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【ショートショート】必要な犠牲
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「おめでとうございます。厳正なる抽選の結果、あなたは今回の実験クルーに選ばれました」
鏡台の装置から流れた音声を聞き、エヌ氏は飛びあがった。
火星テレポーテーションの実験は、いまや全世界的な注目を浴びている。前世紀の中頃に始められた、火星拠点基地の建設。その建設作業が終わり、さらに数年あまりが経過していた。現地ではクルーによる開拓作業が続いていたが、人数が少ないせいか、あまり成果はあがっていない。人々の関心は、すでに地球から火星への移動手段のほうに移りはじめていた。火星に行けるようになったはいいが、物理的な星間飛行だと、どうしても移動のために長い時間がかかってしまう。
この問題の解決の糸口となるのが、エイチ社の提供する世界初のテレポーテーション技術だった。エイチ社の転送装置を用いれば、地球上の物質を一瞬で火星に送り届けることができる。しかし、この装置の運用にあたって、火星に生身の人間を転送しても問題がないか繰り返し検証をする必要があった。この検証のために、エイチ社は世界中から民間の実験希望者を募っている。この募集に当選すれば、転送装置に乗って火星に行くことができる。この実験によってすでに何人かの民間の当選者が火星にたどり着き、現地クルーとして開拓作業に従事していた。そのうちの何人かは任期を終えて地球に帰還し、エイチ社からのまとまった報酬と、その勇敢さを讃えられての名声を得ている。
エヌ氏は音声メッセージに添付されている招待状を受け取り、顔をほころばせた。
「なんという幸運だろう。ほんとうに夢のようだ」
実験クルーは知力・体力ともにすぐれていると判断された者の中から、さらに抽選で選ばれる。最初の書類選考では能力の程度が調べられ、訓練への適性が審査される。選考を通過して当選すると、エイチ社の訓練施設に招集されることになる。ここで一定の期間、必要な訓練を行い、しかるべき学科の課程を受ける。これを修了しないと、転送装置に乗り込むことができない。
エヌ氏は壮年の実業家で、業界ではそれなりに名が通っている人物だった。心身ともに充実しているし、稼ぎのほうも悪くない。実験クルーの参加希望者は世界中に山ほどおり、今日この日まではエヌ氏もそのうちのひとりにすぎなかった。エヌ氏は今回の抽選で、このテレポーテーション実験のクルーに選ばれることができたのだ。
エヌ氏はさっそく、身辺の整理にとりかかった。近隣の者たちにあいさつをすませ、部下たちに長期の休暇を与えた。みなエヌ氏の当選を喜び、無事を祈ってくれた。身支度を終え、エイチ社に連絡すると、ものの数分で送迎車が来た。エヌ氏は妻にさよならを言い、エイチ社本社のオフィスへと向かった。これから、長い訓練生活が始まるのだ。
エイチ社での訓練はそれなりに大変なものだった。現地での作業に必要な知識を頭に叩き込み、地球外の環境で活動できる程度の体力をつける。火星に滞在するのは、およそ三ヶ月程度。生半可な体力では、労働に耐えることができない。実際に装置の中に入り、転送の過程を再現する模擬訓練も何度となく行った。壮年のエヌ氏にはこたえる内容だったが、持ち前の粘り強さでなんとかこなした。これに耐え、火星での労働を終えれば、さらに快適な暮らしが望めるようになるのだ。
そして、ついに実験の日が来た。実験日は事前に公表され、転送の様子は全世界的に中継される。エイチ社本社のビルの下には多くの人が集まり、実験の一部始終を見守ろうとしていた。その中には、エヌ氏の会社の従業員たちの姿もある。エヌ氏は喝采に包まれながら、装置室の前で妻と抱きあった。
「あなた、いってらっしゃい。帰ってきたら、火星がどんなだったか聞かせてちょうだいな」
「もちろんそのつもりだ。無事を祈っていてくれ」
妻としばしの別れを惜しみながら、エヌ氏は装置室に入っていった。巨大な装置の中で横たわり、目をつぶる。そして、ついに装置の扉が閉じられた。訓練で何度も行った、転送装置の起動過程。振動する装置の中で、エヌ氏は深く感慨に浸っていた。やっと、すべてが報われる。今、実験が始まるのだ。
