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猫
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高速で走行する自動車から振り落とされたにもかかわらず、痛みを全く覚えなかったことを訝る気持ち。ワゴン車が忽然と消失したことを不可解に思う気持ち。どちらもあったが、それ以上に、果てまで行かずに済んだ安堵の念を強く覚えた。私を振り落として消えるというワゴン車の行動は、「お前に果てに行く資格はない」と言っているようで、ある意味では屈辱的だ。しかし、本来であれば屈辱を感じる場面なのだろう、と他人事のように考えただけで、実際にネガティブな感情を覚えることはなかった。
尻に覚える硬さは確固としていたが、信号待ちの時に踏み締めていた路面ほどの硬さは感じられない。大いなる存在の双眼鏡を拝借して地下を窺ったとしても、河馬の水槽を発見することは叶わないだろう。
河馬に逃げ場はない。私は自由を得た。空間の果ては厳然として存在し続けているが、そこ行きのワゴン車は忍者と共に消えてしまった。彼が懐中から取り出した忍具で消し去ったのだろうか?
惜しいことをした、という思いが胸に萌芽した。何が惜しいのかは分からない。感覚としては、驟雨が降りしきる中、道端のダンボール箱の中で子猫が鳴いているのを見て、「かわいそうに」と思うのと近い。
実際に見かけた経験は皆無にもかかわらず、なぜ捨て猫を引き合いに出したのだろう。太った黒猫の影響かとも考えた。しかし、片や肥満した、ベアトリーチェに飼育されている時点で、幸福なのは疑いの余地がない黒猫。片や雨に打たれながら窮状を訴える、不幸な捨て猫。両者の間にはアフロディテと蠅の糞ほどの懸隔がある。ドラマや映画や漫画など、フィクションの世界である種の定型となっているシーンだから。そう解釈するのが自然なのかもしれないが、どうにもしっくりこない。
どちらの説も誤りだというのならば、幼少時に家で猫を飼っていた影響だとしか考えられない。我が家に猫がいなかった最古の時代は、記憶が正しいならば私が中学一年生の時だから、子供時代と訂正するべきか。モラトリアム期が水飴のように引き延ばされる現代において、男が少年に属する期間はあまりにも長すぎる。
拾ってきたのか。購入したのか。野良猫が居ついたのか。飼っていた猫が生んだのか。家族の一員となった経緯は記憶していないが、私が十二歳と数か月の時点でいなくなったということは、私が生まれる前から両親が飼育していた可能性も考えられる。名前も性別も年齢も覚えていないが、虎猫だったのは間違いない。
追憶しているうちに、虎猫は犬のように鎖に繋がれて飼われていたような気がしてきた。
そのような特殊な飼われ方をしていたのであれば、ある程度鮮明に記憶が残っているはずだから、真実ではないはずだ。物理的な束縛を前提に飼育するのは可哀想という意味でも、そうではなかったと思いたい。虎猫は私の家族にはさほどかわいがられてはおらず、その記憶が鎖や束縛といったイメージを喚起し、犬のように繋いで飼っていたという錯誤を引き起こしたのだろう。
では、なぜかわいがられていなかったのか。
私が生まれる前から飼われていたのだとすれば、私が生まれたことが原因かもしれない。
両親の愛情の矛先がペットから我が子に移ったのか。両親と虎猫との間に、あるいは私と虎猫との間に何らかのトラブルが起き、疎ましがられるようになったのか。いずれにせよ、物心がついていない頃の話なので、思い出すことは不可能だ。両親から虎猫にまつわる話を聞かされた記憶はない。失念してしまったのか、話を聞く機会自体なかったのか、それすらも定かではない。
十二年という歳月は、人間と比べれば短命な猫にとっては、一生涯にも等しい歳月だ。虎猫はそんなにも長い期間、人間からの愛情とは無縁の日々を過ごしていた可能性があるというのか。
物心がついていない頃の話と言えば、私が赤ん坊だった頃のエピソードならば、回数は少ないが聞かされたことがある。生まれて間もない頃の話だけではなく、生まれる直前の話も。どちらかと言えば、後者の方が印象に残っている。
陣痛が起き、いよいよ私が生まれそうということで、父親は母親を自家用車で病院に送り届けた。出産には立ち会わなかったと聞いている。私の親世代が二十代や三十代だった頃に、その文化は一般的ではなかった。当時は区分こそ現代だが、噎せ返るほどに近代の残り香が色濃い時代だった。
分娩室に最も近い、待合室だったのか、通路に備えつけられたベンチだったのか。来院者が腰を下ろすために設けられた場所で、父親はその時が到来するのを待ったが、中々生まれない。朝食を済ませていなかったので、最寄りのコンビニエンスストアまで車を走らせてアンパンを購入し、店の駐車場に停めた車の中で食べた。病院に戻ると、待ち構えていた看護婦が、つい先刻私が誕生したと告げた。
以上の趣旨の話だった。当時は女性看護師のことを看護婦と呼称していた。嘆息したくなるほどに近代の残り香が色濃い時代だった。
ありがちと言えばありがちな、取るに足らないエピソードだろう。しかし、食べたパンの種類がアンパンだったなど、部分的ながらも詳細を記憶していることからも察しがつくように、父親にとっては心に残る出来事だったようだ。出産というのは、産んだ本人にとってだけではなく、夫にとっても印象深い体験なのだろう。
尻に覚える硬さは確固としていたが、信号待ちの時に踏み締めていた路面ほどの硬さは感じられない。大いなる存在の双眼鏡を拝借して地下を窺ったとしても、河馬の水槽を発見することは叶わないだろう。
河馬に逃げ場はない。私は自由を得た。空間の果ては厳然として存在し続けているが、そこ行きのワゴン車は忍者と共に消えてしまった。彼が懐中から取り出した忍具で消し去ったのだろうか?
