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えぴそーど・ぜろ:大師堂と酔いどれOL。
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「もぉ、ここ何処よぉ!」
今にも雨が振りそうな夜更けの街。
一人の少女、いや女性がふらふらと歩く。
「アイツ、下心いっぱいにしてわたしに吞ませるんだから、嫌! さっさと宴会から逃げちゃったけど、今わたし何処に居るのぉ!」
一見、女子大生風に見える彼女。
倉橋 真央、今年24歳になるOL二年目の女性。
関東出身で東京の一流女子大学を優秀な成績で卒業。
そしてCMでも良く名前を見る一流企業、大手製紙会社の事務職に採用された。
「どーして一流企業なのに、田舎なのぉ! 第一、工場臭いよぉ!!」
しかし、その会社の本社工場は四国の田舎にあり、マオは同時に採用された女子社員が働く東京本社ではなく、製紙工場がある四国本社勤務になった。
「遊ぶところも無いし、若い子も工場勤務の子ばかりで大学も無いし、鉄道も単線。映画館だって隣の市に行かなきゃ無いのはどうなのよぉ!!」
マオは、ふらふらと夜の住宅街を歩く。
元々会社工場と事務所、自らの住む借り上げマンション以外は殆ど道を知らない。
土地勘が全くない彼女。
今、自分が歩いている場所が何処か、全く分からない。
そして、そんな中ぽつぽつと雨が振り始める。
「あ、雨なのぉ。もー、嫌よぉ。お家はどこぉ!!」
……まだ秋だけど、このままじゃ風邪ひいちゃう。
本格的に雨足が強くなり、このままではずぶ濡れになるかと彼女が思ったとき、目の前の道沿いに小さなお堂があった。
「あ! 雨宿りさせて貰おうかなぁ。えっとなんて書いてあるんだっけ? 大師堂?? まあ、良いか。神様、軒先お借りしますぅ」
マオは屋根の下、賽銭箱の横に座った。
「わたし、どうしようぉ。もう仕事嫌なのぉ」
毎日毎日、工場と事務所の往復。
悪臭のある工場で現場からの書類を纏めて、事務所でパソコンに打ち込む毎日。
一族経営の会社らしく経営者の遠縁にあたる上司は、好き勝手にして面倒な事は全部秘書的な仕事をしているマオに押し付ける。
せっかく一流企業に入社したのに、あまりにも想像と大きく違う現状。
実際、同期でも入社すぐのゴールデンウイークに帰省したまま退社する子たちが、更には数年前に独身寮の屋上から空中へ身を投げ出した高卒すぐの男の子も居たとも聞く。
「おまけに上司が嫌らしいのぉ」
今日の宴会でも、上司はマオの横に座って身体を嘗め回す様に見てきた。
寸胴でメリハリが無く、身長も低い上におでこちゃんで子供っぽい顔。
コンビニでも成人かと聞かれる自分に、色目を掛ける男が居るのが信じられない。
「といっても、普通の男の子がわたしを見てくれないしぃ」
数歳ほど歳上の女性には、会長一族に繋がる御曹司を射止めた美女がいたらしいが、マオには普通の男性すら寄り付かない。
ちょっと感じが良い同僚に声を掛けてみたが、あっさり振られた。
今日の宴会が嫌だったのも、振られた直後に本人の顔を長時間見たくなかったからだ。
「もー、わたしぃ。このまま終わっちゃうのかなぁ……」
マオは、賽銭箱に寄りかかる。
……神様、わたしどうしよぉぉ。
マオの意識が遠ざかっていった。
「あらあら。女の子がこんな所にどうして居るんでしょうか?」
……だれぇ?
◆ ◇ ◆ ◇
「うーん。ん、あれ、ここは??」
マオが眼を覚ますと、そこはお堂ではなく、何処か喫茶店ぽいお店の中だった。
彼女の上には毛布が掛けてあり、室内は薄暗いものの寒く無い様に空調が効いていた。
「あ、お目が覚めましたか? 若い女の子があんなところで野宿とは関心しませんよ。お酒が入っていたようですが……」
低い、しかし暖かい感じがする男性の声がマオに掛けられる。
「もしかして、わたしをお堂から連れ出してくれたのですか? あ、ありがとうございます!」
マオは恥ずかしさから酔いが急に覚めるのを感じ、ぺこぺこと男性に謝った。
「いえいえ。これもお大師様のご縁でしょうから」
男性は、優しそうな笑顔でマオに答え、部屋の照明を付けた。
「ここは?」
「しがない喫茶店ですね。副業として探偵事務所もやってますが。あ、名乗っていませんでしたね。私は 佐伯 波旬と申します」
長身で細身、まるで絹のような長髪を流す優男がマオの目の前、カウンターの向こうに居た。
……すっごい美男子!!
