3 / 26
*3* 差しのべられた手
しおりを挟む
「だいじょぶ。怖いものは、なんにもないよ」
からころ、と。硝子を鳴らしたような、澄んだ音色。
とたん、赤いペンキをぶちまけられたような視界がクリアになる。
いつからだろう。白衣の男女より1歩近い場所に、女の子がひとりしゃがみ込んでいた。
くりくりと黒目がちな瞳を細めたかと思えば、血濡れのシーツに膝立ちをして、正面の俺の頭をそっと抱え込む。
「いいこ、いいこ」
真っ暗にさえぎられた視界では、歌うようなそれが、より鮮明になる。
とくん、とくんと、心地よい心音を頬で感じられる。
荒れ狂う思考のさざなみが、すぅっと引いていくのがわかる。
「はっ、はっ…………ふー……うぅ」
整いゆく呼吸の中、優しすぎるくらい頭をなでる手と、力強く俺を抱きしめてはなさない腕の感触が、無性に泣かせてきた。
不安なんじゃない。ほっとしたんだ。
あたたかいのがうれしくて、わけもわからず、ぎゅっとしがみつくことしかできない。
すぅ、はぁ……と、何度呼吸を繰り返したときだったか。
「……止まった、かな?」
ぴたりと寄り添っていた身体がはなされ、反射的に手で追いかける。
そんな俺のすぐ目の前で、女の子が満足げにはにかんだ。
「うん、止まったね。これでだいじょぶです」
なにが、と口を動かしかけて、気づく。
俺が我を忘れているときに、点滴の外れた右腕を痛いくらい圧迫して、止血してくれたんだろう。手にした、シーツの端で。
「すみません、なんか拭くものって、もらえますか?」
「……アルコール綿と、止血パッドがあります」
「ありがとうございます」
呆けているうちに、女の子は白衣の女性から受け取った手のひらサイズの袋を破く。
取り出したアルコール綿で血まみれの右腕を綺麗に拭うと、まだ熱の残る傷口にふわりとテープを貼ってくれた。
一部始終を黙って見守っていたふたりの若者は、俺の警戒を感じ、あえて手を出さなかったのかもしれない。
「ありが、とう……」
「えへへ、どういたしまして!」
そこでようやく、自分を助けてくれた子の姿を映すことができる。
ふんわり丸みを帯びたボブが小顔によく似合う、可愛らしい女の子だった。
首を傾けた拍子に、長い襟足がさらりと細い肩を滑る。
その瞬間、時が止まった。
青みがかった灰色。見覚えのある藍色鳩羽。
弾けた笑顔を前にしたとたん、それまで胸にはびこっていた得体の知れない焦りとか不安の残り香が、嘘みたいに吹き飛ばされる。
「さて、これで一件落着したことですし!」
まばゆい笑みのその子は、ぱんっと打ち鳴らした手のひらを、いまだ夢見心地の俺へと差しのべた。
からころ、と。硝子を鳴らしたような、澄んだ音色。
とたん、赤いペンキをぶちまけられたような視界がクリアになる。
いつからだろう。白衣の男女より1歩近い場所に、女の子がひとりしゃがみ込んでいた。
くりくりと黒目がちな瞳を細めたかと思えば、血濡れのシーツに膝立ちをして、正面の俺の頭をそっと抱え込む。
「いいこ、いいこ」
真っ暗にさえぎられた視界では、歌うようなそれが、より鮮明になる。
とくん、とくんと、心地よい心音を頬で感じられる。
荒れ狂う思考のさざなみが、すぅっと引いていくのがわかる。
「はっ、はっ…………ふー……うぅ」
整いゆく呼吸の中、優しすぎるくらい頭をなでる手と、力強く俺を抱きしめてはなさない腕の感触が、無性に泣かせてきた。
不安なんじゃない。ほっとしたんだ。
あたたかいのがうれしくて、わけもわからず、ぎゅっとしがみつくことしかできない。
すぅ、はぁ……と、何度呼吸を繰り返したときだったか。
「……止まった、かな?」
ぴたりと寄り添っていた身体がはなされ、反射的に手で追いかける。
そんな俺のすぐ目の前で、女の子が満足げにはにかんだ。
「うん、止まったね。これでだいじょぶです」
なにが、と口を動かしかけて、気づく。
俺が我を忘れているときに、点滴の外れた右腕を痛いくらい圧迫して、止血してくれたんだろう。手にした、シーツの端で。
「すみません、なんか拭くものって、もらえますか?」
「……アルコール綿と、止血パッドがあります」
「ありがとうございます」
呆けているうちに、女の子は白衣の女性から受け取った手のひらサイズの袋を破く。
取り出したアルコール綿で血まみれの右腕を綺麗に拭うと、まだ熱の残る傷口にふわりとテープを貼ってくれた。
一部始終を黙って見守っていたふたりの若者は、俺の警戒を感じ、あえて手を出さなかったのかもしれない。
「ありが、とう……」
「えへへ、どういたしまして!」
そこでようやく、自分を助けてくれた子の姿を映すことができる。
ふんわり丸みを帯びたボブが小顔によく似合う、可愛らしい女の子だった。
首を傾けた拍子に、長い襟足がさらりと細い肩を滑る。
その瞬間、時が止まった。
青みがかった灰色。見覚えのある藍色鳩羽。
弾けた笑顔を前にしたとたん、それまで胸にはびこっていた得体の知れない焦りとか不安の残り香が、嘘みたいに吹き飛ばされる。
「さて、これで一件落着したことですし!」
まばゆい笑みのその子は、ぱんっと打ち鳴らした手のひらを、いまだ夢見心地の俺へと差しのべた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
今日、俺はショゴスを拾った
TEFt
キャラ文芸
田舎から上京してきた大学生、井上 勇吾。新しい場所での初めての一人暮らしに胸を躍らせる。
