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一章

一章ノ参『襲撃の日』2

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 森へと帰り着くと、里の周囲は火がくべられ、人狼は森の北側に逃げているようだった。

 里の中には既に誰もいない、人影も見当たらないとなると、諦めて陣へ戻ったのだろう。

「リナたちは逃げられたのか……」

 俺は母とムロのもとへと向かう中、不意に妙に血のニオイが鼻を覆う感覚に足を止めた。

 そこは家と里の間で、母さんがそんなところにいるはずがないのに、血のニオイに混じって母のニオイは間違いなくその近くでする。

 母のニオイを辿り、俺はそれを見つけて人の姿へ戻ると、そこには真っ赤に染まった母が人の姿で横たわっていた。

「ど、どうして!母さん!」

 俺は気が動転して両膝をついて母に触れる。

 母が赤い理由は腹から大量の血を流していたからで、その傷は獣に噛まれたからだというのは間違いなかった。

 巫子で俺の弟か妹になるはずだった存在がいた腹から、おびただしい量の赤い血が流れて、母は死んでしまったということを理解させられる。

「そんな……こんなことが……ムロは!あいつは大丈夫なのか!」

 母を守るためにムロは傍に付いていたはずだ、母がこうなった以上、ムロも危険かもしれない。俺は不安にかられて、母の遺体を近くの木の下へ隠し血の跡をを辿った。

「とにかくこの血を追いかけるしかない!」

 その場からは血のニオイが強すぎて、母の微かなニオイ以外は掻き消えているようだった。

 人間が来る上に母が死んだ、俺は、父の死と母の死の所為で混乱して思考できたのは、せめてムロの無事を確認することだけだった。

 俺は血を追いかけると、徐々に嫌な予感がして足が重くなる感覚に陥る。

 血は家へ向かっていて、一度家へ入るとそこから祠の方へと向かっていた。

 いつも母と父とムロと、何度も何度も通ったこの道が、まるで血のニオイでできた道の様に変わってしまっている。母のニオイと父のニオイとムロのニオイ以外には、血のニオイ以外しないのもきっと気のせいだ、そう言い聞かせながら俺は祠のある切り株へと入る。

 祠へと向かう血の跡、背中のソワソワする感覚が無くならない。

 俺は恐る恐る祠の扉を開いた。

「お、お前、ムロ?無事だったのか!」
「……やぁロウ」

 その時、ムロの眼は既に黒く濁っていた。

「見てよ、巫子をさ……殺したんだ。それでボクが食べたんだけど、ボクはこれで不老不死になれるかな?メイロウの加護が得られるのかな?リナ凄いって言ってくれるかな?ロウじゃなくボクを見てくれるかな?ボクを好きになってくれるかな……ねぇロウ、ロウはどう思う?」 

 壊れていた、いや、ムロを壊したのは俺だった。

 長い間、気付いていて気にしない振りをしていた。リナを好きなムロ、俺はそうと分かっていてリナを遠ざけもせず、かと言って彼女の想いに答えなかった。そんな俺の存在がムロには邪魔だったんだ。

「ねぇ、ロウこれ見てよ、ボクの右手変なんだ」
「……それは魔の物の――」

 ムロの右手は黒い影のような、得体の知れない物に覆われ、ウネウネとしてまるで魔の物のそれだった。

 母の腹を裂き、巫子を喰らったのがムロだと分かった俺は、ただただ混乱の中で考えた。

「どうして、どうしてお前が母さんを――」
「ねぇ、これは不老不死の証なのかな?ロウ」
「巫子を食べて不老不死になれるなんて……どうしてそんな考えを持つ?」

 ムロは右手を見ながら、二ヘラと笑みを浮かべると口元の血がタラリと地面に落ちる。

「この右手が言うんだ〝食べたい〟って〝不老不死〟って〝キリン〟って」

 理解できない、理解しようがない、どうしてムロが母さんを殺して巫子を喰うんだ?その右手の影は一体なんだ?なぁムロ答えてくれ。

「ねぇ父さんはどうしたの?ボクも役目をできるよ……きっと今ならロウなんかよりもずっと強いから!」

 兄弟喧嘩は今まで一度もしたことがない、牙を交えることももちろん。なのに、俺はムロとこれから殺し合う。

「何故だ――ムロ……」

 獣の姿のムロは見たこともない速さで俺を蹴ると、俺の体は吹き飛んで祠から飛び出て転がる。爪が皮膚を引き裂き、牙が肉に食い込む。

 昨日まで死んでも守ると誓った家族が死に、弟に肉を引き裂かれている。

 死んでしまうのもいいかもしれない、そう考える俺は、不意に目の前に光る何かを見る。

 白く光る獣の姿だ、その瞬間、俺は反射的にムロに組み付いた。

 ムロは確かに強くなっている、だが、一度組み付いてしまえば、人の姿の俺は人狼の強靭な肉体と長い腕によって、その獣の姿の首を締め上げることは容易だった。

 バタバタと苦しむムロの首を。

「おぉぉ!」

 今まで何度も撫でて抱いた腕で。

「ろぉぉお!」

 絞殺さなくてはならないなんて。

「おぁああああああ!」

 これは何だ?俺は何なんだ?

 泡を吹き、グッタリとしたムロを抱いたまま、俺は涙を、止めることのできない涙を、失った命の重さだけ流し続けた。

「どうしてだ!どうして!どうしてこうなるんだ!」

 どうして、父も、母も、ムロも、皆、あんなに。

「人間が!人間が!人間が!」

 俺は人間の所為だと言いつつ、魔の物の所為でもあると考えていて、俺自身の所為だとも考えていた。

『人間を恨むな、眷属よ、メイロウの名において、加護の元死ぬこと叶わず、使命において新たな巫子を人間に孕ませよ』

 何を言っているのか分からなかった。

 メイロウの言葉は俺に向けられていたのだろうが、その時の俺は全てを失い絶望していて、もう生きる気力も無くなってしまっていた。
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