マオは名刺を差し出す男性、ハジュンの顔をまじまじと見てしまう。
未成年ではないが、アラサー以上にも見えない。
柔らかい笑顔がとても見ていて安心できる。
「わ、わたしは倉橋 真央と言います。今回は、わたしを助けてくれて、あ、あろがとうございますぅ」
見慣れない美男子を前に、マオは舌を噛みそうになってしまう。
「先ほども言いましたが、これもお大師様のご縁です。お気になさらさずに。お名前が『あのお方』と同じなのもご縁なのでしょうね」
「お大師様? それは何方ですか?」
「あら、マオさん。えっとお名前で呼んで良いですか?」
「はい!」
美男子に名前を呼んでもらって舞い上がるマオ。
お酒以上に顔が熱くなる感じがした。
「マオさんが倒れていたのは、大師堂。お大師様、弘法大師空海様を祀るお堂なんです。このお店は大師堂の横にあるんですが、気が付きませんでしたか?」
「弘法大師様って……。確か、四国八十八か所の?」
関東生まれのマオにとっては、四国のイメージはあまりない。
しかし、八十八の札所くらいは知っていた。
会社でもどこどこのお寺に参りに行ったというオジサン達の話は聞いていたし。
「ええ、そうです。真言宗を起こし、三筆とも呼ばれた偉大なお方です。大抵の札所にはお寺の本堂横に大師堂がありますが、ここは遍路道沿いにあるお堂ですね」
「神様が祭ってあるのかと思ってました。そうか、神様じゃなくてお大師様が助けてくれたんだ」
何処かほっとした顔のマオを見てハジュンは、更に優しそうな眼を向ける。
「何か、悩まれていたのですか? 女性が酔っぱらって迷い込む場所にも思えませんし」
「そういえば、ここは何処になるんですか?」
「〇〇町です。マオさんのお家はどちらですか?」
「え! わたし、△△町です! 全然違う方角じゃないのぉ!」
マオが参加していた宴会場は本社工場から少し西。
マオの住むマンションは本社より東。
しかし、今マオはかなり西の方まで歩いてきてしまっていた。
マオは、今更スマホを取り出してGPS情報で現在位置を確認した。
「では、私でよければお家までお送りしますが……」
「よ、良かったらもう少しここに居ても良いですか? 家に帰っても一人ですし……」
マオがアンティックな掛け時計を見ると、現在午前2時半。
まさに丑三つ時である。
「そうですか。まあ、私はマオさんに変な事はしませんからご安心を。では、少しお待ちくださいね。喫茶店なのですから、一杯おごります」
ハジュンは、一端カウンターの後ろに下がった。
……ふぅ。どうして送ってもらうのが嫌だったんだろう? ここ、とっても居心地が良いの。ハジュンさんは、アイツみたいにわたしを見ないし。
マオは、自分が寝ていた長椅子を撫でる。
これもアンティック家具らしく、年季が入っている。
そこそこに置かれている調度品も、時代を感じさせるも暖かい感じがする物ばかりだ。
「田舎でも、こんな素敵なお店あったんだ」
「まあ、東京に比べたら四国は田舎ですね。はい、どうぞ」
ハジュンは苦笑いしながら、カップ、いや茶碗をマオの前に差し出した。
「あ、ごめんなさい。こ、これは?」
マオは、目の前に差し出された青みががった琥珀色の透き通った液体を見る。
「日本茶です。私、喫茶店の店長なのですがコーヒーが苦手でして。昼間は雇っている女の子がコーヒー入れてくれるんですけどね」
「あ、ありがとうございます。では、頂きます。!! これは!」
マオは、暖かい湯気を放つ茶を口に含んだ。
しかし、それは今までマオが飲んでいた日本茶とは全く違った。
……なにこれ! 砂糖無しの日本茶なのに甘い。それに旨味がすごい!
「驚きましたか? このお茶は市内の山間部で栽培されたもの、玉露です。丁寧な作業で栽培されていて、ものすごくおいしいんですよ」
「はい! 今まで飲んでいたお茶なんて、ペットボトルのお茶なんで比べ物になりません! 甘くてすっごく旨味というか、味が濃いんです。でも嫌な後味も無いです!」
マオは、もう一口茶を含んだ。
お茶は、マオの中に暖かく染み込み、彼女を癒した。
「はぁ、なんかとっても癒されます。この一杯を貰えただけでも、今日道に迷ったかいがありました」
「それは良かったです。では、先ほどもお話ししましたが、何かあったのですか? とても普通じゃなかったですよ」
「ハジュンさん、聞いて下さりますか? わたし、……」
マオはこれまでにあったこと、そして今日の事を話した。
まさか始めてあった人に自分の恥ずかしい事まで話すとは思わなかったが、目の前の男性は決して他人を馬鹿にしたりしないし、優しく聞いてくれると思えたから。
「あれ? そういえばわたしが話す前に、わたしが東京から来たってハジュンさんが知ってたのは?」
「そ、それは言葉のイントネーションが、こちらの方々とは違いますから……」
ハジュンは、珍しく一瞬視線をマオから反らす。
「そうなんですか。確かにこちらの方は関西弁に近い感じですね」
「厳密には四国弁、西讃式アクセントなんですけどね。こちらは愛媛県なのですが、元々の付き合い関係で香川県風なんですよ」
高度な知識を、さらりと話すハジュン。
その知的な様子にマオは、顔を赤くする。
「そうでしたか。それは大変でしたね。田舎には田舎の良いところもありますが、都会に慣れた方が『あの』工場勤務では大変かと。あの企業があるから、市の財政が裕福で世の不景気とは無縁なのですけれど」
「確かにスーパーとかの物価も都会とは大きく違いませんね。紙製品は確かに安いですが」
オジサン達に聞いた土地価格は都会とは比べ物にならぬくらい安いが、他の商品価格はそう安くも無い。
そして、周囲では土地を買っただの新築を立てただのという景気の良い話ばかりを聞く。
「仕事に関してはしょうがないんです。お金儲けが楽じゃないのは分かっていますから。しかし、上司が……」
「そうですか、アレがそうだったのですね。いえ、これはマオさんには関係ないお話でしたね。マオさん、もう一杯お茶をどうぞです」
