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花の烙印㈠
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漆黒の天道に、寥々と昇る孤月。
頼りない仄明かりにぽうと浮き上がった神がひとたび頬笑むと、呼応するかのごとくさやさやと椿の葉がそよぐ。
その紅蓮の冷気に、穂花は朔馬の上着を羽織り直した。
「よう、遅いお出ましじゃないか」
ずいと、穂花の一歩前へ踏み出る真知。それによって冷気は遮られた。
真知がどのような面持ちをしているかは伺い知れないが、対峙する美しき少年の姿をした神の紅玉が、す……と細められたことは事実。
「ふふ……此度の誓約に先立ち、高天原の天津神様方におねがいへ伺っておりましたゆえ」
「なるほど。しょうもないヤツに、しょうもない提案をしたことはわかった」
「手厳しいですな。我ながら妙案と自負しておるのですが……またのちほど」
優雅に頬笑んでみせた紅は、ここで穂花と並び立つ朔馬へ視線を寄越す。
「なにをしておる、サクヤ。早う兄のもとへ来やれ」
「兄上……」
朔馬は何事かを言い募ろうとした。が、想いのたけは白い喉の奥へ消え失せるのみ。
「……はい、只今」
穂花には聞こえた。震える言霊が。
けれども引きとめるより先に、ひときわ強い桜が香る。
「……サクヤは、ここに」
紫紺の艶髪、憂いを帯びた菫の瞳、桜色の衣。
なにも言われなければ女人と見まごうであろう麗しきかんばせは、ひとたびまみえた神のそれに違いなかった。
「おぉ、久しい……血を分けた我が弟よ」
いつもより半音高い草笛の音色を奏でる紅。
にっこりと頬笑みをたたえながら、サクヤの両手を取る。
「のうニニギ様、我ら兄弟は良く似ているでしょう? なんの因果か、女子のような容姿に生まれ落ちまして。早くに妻を亡くした父によって、それこそ姫のごとく大事に大事に育てられたのです」
弟に頬を寄せては、するりと指に指を絡ませ、うっとりと紅は唄う。
対してサクヤの表情には覇気がなく、兄にされるがまま。
「あいつ、わかっててやってんな……」
吐き捨てるような呟きの真意を、穂花はまだ汲み取れない。
「穂花、聞け。サクヤはまだ、神の姿を維持することに慣れていない。ほんの数秒で相当な神力を消費しているんだ。早いとこあいつを引き離さないと……」
「これはオモイカネ殿。我が細君になにか? この国津神もどうぞお仲間に加えてくださいまし」
耳をそば立てねば聞こえぬ囁きであったはずだが、その言葉は矢のように襲いかかった。
朱の唇は依然として弧を描いているものの、紅玉は微塵も笑みを宿していない。
あれが、本当に紅なのか。砂糖か蜂蜜かもわからないほど、どろどろに自分を甘やかしていた神だというのか。
目上の者、引いては実の弟に向けた態度は、研ぎ澄まされた刃そのものではないか。
家族のように過ごした神が、いまは恐ろしい。
「あに……うえ」
舌足らずのサクヤが、くたり、と紅の肩口へしなだれかかる。
は、は、と息が浅い。限界であることは火を見るより明らかだ。
それでも尚、紅は顔色ひとつ変えない。幼子をあやすように、震えるサクヤの背をさするだけ。
「もう眠いのかえ? おまえはほんに子供よの。どれ、わたしが寝かしつけてやろう……」
穂花は絶句した。これほど慈愛に満ちた非情は、ほかに知らない。
「紅……さくを、離して? このままじゃ、死んじゃう」
「可笑しなことを仰る。こやつは既に、幾度も絶命しております。いまさらなにを焦ることがございましょう」
「…………え」
サクヤが、これまでに何度も死んでいる?
なにを言われたのか理解できなかった。
頼りない仄明かりにぽうと浮き上がった神がひとたび頬笑むと、呼応するかのごとくさやさやと椿の葉がそよぐ。
その紅蓮の冷気に、穂花は朔馬の上着を羽織り直した。
「よう、遅いお出ましじゃないか」
ずいと、穂花の一歩前へ踏み出る真知。それによって冷気は遮られた。
真知がどのような面持ちをしているかは伺い知れないが、対峙する美しき少年の姿をした神の紅玉が、す……と細められたことは事実。
「ふふ……此度の誓約に先立ち、高天原の天津神様方におねがいへ伺っておりましたゆえ」
「なるほど。しょうもないヤツに、しょうもない提案をしたことはわかった」
「手厳しいですな。我ながら妙案と自負しておるのですが……またのちほど」
優雅に頬笑んでみせた紅は、ここで穂花と並び立つ朔馬へ視線を寄越す。
「なにをしておる、サクヤ。早う兄のもとへ来やれ」
「兄上……」
朔馬は何事かを言い募ろうとした。が、想いのたけは白い喉の奥へ消え失せるのみ。
「……はい、只今」
穂花には聞こえた。震える言霊が。
けれども引きとめるより先に、ひときわ強い桜が香る。
「……サクヤは、ここに」
紫紺の艶髪、憂いを帯びた菫の瞳、桜色の衣。
なにも言われなければ女人と見まごうであろう麗しきかんばせは、ひとたびまみえた神のそれに違いなかった。
「おぉ、久しい……血を分けた我が弟よ」
いつもより半音高い草笛の音色を奏でる紅。
にっこりと頬笑みをたたえながら、サクヤの両手を取る。
「のうニニギ様、我ら兄弟は良く似ているでしょう? なんの因果か、女子のような容姿に生まれ落ちまして。早くに妻を亡くした父によって、それこそ姫のごとく大事に大事に育てられたのです」
弟に頬を寄せては、するりと指に指を絡ませ、うっとりと紅は唄う。
対してサクヤの表情には覇気がなく、兄にされるがまま。
「あいつ、わかっててやってんな……」
吐き捨てるような呟きの真意を、穂花はまだ汲み取れない。
「穂花、聞け。サクヤはまだ、神の姿を維持することに慣れていない。ほんの数秒で相当な神力を消費しているんだ。早いとこあいつを引き離さないと……」
「これはオモイカネ殿。我が細君になにか? この国津神もどうぞお仲間に加えてくださいまし」
耳をそば立てねば聞こえぬ囁きであったはずだが、その言葉は矢のように襲いかかった。
朱の唇は依然として弧を描いているものの、紅玉は微塵も笑みを宿していない。
あれが、本当に紅なのか。砂糖か蜂蜜かもわからないほど、どろどろに自分を甘やかしていた神だというのか。
目上の者、引いては実の弟に向けた態度は、研ぎ澄まされた刃そのものではないか。
家族のように過ごした神が、いまは恐ろしい。
「あに……うえ」
舌足らずのサクヤが、くたり、と紅の肩口へしなだれかかる。
は、は、と息が浅い。限界であることは火を見るより明らかだ。
それでも尚、紅は顔色ひとつ変えない。幼子をあやすように、震えるサクヤの背をさするだけ。
「もう眠いのかえ? おまえはほんに子供よの。どれ、わたしが寝かしつけてやろう……」
穂花は絶句した。これほど慈愛に満ちた非情は、ほかに知らない。
「紅……さくを、離して? このままじゃ、死んじゃう」
「可笑しなことを仰る。こやつは既に、幾度も絶命しております。いまさらなにを焦ることがございましょう」
「…………え」
サクヤが、これまでに何度も死んでいる?
なにを言われたのか理解できなかった。
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