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平穏期

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 マナフィのもとで過ごし始めてふた月。

 アヌスは、メリスの食事から睡眠にいたるすべてに付き添って過ごしていた。

 目が見えないと割と不便で、メリスは随分苦労しているようだった。

「アヌス」
「なに?」

「今日は何をするの?」
「そうだね……散歩はしたし、イチャイチャはしているし、メリスの昔話はもう聞いたし、そうだ、マナフィ」

 マナフィの家は魔王軍の占領地の中ほどにあり、魔法と魔術によって隠れ家となっている、と彼らは思っていた。

 動ける範囲は狭いが、太陽を遮ること無く、魔王軍の目から隠れ続けているだけでアヌスは感心していた。

 そんなマナフィがここで何をしていて何者なのかは、今まで話題にも上げなかった。

「マナフィ、キミはどうしてここにいるんだ?」

 日のあたる場所で、椅子を揺らすマナフィは不敵な笑みを浮かべた。

「私はここで運命を待っていたんだよ、ちなみに、運命は人であり出会いでもある。ここで言う運命とは、レフィとアヌス、キミの事だ」
「……俺……とレフィを?」

「レフィは私の将来の嫁だよ、今はこんな小さい女の子だけど、いずれ私を尻に敷く女になる娘だ。……なんだいその目は、私はロリコンではないよ」

 アヌスのその視線は、マナフィの言葉を聞いても一切変化することはなかった。

「私は未来を見る能力を有する魔法使いであり、レフィを助けることと、アヌスたちを助けることを目的にここに居を構えていたのだよ」
「……百歩譲ってそれを信じるとして、どうして俺なんだ?あそこには勇者だって賢者だっていただろ?」

「カテゴリーたちはどうでもいいんだ。私が求めているのはアヌス、キミであるのだからね」
「……カテゴリー……」

 アヌスはメリスの胸に軽く触れると、彼女は一瞬ビクっと驚く。

「な!なに!」
「俺だよメリス」

「もうっ驚かさないでよ」
「退屈しているかと思ってね」

「してない、なんでだろう、マナフィの言葉には真実味がある」

 メリスはそう言うと胸を揉むアヌスの手を包み込む。

「感じることしかできないけど、それでもアヌスがいてくれてよかった」
「……メリス、実はその手はレフィのだったりするけど」

「嘘!」
「嘘だよ」

 アヌスがからかうと、メリスは耳を真っ赤にして彼の手を強く握った。

「潰すよ」
「痛い痛い」

 このままこの仲睦まじい夫婦の様子を話すのもつまらないし、聞かされる身を考えると話を別に移すのがいいだろう。

 そう、例えば魔王の話にするか、あるいは魔人将の話か、最も気になる新たなる勇者の話でもするか、そうだな、そうしよう。


 勇者アヌスが死亡して直ぐの事だ。

 アルフレット家、勇者や英雄を産み続ける家系、そこに第39代勇者が誕生した。

 彼の名はラキウス。英雄オシリスの弟にして、勇者アヌスの弟である。

 16歳にして勇者の称号を得た彼は、周囲に美女美少女がいて彼に恋い焦がれるハーレムの中で育ち、聖剣技もオシリスと同等に扱える。その上顔は整っていて、加えて剣の修行にも手を抜かなかった。

 そんなラキウスの傍で育った歳の近い娘たち、彼女らも彼の傍にいるために日々努力して戦いの準備を整えていた。

 ラキウスにとって妹のような存在のファフィーは女剣士で、聖剣技を女ながらに覚えようとしていたが覚えられなかったため、英雄の家系の女流剣技を使うようになる。

 長い金髪を左右の肩の部分で結んだ青い瞳のファフィーは、ラキウスが勇者となった時にはもう彼と魔王討伐に向かうことを宣言していた。

 勇者の家系の女であるため、婚約者もいたが、それよりも自身の大好きなラキウスのために彼女は婚約を破棄した。

 そんな彼女とは違い、ラキウスのことを好きで仕方がない娘がいる。

 司祭の家系で父はラドビットと同僚の大司祭だった。

 マリーベル、彼女は金髪を首の後ろで結んだ緑の瞳を持つ美人で、歳はラキウスの一つ上であることから姉の様に接していた。

 上級司祭である彼女は、天使と呼ばれるほどに男たちに好かれているものの、ラキウスのことを好いているためにことごとくお断りしている。

 そして、魔法使いであり、魔術にも才がある赤髪の娘はレベッカと言う彼の幼馴染。

 彼女は、勇者の里で勇者の一族の子を孕むために預けられていたがラキウスに恋してしまった。そのせいで、彼女の一族と勇者の一族はもめたが、代わりに彼女の妹が勇者一族の子を孕むことが決まった。