「ありがとうございます。本当にお茶が美味しいです」
ハジュンはマオにお茶を入れた後、空中をついと撫でた。
「あれ? 今、ハジュンさん何かしましたか? 急に肩が軽くなったような??」
マオは、ハジュンが空を撫でた後、自分に今まで伸し掛かっていた重しが外れたような気がした。
「そうですか。それは良かったですね」
ハジュンは、手の中のものをマオから隠すようにする。
「え! なに! ハジュンさん、何真っ黒な物を持っているんですか??」
「! ……そうですか、マオさんも『見える方』なのですね。ああ、倉橋さんでしたね。納得です。ますますお大師様のご縁を感じます」
ハジュンは手に持った物を、マオが見やすい様にした。
「ん? 何か真っ黒い糸の塊に見えるんですか?」
「これは浮遊動物霊が悪意を吸ったものですね。おそらく『彼』の周囲にまき散らされた悪意を吸ったからでしょう。では、浄化しましょう。このままでは、『この仔』も可愛そうですし」
ハジュンは、ふぅと息を黒い異物に吹きかけた。
すると絡んでいた黒い糸がほどけてくる。
そして最後に残ったのは、掌に乗るくらいの小さな虎柄の子猫。
「これでもう大丈夫。さあ、次は暖かい場所に生まれてきてくださいませ」
ハジュンが掌を上にあげる。
すると暖かい光が上から指してきて子猫は宙に浮かぶ。
子猫は「にゃぁ」と小さく鳴き、光と一緒になって消えていった。
「え! えええ――! 今のは一体何なんですかぁ! ハジュンさんは一体何者なのですかぁ!」
「マオさん、今は深夜です。お静かになさってくださいませ。驚きなのは理解していますが……」
ハジュンは苦笑して、驚きを隠せないマオをなだめる。
「私、少々不思議な力がありまして、それを生かして探偵業をしています。少しでも皆様のお助けになったらと……」
「そ、そうなんですか。え、じゃさっきまでわたしにあの子猫が憑いていたんですか?」
「マオさんは優しい方ですし、『見える方』だったので、助けを求めていたのでしょうね。そこに悪意を吸ってしまい悪霊になりかけていたんです。もう大丈夫ですけど」
ハジュンは、暖かい眼差しでマオを見る。
その様子にマオは、更に顔を真っ赤にした。
「じゃあ、わたしが悩んでいたのもさっきの仔が原因ですか?」
「それだけではないでしょうが、一部ではありますね。一度、大きなお寺か神社でお守りをもらった方が良いかもしれません、マオさんは『力』がおありですので、何かが寄ってくる可能性もありますから」
それから、すっかり気分が良くなったマオは、夜が更ける中ハジュンと話した。
そしていつのまにか眠ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇
「あー! マスター! 何、女の子連れ込んでいるんですか!! 不純異性交遊ですぅ、不純ですぅ!」
「チヨちゃん、それは誤解だよ。私はマオさんには指一本触れて……。あ、大師堂から連れてくるときに抱いて持ってきたけど、それ以降一切触っていないよ。私は紳士、酔いつぶれた女の子に手出しなんてしません!」
……うーん、ここどこだったっけ?
マオは周囲が眩しいのと大騒ぎなので眼を覚ました。
「あ、起きた! だいじょーぶですか? 痛いところとか無いですかぁ? そこのエロじじいに変な事されてませんか??」
「お、おはようございますぅ。え! 貴方は?」
マオは、目の前で一気にしゃべる少女を見て驚いた。
こげ茶色の髪を短めのポニーテールにし、大きな瞳もこげ茶色。
丸顔、ぱっちりとした目が印象的な童顔。
そしてマオよりも身長が低いものの、とんでもない胸の大きさ。
「そうですよね。アタシ名乗っていませんですからぁ。アタシ、村上 千代と言います。このエロマスターのお店で働いていますぅ。お姉さんはマオさんて言うんですか? 一体、何がどうなっているんですかぁ?」
マオは、チヨに急かされる様にして事情を話した。
「そうでしたか。マスター! どうしてマオさんをお家に送らなかったんですかぁ! 女の子を夜中拉致監禁なんて犯罪ですよぉ!」
「いや、マオさんが帰りたくないって言うからお話聞いていたんだよ」
「え! マオさん! まさか帰りたくないって!! 身体は大事にしてください。乙女の純潔、こんなエロじじいにあげちゃダメですぅ!!」
マオを放置してハジュンとチヨは漫才じみた話を続ける。
「あ、あははは! おかしいです。こんなに笑えるのは久しぶりかもです」
マオは笑って、目じりの涙をぬぐった。
「ほら、マオさんはああ言っているし、私は無実ですよ。本当にチヨちゃんはそそっかしいんですから。そこはお母様にそっくりですね」
「お、おかーちゃんの話は辞めて下さいぃ。まったくマスターったらぁ」
3人はお互いの顔を見合わせて笑った。
◆ ◇ ◆ ◇
「では、帰ってきます。昨晩から今朝までありがとうございました。また、お礼をしに来ます」
「ええ、次は笑って来店してくださいね」
モーニングまで御馳走になったマオは、タクシーを呼んでもらい帰宅した。
……次はチヨちゃんが喜びそうなお菓子持って行かなきゃ。
すっかり疲れも取れたマオ、今日は会社も休みの土曜日なので帰宅後シャワーを浴びて、そのままベットに潜った。
・
「マスター。では、彼女がターゲットの関係者なのですね」
「ええ。彼女に危害を与えるようなら、調査中でも阻止しますよ」
◆ ◇ ◆ ◇
「青野課長、一体これは?」
「倉橋君、いいではないか!」
東京本社に上司、青野課長と一緒に出張したマオ。
夜のホテルの部屋に、青野が無理やり入ってきた。
「か、課長! 部長や社長に言いますよ! こんなセクハラ許されません!」
「そうかなぁ。俺、これでも会長の姪っ子の夫だよ。部長くらいなら会社から追い出せるし」
よだれをたらし、シャツも脱いで半裸状態になってマオに迫る青野。
恐怖に振るえるマオは、怯えてしまい満足に声も出せない。
……誰か助けて! 神様、お大師様! ハジュンさん!!
