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深淵の孤独⑤
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今もこうして語っている。
そうは言っても、十四年間俗世を生きてきた元人間だから、やはり俗世には未練がある。無頓着でいるつもりでも、語りと語りの合間、小休止の折に思いを馳せている。
当初は過去を顧みることが圧倒的に多かった。どの道を選択していれば死を回避できただろうかと、諦め悪く考察したりもした。
自らが体験した過去に対して、納得がいかない気持ちを抱くことも頻繁にあった。
例えば――莉奈と谷口が漠然と感づいたくらいで、両親を含む殆どの人間が、僕の異変には全く気がつかなかったこと。
例えば――女児一名が行方不明になり、女児二名がハンマーで何者かに襲われるという、世にもおぞましい凶悪犯罪が二件立て続けに発生したにもかかわらず、臨時休校しなかった小学校と中学校の対応。
例えば――冷凍庫に保存していた期間が何日かあるとはいえ、高温多湿な六・七月にもかかわらず、切り取られてから一週間が経っても、僅かばかりの悪臭を放つ程度しか変化を見せなかった宮下紗弥加の頭部。
例えば――。
枚挙に暇がなく、とてもではないが網羅できそうにない。おかしかったのは、僕の認識なのか。それとも、世界自体なのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
中でも、一線を画して不可解なのは、僕が人間の頭部を持ち帰ったことだろう。
僕は一般的な感性と価値観と倫理観を持つ、平凡な男子中学生だった。自らが通う学校の校門に人間の頭部が置かれているのを発見したら、驚愕し、恐怖し、混乱したのち、ケータイを使って警察に通報する、という行動を取る人間だったはずだ。自宅まで持ち帰るというのは、僕が取る対応としては、想定し得る限りにおいて最も有り得ない対応だった。本来ならば通報するところを、第三者からの干渉を受け、操られ、無意識にそのような行動を取らされたのではないか。そんな非現実的な疑いさえ抱いてしまう。
そのような超常的な力を発揮できる第三者は、神しか考えられない。
僕は、神がしたためた台本の指示通りに動いていただけなのだろうか?
僕は、生まれて・生きて・死ぬ生身の人間ではなく、フィクションの物語の登場人物に過ぎないのだろうか?
深淵なる湖の底で身動きが取れない不老不死の人間である僕が本体で、平凡な中学生・楠部龍平が生まれてから殺されるまでの物語は、僕が見た長い夢だったのだろうか?
考えることは様々あったが、過去に執着することにもやがて意味を見出せなくなった。筧が指摘したように、僕は名探偵ではない。いくら過去を遡り、思索に耽ったところで、僕が今ここにいる本家本元の原因に辿り着けるはずがない。そう悟ったからだ。
僕という存在が、意識がある死者であれ、不老不死の人間であれ、フィクションの物語の主人公であれ、僕の人生がバッドエンドで終わるのは、天地開闢からの確定事項だったのだ。そう結論づけ、僕は過去に対する考察を放棄した。
現在もっぱら考えているのは、今について。
僕が湖底に到着してから、どれくらいの歳月が流れたのだろう。一秒? 一分? 一時間? 一日? 一週間? 一か月? 一年? 十年? 一世紀? 千年? 一万年? 一億年? どれでもあって、どれでもない気がする。湖が存在し続けているのだから、地球が寿命を迎えるほどの長い年月が経過したわけではないと思うのだが、果たして真実なのか。湖面は俗世と異界を繋ぐゲートのようなもので、湖が存在するのは、僕が生まれ育った世界とは別の惑星にある全く別の世界なのでは? 肉体は死んだにもかかわらず精神は生き続けている、などという非現実が現実と化していることを思うと、そんな可能性すら疑ってしまう。
僕と関わりがあった人々は、今頃どうしているだろう。
莉奈、両親、谷口。彼らに対しては、心配と迷惑をかけて申し訳ない、という思いが何よりも先に来る。僕が行方不明になったと知り、彼らは何を思い、何を感じ、何を考えたのだろう。