惜しいことをした、という思いが胸に萌芽した。何が惜しいのかは分からない。感覚としては、驟雨が降りしきる中、道端のダンボール箱の中で子猫が鳴いているのを見て、「かわいそうに」と思うのと近い。
実際に見かけた経験は皆無にもかかわらず、なぜ捨て猫を引き合いに出したのだろう。太った黒猫の影響かとも考えた。しかし、片や肥満した、ベアトリーチェに飼育されている時点で、幸福なのは疑いの余地がない黒猫。片や雨に打たれながら窮状を訴える、不幸な捨て猫。両者の間にはアフロディテと蠅の糞ほどの懸隔がある。ドラマや映画や漫画など、フィクションの世界である種の定型となっているシーンだから。そう解釈するのが自然なのかもしれないが、どうにもしっくりこない。
どちらの説も誤りだというのならば、幼少時に家で猫を飼っていた影響だとしか考えられない。我が家に猫がいなかった最古の時代は、記憶が正しいならば私が中学一年生の時だから、子供時代と訂正するべきか。モラトリアム期が水飴のように引き延ばされる現代において、男が少年に属する期間はあまりにも長すぎる。
拾ってきたのか。購入したのか。野良猫が居ついたのか。飼っていた猫が生んだのか。家族の一員となった経緯は記憶していないが、私が十二歳と数か月の時点でいなくなったということは、私が生まれる前から両親が飼育していた可能性も考えられる。名前も性別も年齢も覚えていないが、虎猫だったのは間違いない。
追憶しているうちに、虎猫は犬のように鎖に繋がれて飼われていたような気がしてきた。
そのような特殊な飼われ方をしていたのであれば、ある程度鮮明に記憶が残っているはずだから、真実ではないはずだ。物理的な束縛を前提に飼育するのは可哀想という意味でも、そうではなかったと思いたい。虎猫は私の家族にはさほどかわいがられてはおらず、その記憶が鎖や束縛といったイメージを喚起し、犬のように繋いで飼っていたという錯誤を引き起こしたのだろう。
では、なぜかわいがられていなかったのか。
私が生まれる前から飼われていたのだとすれば、私が生まれたことが原因かもしれない。
両親の愛情の矛先がペットから我が子に移ったのか。両親と虎猫との間に、あるいは私と虎猫との間に何らかのトラブルが起き、疎ましがられるようになったのか。いずれにせよ、物心がついていない頃の話なので、思い出すことは不可能だ。両親から虎猫にまつわる話を聞かされた記憶はない。失念してしまったのか、話を聞く機会自体なかったのか、それすらも定かではない。
十二年という歳月は、人間と比べれば短命な猫にとっては、一生涯にも等しい歳月だ。虎猫はそんなにも長い期間、人間からの愛情とは無縁の日々を過ごしていた可能性があるというのか。
物心がついていない頃の話と言えば、私が赤ん坊だった頃のエピソードならば、回数は少ないが聞かされたことがある。生まれて間もない頃の話だけではなく、生まれる直前の話も。どちらかと言えば、後者の方が印象に残っている。
陣痛が起き、いよいよ私が生まれそうということで、父親は母親を自家用車で病院に送り届けた。出産には立ち会わなかったと聞いている。私の親世代が二十代や三十代だった頃に、その文化は一般的ではなかった。当時は区分こそ現代だが、噎せ返るほどに近代の残り香が色濃い時代だった。
分娩室に最も近い、待合室だったのか、通路に備えつけられたベンチだったのか。来院者が腰を下ろすために設けられた場所で、父親はその時が到来するのを待ったが、中々生まれない。朝食を済ませていなかったので、最寄りのコンビニエンスストアまで車を走らせてアンパンを購入し、店の駐車場に停めた車の中で食べた。病院に戻ると、待ち構えていた看護婦が、つい先刻私が誕生したと告げた。
以上の趣旨の話だった。当時は女性看護師のことを看護婦と呼称していた。嘆息したくなるほどに近代の残り香が色濃い時代だった。
ありがちと言えばありがちな、取るに足らないエピソードだろう。しかし、食べたパンの種類がアンパンだったなど、部分的ながらも詳細を記憶していることからも察しがつくように、父親にとっては心に残る出来事だったようだ。出産というのは、産んだ本人にとってだけではなく、夫にとっても印象深い体験なのだろう。
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