「はい! お呼びになりましたか、マオさん。もう大丈夫ですよ」
マオを背にするように急に現れたハジュン。
その姿を見て、マオは涙を大きくこぼし、ハジュンの背に抱き着いた。
「は、ハジュンさ――ん!」
「マオさん。すいませんが、少し離れて下さりませんか。チヨちゃん、お願いね」
「りょーかい! マオお姉さん、こっちに!」
マオは、同じく急に密室状態の部屋に現れたチヨに抱かれる。
「チヨちゃん……。あれ? チヨちゃん、頭に猫耳が? それにしっぽが??」
チヨの頭部には丸い動物の耳が、そしてミニスカートのお尻から太いしっぽが生えていた。
「そうか。マオお姉さんは『見える人』だったんだよね。アタシ、タヌキ娘なのぉ!」
にんまりと笑う可愛い顔のチヨ。
その様子にマオは言葉が出ない。
「チヨちゃん。もう少し私から離れて下さい。さて、青野さん。貴方には本社から調査依頼が来ています。このところの行動、そしてセクハラ、不倫。コンプライアンス案件ですよ!」
「こ、この若造がぁ! 俺はなぁ、偉いんだぞ。その上に、『こいつ』から力も借りた! お前くらいは焼き尽くす!」
青野は右手掌を開き、上に向ける。
すると、そこには真っ赤に燃える火の玉が現れた。
「低級霊かと思いましたら、低級悪魔ですか。悪魔と契約したら破滅が待っているのに愚かな事です。さて、引き抜きますか。よいしょっと!」
無造作に青野に近づくハジュン。
青野が火球を放つ隙すら与えず、青野の薄くなりつつある頭をベアークローで掴む。
「ぎ、ぎゃぁぁぁ!」
そしてそのまま掴んだ「何か」を青野からぶっこ抜いた。
<お、オマエはナニモノダ! オレの契約ヲ無理やり破棄シテ引き抜くナンテ!>
抜かれたモノは床に転がり、悪態を付く。
モノ、低級悪魔は大きな蝙蝠の羽とかぎ爪の生えた細い手足、怒りに歪んだ醜い顔をしていた。
「貴方に名乗る名前はありません。はやくこの世界から退場なさってください。自ら去らないのなら……」
<チ、ちきショー!>
悪魔は、窓ガラスをぶち破り都会の空へと逃げる。
「しょうがないですね。では、『神弓ラーマ』!」
ハジュンがぼそりと呟くと彼の手には、金色をした弓と弓矢があった。
「この世界の異物よ。さっさと本来住まう場所に去りなさい!」
ハジュンは小さくなっていく悪魔を弓で狙い、ひょうと矢を放った。
金色の軌跡を描いた矢は、狙い外さずに悪魔を貫く。
そして輝く球体が悪魔を覆ったかと思うと、急に消えた。
「さて、マオさん。終わりましたよ」
「ハジュンさ――ん!」
マオは、ハジュンに飛び掛かるように抱き着いた。
「こ、怖かったよぉ」
「すいません、貴方を囮のようにして使ってしまいました。わたしは、本社の上層部から青野課長の動向調査を依頼されていました。貴方が青野の部下で私と出会ってしまったのは、本当に偶然。まさしくお大師様のご縁でした」
自分よりも30センチ近く小さなマオを優しく抱いて頭を撫でるハジュン。
「さて、青野。貴方は悪魔の囁きがあったにせよ、多くの罪を犯しました。警察も既にホテルロビーに来ています。このまま自首なさりなさい。そうすれば、会社は依願退職扱いにして減額ながらも退職金もくれます。逃げたら懲戒解雇として退職金も没収します。お覚悟を……」
「あぁぁぁぁ!」
すっかり腰を抜かし、放心状態の青野。
「さて、ここでは眠れませんね。マオさん、一緒に帰りますか?」
「はい?!! は、ハジュンさん。頭に角がぁぁぁ!」
ハジュンの頭部を見て驚くマオ。
ハジュンには立派な角が二本、生えていたからだ。
「あら、マオさんには『見えて』しまうのでしたね。私、お大師様の護法鬼神なんですよ」
◆ ◇ ◆ ◇
「マオさん、開店準備良いですか?」
「はい、ハジュンさん。チヨちゃんも良い?」
「はーい!」
あの後、マオは無理して一流会社に務める気をなくして退職をすることにした。
するとハジュンは彼女に言った。
「マオさん、ウチで働きませんか? 今のご自宅からの通いで構いません。福利厚生に年金、社会保険は当方で今まで通り支払います。給与もおなじくらいは出せますよ」
「え! 良いんですか? わたし、何も特別な力も無いですし」
「マオお姉ちゃんが来てくれたらアタシ助かるの! マスターっておおざっぱで経済観念も怪しいのぉ。この間も大きなフィギュアとか買ってたしぃ。他にも一枚数万円のトレカとか、ゲーム機とかぁ」
「チヨちゃん。あれは娯楽です。今のハイテクなフィギュア。お大師様の時代の仏像にも繋がる神々しさがあります。あの曲線美がぁ。あとね、トレカは今や資産、投機対象なのです。マネーロンダリング、先行投資なのです!」
おかしな主従を見て笑ってしまうマオ。
