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16 雨音
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後日。
俺は真斗様に近くの神社で毎年行われる神事、春の大祭に連れてきてもらった。
「――!」
色とりどりの風車に種類豊富なお面に物珍しい露店、もちろんそれだけじゃない。祭囃子に太鼓の音、いい香りを漂わせる屋台。
行きかう人たちの表情はみんな明るくて活気に満ち溢れている。
中にはようやく芽吹きだした桜の花の下、団子や酒を楽しむ人もいた。
俺は祭りなんて母さんが死んでからもう何年も行っていない。
夏の季節。小屋から僅かに見える空に咲く大輪だけが俺の知る祭りだった。
「雪路。楽しいのは分かるが、あまり俺から離れるな」
「あ、すみません!」
隣にいる真斗様も今日は着物姿だ。
軍服や洋服姿もカッコいいのだけど今日の真斗様は舞台や芝居に出る役者な井出達だ。すごい、さっきから行きかう人たちが何人も振り返っている。
はぐれたところでこんなに目立つ真斗様を見失うなんて有り得ない。
「浮かない顔をしてるな?人混みはつらいか?」
「あ。いえ、せっかく頂いた着物を汚さないか心配で…」
「そんなことか。いっそ汚すくらいはしゃげばいいだろ、せっかくの祭りだ」
ウロチョロせず大人しくしていろ、と真斗様は命令しない。
それどころかお参りが終わればゆっくり屋台を見て回ろう、と誘ってくださった。
(ごめんなさい。本当は…、真斗様に見惚れていました)
素直に伝えられたならどれだけよかったことか
せっかく田中さんが「きっと雪路様にはこの色が似合いますよ」と嬉々と選んでくれた着物なのに、そこにいる華やかな女性のほうが真斗様にふさわしいと思ってならない。
「あの真斗様、何か気になることでも?」
「後ろを歩くな、隣にいろ」
「え、あ… はい!」
ど、どうしよ…!
今までお父様や清人様の隣だって許されたことがない。
そんな俺が真斗様の隣を歩くなんて…!
な、何か話しかけたほうが良いのだろうか?
それよりも真斗様は歩きにくくないかな?体格差がある俺の歩幅に合わせてくれているのが分かる。
「お前は俺が目を離すと"花の妖"に連れ去られそうだ」
「・・・・・・・へ?」
――――いま、なんとおっしゃいました?
あの美しいモノを好む聞く花の妖に、一体誰が連れ去られると??
「真斗様も、そのような冗談や世辞をおっしゃるのですね」
「そう思うならいっそ世辞と疑わなくなるまで言ってやろうか?」
「け、結構です!」
俺をからかって意地悪気に微笑む、真斗様こそ攫われても知りませんからね!!
それから二人で一緒に参拝を済ませた。
一年が豊穣であるよう祈るお祭りのはずなのに、俺は―――ずいぶん自分本位な願いをしてしまった。
神様も呆れただろうけど、心の中で思うことくらい許してほしい。
そのあとは念願の出店巡りだ。
―――輪投げにくじ引き、俺の目に映るのは珍しいモノばかりで心をくすぐられた。
「真斗様、見てください!金魚が売られてます」
「あぁ、あれは金魚すくいだな」
「金魚すくい?この神社では金魚を救って徳を積むのですか?ずいぶんと高尚なことをされるのですね」
「…ふっ、!?」
勘違いのまま感激すれば真斗様が吹き出すのでよほど面白かったらしい…。
その後金魚すくいという名の遊戯であることを説明してもらい、勧められるがままにいざ挑戦!……してみたけれど
うむむむ、なるほど…水を得た魚だ。掬えそうで掬えないし、力加減を間違えても網が破れてしまう。
金魚と真剣に睨めっこする俺を真斗様も屋台のおじさんも笑って応援してくれたけど、俺の腕前じゃただ網を無駄にしただけだった。
次にやらせてもらった射的はさらに難しくて景品に当たるどころかかすりもしなかった。だから反則と分かっていても最後の一発を真斗様に任せたらお見事。すこんっと棚から菓子の入った箱が落ちた。
「私が貰っていいんですか?」
「あぁ。俺は菓子など食べないからな」
「ありがたく頂戴します…!」
