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もう一人の許婚

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 家の玄関を開けると同時に、母さんが慌てた様子で廊下へやって来た。

「優里、大変!」

 母さんの『大変』は日常茶飯事。だから呑気に返事をかえしたのに、なぜか怒られた。

「早く上がって、手洗って、客間に来てちょうだい!」

 玄関土間には、見たこともない黒の革靴が揃えてあった。

「お客さん?」
「いいから早く上がって、手洗ってきなさい!」

 母さんは、質問には答えず、ただ催促してきた。なんか嫌な予感しかしない。

 客間へ入ると、父さんと母さん、向かい側に客人がひとり座っていた。母さんが優里に場所を譲り、父さんと並んで座した。

 黒いスーツを着ている客人は、五十代前後だろうか。髪に少し白いものが混じっている。

 最初に口を開いたのは父さんだった。簡単に互いを紹介した。客人は『西辻ニシツジ』と言い、今朝電話で、とても大事な話があるから、ということで家に来たそうだ。

「優里さん、私の主人あるじである皇琥コウガさまより伝言を賜っております」
「伝言……皇琥……?」
「はい。その昔、皇琥様と優里さんの祖先が決められたことですが、優里さんは皇琥様の許婚、ということをお伝えにあがりました」
「あぁ、許婚……いいなずけ!!」
「はい、こちらがその証拠の古文書です」

 西辻がテーブルの上に出したのは、古文書だった。墨の字で【星見神社記録 其の三】と書かれていた。

「あ、この古文書!」

 大掃除で発見した古文書は【其の五】だった。其の五ということは、他にもあるだろうと探したが見つからなかった。

 新たに見つかった星見神社の歴史、古文書がいまテーブルの上に置かれている。しかも、その文書の中に許婚のことが書かれてあると、目の前の客人が言ったのだ。

 優里が唾をごくりと飲み込んだ。西辻が古文書を丁寧にめくってゆく。該当のページを開き、西辻が『許婚』の箇所を指で示した。

『宝条と星見の間に、あひの契りを交はす。いまより四十八世目の宝条当主と同ころに生まれし星見家のわらはを許婚とす。この契りを破らば、星見神社は取りつぶしとす』

「ここに書かれております、四十八世目、つまり四十八代目の宝条家の当主、それが皇琥様となります。そして今朝お電話にてこちらに確認をしたところーー」

 西辻が話を続けていたが、優里には聞こえていなかった。それよりも、誰が相手かより、優里が気になったのは最後の一文だ。この約束が叶わないとき、星見神社が取りつぶしにあう、ということに愕然となった。実家の蔵で見つけた許婚の約束破棄の条件より明確だ。

(でも誰が取りつぶすっていうんだよ……。やっぱ、ただの脅しなんだろうか? もしそうならーー)

「ーーお断りします」

 優里がその場で、畳に両手をついて土下座した。一瞬、沈黙が漂った。

「顔をあげてください、優里さん。たしかにこの現代において、許婚というのは古めかしい。それにもし何か理由でもあるのでしたら、お聞かせ願えませんか?」

 なんて話のわかる人だ、と優里は感動すら覚えた。聖吏の時は、両方の家族から無理強いされたと言っても過言じゃない。

 それに許婚という約束を決めたのは、優里の全く知らないご先祖。従う義理も理由もない。それに結婚はーー。

「俺、決められた結婚じゃなく、好きになった人と結婚したいんです!」

 とうとう言ってやった。好きな人なんて今はいないが、決められた許婚と結婚するよりは全然マシだ!

「そうですか……では残念ですが、この神社をお取りつぶしとさせて頂きます」

 そう告げた西辻が深々と頭をさげてから静かに立ち上がった。

(えっ! なんでそうなるの? 脅しじゃなくって、本当に?)

 隣に座っている父さんや母さんの顔面蒼白な表情を見て、優里の心臓がバクバクしてきた。

「あ、あの、待ってください。西辻さん!」
「なんでしょうか、優里さん」
「あ、会わせてください! その皇琥……っていう……その…許婚に!」
「会われてどうされるのですか?」
「あ、いや…それは……会ってみないことには、なんとも……だから神社を取り潰すのは待ってください!」

(おい、おい、おい、俺! 一体何言ってんだ!)

「分かりました。皇琥様と相談して、ご連絡いたします。それでよろしいでしょうか」
「あ…はい」

 一体なんなんだよ。先祖が決めたことを、どうしてそこまでして守らなきゃならないんだ。ただ、両親の顔面蒼白な顔を見て、これはマジかと直感した。それにしても取り潰すなんて、誰に権限があるっていうんだ。

 西辻を玄関先で見送った後、優里はその場で項垂れた。
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