お人好しでお節介焼きの鬼神。
そして、口うるさいけど可愛いタヌキ娘。
こんな暖かい関係が羨ましい。
「分かりました。では、明日から宜しくお願いします!」
そして看板娘が2人になった喫茶店兼探偵事務所「六波羅探題」は、更に賑やかになる。
今日も、ご近所の話し相手を求めたご老人やハジュンが持つゲーム機やトレカで遊ぶのが目当てのお子様が集う。
また、何か問題を抱えた悩める人も訪れる。
「いらっしゃいませ! 六波羅探題へようこそ!」
今にも雨が振りそうな夜更けの街。
一人の少女、いや女性がふらふらと歩く。
「アイツ、下心いっぱいにしてわたしに吞ませるんだから、嫌! さっさと宴会から逃げちゃったけど、今わたし何処に居るのぉ!」
一見、女子大生風に見える彼女。
倉橋 真央、今年24歳になるOL二年目の女性。
関東出身で東京の一流女子大学を優秀な成績で卒業。
そしてCMでも良く名前を見る一流企業、大手製紙会社の事務職に採用された。
「どーして一流企業なのに、田舎なのぉ! 第一、工場臭いよぉ!!」
しかし、その会社の本社工場は四国の田舎にあり、マオは同時に採用された女子社員が働く東京本社ではなく、製紙工場がある四国本社勤務になった。
「遊ぶところも無いし、若い子も工場勤務の子ばかりで大学も無いし、鉄道も単線。映画館だって隣の市に行かなきゃ無いのはどうなのよぉ!!」
マオは、ふらふらと夜の住宅街を歩く。
元々会社工場と事務所、自らの住む借り上げマンション以外は殆ど道を知らない。
土地勘が全くない彼女。
今、自分が歩いている場所が何処か、全く分からない。
そして、そんな中ぽつぽつと雨が振り始める。
「あ、雨なのぉ。もー、嫌よぉ。お家はどこぉ!!」
……まだ秋だけど、このままじゃ風邪ひいちゃう。
本格的に雨足が強くなり、このままではずぶ濡れになるかと彼女が思ったとき、目の前の道沿いに小さなお堂があった。
「あ! 雨宿りさせて貰おうかなぁ。えっとなんて書いてあるんだっけ? 大師堂?? まあ、良いか。神様、軒先お借りしますぅ」
マオは屋根の下、賽銭箱の横に座った。
「わたし、どうしようぉ。もう仕事嫌なのぉ」
毎日毎日、工場と事務所の往復。
悪臭のある工場で現場からの書類を纏めて、事務所でパソコンに打ち込む毎日。
一族経営の会社らしく経営者の遠縁にあたる上司は、好き勝手にして面倒な事は全部秘書的な仕事をしているマオに押し付ける。
せっかく一流企業に入社したのに、あまりにも想像と大きく違う現状。
実際、同期でも入社すぐのゴールデンウイークに帰省したまま退社する子たちが、更には数年前に独身寮の屋上から空中へ身を投げ出した高卒すぐの男の子も居たとも聞く。
「おまけに上司が嫌らしいのぉ」
今日の宴会でも、上司はマオの横に座って身体を嘗め回す様に見てきた。
寸胴でメリハリが無く、身長も低い上におでこちゃんで子供っぽい顔。
コンビニでも成人かと聞かれる自分に、色目を掛ける男が居るのが信じられない。
「といっても、普通の男の子がわたしを見てくれないしぃ」
数歳ほど歳上の女性には、会長一族に繋がる御曹司を射止めた美女がいたらしいが、マオには普通の男性すら寄り付かない。
ちょっと感じが良い同僚に声を掛けてみたが、あっさり振られた。
今日の宴会が嫌だったのも、振られた直後に本人の顔を長時間見たくなかったからだ。
「もー、わたしぃ。このまま終わっちゃうのかなぁ……」
マオは、賽銭箱に寄りかかる。
……神様、わたしどうしよぉぉ。
マオの意識が遠ざかっていった。
「あらあら。女の子がこんな所にどうして居るんでしょうか?」
……だれぇ?
◆ ◇ ◆ ◇
「うーん。ん、あれ、ここは??」
マオが眼を覚ますと、そこはお堂ではなく、何処か喫茶店ぽいお店の中だった。
彼女の上には毛布が掛けてあり、室内は薄暗いものの寒く無い様に空調が効いていた。
「あ、お目が覚めましたか? 若い女の子があんなところで野宿とは関心しませんよ。お酒が入っていたようですが……」
低い、しかし暖かい感じがする男性の声がマオに掛けられる。
「もしかして、わたしをお堂から連れ出してくれたのですか? あ、ありがとうございます!」
マオは恥ずかしさから酔いが急に覚めるのを感じ、ぺこぺこと男性に謝った。
「いえいえ。これもお大師様のご縁でしょうから」
男性は、優しそうな笑顔でマオに答え、部屋の照明を付けた。
「ここは?」
「しがない喫茶店ですね。副業として探偵事務所もやってますが。あ、名乗っていませんでしたね。私は 佐伯 波旬と申します」
長身で細身、まるで絹のような長髪を流す優男がマオの目の前、カウンターの向こうに居た。
……すっごい美男子!!
