破滅への道程

阿波野治

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偽善

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 駐輪場に行くと、出入口付近の邪魔にならない場所で女子生徒二人組がお喋りをしていたが、タカツグたちがやって来たのを受けて会話を中断した。視線をひしひしと感じながら自転車に跨る。二人が駐輪場から出た途端、二人組は何事もなかったかのようにお喋りを再開した。
 グラウンドではサッカー部が黙々と部活動に励んでいる。掛け声が特徴的で、クラスの男子から冷やかし混じりによく真似られている野球部は、ランニングに出ているらしく不在だ。
 教室の中で友人相手にしていた続きとでもいうような、他愛もない話がニイミさんの口から出る。彼女の自転車と並走しながら、タカツグは聞き役に徹する。あまりにも他愛なさすぎて、聞いた傍から記憶から抜け落ちてしまい、軽く焦ってしまうことが何度もあった。
 話が一段落したのを境に、ニイミさんは自転車を漕ぐ速度を速めた。タカツグはそれに合わせる。走行速度の上昇は留まるところを知らない。双方の距離は徐々に開き始めた。
 タカツグは最初こそ声をかけようとしたが、すぐ自らその意思を放擲した。現在進行形で異常事態に晒されながらも、頭の中は妙に冷静で、ニイミさんにこれほどの脚力があったなんて知らなかった、保健体育の成績は平凡なのに、などと能天気に、それでいてどこか冷ややかに感心した。通行人や走行する自転車を追い抜く際に、速度を一切落とすことなく衝突を避ける勇気と手際も、恐ろしいを通り越して鮮やかだ。
 彼の乏しい体力と脚力では、ついていくのがそろそろ難しくなってきた。もう諦めようか、と心中で弱音を吐いてみる。それがニイミさんに届き、速度を緩めてくれることを期待しての呟きでもあったのだが、実際に発していない声が届くはずもない。見る見る背中が遠のいていく。
 タカツグはペダルを漕ぐ力をにわかに緩めた。ニイミさんの後ろ姿が曲がり角に吸い込まれ、真正面から強く押されたような衝撃を感じた。自転車ごと横転しそうになったが、咄嗟に片足で地面を踏み締めてその事態を回避する。
 顔を上げると、タカツグのすぐ目の前で、水色の自転車に跨った少年が目を丸くしていた。どちらの自転車の籠も軽度にひしゃげている。正面衝突をしたにもかかわらず人体が全くの無傷で、被害者でもあり加害者でもある見知らぬ他人と向き合っている現実が、胡散くさい奇跡に思えた。

「ごめん」

 タカツグは先んじて謝罪の言葉を口にした。口にした後で、相手は自分よりも年下のようだから、年長者に相応しい言葉を口にするべきだったかもしれない、と思った。

「ごめん」

 相手の少年はおうむ返しに言う。タカツグが自転車ごと右に避けると、少年は自らの自転車を漕ぎ始めた。タカツグの自転車と擦れ違い、遠ざかっていく。二台が横並びになった瞬間、両者の視線は交わった。少年は会釈をしたようにも見えたが、気のせいかもしれない。タカツグも走行を再開する。
 住宅と田畑が半々といった景色だ。ぶつかった拍子に田圃の中に落ちていたら、どうなっていただろう。祖父母が過剰に心配する姿が目に浮かぶようだ。真実を脚色なく申告したとしても、実際にはもっと悲惨な目に遭ったが、自尊心に阻害されて真実を打ち明けられないでいる、と解釈されたに違いない。
 子供よりも孫がかわいいと人は言う。ある意味では仕方がないことなのだろうし、たった一人の孫の身を案じる気持ちは子供心にも理解できるが、そのようなつまらないやりとりにかかずらっている場合ではない。

「じいちゃん。これ、悪いけど、クリーニングに出しておいて」

 泥だらけのシャツを脱いで祖父に押しつけ、新しいシャツを着る。箪笥の引き出しの中の冷たさが服の内側に滞留していて、ごく短時間ではあったが快適だった。
 水分補給がしたかったが、一階に下りるとまた祖父母に追及されそうで、想像するだけで顔が歪む。ニイミさんの自宅へは、くだらない日常から逃避するために行くのではない。出がけに不愉快な体験をあえてする理由はどこにもないはずだ。
 カーテンを結び合わせてロープを作り、一端をカーテンレールにしっかりと結びつけ、それを伝って庭に降り立つ。杭に結びつけられたリードの先端には、青い首輪だけが残されていて、またか、と溜息をつきたくなる。
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