また思い出の品が増えてしまった。
箱を潰してしまわぬよう気をつけなきゃ。
「……その着物は田中の見立てか?なるほどお前には濃い色もよく似合う」
「っ、ありがとうございます。私、今日のことは絶対忘れませんから」
何があっても忘れたりするもんか。
花の色、人の笑顔、好きな人の隣を歩けたこと、一歩一歩を噛みしめるように歩いたことを。
「次の外出では俺が選んでいいか?」
「真斗様が?」
「田中のセンスはいいが、先を越されたままでは癪だからな。チッ、軍部から電話さえなければ…」
忌々しいと仕事をそんな風に扱う真斗様をはじめて見たから驚いた。
もしかしてどれを着るかいつまでも決められず唸っていた姿を見られていたのだろうか…
選んでもらった着物とはいえ、褒められれば嬉しいやら気恥ずかしいやらでカーッと顔が熱くなるを隠したかった。
「そこの茶屋で休憩して帰るか?お前の好きな水餅が有名らしいぞ」
「……う、嬉しいです。でもその前に、ちょっと厠に行ってきますね」
はじめての外出で行った真斗様との別行動だけど、もちろん止められるはずがなかった。
そして俺は――――、 そのまま真斗様のもとへ戻ることはなかった。
* * *
不思議だ。
あんなに恵まれた天気だったのに、いまは土砂降りの大雨だ。
厠に行かず真斗様から離れた俺はこっそりと神社そして賑やかな人通り抜けて、ただひたすら山道をのぼっていった。
それも道なき獣道を。
何度も躓き足を挫いた。それでも俺は歩みを止められない。
「うっ、っ……ぅ、っ」
おぼつかない足取りで涙を拭いながら目的もなく歩く。
汚したくないと言った着物は台無しだ。
潰したくないと思った菓子の箱も転んだせいで潰れてしまった。
(ごめんなさい、真斗様… ごめんなさい…)
今ごろ心配かけていますよね
怒っているかもしれない
俺を置いて帰るような方じゃないと分かっていて俺は逃げ出したのだから…。
(けど俺さえいなければ、真斗様は他の…もっとふさわしいご令嬢と結婚できる…)
真斗様が選ぶのだからそれはとても気立のいい女性が奥方になるのだろう。例え家が立派でなくも使用人達とも仲良くやれて、そのうち子供もできる。笑顔に満ちた明るい家庭が…
(おれは、邪魔になる…)
……俺も真斗様の近くにいなければ、互いを見つめ合い幸せそうに微笑む夫婦を見なくて済む。
俺のような人間がいていいわけがない、許されるはずがない。
真斗様に抱かれてからもずっと俺は怯えていた。
誰にも無視されない、傷つけられない、穏やかで幸せな毎日を過ごすうち
――――俺は、お父様を憎んでしまいそうだった。
「・・・・っ」
何度頭を抱えてその考えを振り払っても、本当はずっと分かっていただろう?と心の奥底から声がするんだ。
お父様は俺を愛してなどいなかった。
いつから?最初から?
そんなお父様を敬愛するよう教育した、母さんのことまで分からなくて嫌いになりそうだった。
「あ゛っ、!?」
ふらつく足がドシャリと地面に倒れた。
だけどもう起き上がる気力がなかった。
(疲れたな…)
雨は酷く冷たい。
草履もどこかで脱げてしまった、足は痛くて傷だらけだ。
「は、ははっ…… 」
あぁ、俺は出来損ないだ。
真斗様に抱かれて、満たされて、満たされたこの心はおそろしく醜悪なモノへ変化してしまったのだから…
(こんな俺が、真斗様とずっと一緒にいられるわけがない)
俺の心が恨むことを知らず、自分だけが傷つけば順調にいくのだと信じられてたあの頃に戻れたなら
健気で無知で、哀れな俺だったならば……
まだ真斗様のそばにいることが許されたのかもしれない。
いつしか夢から醒めるように、愛も醒めてしまうのなら
ずっと一人ぼっちでいればよかったんだ。
今日のことも、なにもかも最初からなかったと思えば…
「でも、さびしい…っ、さびしい、よ…」
思い出だけじゃ いやだ
だから俺が神様に祈ったのは、来世では胸を張って好きな方のそばにいれる自分でありますようにーー…
「…っ、……、…!!」
泣き声も涙も、ぜんぶ雨音が掻き消してくれる
うずくまる俺に容赦なく冷たい雨だけが降り注いだ
