緘黙記

阿波野治

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進路

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 年が変わり、季節は春から夏へと移ろい、慎也は自身の進路を定める必要に迫られた。その作業は、口頭でまともに意思を示そうとしない当人に代わって、両親、というよりも父親主導のもとに進められた。
 学校に通っていた間、成績が比較的優秀だった事実を論拠に、進学すべきだと父親は主張した。慎也は異を唱えなかった。働いた経験がない彼には、虐めに遭う危険性を考慮しても、働くよりも学校に通う方が楽に思えたのだ。続いて父親は、進学先として、県内の公立高校、同じく県内の私立高校、岡山県の全寮制の高校、この三案を呈示した。話しぶりから判断して、全寮制高校、公立高校、私立高校、以上の順番で息子の進学先に相応しいと考えているらしかった。
 全寮制という言葉が持つ響きに、慎也は監獄を連想した。父さんは僕を厄介払いしようとしているのだ。人前で喋らない、学校へ行かない僕の面倒を見るのに嫌気が差したから、他人に丸投げしようとしているのだ。そう解釈し、両親に対して反撥心を抱いた。息子の教育に失敗したのは、父さんたちのやり方が間違っていたからだろう。それなのに、どうして僕が責任を取らなければならないんだ?
「慎也はどこへ行きたい? 学費は責任を持って出すから、好きな学校を選びなさい」
 大人らしく、本心を巧みに隠して父親は述べた。慎也は彼らしく、自らの意思を明確に示さなかったが、全寮制の高校には行きたくない、という意思を仄めかすことは忘れなかった。進学先を決定するのは、とにもかくにも、全寮制高校を見学してからだ。息子の仄めかしに気がついているのかいないのか、両親はそう口を揃えた。気乗りはしなかったが、拒む理由は見出せない。八月、全寮制高校の見学会に参加するべく、三人は岡山県へと向かった。
 全寮制高校は郊外の山中にあった。実物を見ても、慎也の胸に監獄の二字は過ぎらなかったが、閉塞感めいたものを覚えた。寮での生活が自分に合わなかったとしても、逃げ込める場所がどこにもないなんて、とんでもないことだ。
 施設を見学した後の説明会で、慎也は迂闊にも最前列の席に座ったため、進行役の男性から質問を投げかけられた。日本で一番偏差値の高い大学はどこか、分かる? 答えが浮かばなかったため、頭を振った。進行役の男性は続いて、慎也の隣に座る者に解答を求めた。東大、とその者は答えた。正解だった。答えが分からなかったのではなく、単に口を利きたくなかったから首を横に振ったのではないのか、という気がした。
 昼食は両親と、二人の寮生と計五人で、一脚のテーブルを囲んで食べた。食事中、慎也は一言も喋らなかった。両親と寮生は、その年齢差、初対面だという事情を考慮すれば、驚くほど盛んに、かつ親しげに言葉を交わした。こんなの、僕には絶対無理だ。そう思いながら、黙々とカレーライスを口に運んだ。
 全寮制高校の入学試験が実施されてから二週間後、私立高校の入学試験が行われた。全寮制高校の入学試験とは異なり、私立高校と公立高校のそれには面接試験があった。面接試験では、氏名を告げ、面接官が投げかける簡単な質問に一度だけ答えることが要求された。やや声量不足ながらも、聞き取りやすさという点では何の問題もなく自らの氏名を述べた慎也に向かって、初老の男性面接官は以下の質問を投げかけた。
「あなたが苦手なことはなんですか?」
 後になって慎也は、自分が学校では一切喋らないという情報が、事前に面接を実施する側に伝えられていたに違いない、と考えた。もっとも、その配慮がなされた意味について、自分なりに考察してみることはなかった。
「人と喋ることです」
 慎也は質問相手の目を見ながら答えた。声量は控えめだったが、発音の明瞭さは必要とされる水準に達しているという意味で、氏名を述べた時と同様だった。面接官は微笑し、二度ばかり小さく頷いた。慎也はその笑いの中に優越感を見て取った。通常であれば、彼の心に深く刻みつけられて然るべき微笑だったが、難局を乗り切ったという実感、それに伴う安堵感がその印象を霞ませた。それ故に、面接官のその微笑は、彼にとって重大な意味を持っていたにもかかわらず、彼のその後の人生において存在感を発揮することはなかった。
 私立高校の面接試験の経験が活き、公立高校の面接試験も無事に切り抜けることができた。入学試験の結果は、三校とも合格。私立高校と公立高校、甲乙つけがたかったが、「学園」という言葉の響きに漠然と惹かれ、前者への入学を決めた。この選択を父親がどう思ったのかは定かではないが、反対の意は示さなかった。少なくとも、表向きは。
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