 その赤い瞳は、燃える炎の様に日々ラキウスを見つめる。

 彼女らが勇者ラキウスのパーティーである。

 そして、彼女らは大分とアヌスとも関係してくる、良くも悪くもある意味重要な者たちだ。

「ね~ラキウスお兄ちゃん、いつまで遊んでいるんです?」
「ファフィー、僕は遊んでいるわけじゃないんだよ?振ってくる木の葉を斬って剣筋を高めているんだよ」

 大きな木の下で時々風に吹かれて落ちてくる木の葉をその剣で斬る者、その者こそラキウスであり39代勇者で最後の勇者である。

 その金髪は勇者の家系に、その瞳の金の輝きも血筋を表す。

 そして、そのラキウスの隣で座って少しドキドキしながら見ている少女がファフィーで、彼女はいつもラキウスの傍にいる。

「でもさっきから一枚も斬れていないですよ?」
「……その事実は後に努力の過程として記憶に刻まれるんだよファフィー」

 そのラキウスの表情に見とれるもう一人、草むらからいつ出るかを考えているのは赤髪の娘で、その赤い瞳もラキウス以外の男が虫のように見えていた。

「二人きりでまた……私も混ざりたい……でも近付けない、近づくと息ができない……から」

 レベッカ、彼女は極度の緊張からラキウスの前に立てない。

 いや、立つことはできるが、彼女はそうすると倒れてしまう、それも数秒で。

「ラ、ラキウス!」
「ん?レベッカ、どうしたんだい?」

「あ、え、っと、その、え……」

 ラキウスの前に立った瞬間言葉が出なくなって息ができなくなって、レベッカはそのままその場に崩れ落ちた。

「レベッカ!何でキミはいつもそうなんだ!」
「……何やっているのかしらレベッカさんは、よくあれで幼馴染やってられましたね」

 呆れ顔でそう言うファフィーは、ラキウスがレベッカを抱える様子を見て頬を膨らます。

 それは、ラキウスのその支える手が、レベッカの少し年の割には大きな胸をしっかりと掴んでいたからだ。

「ちょっとラキウスお兄ちゃん!胸触ってます!」
「あ!こ、これは事故だよ」

「だったらさっさと放してください!」
「放せるわけないよ、地面に倒れちゃうし」

 そんな三人を見つけた者は、数十メートル離れた位置から小石を拾い投げつける。

「胸から~手を~離しなさい!」

 その小石は、数十センチだけ宙を舞い地面を転がった。

「マリーベルだ、ちょっとレベッカを運ぶの手伝ってくれないかな」

 その声を聞く前から走り出したマリーベルは、その金髪を靡かせながら緑色の瞳を光らせると途中で足を止めて肩で息をし始めた。

 そう、彼女は絶望的なまでの運動音痴なのだ。

「マリーベル?大丈夫かい?」
「……い、いいから、はぁはぁ、その手を離しなさいよぉ」

 苦しむ彼女に、ラキウスは笑みを浮かべてその肩に手で触れる。

「ほら落ち着て、大丈夫、レベッカはいつものだから」

 マリーベルはその頬を赤く染め、分かればいいの、と言って深く呼吸をする。

 後にその名を刻むこの三人は、ただただラキウスに恋している乙女で、この先の苦労や苦難など知る由もない。


 そして、彼らも将来一年と半年のラキウスの訓練準備期間を経て、魔王の討伐へと向かうことになるのだが。

「ルナばぁ様、ルナばぁ様!」

 廊下を走る紺色の髪の娘は歳の頃14歳で、その長い髪は前髪の部分だけ水平に切られている。その紺色の瞳は深い偽物の闇のようで。

「どうした、ニーベルーナ」

 そんな少女をニーベルーナと呼ぶのは、ルナと呼ばれる老婆だ。

 彼女も紺色の髪と瞳で、それが遺伝であると見て分かる。

 彼女らは勇者の家系の巫女と宮司の称号を伝える家系である。この家系において女と男は同じように大切にされる。その理由が【巫女】が女にしか宿らないように、【宮司】が男にしか宿らないことがそうなる理由になった。