しかし、買い出しの帰り道で箱に詰められた何かを目にする。猫かと思ったが、それは、この世のものとは思えないナニカだった。慌てて家に帰り、そのことを忘れようとした。が、いつの間にかソイツはいた。持ち帰ったわけではないが、拾ってしまった。
そこから始まる、謎の生命体との生活。彼の大学生活はどうなってしまうのか。
事件に巻き込まれ、不思議なモノとの出会い、接触、平穏な生活にはもう戻れない。
人生負け組のスローライフ
雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした!
俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!!
ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。
じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。
ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。
――――――――――――――――――――――
第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました!
皆様の応援ありがとうございます!
――――――――――――――――――――――
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
逆襲のドッペルゲンガー
Tonks
恋愛
俺がこうなったのはぜんぶあいつのせいだ――新進気鋭のシンガーソングライター高岡涼馬にあまりにも容姿が似すぎていることで音楽の夢を諦めようとしていた高校生片桐昌真は、ひょんなことから売れないアイドル藤原あやかと知り合い、高岡憎しの想いで意気投合する。高岡への復讐を誓い合った二人は、あやかの全面サポートのもと、昌真が高岡になりすまし、今をときめくトップアイドル佐倉マキを口説き落とすというほぼインポッシブルに近いミッションを計画し、実行に移すのだが――
将来への夢やらコンプレックスやらプライドやら戸惑いやら涙やら怒りやら恋心やら……すべてを巻き込んで壊れたジェットコースターのように猛スピードで突っ走る抱腹絶倒青春ラブコメ! 笑えて、泣けて、アツくなる! そんな青春ラブコメをお探しのアナタに!
Manato様に表紙絵を描いていただきました。あやか(中央)、レナ(右)、佐倉(左)です。テンション上がってきた!
※この作品はカクヨム様でも別名義で連載しております。
付喪神、子どもを拾う。
真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和
3/13 書籍1巻刊行しました!
8/18 書籍2巻刊行しました!
【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます!
おいしいは、嬉しい。
おいしいは、温かい。
おいしいは、いとおしい。
料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。
少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。
剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。
人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。
あやかしに「おいしい」を教わる人間。
これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。
※この作品はエブリスタにも掲載しております。
言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー
三坂しほ
キャラ文芸
両親を亡くし、たった一人の兄と二人暮らしをしている椎名巫寿(15)は、高校受験の日、兄・祝寿が何者かに襲われて意識不明の重体になったことを知らされる。
病院へ駆け付けた帰り道、巫寿も背後から迫り来る何かに気がつく。
二人を狙ったのは、妖と呼ばれる異形であった。
「私の娘に、近付くな。」
妖に襲われた巫寿を助けたのは、後見人を名乗る男。
「もし巫寿が本当に、自分の身に何が起きたのか知りたいと思うのなら、神役修詞高等学校へ行くべきだ。巫寿の兄さんや父さん母さんが学んだ場所だ」
神役修詞高等学校、そこは神役────神社に仕える巫女神主を育てる学校だった。
「ここはね、ちょっと不思議な力がある子供たちを、神主と巫女に育てるちょっと不思議な学校だよ。あはは、面白いよね〜」
そこで出会う新しい仲間たち。
そして巫寿は自分の運命について知ることとなる────。
学園ファンタジーいざ開幕。
▼参考文献
菅田正昭『面白いほどよくわかる 神道のすべて』日本文芸社
大宮司郎『古神道行法秘伝』ビイングネットプレス
櫻井治男『神社入門』幻冬舎
仙岳坊那沙『呪い完全マニュアル』国書刊行会
豊嶋泰國『憑物呪法全書』原書房
豊嶋泰國『日本呪術全書』原書房
西牟田崇生『平成新編 祝詞事典 (増補改訂版)』戎光祥出版
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる