、辻褄が合う。
 ベアトリーチェは芸術品のようなブロンドヘアの持ち主だが、死ねば艶を失い、変色し、乱れることは避けられまい。その先端数ミリが箱から覗き、ひじき。なるほど、そうだったのか。
 比喩がつまらないのは致し方ない。死んでいるのは見目麗しいベアトリーチェだが、観測者はつまらない私なのだから。
 顔は、眠るように静かに目を瞑っている、とはいかないのだろう。白磁の肌は、死斑が浮き始めた頃合いかもしれない。豊かではないが整った形の乳房は、萎れてしまっているだろうか。四肢は、弛緩と硬直、どちらの状態に置かれているのだろう。傷が刻まれているのだとすれば、タトゥーの失敗作に見えるに違いない。
 こうも冷静に彼女の死について想像できるのは、腹の底では、彼女にその現象は無縁だと認識しているからこそ、だろう。
 問題は、私が死んでしまわないかだ。
 決して大げさな警告ではない。私が生物である以上、食物を摂取しなければ当然、死に至る。食物の気配がないこの空間から脱出できなければ、どうなる? 無論、死だ。世にも哀れな野垂れ死にだ。現時点では遭遇していないが、私を死に至らしめ得る罠が仕掛けられていないとも限らない。
 現時点では死は遥か遠くにあるが、困難な道のりを歩む辛苦は現在進行形だ。この蒸し暑さの中、いつ終わるとも知れない道を歩み続けるのは、精神的に辛い。か弱いが、絶え間なく訴えかけてくる子猫の鳴き声が、負の思念や感情を増幅させるようでもある。心なしか、頭蓋骨が重たい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

形だけの正妃

杉本凪咲
恋愛
第二王子の正妃に選ばれた伯爵令嬢ローズ。 しかし数日後、側妃として王宮にやってきたオレンダに、王子は夢中になってしまう。 ローズは形だけの正妃となるが……

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】わたしの娘を返してっ!

月白ヤトヒコ
ホラー
妻と離縁した。 学生時代に一目惚れをして、自ら望んだ妻だった。 病弱だった、妹のように可愛がっていたイトコが亡くなったりと不幸なことはあったが、彼女と結婚できた。 しかし、妻は子供が生まれると、段々おかしくなって行った。 妻も娘を可愛がっていた筈なのに―――― 病弱な娘を育てるうち、育児ノイローゼになったのか、段々と娘に当たり散らすようになった。そんな妻に耐え切れず、俺は妻と別れることにした。 それから何年も経ち、妻の残した日記を読むと―――― 俺が悪かったっ!? だから、頼むからっ…… 俺の娘を返してくれっ!?

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

甘いマスクは、イチゴジャムがお好き

猫宮乾
ホラー
 人間の顔面にはり付いて、その者に成り代わる〝マスク〟という存在を、見つけて排除するのが仕事の特殊捜査局の、梓藤冬親の日常です。※サクサク人が死にます。【完結済】

脱出ホラゲと虚宮くん

山の端さっど
ホラー
〈虚宮くん休憩中〉虚宮くんは普通の高校生。ちょっと順応性が高くて力持ちで、足が早くて回復力が高くて謎解きが得意で、ちょっと銃が撃てたり無限のアイテム欄を持つだけの……よくホラーゲームじみた異変に巻き込まれる、ごく普通の男の子、のはず。本人曰く、趣味でも特技でもない「日課」は、幾多の犠牲者の書き置きや手紙を読み解き、恐怖の元凶を突き止め惨劇を終わらせる事。……人は彼を「終わらせる者」ロキ、と呼んだりする。

処理中です...