莉奈は、僕に似て打たれ弱いから、精神的なダメージが心配だ。
両親は、息子を殺した張本人だとは知らずに、藁にもすがる思いで筧に情報提供を求めたかもしれない。
谷口は、僕が何らかの悩みを抱えていることを知っていたから、動揺は激しかったはずだ。
四人とも、「リボンの鬼死」の次なるターゲットにされることなく、僕の不在を嘆き悲しむ日常から少しでも早く解放され、僕の分まで幸福に生き、幸福に死んでほしい。そう願わずにはいられない。既に死んでいるのだとすれば、彼らの人生が幸福なものだったことを願わずにはいられない。
「リボンの鬼死」の二人は、警察に捕まっただろうか。湖に新たな死体が投げ込まれていないのだから、新たな犠牲者は出ていない。そう信じたいところだが、手口を変えた可能性も考えられるから、断言はできない。僕を殺したあとも犯行を重ねましたが、ある日を境に人を殺すのをやめて、死ぬまで幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。そんな展開が現実と化していないとも限らない。
そして、世界。
今、日本の総理大臣には誰が就任しているのだろう。元号は何回変わっただろう。僕が殺された三年前に京都を襲ったような巨大地震は、何回日本列島を揺るがしたのだろう。何人の人が亡くなり、何人の人が悲しみに暮れたのだろう。地球のどこかで戦争は起きているだろうか。それに日本は巻き込まれていないだろうか。日本が他国に侵略戦争を仕掛けなくても、僕が切断された人間の頭部を持ち帰った結果殺されたように、ふとしたきっかけで悲劇的な運命に見舞われないとも限らない。
考えること、思うこと、感じることは数え切れないくらいある。しかし、外界に些末な干渉すら及ぼせない身になった現状を、現実を噛み締めると、俗世のことなど心底どうでもよくなる。
そして、僕はまた語り始める。
心の声で、一心に宮下紗弥加に語りかける。
僕という存在が終わるその時まで。
そうは言っても、十四年間俗世を生きてきた元人間だから、やはり俗世には未練がある。無頓着でいるつもりでも、語りと語りの合間、小休止の折に思いを馳せている。
当初は過去を顧みることが圧倒的に多かった。どの道を選択していれば死を回避できただろうかと、諦め悪く考察したりもした。
自らが体験した過去に対して、納得がいかない気持ちを抱くことも頻繁にあった。
例えば――莉奈と谷口が漠然と感づいたくらいで、両親を含む殆どの人間が、僕の異変には全く気がつかなかったこと。
例えば――女児一名が行方不明になり、女児二名がハンマーで何者かに襲われるという、世にもおぞましい凶悪犯罪が二件立て続けに発生したにもかかわらず、臨時休校しなかった小学校と中学校の対応。
例えば――冷凍庫に保存していた期間が何日かあるとはいえ、高温多湿な六・七月にもかかわらず、切り取られてから一週間が経っても、僅かばかりの悪臭を放つ程度しか変化を見せなかった宮下紗弥加の頭部。
例えば――。
枚挙に暇がなく、とてもではないが網羅できそうにない。おかしかったのは、僕の認識なのか。それとも、世界自体なのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
中でも、一線を画して不可解なのは、僕が人間の頭部を持ち帰ったことだろう。
僕は一般的な感性と価値観と倫理観を持つ、平凡な男子中学生だった。自らが通う学校の校門に人間の頭部が置かれているのを発見したら、驚愕し、恐怖し、混乱したのち、ケータイを使って警察に通報する、という行動を取る人間だったはずだ。自宅まで持ち帰るというのは、僕が取る対応としては、想定し得る限りにおいて最も有り得ない対応だった。本来ならば通報するところを、第三者からの干渉を受け、操られ、無意識にそのような行動を取らされたのではないか。そんな非現実的な疑いさえ抱いてしまう。
そのような超常的な力を発揮できる第三者は、神しか考えられない。
僕は、神がしたためた台本の指示通りに動いていただけなのだろうか?