マオは名刺を差し出す男性、ハジュンの顔をまじまじと見てしまう。
未成年ではないが、アラサー以上にも見えない。
柔らかい笑顔がとても見ていて安心できる。
「わ、わたしは倉橋 真央と言います。今回は、わたしを助けてくれて、あ、あろがとうございますぅ」
見慣れない美男子を前に、マオは舌を噛みそうになってしまう。
「先ほども言いましたが、これもお大師様のご縁です。お気になさらさずに。お名前が『あのお方』と同じなのもご縁なのでしょうね」
「お大師様? それは何方ですか?」
「あら、マオさん。えっとお名前で呼んで良いですか?」
「はい!」
美男子に名前を呼んでもらって舞い上がるマオ。
お酒以上に顔が熱くなる感じがした。
「マオさんが倒れていたのは、大師堂。お大師様、弘法大師空海様を祀るお堂なんです。このお店は大師堂の横にあるんですが、気が付きませんでしたか?」
「弘法大師様って……。確か、四国八十八か所の?」
関東生まれのマオにとっては、四国のイメージはあまりない。
しかし、八十八の札所くらいは知っていた。
会社でもどこどこのお寺に参りに行ったというオジサン達の話は聞いていたし。
「ええ、そうです。真言宗を起こし、三筆とも呼ばれた偉大なお方です。大抵の札所にはお寺の本堂横に大師堂がありますが、ここは遍路道沿いにあるお堂ですね」
「神様が祭ってあるのかと思ってました。そうか、神様じゃなくてお大師様が助けてくれたんだ」
何処かほっとした顔のマオを見てハジュンは、更に優しそうな眼を向ける。
「何か、悩まれていたのですか? 女性が酔っぱらって迷い込む場所にも思えませんし」
「そういえば、ここは何処になるんですか?」
「〇〇町です。マオさんのお家はどちらですか?」
「え! わたし、△△町です! 全然違う方角じゃないのぉ!」
マオが参加していた宴会場は本社工場から少し西。
マオの住むマンションは本社より東。
しかし、今マオはかなり西の方まで歩いてきてしまっていた。
マオは、今更スマホを取り出してGPS情報で現在位置を確認した。
「では、私でよければお家までお送りしますが……」
「よ、良かったらもう少しここに居ても良いですか? 家に帰っても一人ですし……」
マオがアンティックな掛け時計を見ると、現在午前2時半。
まさに丑三つ時である。
「そうですか。まあ、私はマオさんに変な事はしませんからご安心を。では、少しお待ちくださいね。喫茶店なのですから、一杯おごります」
ハジュンは、一端カウンターの後ろに下がった。
……ふぅ。どうして送ってもらうのが嫌だったんだろう? ここ、とっても居心地が良いの。ハジュンさんは、アイツみたいにわたしを見ないし。
マオは、自分が寝ていた長椅子を撫でる。
これもアンティック家具らしく、年季が入っている。
そこそこに置かれている調度品も、時代を感じさせるも暖かい感じがする物ばかりだ。
「田舎でも、こんな素敵なお店あったんだ」
「まあ、東京に比べたら四国は田舎ですね。はい、どうぞ」
ハジュンは苦笑いしながら、カップ、いや茶碗をマオの前に差し出した。
「あ、ごめんなさい。こ、これは?」
マオは、目の前に差し出された青みががった琥珀色の透き通った液体を見る。
「日本茶です。私、喫茶店の店長なのですがコーヒーが苦手でして。昼間は雇っている女の子がコーヒー入れてくれるんですけどね」
「あ、ありがとうございます。では、頂きます。!! これは!」
マオは、暖かい湯気を放つ茶を口に含んだ。
しかし、それは今までマオが飲んでいた日本茶とは全く違った。
……なにこれ! 砂糖無しの日本茶なのに甘い。それに旨味がすごい!
「驚きましたか? このお茶は市内の山間部で栽培されたもの、玉露です。丁寧な作業で栽培されていて、ものすごくおいしいんですよ」
「はい! 今まで飲んでいたお茶なんて、ペットボトルのお茶なんで比べ物になりません! 甘くてすっごく旨味というか、味が濃いんです。でも嫌な後味も無いです!」
マオは、もう一口茶を含んだ。
お茶は、マオの中に暖かく染み込み、彼女を癒した。
「はぁ、なんかとっても癒されます。この一杯を貰えただけでも、今日道に迷ったかいがありました」
「それは良かったです。では、先ほどもお話ししましたが、何かあったのですか? とても普通じゃなかったですよ」
「ハジュンさん、聞いて下さりますか? わたし、……」
マオはこれまでにあったこと、そして今日の事を話した。
まさか始めてあった人に自分の恥ずかしい事まで話すとは思わなかったが、目の前の男性は決して他人を馬鹿にしたりしないし、優しく聞いてくれると思えたから。
「あれ? そういえばわたしが話す前に、わたしが東京から来たってハジュンさんが知ってたのは?」
「そ、それは言葉のイントネーションが、こちらの方々とは違いますから……」
ハジュンは、珍しく一瞬視線をマオから反らす。
「そうなんですか。確かにこちらの方は関西弁に近い感じですね」
「厳密には四国弁、西讃式アクセントなんですけどね。こちらは愛媛県なのですが、元々の付き合い関係で香川県風なんですよ」
高度な知識を、さらりと話すハジュン。
その知的な様子にマオは、顔を赤くする。
「そうでしたか。それは大変でしたね。田舎には田舎の良いところもありますが、都会に慣れた方が『あの』工場勤務では大変かと。あの企業があるから、市の財政が裕福で世の不景気とは無縁なのですけれど」
「確かにスーパーとかの物価も都会とは大きく違いませんね。紙製品は確かに安いですが」
オジサン達に聞いた土地価格は都会とは比べ物にならぬくらい安いが、他の商品価格はそう安くも無い。
そして、周囲では土地を買っただの新築を立てただのという景気の良い話ばかりを聞く。
「仕事に関してはしょうがないんです。お金儲けが楽じゃないのは分かっていますから。しかし、上司が……」
「そうですか、アレがそうだったのですね。いえ、これはマオさんには関係ないお話でしたね。マオさん、もう一杯お茶をどうぞです」