しばらくして、エヌ氏は異変を感じとった。訓練のときには聞いたことがなかった、耳慣れない轟音。その音はしだいに大きくなり、それにつれて全身が鈍く痛みはじめた。不調を訴えようと装置の壁を叩こうとしたとき、ふいに装置の音がとまった。装置の扉が開き、研究員の男があわてた様子で駆け寄ってきた。
「これはどういうことだ。からだのふしぶしが痛い。そして、なぜわたしはまだ地球にいるのだ」
「申し訳ありません。今回の実験は失敗です。あなたは火星に行くことができませんでした」
「なんだと。それはほんとうなのか。この実験が失敗したという話など、聞いたことがないが」
エイチ社は過去に行われた転送実験の結果をすべて公表しているが、そのすべてが成功に終わっていたはずだ。今はまだ実験という名目をとっているが、装置に乗った時点ですでに火星への到着はほとんど保証されているといってよい。実験希望者が多いのもそのためだった。それにもかかわらず、今回のエヌ氏の実験は失敗の運びとなった。
「残念ですが、そのようなのです。計器類の数値はすべて異常値。なにより、まだこちらにあなたがいらっしゃいます」
「そうか……」
転送に失敗した場合、被験者は再度の実験を受けることができない。身体の安全を確保するために、一度家に帰される。いちおう謝礼金は支払われるが、火星労働に従事できた者の報酬に比べれば雀の涙だ。そして再び被験者となるには、また高倍率の募集に応募しなければならない。その当選の望みが薄いのは、エヌ氏にはよくわかっている。訓練中の座学で実験失敗の話を聞き、不安な気持ちになったことを思い出した。
エヌ氏はひじょうに落胆した。なんという不運だろう。訓練開始から今日までの間、エヌ氏は会社を休業させている。その不利益は額にすればかなりのものだったし、見送ってくれた従業員たちにも申し訳が立たない。おまけに、妻にはみやげ話もないのだ。
ずいぶんと気落ちしたが、からだが無事なだけましかと思い、潔く帰ることに決めた。訓練時に読んだ教科書には、たしかこのあとの手続きについても書かれていたはずだ。
ところが、装置室の扉はあいかわらず閉じたままになっている。装置を動かしていた研究員の男は、エヌ氏を案内するそぶりも見せない。エヌ氏が不審がっていると、男は戸棚から注射器を取り出し、なれた手つきで薬液を入れはじめた。
「なにをする気だ。実験は失敗したのだろう。わたしを家に帰してくれ」
「残念ですが、それはできません。あなたには、ここで消えていただく必要があるのです」
突然の返答に、エヌ氏はぎょっとした。研究員たちもよほど気落ちしているのだろう。捨て鉢になって出た軽口なのだろうが、不謹慎にもほどがある。
「ばかなことを言うな。なぜ実験が失敗すると、わたしが死ななければならないのだ」
「ここでの規則がそのようになっているからです。その理由は、これからご説明しますよ。あなたは当社の転送装置の仕組みについて、ごぞんじですか」
「知らない。そればかりは最高機密だと、訓練中もいっさい教えてもらえなかった」
「やはりそうでしたか。それでは、こちらで説明することにしましょう。この転送装置は、じつは物質の分解装置なのです」
「なにを分解するというのだ」
「転送する対象の物質ですよ」
「なんだって」
エヌ氏は肝をつぶした。そのような危険な仕組みになっているとは、およそ信じられない。しかし一方で、その言葉が嘘ではないという気もした。訓練中、装置の仕組みをたずねても、教官たちはかたくなに教えてくれなかった。現地でも装置を使うのならば、間違いなく知っておいたほうがよいはずなのに。中の物質を危険にさらす仕組みになっていたのなら、隠す必要も納得できる。
「転送といえば、聞こえはいいのですがね。実際にやっていることは、物質の分解と、それを火星のほうで再現することなのです。装置に入れた物質の成分を分析し、その情報をあちらに送る。それがすみしだい、こちらの物質を分解します。この装置は、物質の再現装置でもあります。送られてきた情報をもとに、あちらの装置でその物質を同じように作り上げる。それが転送装置の仕組みなのです。もっとも今回は、分解のほうは失敗してしまったのですが……」
「なんということだ。それでは、こちらから送られる人間はばらばらになって死んでしまうではないか」
「それは問題ではありませんよ。生きているその人は、また火星に現れるのですから。火星からこちらに転送するときも同じです。火星に来たその人のからだを分析し、その情報を地球の装置に送る。そのあと、またこちらで再現します」
