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あの日の記憶(4)*聖吏(ショーリ)*

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 スタービグダムの王と王妃に別れを告げ、すぐに王宮を後にしたが、途中で馬具に不具合が見つかった。急いでいる時の思わぬ足止めに、焦りが募る。しかし、このまま走り続けることは叶わない。しかたなく馬から降りて歩きはじめた。

 慌てている時ほど、落ち着いて物事をじっくり進めろ、と父が俺が子供の頃に、よく言っていたのを思い出す。きっと馬具が壊れたのは、俺の心が乱れていたせいだ。そして、心の乱れは判断力を弱ませる。もし街を出てしまってから不具合を見つけたら、それこそ修理のしようがない。そう考えると、このタイミングで見つかったのを感謝しないと。

 馬も少し疲れているように見えた。俺が手荒に乗ったせいだろう。手綱を引き、街へと向かう。騎士団が懇意にしている鍛冶屋へ行けば、すぐに修理をしてくれるはずだ。

 街の中心は、明日の婚儀を祝うかのように、とても賑やかだった。それに建物や、市場の出店には装飾が施され、華やかな雰囲気で溢れている。国をあげて、ユーリと皇帝の婚儀を祝福している様子を、二人にも見せてやりたいと思った。

 鍛冶屋へ到着すると、偶然にも懐かしい顔ぶれに出会った。騎士団の仲間たちだ。約半年ぶりの再会に皆が喜び歓迎してくれる。挨拶もそこそこに、すぐにユーリや皇帝陛下、そして帝国での暮らしと、次々に質問を浴びせられた。

 それにしても驚いたというか、面白いと思ったのは、皇帝コーガについての印象だ。情報が少ないとはいえ、仲間内でこんなにもバラけるとは思ってもみなかった。

 ある者は、帝国が急速に世界の3分の2を支配下においたことから、皇帝は残虐非道な人間に決まっていると言った。またある者は、美男子という噂から、正室のユーリ以外にもたくさんの愛人がいたりするのではといった具合だ。俺はどれにも首を横に振って否定した。

 たしかに皇帝コーガは、世界最大の帝国を治める皇帝として名を馳せている。しかし本人は至って、そのことを奢ったりしない。それに世界を支配したいという欲求ではなく、結果として、いまの状況になったからだ。

 そしてコーガは美丈夫で、男女問わず誘惑が多いと、侍従たちが話しているのを聞いたことがある。ただ俺が知る限り、コーガは、ユーリ一筋だ。ユーリ以外の人間と親密になっているところを見たことはないし、そんな素振りを見せる人には全く興味を示さない。コーガがユーリ以外の人を相手にしているという話は、ユーリからも聞いたことはない。

 俺が皇帝のことをそんなふうに語っていると、仲間たちは驚いた顔をして聞いていた。そして、ユーリと共に、皇帝がこの国へ来訪してくれる日が待ち遠しいと言った。

 仲間たちからは、騎士団長のことはもちろん、他の団員や最近の出来事などを教えてもらった。大きな争いもなく平和が続いているようで安心した。

 昔馴染みの友人らとの会話のお陰で暇を持て余すことなく、ひと時だが、楽しい時間を過ごせた。馬具の修理が無事に終わると、急いで支度をはじめた。彼らは俺が帰国したばかりにも関わらず、もう帝国へ戻るのかと、目をパチクリさせながら聞いてきた。そこで簡単に事の成り行きを説明すると、仲間の一人が驚いた調子で反論してきた。

「帝国の北部で暴動だって?! そんな馬鹿な!」
「なにか思い当たることでもあるのか?」
「いや、ただ……今日の昼前、港へ行ったんだ。すると珍しい船が停泊していたから船乗りたちに話を聞いた。すると彼らはトレジャーセト帝国の北部の港から今朝早くに出航してきたと言い、この国も北部と同じでお祭りムードだなと言っていた。暴動については何も言ってなかったぞ」
「……どういう事だ?」
「よくわからんが、……もし暴動が起こったのなら、船乗りたちだって何か言うだろ。だから何かの間違い、じゃないのか?」

 そんなはずはない。

 伝令はたしかに皇帝陛下直々のものだ。伝令で来た者も、俺の知ってる顔だった。それに何より、書簡の署名は陛下のもの。いつも見ているから、間違えようがない。

 でも仲間の団員や船乗りたちが嘘を言っているようにも思えない。それか、本当に知らないか、もしくは暴動がないかのどちらかなのか?

 なんだこの嫌な感じは?

