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第三章『焔魔仙教編』

第二百五十一話 無垢なぬくもり【中】

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「なんだか申し訳ないです、おじゃましてしまって」
「いえ。元気に遊んで、いっぱい眠るのは、いいことですから」

 あれから早梅はやめ蒼雲ツァンユンに招き入れられ、彼にあてがわれた船室に足を踏み入れていた。
 思う存分駆け回った蓮虎リェンフーが、うとうとと船をこぎはじめたためである。
 蒼雲の好意で寝台を貸してもらい、自由奔放なやんちゃ坊主をいましがた寝かしつけたところだ。
 はじめはおっかなびっくり蓮虎にふれていた蒼雲も、そのころにはリラックスした様子で、すぴすぴと眠りこける蓮虎の頭をなでていた。

 寝台にならんで腰かけ、幼子の健やかな寝顔を見守る。
 この状況に、早梅はどうもこそばゆい気分になった。
 しばしの静寂を挟んで、口をひらいたのは、蒼雲だった。

「ふつうの家庭というものに、憧れがあるんです。……こんな身の上ですから、叶わぬ願いだとわかってはいるのですが」

 自嘲気味に、蒼雲は笑う。彼の表情には、いつだってほの暗い影がまとわりついている。

「辛気くさい話をしてしまって、すみません」
「いいえ。こうして蒼雲さまとお話ができることを、うれしく思います。私も、ちゃんとお話をしたいと思っていましたから」
梅雪メイシェ……さま」

 早梅は眠る蓮虎の頭をするりとなで、見上げた黒皇ヘイファンに目配せをする。
 するとへやの隅に控えていた黒皇は、早梅の意図を理解したのだろう。寝台のそばまでやってくると蓮虎をそっと抱き上げ、一礼ののち、退室していった。
 
「蒼雲さま、私にお話があるとおっしゃいましたね。それを、今お伺いしてもよろしいですか?」

 居住まいをただした早梅は、蒼雲へと向き直る。
 瑠璃の瞳にまっすぐ見つめられた蒼雲は、まぶたを閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。

「はい。私たちの……私と弟のことを、おつたえしたくて」

 蒼雲の弟。若き現皇帝であり優れた名君主、その裏で冷酷非情な一面を持つ悪なる者──ルオ飛龍フェイロン
 現状、飛龍のことをもっともよく知る人物は、蒼雲といえるだろう。
 彼の口から、いったい何が語られるのか。早梅はじっとそのときを待つ。

「ご存じのとおり、私と飛龍は双子の兄弟です。ですが古くから、多胎児は不吉の象徴と忌み嫌われています」
「それは、どうして?」
「一度に多くの子を孕む獣人を彷彿とさせるためです。こんなことを申し上げるのはたいへん心苦しいのですが……女性が多胎児を妊娠した場合、『畜生腹ちくしょうばら』と呼ばれ、母子ともに誹謗中傷の対象となります」
「なんと酷い……」

 だが、それが央原おうげんの現状、人間たちにとっての常識なのだ。
 都に近いほど、その差別意識は根強いという。
 民衆の頂点に立つ皇族であれば、多くを問うまでもなかろう。

「とくに双子の場合、きょうだいを押しのけて先に生まれた赤子を忌み子とし、間引く風習が、皇室にはありました。それゆえ、父上……先帝陛下の温情で命だけは見逃された私ではありますが、物心ついたときから、後宮のはずれにあるあばら小屋に幽閉されていたのです」

 ──陛下に同腹の兄がいたってこと自体、俺も今回はじめて知ったんだよ。
 ──経緯はさっぱりだが、まぁ大体の予想はつくな。

 今になって、早梅はシュンの言葉の意味を理解する。
 皇室の内情に詳しい男だ、いち早く感づいていたとて、不思議ではない。

「母は側室であり、後宮での立場は決して強いものではありませんでした。不吉な双子を生んだ者として後ろ指をさされ、度重なる妃賓ひひんたちの嫌がらせに耐えかねた末、私たちが幼いうちに、自死をえらんでしまわれました」
「蒼雲さま、あまり無理はなさらず」
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です」

 蒼雲を気遣う早梅ではあったが、彼の決意は固いようだった。一度深呼吸をしたのち、ふたたび口をひらく。

「いつだったか、私の暮らすあばら小屋に飛龍がやってきました。兄たちの暴言に嫌気がさして、逃げてきたのだと言っていました」
「飛龍が……」

 逃げるなど、あの飛龍からは想像もつかない発言だ。

「幼い彼は、どのような人物だったのですか?」
「とても賢い子でした。年のわりに教養があり、おとなびていた。母の後ろだてもなく、父の関心も得られない中、必死に努力をしたのだと思います」

 側室の子であり、十三番目の皇子だった飛龍は、はじめから皇位継承者として数えられてはいなかった。期待されていなかった皇子……

「飛龍は、私が兄だと知っていたようでした。境遇を承知の上で、『乱暴な兄たちをやりすごすこと』を口実に、たびたび私のもとへやってくるようになったのです」

 忌み子として蔑まれる兄と、期待されない弟。
 彼らの関係性とは、どういったものだったのか。

「私は出来損ないの兄ですから、鬱憤晴らしに利用してもかまわなかったのに……飛龍はそれをしませんでした。楽しくおしゃべりをするわけでもなく、乱暴をするわけでもなく。飛龍はただ、私のとなりに座っていました。そのうちに、私もだんだんと、飛龍との距離感が心地よく感じるようになりました」

 聞けば聞くほど、幼いこどもの取る行動には思えない。いや、無邪気にはしゃいで駆け回ることを、皇族という肩書きが、後宮という箱庭が、許さなかったのか。

「けれど、飛龍は生まれつき病弱でした。気温の変化にからだがついてゆかず、季節の変わり目ごとに高熱を出し、すこし走るだけでぐったりとしていました。喘息をこじらせ、何度死に目を見ていたかわかりません」

 語りながら、蒼雲の表情が濃い影を帯びてゆく。

「私が……あの子からすべてを奪ったのです。なぜ、あの子が苦しんでいるのか……なぜ、私のような出来損ないが丈夫なからだに生まれてしまったのか、わからなかった……できることなら、あの子に降りかかるわざわいすべてを、代わってあげたかった……」
「蒼雲さま……」

 蒼雲は、たったひとりの弟である飛龍を、たいせつに想っていたのだろう。
 それがひしひしとつたわるほどに、蒼雲の告白は、切実なものだった。

「それなのに飛龍は泣き言ひとつ言わず、毅然とふるまっていました。時が来ればいつか日の目を見ることができると、ひたすらに耐えていました。やがて兄たちが壮絶な皇位あらそいによって共倒れとなり、父上も病をわずらってお隠れになった──悲劇が起きたのは、その後のことです」
「悲劇……?」

 兄が死に、先帝も病死したがために、遺された飛龍が皇位を継承することになった。その出来事の舞台裏で、何が起きたというのだろうか。

「今でも、思い返すことさえおぞましい……『彼女』が……皇妃殿下が、飛龍にしたことは」

 皇妃というと、暗珠アンジュの母に当たる女性のことか。

「皇妃殿下は、『何』をされたんですか」
「っ……」

 蒼雲はぐっと唇を噛み、頭を抱えて首を横にふる。
 思い出したくない悪夢を、ふり払うかのように。

「とても、お聞かせできることではありません……」
「可能な範囲でかまいません、お話しいただけますか」
「……わかりました」

 長い長い沈黙をへて、蒼雲が絞り出すように語りはじめる。
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