「しかし、そうしてむこうやこちらで再現されたわたしは、もうわたしではないはずだ。こちらのほんとうのわたしは、すでに分解されてなくなっている」
「どちらがほんとうのあなたなのか、という話でしたら、それを決めるのはあなたではありませんよ。ここにいるあなたと、火星で完全に再現されたあなた。あなた以外の人にとっては、どちらも変わらないでしょう。先ほど通信がありましたが、あちらでの再現処理には成功したようですよ」
男が手元のボタンを押すと、壁にあるテレビの電源が入った。火星の実験基地の様子が中継されており、そこにはカメラに向かってにこやかに手を振るエヌ氏の姿があった。
「これが転送のからくりだったのか。分解に失敗した者はここで殺され、からだの情報をもとに新しく作られて家に帰ってゆく。成功しても、どのみち本来のわたしはばらばらにされる……」
エヌ氏はあわてて逃げようとしたが、からだが思うように動かない。先ほどの装置の不具合の影響か、全身が鈍く痛み続けている。もんどりうってその場に倒れると、男が注射器を持って近づいてきた。
「転送時の不具合による、分解過程の失敗。それ自体はしかたありません。問題となるのは、そのあとのことなのですよ。地球での分解に失敗しても、火星での再現には成功してしまう場合がある。そうすると、こちらにあなたがいながら、あちらにもうひとりのあなたが生まれてしまいます。しかし、それではなにかと都合が悪いでしょう。こちら側のあなたは、事情を知ってしまった。もし告発でもされたら、当社の聞こえも悪くなる。実験希望者が減ったらことだ」
「やめろ、やめてくれ」
「こちら側に必要なのは、実験が成功したという事実しか知らないあなたなのですよ。分解処理に成功していたら、このような手間もなかったのですがね。あちら側のあなたが帰還するとき、また分解が失敗したさいには、あちら側で同じ処置が必要になります。こちら側で再びあなたの再現に成功すれば、親族のかたに事情を知られることもありません。こちら側で再現されるのは、すでに火星に行き、そこでのできごとを記憶したあなたなのですから。あなたの失敗を礎として、研究もまた一歩進みます。これは、必要な犠牲なのですよ……」
鏡台の装置から流れた音声を聞き、エヌ氏は飛びあがった。
火星テレポーテーションの実験は、いまや全世界的な注目を浴びている。前世紀の中頃に始められた、火星拠点基地の建設。その建設作業が終わり、さらに数年あまりが経過していた。現地ではクルーによる開拓作業が続いていたが、人数が少ないせいか、あまり成果はあがっていない。人々の関心は、すでに地球から火星への移動手段のほうに移りはじめていた。火星に行けるようになったはいいが、物理的な星間飛行だと、どうしても移動のために長い時間がかかってしまう。
この問題の解決の糸口となるのが、エイチ社の提供する世界初のテレポーテーション技術だった。エイチ社の転送装置を用いれば、地球上の物質を一瞬で火星に送り届けることができる。しかし、この装置の運用にあたって、火星に生身の人間を転送しても問題がないか繰り返し検証をする必要があった。この検証のために、エイチ社は世界中から民間の実験希望者を募っている。この募集に当選すれば、転送装置に乗って火星に行くことができる。この実験によってすでに何人かの民間の当選者が火星にたどり着き、現地クルーとして開拓作業に従事していた。そのうちの何人かは任期を終えて地球に帰還し、エイチ社からのまとまった報酬と、その勇敢さを讃えられての名声を得ている。
エヌ氏は音声メッセージに添付されている招待状を受け取り、顔をほころばせた。
「なんという幸運だろう。ほんとうに夢のようだ」
実験クルーは知力・体力ともにすぐれていると判断された者の中から、さらに抽選で選ばれる。最初の書類選考では能力の程度が調べられ、訓練への適性が審査される。選考を通過して当選すると、エイチ社の訓練施設に招集されることになる。ここで一定の期間、必要な訓練を行い、しかるべき学科の課程を受ける。これを修了しないと、転送装置に乗り込むことができない。
エヌ氏は壮年の実業家で、業界ではそれなりに名が通っている人物だった。心身ともに充実しているし、稼ぎのほうも悪くない。実験クルーの参加希望者は世界中に山ほどおり、今日この日まではエヌ氏もそのうちのひとりにすぎなかった。エヌ氏は今回の抽選で、このテレポーテーション実験のクルーに選ばれることができたのだ。