―――――・・・・・・・・
「――― 雪路!!」
後日。
俺は真斗様に近くの神社で毎年行われる神事、春の大祭に連れてきてもらった。
「――!」
色とりどりの風車に種類豊富なお面に物珍しい露店、もちろんそれだけじゃない。祭囃子に太鼓の音、いい香りを漂わせる屋台。
行きかう人たちの表情はみんな明るくて活気に満ち溢れている。
中にはようやく芽吹きだした桜の花の下、団子や酒を楽しむ人もいた。
俺は祭りなんて母さんが死んでからもう何年も行っていない。
夏の季節。小屋から僅かに見える空に咲く大輪だけが俺の知る祭りだった。
「雪路。楽しいのは分かるが、あまり俺から離れるな」
「あ、すみません!」
隣にいる真斗様も今日は着物姿だ。
軍服や洋服姿もカッコいいのだけど今日の真斗様は舞台や芝居に出る役者な井出達だ。すごい、さっきから行きかう人たちが何人も振り返っている。
はぐれたところでこんなに目立つ真斗様を見失うなんて有り得ない。
「浮かない顔をしてるな?人混みはつらいか?」
「あ。いえ、せっかく頂いた着物を汚さないか心配で…」
「そんなことか。いっそ汚すくらいはしゃげばいいだろ、せっかくの祭りだ」
ウロチョロせず大人しくしていろ、と真斗様は命令しない。
それどころかお参りが終わればゆっくり屋台を見て回ろう、と誘ってくださった。
(ごめんなさい。本当は…、真斗様に見惚れていました)
素直に伝えられたならどれだけよかったことか
せっかく田中さんが「きっと雪路様にはこの色が似合いますよ」と嬉々と選んでくれた着物なのに、そこにいる華やかな女性のほうが真斗様にふさわしいと思ってならない。
「あの真斗様、何か気になることでも?」
「後ろを歩くな、隣にいろ」
「え、あ… はい!」
ど、どうしよ…!
今までお父様や清人様の隣だって許されたことがない。
そんな俺が真斗様の隣を歩くなんて…!
な、何か話しかけたほうが良いのだろうか?
それよりも真斗様は歩きにくくないかな?体格差がある俺の歩幅に合わせてくれているのが分かる。
「お前は俺が目を離すと"花の妖"に連れ去られそうだ」
「・・・・・・・へ?」
――――いま、なんとおっしゃいました?
あの美しいモノを好む聞く花の妖に、一体誰が連れ去られると??
「真斗様も、そのような冗談や世辞をおっしゃるのですね」
「そう思うならいっそ世辞と疑わなくなるまで言ってやろうか?」
「け、結構です!」
俺をからかって意地悪気に微笑む、真斗様こそ攫われても知りませんからね!!
それから二人で一緒に参拝を済ませた。
一年が豊穣であるよう祈るお祭りのはずなのに、俺は―――ずいぶん自分本位な願いをしてしまった。
神様も呆れただろうけど、心の中で思うことくらい許してほしい。
そのあとは念願の出店巡りだ。
―――輪投げにくじ引き、俺の目に映るのは珍しいモノばかりで心をくすぐられた。
「真斗様、見てください!金魚が売られてます」
「あぁ、あれは金魚すくいだな」
「金魚すくい?この神社では金魚を救って徳を積むのですか?ずいぶんと高尚なことをされるのですね」
「…ふっ、!?」
勘違いのまま感激すれば真斗様が吹き出すのでよほど面白かったらしい…。
その後金魚すくいという名の遊戯であることを説明してもらい、勧められるがままにいざ挑戦!……してみたけれど
うむむむ、なるほど…水を得た魚だ。掬えそうで掬えないし、力加減を間違えても網が破れてしまう。
金魚と真剣に睨めっこする俺を真斗様も屋台のおじさんも笑って応援してくれたけど、俺の腕前じゃただ網を無駄にしただけだった。
次にやらせてもらった射的はさらに難しくて景品に当たるどころかかすりもしなかった。だから反則と分かっていても最後の一発を真斗様に任せたらお見事。すこんっと棚から菓子の入った箱が落ちた。
「私が貰っていいんですか?」
「あぁ。俺は菓子など食べないからな」
「ありがたく頂戴します…!」
また思い出の品が増えてしまった。
箱を潰してしまわぬよう気をつけなきゃ。
「……その着物は田中の見立てか?なるほどお前には濃い色もよく似合う」