僕は、生まれて・生きて・死ぬ生身の人間ではなく、フィクションの物語の登場人物に過ぎないのだろうか?
深淵なる湖の底で身動きが取れない不老不死の人間である僕が本体で、平凡な中学生・楠部龍平が生まれてから殺されるまでの物語は、僕が見た長い夢だったのだろうか?
考えることは様々あったが、過去に執着することにもやがて意味を見出せなくなった。筧が指摘したように、僕は名探偵ではない。いくら過去を遡り、思索に耽ったところで、僕が今ここにいる本家本元の原因に辿り着けるはずがない。そう悟ったからだ。
僕という存在が、意識がある死者であれ、不老不死の人間であれ、フィクションの物語の主人公であれ、僕の人生がバッドエンドで終わるのは、天地開闢からの確定事項だったのだ。そう結論づけ、僕は過去に対する考察を放棄した。
現在もっぱら考えているのは、今について。
僕が湖底に到着してから、どれくらいの歳月が流れたのだろう。一秒? 一分? 一時間? 一日? 一週間? 一か月? 一年? 十年? 一世紀? 千年? 一万年? 一億年? どれでもあって、どれでもない気がする。湖が存在し続けているのだから、地球が寿命を迎えるほどの長い年月が経過したわけではないと思うのだが、果たして真実なのか。湖面は俗世と異界を繋ぐゲートのようなもので、湖が存在するのは、僕が生まれ育った世界とは別の惑星にある全く別の世界なのでは? 肉体は死んだにもかかわらず精神は生き続けている、などという非現実が現実と化していることを思うと、そんな可能性すら疑ってしまう。
僕と関わりがあった人々は、今頃どうしているだろう。
莉奈、両親、谷口。彼らに対しては、心配と迷惑をかけて申し訳ない、という思いが何よりも先に来る。僕が行方不明になったと知り、彼らは何を思い、何を感じ、何を考えたのだろう。
莉奈は、僕に似て打たれ弱いから、精神的なダメージが心配だ。
両親は、息子を殺した張本人だとは知らずに、藁にもすがる思いで筧に情報提供を求めたかもしれない。
谷口は、僕が何らかの悩みを抱えていることを知っていたから、動揺は激しかったはずだ。
四人とも、「リボンの鬼死」の次なるターゲットにされることなく、僕の不在を嘆き悲しむ日常から少しでも早く解放され、僕の分まで幸福に生き、幸福に死んでほしい。そう願わずにはいられない。既に死んでいるのだとすれば、彼らの人生が幸福なものだったことを願わずにはいられない。
「リボンの鬼死」の二人は、警察に捕まっただろうか。湖に新たな死体が投げ込まれていないのだから、新たな犠牲者は出ていない。そう信じたいところだが、手口を変えた可能性も考えられるから、断言はできない。僕を殺したあとも犯行を重ねましたが、ある日を境に人を殺すのをやめて、死ぬまで幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。そんな展開が現実と化していないとも限らない。
そして、世界。
今、日本の総理大臣には誰が就任しているのだろう。元号は何回変わっただろう。僕が殺された三年前に京都を襲ったような巨大地震は、何回日本列島を揺るがしたのだろう。何人の人が亡くなり、何人の人が悲しみに暮れたのだろう。地球のどこかで戦争は起きているだろうか。それに日本は巻き込まれていないだろうか。日本が他国に侵略戦争を仕掛けなくても、僕が切断された人間の頭部を持ち帰った結果殺されたように、ふとしたきっかけで悲劇的な運命に見舞われないとも限らない。
考えること、思うこと、感じることは数え切れないくらいある。しかし、外界に些末な干渉すら及ぼせない身になった現状を、現実を噛み締めると、俗世のことなど心底どうでもよくなる。
そして、僕はまた語り始める。
心の声で、一心に宮下紗弥加に語りかける。
僕という存在が終わるその時まで。
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