エヌ氏はさっそく、身辺の整理にとりかかった。近隣の者たちにあいさつをすませ、部下たちに長期の休暇を与えた。みなエヌ氏の当選を喜び、無事を祈ってくれた。身支度を終え、エイチ社に連絡すると、ものの数分で送迎車が来た。エヌ氏は妻にさよならを言い、エイチ社本社のオフィスへと向かった。これから、長い訓練生活が始まるのだ。
エイチ社での訓練はそれなりに大変なものだった。現地での作業に必要な知識を頭に叩き込み、地球外の環境で活動できる程度の体力をつける。火星に滞在するのは、およそ三ヶ月程度。生半可な体力では、労働に耐えることができない。実際に装置の中に入り、転送の過程を再現する模擬訓練も何度となく行った。壮年のエヌ氏にはこたえる内容だったが、持ち前の粘り強さでなんとかこなした。これに耐え、火星での労働を終えれば、さらに快適な暮らしが望めるようになるのだ。
そして、ついに実験の日が来た。実験日は事前に公表され、転送の様子は全世界的に中継される。エイチ社本社のビルの下には多くの人が集まり、実験の一部始終を見守ろうとしていた。その中には、エヌ氏の会社の従業員たちの姿もある。エヌ氏は喝采に包まれながら、装置室の前で妻と抱きあった。
「あなた、いってらっしゃい。帰ってきたら、火星がどんなだったか聞かせてちょうだいな」
「もちろんそのつもりだ。無事を祈っていてくれ」
妻としばしの別れを惜しみながら、エヌ氏は装置室に入っていった。巨大な装置の中で横たわり、目をつぶる。そして、ついに装置の扉が閉じられた。訓練で何度も行った、転送装置の起動過程。振動する装置の中で、エヌ氏は深く感慨に浸っていた。やっと、すべてが報われる。今、実験が始まるのだ。
しばらくして、エヌ氏は異変を感じとった。訓練のときには聞いたことがなかった、耳慣れない轟音。その音はしだいに大きくなり、それにつれて全身が鈍く痛みはじめた。不調を訴えようと装置の壁を叩こうとしたとき、ふいに装置の音がとまった。装置の扉が開き、研究員の男があわてた様子で駆け寄ってきた。
「これはどういうことだ。からだのふしぶしが痛い。そして、なぜわたしはまだ地球にいるのだ」
「申し訳ありません。今回の実験は失敗です。あなたは火星に行くことができませんでした」
「なんだと。それはほんとうなのか。この実験が失敗したという話など、聞いたことがないが」
エイチ社は過去に行われた転送実験の結果をすべて公表しているが、そのすべてが成功に終わっていたはずだ。今はまだ実験という名目をとっているが、装置に乗った時点ですでに火星への到着はほとんど保証されているといってよい。実験希望者が多いのもそのためだった。それにもかかわらず、今回のエヌ氏の実験は失敗の運びとなった。
「残念ですが、そのようなのです。計器類の数値はすべて異常値。なにより、まだこちらにあなたがいらっしゃいます」
「そうか……」
転送に失敗した場合、被験者は再度の実験を受けることができない。身体の安全を確保するために、一度家に帰される。いちおう謝礼金は支払われるが、火星労働に従事できた者の報酬に比べれば雀の涙だ。そして再び被験者となるには、また高倍率の募集に応募しなければならない。その当選の望みが薄いのは、エヌ氏にはよくわかっている。訓練中の座学で実験失敗の話を聞き、不安な気持ちになったことを思い出した。
エヌ氏はひじょうに落胆した。なんという不運だろう。訓練開始から今日までの間、エヌ氏は会社を休業させている。その不利益は額にすればかなりのものだったし、見送ってくれた従業員たちにも申し訳が立たない。おまけに、妻にはみやげ話もないのだ。
ずいぶんと気落ちしたが、からだが無事なだけましかと思い、潔く帰ることに決めた。訓練時に読んだ教科書には、たしかこのあとの手続きについても書かれていたはずだ。
ところが、装置室の扉はあいかわらず閉じたままになっている。装置を動かしていた研究員の男は、エヌ氏を案内するそぶりも見せない。エヌ氏が不審がっていると、男は戸棚から注射器を取り出し、なれた手つきで薬液を入れはじめた。
「なにをする気だ。実験は失敗したのだろう。わたしを家に帰してくれ」
「残念ですが、それはできません。あなたには、ここで消えていただく必要があるのです」