「天の地の位置と海の尾の位置が交点しました!」

「……やはりか、天地海尾が交点した、この度の勇者が魔王を殺すのか、それとも魔王が何かをやるのかは分からんが、世界に揺らぎが生じるようだの」

 そう言ったルナの前を全裸の女が歩いて行く。

「ルナレナ!またそんな格好で!廊下を歩くな!」

 和式調の屋敷の廊下を歩く紺色の長い髪の巨乳の女はルナレナ。

 彼女は20歳になったばかりで、婚期を迎えた美女だ。

 ルナ、ルナレナ、ニーベルーナ、この三人が現状この土地で巫女の称号を持つ。

「ルナばぁ、私の未来が見えた」
「……何を見た?」

「金髪の男が魔王を倒し、私と何人もの女性が彼の子を産む」
「子を産む?勇者は子を成せない魔王を倒すのは勇者ではないのか?」

「分からない、でも彼はラキウスではなかったのはたしか。私好みのたくましい青年だったように見えた……はぁ~良かった……私は結婚できるのね。ごめんねニーベルーナ」

「ま、また私が結婚できないって言うんですか!私だって結婚しますよ!」

 ちなみに、ニーベルーナは生涯結婚することはない。

 そんなルナレナはニーベルーナの従姉違いで、ルナにとっては姪の娘にあたる。

「で、どうして裸なのだ?」
「……夢の中でちょっと……旦那様に色々されたから……ベトベトで……」

 溜息を吐くルナは、それ以上それには触れなかった。

「風呂に入ったらラキウスのもとへ行け、お前があの者の旅に同行することはワシも見ている予知であるからな」
「……は~い」

 駆け足で風呂場へ急ぐルナレナは、ラキウスが勇者になって初めて旅について行くことをその日伝えようとしていた。

「ふんふんふん、あ~旦那様~愛してます~」

 素早く湯浴みを済ませて、長い紺色の髪を後ろで結んだ彼女は巫女の服を身に着ける。

 白の衣に赤の袴赤い帯をつけると、薄く紅で化粧をすると屋敷を出る。

 屋敷を出ると、同じような建物が続いて急に洋風の屋敷が立ち並ぶ区域に入る。

「……同じ一族なのに勇者と巫女の家系でここまで違うのはあれかしら……感性の違いかしらね」

 そう言う彼女がその洋風の町並みを歩くと、男たちは必ず彼女を見つめる。

 美女、そう映るが故に誰もが見てしまう。

「……視線が鬱陶しい……」

 ルナレナは正直勇者の一族、特に英雄や勇者の称号を受け継ぐ一族が嫌いなのだ。

 アヌスが生前恋をしていたのがルナレナで、何度も断ったのにしつこくつけまわしたのが、彼女をこうした大きな要因だった。

 運命、巫女の家系、特に巫女は自身のツガイとなる存在を産まれて直ぐから見続ける。

 最初は靄がかかったように見えていても、時間とともに徐々に見えるようになる。

 故に巫女は恋をするのだ、運命というものに。

「……いた、ったく、また沢山メスが盛っているようね」

 彼女はラキウスも苦手としている。

「ラキウス」
「!ルナレナさん!」

 二つ下のラキウスとはアヌスがきっかけで出会ったが、彼女は彼の優柔不断でいつまでも鈍感なところが嫌いなのだ。

「今日も美しいですね」
「……(あんたを好いている女の前で他の女を褒めるな)って言ってやりたい」

「はい?」
「何でもないわ、今日は巫女として来たのよ」

「ルナレナさんはいつも巫女としてしか来てくれませんよね」
「……ええ、あなたたち勇者が嫌いなの」

「僕は好きですよ!」
「……あっそう」

 ルナレナの登場にラキウスを取り巻く女たちは、もちろん気が気じゃない。

 ファフィーは、ずっと睨み付けていて、マリーベルはラキウスがルナレナに近づかないように両手でしっかりと彼を押さえているほどだ。

 レベッカは唯一いつも気を失っているため、ルナレナには害の無い存在である。

「本題に入るけど、私もあなたたちのパーティーに同行するから」
「え!本当ですか!やった!」

「どうしてルナレナ様が?」

 そう言ったマリーベルに、ルナレナは包み隠さず話す。

「この旅で私の生涯の伴侶と出会うことになっているの、それまでは一緒に付いて行くわ」

 ラキウスはガクッと肩を落とす中、ファフィーもマリーベルもその言葉に喜びを表した。

 とは言え、修練中のラキウスは一年から二年はまだ旅に出ることはないため、ルナレナもそのまま運命の人と会うことはない、そう考えるとラキウスは顔を上げて言う。

「きっとこの旅であなたの伴侶が僕であるように頑張ります!」
「……そういうところが嫌い」

 運命とは定められているもので努力などでは変わらないのよ。

 そう思うルナレナは、その場をすぐに立ち去った。

 彼女が立ち去ると、ラキウスはいつもファフィーたちだけに言うことがある。

「僕、魔王を倒せたらルナレナをお嫁さんに貰うよ」

「……はいはい、またそれね」
「お兄ちゃんのバカ」
「……う……ラキウス?きゅぅぅ~」

 目覚めたレベッカが再び気を失うところまでが、彼らの日常でもある。

 数日後、勇者ラキウスのお披露目会のようなものと、前勇者であるアヌスの葬式が行われることになった。

 もちろん今までの勇者も次代の勇者の出現とともに葬式が行われ、これまたアルフレット家の習慣でもあった。

「え~新たな勇者の誕生と、前勇者の御霊の弔いに礼――」

 アヌスの名前など不要、そんな葬式が終わると、式は一気に宴会の雰囲気に変わる。

 それは軽蔑する者もいるかもしれない光景だが、勇者の里ではいつもの事だ。

 使命を果たし終えると、新たなる希望がまた現れる。

 そんなくそったれなカテゴリーなど誰が作ったのか、人、それは人の願いが生みだしたに間違いはない。

「ラドビット……ぁぁああ!」

 勇者の里からの新たなる勇者の誕生は、すなわちラドビットたち勇者パーティーの死亡とも直結していた。

 ラドビット、彼は司祭界隈では有名な存在だった。故にその死に半年も喪に耽る者たちもいた。彼の家族のもとには、最高司祭が自ら訪れて彼の行いの全てに報いる言葉や金品や妻子の将来の保障を与えることになった。

 ベイル、彼の死は妹に知らされた。

 彼の身内は戦場に散らばっていて、いつ誰が死ぬとも分からない魔法使いらしい家柄だったが、その魔法使いとしての身内の中で唯一いつ頃死んだのかが身内に知らされることになる。

