四度目の別れ

工藤かずや

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四度目の別れ

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夫が勤めに出勤し、息子の満夫を保育園へ送り出すと
悦子は部屋の掃除を始める。
それが彼女の変わらぬ日課だった。

カーテンを開け、窓を開け放つと
通りの向こうの小公園の丘にブランコが見えた。
脇に若い男が立っている。それを見るのも、いつもの日課だ。

・・・秀人。、
三十メートル以上ある距離を隔て、二人は笑みをかわす。
まだ九時前なのに、秀人はそこに居る。それも彼の日課である。

三つ年下の彼とは、二年の間に三度別れた。
一度目はパートで勤めた出版社で彼と知り合い、
その性急で一途な愛に溺れ、怖くなった悦子が別れを告げた時。

二度目は、近くの目黒不動商店街に買い物に出た悦子に秀人が同行し夫の裕明に見つかって、目の前で悦子が殴られた時。
秀人は雑踏の中で夫に土下座し、二度と悦子に会わないと誓った。

三度目は、悦子の母の希望で目黒駅近くの喫茶店で会い、
「お願いだから、悦子と別れてやってください」と、泣いて懇願された時。
年老いた母の涙に秀人も泣き、悦子とは別れる約束をした。

だが、秀人は三度とも悦子の基へ戻って来た。別れを潔く誓ったはずなのに。
悦子は満足だった。
これほど一途に、自分に愛を貫いてくれた男はいなかった。

断言できる。これからもいないだろう。
濃密でめくるめく愛の経験に、彼女は我を忘れた。
次第に、四度目の別れはないものと思い始めていた。

仕方がないわ。
どんなことをしても、彼は戻って来てしまうのだから。
誰も止めることは出来ない。

どちらかが死にでもしない限りは・・・。
買い物途中の十五分のデートで、悦子は十分満足だった。
「四度目の別れは本物だ」と秀人は言う。

いつものように、冗談か本気か分からない調子で。
悦子も冗談でそれに応えたが、今となっては何と言ったのか思い出せない。
夕方、窓の前に立った悦子が、秀人に笑みを送る。

それが夫の戻る合図だった。
窓が閉められカーテンが引かれると、秀人の姿は公園から消える。
だが、その日課は、その夕方に限りそうではなかった。

日暮れまでブランコ脇に佇み、秀人は珍しく沈むまで夕陽を眺めていた。
真っ赤な夕陽だった。
帰ろうと振り向いた瞬間、何かが彼に体当たりして来た。

すでに辺りは暗く、避けられなかった。
痛みはなく、衝撃だけがあった。
右脇腹に、匕首が深々と突き立っていた。

それを抜こうもがきながら、柄をつかんだまま秀人は崩れた。
彼を発見した近所の者が、救急車を呼んだ。
病院へ向かう救急車の中で彼はこときれた。

家族と食事中だった悦子は、パトカーのサイレンでそれに気づいた。
警察の緊急配備で、犯人はすぐに捕らえられた。
夫・裕明の実弟だった。

兄の苦悩を見過ごせず、凶行に及んだのだ。
悦子は半狂乱となった。
収まっても、暫くは朝も昼も夜も公園の見える窓の前から動かず、

ブランコを食い入るように凝視しては、静かに涙を流した。
いつもの日課のように、明日の朝は
また彼が笑いながら立っていると願った。

だが・・・その朝の来ることは、ついになかった。
悦子は秀人に告げた自分の言葉を、突然思い出した。
「四度目に別れたら、私が秀人に会いに行くから」

彼にそう言ったのだ。
会いに行くには遠すぎたが、彼女は本気だった。
「秀人、待ってて!必ず行くから!」

ブランコに向かってそうつぶやくのが、悦子の新しい日課になった。
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