突然の返答に、エヌ氏はぎょっとした。研究員たちもよほど気落ちしているのだろう。捨て鉢になって出た軽口なのだろうが、不謹慎にもほどがある。
「ばかなことを言うな。なぜ実験が失敗すると、わたしが死ななければならないのだ」
「ここでの規則がそのようになっているからです。その理由は、これからご説明しますよ。あなたは当社の転送装置の仕組みについて、ごぞんじですか」
「知らない。そればかりは最高機密だと、訓練中もいっさい教えてもらえなかった」
「やはりそうでしたか。それでは、こちらで説明することにしましょう。この転送装置は、じつは物質の分解装置なのです」
「なにを分解するというのだ」
「転送する対象の物質ですよ」
「なんだって」
エヌ氏は肝をつぶした。そのような危険な仕組みになっているとは、およそ信じられない。しかし一方で、その言葉が嘘ではないという気もした。訓練中、装置の仕組みをたずねても、教官たちはかたくなに教えてくれなかった。現地でも装置を使うのならば、間違いなく知っておいたほうがよいはずなのに。中の物質を危険にさらす仕組みになっていたのなら、隠す必要も納得できる。
「転送といえば、聞こえはいいのですがね。実際にやっていることは、物質の分解と、それを火星のほうで再現することなのです。装置に入れた物質の成分を分析し、その情報をあちらに送る。それがすみしだい、こちらの物質を分解します。この装置は、物質の再現装置でもあります。送られてきた情報をもとに、あちらの装置でその物質を同じように作り上げる。それが転送装置の仕組みなのです。もっとも今回は、分解のほうは失敗してしまったのですが……」
「なんということだ。それでは、こちらから送られる人間はばらばらになって死んでしまうではないか」
「それは問題ではありませんよ。生きているその人は、また火星に現れるのですから。火星からこちらに転送するときも同じです。火星に来たその人のからだを分析し、その情報を地球の装置に送る。そのあと、またこちらで再現します」
「しかし、そうしてむこうやこちらで再現されたわたしは、もうわたしではないはずだ。こちらのほんとうのわたしは、すでに分解されてなくなっている」
「どちらがほんとうのあなたなのか、という話でしたら、それを決めるのはあなたではありませんよ。ここにいるあなたと、火星で完全に再現されたあなた。あなた以外の人にとっては、どちらも変わらないでしょう。先ほど通信がありましたが、あちらでの再現処理には成功したようですよ」
男が手元のボタンを押すと、壁にあるテレビの電源が入った。火星の実験基地の様子が中継されており、そこにはカメラに向かってにこやかに手を振るエヌ氏の姿があった。
「これが転送のからくりだったのか。分解に失敗した者はここで殺され、からだの情報をもとに新しく作られて家に帰ってゆく。成功しても、どのみち本来のわたしはばらばらにされる……」
エヌ氏はあわてて逃げようとしたが、からだが思うように動かない。先ほどの装置の不具合の影響か、全身が鈍く痛み続けている。もんどりうってその場に倒れると、男が注射器を持って近づいてきた。
「転送時の不具合による、分解過程の失敗。それ自体はしかたありません。問題となるのは、そのあとのことなのですよ。地球での分解に失敗しても、火星での再現には成功してしまう場合がある。そうすると、こちらにあなたがいながら、あちらにもうひとりのあなたが生まれてしまいます。しかし、それではなにかと都合が悪いでしょう。こちら側のあなたは、事情を知ってしまった。もし告発でもされたら、当社の聞こえも悪くなる。実験希望者が減ったらことだ」
「やめろ、やめてくれ」
「こちら側に必要なのは、実験が成功したという事実しか知らないあなたなのですよ。分解処理に成功していたら、このような手間もなかったのですがね。あちら側のあなたが帰還するとき、また分解が失敗したさいには、あちら側で同じ処置が必要になります。こちら側で再びあなたの再現に成功すれば、親族のかたに事情を知られることもありません。こちら側で再現されるのは、すでに火星に行き、そこでのできごとを記憶したあなたなのですから。あなたの失敗を礎として、研究もまた一歩進みます。これは、必要な犠牲なのですよ……」
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