「……兄さんも死んだんですね、でも、分かってました……魔法の刻印が私に現れたので」

 妹はそう言って泣くこともなく、ただただ彼の墓を父母の墓の隣に立てた。

 魔法使いは最も死を悲しむことからかけ離れている。それは慣れでもあり、それが魔法使い魔法士らの運命である、と彼らが思っているからでもあった。

 カテゴリーが彼らを縛り、そうして死を迎えるのが当たり前になる。


「ねぇアヌス、動いた」
「……本当だ」

 マナフィの隠れ家で過ごし始めて一年、メリスのお腹が大きくなってきた。もちろん父はアヌスである。

「アヌス、私この子の名前あなたに考えて欲しいんだけど」
「俺に?あ~ん~そうだね、男ならオシリス、女ならイシスかな」

「オシリスにイシス……いいと思うわ」

 二人がそんな話をしていると、遠くから人影が近寄ってくる。

 マナフィの敷地の外であるその泉には、魔王軍の兵には見えない結界が張られている。

 そんな場所を訪れる者など、マナフィ本人かもう一人くらいしかいない。

「アヌス~メリス~」
「レフィ、どうしたの?」

「バカの師匠が呼んでるよ、おっぱいを揉ませてって言われたから逃げてきた」
「またか、レフィ、別にあいつと結婚なんてする必要ないぞ」

「するよ!命の恩人だし、好きだもん!でも、おっぱいは嫌!」

 そう言ったレフィは、その緑色の髪を靡かせながらメリスのお腹に触れに行く。

「メリスの赤ちゃん、アヌスとの赤ちゃん、いいな~私もアヌスの赤ちゃん欲しいな~」
「レフィ、教えたでしょ、アヌスは私の旦那さんなんだよ」

「でも欲しいな~」

 メリスがレフィに言葉や色々と教えたが、レフィはあまり物覚えのいい方じゃなかった。

 それは彼女があまりに小さい頃からドレイの様に扱われていて、勉強することもないままに労働を強いられていたからだ。

「レフィ、あなたはマナフィが他の女の人と子どもを作ったらどう思う?」
「いいよ!全然いいよ!」

「……アヌス、どうしたら彼女を説得できるの?」

 メリスがそう言うと、アヌスは少し笑みを浮かべて言う。

「お手上げのようだねメリス。レフィ、もし俺がキミと子どもを作って、他の女と子どもを作ろうとしてたらどうする?」
「……やだ、イヤだ!やだやだやだやだ!」

「だろ?キミはそれと同じことをメリスにしてもいいかと聞いているんだよ。メリスの気持ちは分かるだろ?」
「メリス……ごめんなさい」

 分かればいい、そう思う反面、アヌスがレフィの気持ちに気付いているのに少し複雑な気持ちになるメリスは、彼女の頭を撫でながら心の中で謝った。

 マナフィのもとへと三人で戻ると、彼は神妙な面持ちで片手の大きさほどの水晶を手に持ちながらチラリとアヌスへ視線を送る。

「ようやく来たのか、随分と遅かったじゃないか」
「メリスがいるんだぞ、そう急かすなよ」

 木製の机とお揃いの椅子にメリスを座らせたアヌスは、自身もその隣に座るとレフィもその隣に座る。

「で、俺たちに話ってなんだよマナフィ」
「……もうそろそろ頃合いだろうと思ってな、真実を話す事にしようか」

「真実?ひょっとしてお前は俺の父だとか、レフィは実は魔王だとか言い出すのか?」

 ニヘラと笑みを浮かべるアヌスに、マナフィは真顔で言う。

「それは俺の書いた物語の読みすぎだアヌス」
「悪い悪い、じゃあ早く話してくれよ」

 メリスはお腹を擦りながらアヌスの右手を握りしめ、彼もそれを握り返す。その反対では、レフィが彼の横顔をジッと見つめている。

