破滅への道程

阿波野治

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疾患

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 そもそもタクシーに乗ることになったのは、一分か二分の差で電車に乗り遅れて、次の便が一時間後だったからだ。
 一時間に一回しか電車が来ないなんて、異常すぎる。何でこんなに交通の便が悪いんだ、徳島。本当に二十五万人もの人間が住んでいるのか、この街は。
 生まれ故郷の救いがたさを嘆いたところで、気まずい空気は改善されないし、ニイミさんは喋ってはくれない。
 何か言わなければ、何か言わなければ、何か言わなければ――。
 胸中で繰り返しているうちに、タクシーは目的地に到着した。
 移動距離が短かったのは、タカツグにとっては不幸中の幸いだった。今後のニイミさんとの関係を考えると素直に喜べないが、それでも見慣れた駅前の光景を窓外に見た瞬間、安堵の息がこぼれた。運転手から告げられた金額を過不足なく支払う。

「割り勘じゃなくてよかったのかな」

 タクシーが走り去るのを見届けてから、ニイミさんが顔を覗き込むようにして確認を取ってきた。小学六年生の時から使っている黒革の財布が、急に垢抜けない、貧乏くさい代物に思えてきて、急ぎがちにジーンズのポケットに押し込む。

「いいよ。全然大丈夫。安い店だから」
「あたしはバイトしているんだから、本当はあたしが払わなきゃいけないんだけど」

 ニイミさんはそごうに出店している蕎麦屋でアルバイトをしている。一人でも気軽に入れるような店なのか、高級な店なのか、それは定かではない。教えてもくれない。尋ねれば教えてくれるはずだが、尋ねたことはない。
 店の詳細は別にして、学校のものとはまた違う制服に身を包んだニイミさんを見てみたい欲求はある。無断で見に行こうかと考えたことも、一度や二度ではない。しかし、彼女の怒りを買う可能性を恐れて、実行には移していない。
 交際を始めて以来、色々な意味で臆病になっている。どちらか一方が、ではなく、互いに。

「じゃあ、月曜日に学校で」

 ニイミさんに別れを告げ、自動ドアを潜る。玄関にスロープが設置されているのを見て、ああ、病院なのだな、と思う。
 靴箱には大小のカラフルなスリッパが用意され、さながら侵入者の存在を検知するための機械のごとくウォーターサーバーが設置されている。どこか近未来的な重厚なフォルムで、無料で飲めるようになっている。BGMとして控えめな音量で流れているのは、クラシック音楽。予備校生時代、暇を持て余した挙げ句、FMラジオで放送されていたクラシック音楽番組を聴いたことが思い出される。あの灰色の時代、タカツグはとにかく音楽をよく聴いていた。
 立方体の空間の外壁に沿って、安っぽい長椅子がロの字型に設置されている。地味な服装の中年女性は行儀よく膝に両手を置いてうたた寝し、髪の毛を明るい金色に染めた若い女性はスマートフォンを熱心に操作し、頭頂部が薄い初老の男性はブラインドの隙間から窓外を眺めている。町を歩けば擦れ違うような、人混みに呑まれれば溶け込むような、明日には印象が雲散霧消してしまうような、ごく普通の市井の人々だ。
 心療内科の存在はここ数年で世間に広く浸透し、タカツグ自身も偏見は持っていないつもりだったが、それでも安堵の念が込み上げた。
 受付で初診の旨を伝えると、クリップボードに挟まった問診票とペンを手渡された。最初は一問一問丁寧に答えていったが、設問の多さに嫌気が差すと共に集中力が途切れた。途中から駆け足気味に記入し、返却した。
 十五分ほど待ち、退屈を覚え始めたところで、佐々木さん、と呼ばれた。
 診察室は広々としていて清潔感があった。デスクトップパソコンのキーボードを軽やかにタイプしていた医師が、安物ではないと一目で分かる椅子を回してタカツグに向き直る。銀縁眼鏡を外し、口髭を生やせばアドルフ・ヒトラー、といった風貌だ。

「どうぞ、おかけください」

 低いが柔和な声に促されるままに、粗末なパイプ椅子に腰を下ろす。ドイツ第三帝国の独裁者による問診が始まった。タカツグは問診票に記入を始めた当初のような真摯さで、投げかけられる質問に一つ一つ答えていく。

「では、レントゲンを撮りましょうか」

 女性看護師の案内によりレントゲン室に通され、撮影に臨む。
 気軽な治療に来たつもりだったのだが、大病の疑いでもあるのだろうか?
 強い緊張と不安を覚えたが、専門的な知識を有する職業人に命令されれば、服従する以外の選択肢は実質的にないものになる。
 勇気さえあれば、大病の疑いがあるのでしょうか、と訊けたはずだ。たとえ満面の笑みで首肯されるのだとしても、その道を進む方が楽だったはずだ。
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