「ありがとうございます。本当にお茶が美味しいです」
ハジュンはマオにお茶を入れた後、空中をついと撫でた。
「あれ? 今、ハジュンさん何かしましたか? 急に肩が軽くなったような??」
マオは、ハジュンが空を撫でた後、自分に今まで伸し掛かっていた重しが外れたような気がした。
「そうですか。それは良かったですね」
ハジュンは、手の中のものをマオから隠すようにする。
「え! なに! ハジュンさん、何真っ黒な物を持っているんですか??」
「! ……そうですか、マオさんも『見える方』なのですね。ああ、倉橋さんでしたね。納得です。ますますお大師様のご縁を感じます」
ハジュンは手に持った物を、マオが見やすい様にした。
「ん? 何か真っ黒い糸の塊に見えるんですか?」
「これは浮遊動物霊が悪意を吸ったものですね。おそらく『彼』の周囲にまき散らされた悪意を吸ったからでしょう。では、浄化しましょう。このままでは、『この仔』も可愛そうですし」
ハジュンは、ふぅと息を黒い異物に吹きかけた。
すると絡んでいた黒い糸がほどけてくる。
そして最後に残ったのは、掌に乗るくらいの小さな虎柄の子猫。
「これでもう大丈夫。さあ、次は暖かい場所に生まれてきてくださいませ」
ハジュンが掌を上にあげる。
すると暖かい光が上から指してきて子猫は宙に浮かぶ。
子猫は「にゃぁ」と小さく鳴き、光と一緒になって消えていった。
「え! えええ――! 今のは一体何なんですかぁ! ハジュンさんは一体何者なのですかぁ!」
「マオさん、今は深夜です。お静かになさってくださいませ。驚きなのは理解していますが……」
ハジュンは苦笑して、驚きを隠せないマオをなだめる。
「私、少々不思議な力がありまして、それを生かして探偵業をしています。少しでも皆様のお助けになったらと……」
「そ、そうなんですか。え、じゃさっきまでわたしにあの子猫が憑いていたんですか?」
「マオさんは優しい方ですし、『見える方』だったので、助けを求めていたのでしょうね。そこに悪意を吸ってしまい悪霊になりかけていたんです。もう大丈夫ですけど」
ハジュンは、暖かい眼差しでマオを見る。
その様子にマオは、更に顔を真っ赤にした。
「じゃあ、わたしが悩んでいたのもさっきの仔が原因ですか?」
「それだけではないでしょうが、一部ではありますね。一度、大きなお寺か神社でお守りをもらった方が良いかもしれません、マオさんは『力』がおありですので、何かが寄ってくる可能性もありますから」
それから、すっかり気分が良くなったマオは、夜が更ける中ハジュンと話した。
そしていつのまにか眠ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇
「あー! マスター! 何、女の子連れ込んでいるんですか!! 不純異性交遊ですぅ、不純ですぅ!」
「チヨちゃん、それは誤解だよ。私はマオさんには指一本触れて……。あ、大師堂から連れてくるときに抱いて持ってきたけど、それ以降一切触っていないよ。私は紳士、酔いつぶれた女の子に手出しなんてしません!」
……うーん、ここどこだったっけ?
マオは周囲が眩しいのと大騒ぎなので眼を覚ました。
「あ、起きた! だいじょーぶですか? 痛いところとか無いですかぁ? そこのエロじじいに変な事されてませんか??」
「お、おはようございますぅ。え! 貴方は?」
マオは、目の前で一気にしゃべる少女を見て驚いた。
こげ茶色の髪を短めのポニーテールにし、大きな瞳もこげ茶色。
丸顔、ぱっちりとした目が印象的な童顔。
そしてマオよりも身長が低いものの、とんでもない胸の大きさ。
「そうですよね。アタシ名乗っていませんですからぁ。アタシ、村上 千代と言います。このエロマスターのお店で働いていますぅ。お姉さんはマオさんて言うんですか? 一体、何がどうなっているんですかぁ?」
マオは、チヨに急かされる様にして事情を話した。
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「いや、マオさんが帰りたくないって言うからお話聞いていたんだよ」
「え! マオさん! まさか帰りたくないって!! 身体は大事にしてください。乙女の純潔、こんなエロじじいにあげちゃダメですぅ!!」
マオを放置してハジュンとチヨは漫才じみた話を続ける。
「あ、あははは! おかしいです。こんなに笑えるのは久しぶりかもです」
マオは笑って、目じりの涙をぬぐった。
「ほら、マオさんはああ言っているし、私は無実ですよ。本当にチヨちゃんはそそっかしいんですから。そこはお母様にそっくりですね」
「お、おかーちゃんの話は辞めて下さいぃ。まったくマスターったらぁ」
3人はお互いの顔を見合わせて笑った。
◆ ◇ ◆ ◇
「では、帰ってきます。昨晩から今朝までありがとうございました。また、お礼をしに来ます」
「ええ、次は笑って来店してくださいね」
モーニングまで御馳走になったマオは、タクシーを呼んでもらい帰宅した。
……次はチヨちゃんが喜びそうなお菓子持って行かなきゃ。
すっかり疲れも取れたマオ、今日は会社も休みの土曜日なので帰宅後シャワーを浴びて、そのままベットに潜った。
・
「マスター。では、彼女がターゲットの関係者なのですね」
「ええ。彼女に危害を与えるようなら、調査中でも阻止しますよ」
◆ ◇ ◆ ◇
「青野課長、一体これは?」
「倉橋君、いいではないか!」
東京本社に上司、青野課長と一緒に出張したマオ。
夜のホテルの部屋に、青野が無理やり入ってきた。
「か、課長! 部長や社長に言いますよ! こんなセクハラ許されません!」
「そうかなぁ。俺、これでも会長の姪っ子の夫だよ。部長くらいなら会社から追い出せるし」
よだれをたらし、シャツも脱いで半裸状態になってマオに迫る青野。
恐怖に振るえるマオは、怯えてしまい満足に声も出せない。
……誰か助けて! 神様、お大師様! ハジュンさん!!