「っ、ありがとうございます。私、今日のことは絶対忘れませんから」
何があっても忘れたりするもんか。
花の色、人の笑顔、好きな人の隣を歩けたこと、一歩一歩を噛みしめるように歩いたことを。
「次の外出では俺が選んでいいか?」
「真斗様が?」
「田中のセンスはいいが、先を越されたままでは癪だからな。チッ、軍部から電話さえなければ…」
忌々しいと仕事をそんな風に扱う真斗様をはじめて見たから驚いた。
もしかしてどれを着るかいつまでも決められず唸っていた姿を見られていたのだろうか…
選んでもらった着物とはいえ、褒められれば嬉しいやら気恥ずかしいやらでカーッと顔が熱くなるを隠したかった。
「そこの茶屋で休憩して帰るか?お前の好きな水餅が有名らしいぞ」
「……う、嬉しいです。でもその前に、ちょっと厠に行ってきますね」
はじめての外出で行った真斗様との別行動だけど、もちろん止められるはずがなかった。
そして俺は――――、 そのまま真斗様のもとへ戻ることはなかった。
* * *
不思議だ。
あんなに恵まれた天気だったのに、いまは土砂降りの大雨だ。
厠に行かず真斗様から離れた俺はこっそりと神社そして賑やかな人通り抜けて、ただひたすら山道をのぼっていった。
それも道なき獣道を。
何度も躓き足を挫いた。それでも俺は歩みを止められない。
「うっ、っ……ぅ、っ」
おぼつかない足取りで涙を拭いながら目的もなく歩く。
汚したくないと言った着物は台無しだ。
潰したくないと思った菓子の箱も転んだせいで潰れてしまった。
(ごめんなさい、真斗様… ごめんなさい…)
今ごろ心配かけていますよね
怒っているかもしれない
俺を置いて帰るような方じゃないと分かっていて俺は逃げ出したのだから…。
(けど俺さえいなければ、真斗様は他の…もっとふさわしいご令嬢と結婚できる…)
真斗様が選ぶのだからそれはとても気立のいい女性が奥方になるのだろう。例え家が立派でなくも使用人達とも仲良くやれて、そのうち子供もできる。笑顔に満ちた明るい家庭が…
(おれは、邪魔になる…)
……俺も真斗様の近くにいなければ、互いを見つめ合い幸せそうに微笑む夫婦を見なくて済む。
俺のような人間がいていいわけがない、許されるはずがない。
真斗様に抱かれてからもずっと俺は怯えていた。
誰にも無視されない、傷つけられない、穏やかで幸せな毎日を過ごすうち
――――俺は、お父様を憎んでしまいそうだった。
「・・・・っ」
何度頭を抱えてその考えを振り払っても、本当はずっと分かっていただろう?と心の奥底から声がするんだ。
お父様は俺を愛してなどいなかった。
いつから?最初から?
そんなお父様を敬愛するよう教育した、母さんのことまで分からなくて嫌いになりそうだった。
「あ゛っ、!?」
ふらつく足がドシャリと地面に倒れた。
だけどもう起き上がる気力がなかった。
(疲れたな…)
雨は酷く冷たい。
草履もどこかで脱げてしまった、足は痛くて傷だらけだ。
「は、ははっ…… 」
あぁ、俺は出来損ないだ。
真斗様に抱かれて、満たされて、満たされたこの心はおそろしく醜悪なモノへ変化してしまったのだから…
(こんな俺が、真斗様とずっと一緒にいられるわけがない)
俺の心が恨むことを知らず、自分だけが傷つけば順調にいくのだと信じられてたあの頃に戻れたなら
健気で無知で、哀れな俺だったならば……
まだ真斗様のそばにいることが許されたのかもしれない。
いつしか夢から醒めるように、愛も醒めてしまうのなら
ずっと一人ぼっちでいればよかったんだ。
今日のことも、なにもかも最初からなかったと思えば…
「でも、さびしい…っ、さびしい、よ…」
思い出だけじゃ いやだ
だから俺が神様に祈ったのは、来世では胸を張って好きな方のそばにいれる自分でありますようにーー…
「…っ、……、…!!」
泣き声も涙も、ぜんぶ雨音が掻き消してくれる
うずくまる俺に容赦なく冷たい雨だけが降り注いだ
―――――・・・・・・・・
「――― 雪路!!」
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