 胸の奥がざわざわと音を立てて騒ぎ立てている。

「……ショーリ? ショーリ! お前、顔が真っ青だぞ! 大丈夫か?」
「えっ? 大丈夫だ……それより、その船はまだ港に停まってるか?」
「さぁ、どうだろうな……そこまで聞かなかっ 」
「なら、港へ行ってみるまでだ!」
「おい、ショーリ、待てよ! おいみんな、俺たちも一緒に行こう!」

 港へ行くと、仲間が言ったとおり、珍しい船が停泊していた。船の造りは、見るからに頑丈で、多くの積荷を載せることができる商船のようだ。この界隈で見る船の2倍は大きい。

 急いで、その船に乗っていた乗組員を探した。運よく、1軒目の宿で船長を見つけることができた。そしてすぐに暴動について聞いてみた。

「暴動? なんのことです?」

 船長はパイプを吹かしながらビールを片手に、目を細めて俺の顔をまじまじと眺めた。

「婚儀の祝賀ムードで溢れていていましたよ。ここと同じように」

 旅をするものたちは、それなりに独特の情報ルートを持っている。船長ともなれば、世の中には出てこない噂話も知ってるだろう。

「本当なんだな? 本当に暴動はなかったんだな? それとも暴動の噂、があったとか、そういう噂を聞いたことはないか? なんでもいい、教えてくれ」
「……」

 船長は意味深にパイプを何度か吸って、煙を吐き出した。

「噂ねぇ……まぁ、暴動の噂はありませんが、別のならありますよ。ただ本当かどうかは、わかりませんがね」
「どんな噂だ?」
「伯爵……、北部を統治している伯爵が何やら企んでいるんじゃないかって……まぁ、私は信じていませんけどね」
「企むって、何を?!」
「なんでも最近、伯爵が兵を強化してるっていう噂です。そんな必要があるのか分かりませんがね。なぜならユーリ殿下が北部統一をされてから、あそこは本当に静かで平和な地域になりました。それなのに、兵を強化するなんて民の反感を買うだけ。ただ、伯爵は、殿下の行動が面白くないんじゃないか、って言う輩もいます。他にも皇帝と殿下の婚儀に反対なんじゃないかって……もちろん、ただの噂ですけど」

 北部を統括しているのは、ヴェルレー伯爵。数回しか会った事はないが、物腰の柔らかな人物だという印象だった。ただ彼の視線はいつも皇帝かユーリを捉えていて、時折だが、瞳の奥に冷ややかなモノを感じたことがある。いま思えば、その視線は、まるで刃物のように冷たかった。しかしそれだけで、伯爵が帝国、つまりは皇帝を裏切ったと判断するのは早急過ぎる。

 どうする? 俺はどうすればいい?

「すぐに船を出せるか?」
「はぁ? 何を言ってるんですか。正気ですか?」
「ああ、正気だ。もしかしたら大変なことになるかもしれない」
「大変なこと?」

 これは国家機密にも相当する情報だ。不確かな状況で口にして良いものだろうか。

 ただ状況を整理すればするほど、最悪のことが頭に浮かぶ。これは一種の賭けだ。ユーリを救うための賭け。

 小さく吐息をもらし、言葉を続けた。

「……ユーリ皇配殿下が北部で起きていると言われる暴動を収拾するために向かっている。ただこの暴動が偽りで、別の計略が隠されていたら、最悪……大変なことが起こりかねない。頼む、力を貸して欲しい!」

 船長は咥えていたパイプを落としそうになった。細い目を少し大きく見開き、そして呟いた。

「……あんたは一体…どなたです?」
「ショーリ。ショーリ・イークウェス。この国の騎士であり、ユーリ殿下の……許婚でもある」
「ほぉ……噂は本当だったんですね。ユーリ殿下には、皇帝陛下の他に、もう一人許婚がいるという。そして陛下が認めたというのは、貴方様でしたか……。承知しました、ショーリ殿。協力しましょう。北部を平和に導いたユーリ殿下の為にも」

 こうして俺は北部からやってきた商船へ乗り込んだ。騎士団の仲間も数名乗り込み、馬も余分に数頭乗せると、船はゆっくりと出港した。

 船なら馬よりも時間が短縮できる。これなら夕刻には北部へ到着できそうだ。

 白波を立てる海を眺めながら、さっき頭に浮かんだ最悪の事態について、思い返していた。偽の暴動と兵を強化する伯爵の企み。そして誘き寄せたかった相手とその目的。

 そこから導き出した答えはーー。

 ーー皇帝暗殺だった。

 でも実際に北部へ向かったのは、ユーリだ。

 伯爵の思惑はハズレたのだから、ユーリが殺される訳はない、と俺は心のどこかでそう思っていた。
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