「はい! お呼びになりましたか、マオさん。もう大丈夫ですよ」
マオを背にするように急に現れたハジュン。
その姿を見て、マオは涙を大きくこぼし、ハジュンの背に抱き着いた。
「は、ハジュンさ――ん!」
「マオさん。すいませんが、少し離れて下さりませんか。チヨちゃん、お願いね」
「りょーかい! マオお姉さん、こっちに!」
マオは、同じく急に密室状態の部屋に現れたチヨに抱かれる。
「チヨちゃん……。あれ? チヨちゃん、頭に猫耳が? それにしっぽが??」
チヨの頭部には丸い動物の耳が、そしてミニスカートのお尻から太いしっぽが生えていた。
「そうか。マオお姉さんは『見える人』だったんだよね。アタシ、タヌキ娘なのぉ!」
にんまりと笑う可愛い顔のチヨ。
その様子にマオは言葉が出ない。
「チヨちゃん。もう少し私から離れて下さい。さて、青野さん。貴方には本社から調査依頼が来ています。このところの行動、そしてセクハラ、不倫。コンプライアンス案件ですよ!」
「こ、この若造がぁ! 俺はなぁ、偉いんだぞ。その上に、『こいつ』から力も借りた! お前くらいは焼き尽くす!」
青野は右手掌を開き、上に向ける。
すると、そこには真っ赤に燃える火の玉が現れた。
「低級霊かと思いましたら、低級悪魔ですか。悪魔と契約したら破滅が待っているのに愚かな事です。さて、引き抜きますか。よいしょっと!」
無造作に青野に近づくハジュン。
青野が火球を放つ隙すら与えず、青野の薄くなりつつある頭をベアークローで掴む。
「ぎ、ぎゃぁぁぁ!」
そしてそのまま掴んだ「何か」を青野からぶっこ抜いた。
<お、オマエはナニモノダ! オレの契約ヲ無理やり破棄シテ引き抜くナンテ!>
抜かれたモノは床に転がり、悪態を付く。
モノ、低級悪魔は大きな蝙蝠の羽とかぎ爪の生えた細い手足、怒りに歪んだ醜い顔をしていた。
「貴方に名乗る名前はありません。はやくこの世界から退場なさってください。自ら去らないのなら……」
<チ、ちきショー!>
悪魔は、窓ガラスをぶち破り都会の空へと逃げる。
「しょうがないですね。では、『神弓ラーマ』!」
ハジュンがぼそりと呟くと彼の手には、金色をした弓と弓矢があった。
「この世界の異物よ。さっさと本来住まう場所に去りなさい!」
ハジュンは小さくなっていく悪魔を弓で狙い、ひょうと矢を放った。
金色の軌跡を描いた矢は、狙い外さずに悪魔を貫く。
そして輝く球体が悪魔を覆ったかと思うと、急に消えた。
「さて、マオさん。終わりましたよ」
「ハジュンさ――ん!」
マオは、ハジュンに飛び掛かるように抱き着いた。
「こ、怖かったよぉ」
「すいません、貴方を囮のようにして使ってしまいました。わたしは、本社の上層部から青野課長の動向調査を依頼されていました。貴方が青野の部下で私と出会ってしまったのは、本当に偶然。まさしくお大師様のご縁でした」
自分よりも30センチ近く小さなマオを優しく抱いて頭を撫でるハジュン。
「さて、青野。貴方は悪魔の囁きがあったにせよ、多くの罪を犯しました。警察も既にホテルロビーに来ています。このまま自首なさりなさい。そうすれば、会社は依願退職扱いにして減額ながらも退職金もくれます。逃げたら懲戒解雇として退職金も没収します。お覚悟を……」
「あぁぁぁぁ!」
すっかり腰を抜かし、放心状態の青野。
「さて、ここでは眠れませんね。マオさん、一緒に帰りますか?」
「はい?!! は、ハジュンさん。頭に角がぁぁぁ!」
ハジュンの頭部を見て驚くマオ。
ハジュンには立派な角が二本、生えていたからだ。
「あら、マオさんには『見えて』しまうのでしたね。私、お大師様の護法鬼神なんですよ」
◆ ◇ ◆ ◇
「マオさん、開店準備良いですか?」
「はい、ハジュンさん。チヨちゃんも良い?」
「はーい!」
あの後、マオは無理して一流会社に務める気をなくして退職をすることにした。
するとハジュンは彼女に言った。
「マオさん、ウチで働きませんか? 今のご自宅からの通いで構いません。福利厚生に年金、社会保険は当方で今まで通り支払います。給与もおなじくらいは出せますよ」
「え! 良いんですか? わたし、何も特別な力も無いですし」
「マオお姉ちゃんが来てくれたらアタシ助かるの! マスターっておおざっぱで経済観念も怪しいのぉ。この間も大きなフィギュアとか買ってたしぃ。他にも一枚数万円のトレカとか、ゲーム機とかぁ」
「チヨちゃん。あれは娯楽です。今のハイテクなフィギュア。お大師様の時代の仏像にも繋がる神々しさがあります。あの曲線美がぁ。あとね、トレカは今や資産、投機対象なのです。マネーロンダリング、先行投資なのです!」
おかしな主従を見て笑ってしまうマオ。
お人好しでお節介焼きの鬼神。
そして、口うるさいけど可愛いタヌキ娘。
こんな暖かい関係が羨ましい。
「分かりました。では、明日から宜しくお願いします!」
そして看板娘が2人になった喫茶店兼探偵事務所「六波羅探題」は、更に賑やかになる。
今日も、ご近所の話し相手を求めたご老人やハジュンが持つゲーム機やトレカで遊ぶのが目当てのお子様が集う。
また、何か問題を抱えた悩める人も訪れる。
「いらっしゃいませ! 六波羅探題へようこそ!」
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