 その様子を見ているマナフィは、何かしら納得をするように頷くと言う。

「メリスのお腹の中には女の子が宿っている。そして、レフィはお前のもう一人の妻だ」
「……たく、それはまたとんでもない物語だな」

「いや、これは確定事象であり、決定された事実だ。私の名前はマナフィ、大賢者と呼ばれるカテゴリーに属する害悪だ」

 大賢者、その言葉にアヌスは眉を顰めた。

「聞いたことのない称号だな……一体どういう能力を持っている称号なんだ?」
「完璧なる未来視、そして、魔法魔術、それらの全てを扱える知識、魔法と魔術が扱える魔法士の最上位と言ったところか」

「……未来を見る力か……で、レフィの話はどういう意味だ?」
「そのままだ、私がレフィを助けたのはお前の子を産ますためだ。たしかに、その小さいが確かにある胸を揉みたい気持ちもあるが、正直それは道端の小石に向ける興味と何ら変わらん、ほぼ小石と等しいものだ。もうレフィに興味はない」

 マナフィの言葉に、三人とも複雑な表情を浮かべている。

「レフィを俺が抱くと思うか?」
「抱かない、お前は抱けない、だが、メリスは許すだろう、何せ、二人の子、腹違いの兄と妹が運命のツガイであると聞けば」

「運命のツガイ!」

 急にその言葉に反応するメリスは、アヌスの手を強く握りしめた。

「メリス、急にどうしたんだい?」
「昔、一度だけ父の口から聞いた言葉なの。運命のツガイは、番外席次、神の身元に近しい存在だって、そして、私や私の父の家系はその血を継いでいるとも言っていたわ」

 マナフィは水晶をアヌスの前に差し出す。

「番外席次は神と人の子だが、神でもあるし人でもあった。そんな彼にはツガイである者がいた、女神ベガ、それが彼のツガイだ」
「女神ベガ……称号というものを人に捧げた神のひと柱だったか」

「番外席次が生きているうちに、ベガは彼の妻として子を成すつもりだった。そうしなければいけない理由もあった。それは、魔神がこの人の世に降臨するからだ」
「魔神というとエビィの事か?」

「いいや、タナトスと言う魔神だ。エビィ、またの名をネメシスの兄に当たる」
「タナトス……で、タナトスを倒すために俺の子ども同士が子を成して神に匹敵する存在を産ませるって話か?」

「その通り、生まれるのは最も神に近しい人であり、その子とベガとの子がタナトスと戦うことができる唯一の女神であるとされている」

 アヌスは呆れた声で溜息を吐くと、ゆっくりと頭を抱えた。

「理解できない、どうして俺や俺の子たちがそんな事をしなきゃならない」
「お前の目、見ただけである程度は全て把握できる力が人の力と思うか?勇者の剣技を一度見ただけで使える、魔人将の剣を一度見ただけで使える、魔法を一度見ただけで使える、そんな事が普通の人間にできるとでも思っているのか?」

「……そうは言っても、今更メリス以外の女なんて」

 興味がないわけではない、が、メリスを愛し尽くすと誓っている彼は、まったく心が動くことは無かった。

「……アヌス、私は、もしもあなたとの子が運命の相手と出会えないと思うと辛い。でも、それでもあなたに他の女に触れて欲しくない、私以外に愛を囁いて欲しくない、私だけを愛して欲しい」
「もちろんだメリス、俺は生涯キミ以外愛さない、キミ以外に愛を囁かない、キミだけを愛すと誓うよ」

 手を互いに強く握り合う二人だったが、メリスは笑みを浮かべてさらに言う。

「でも、もしものことを考えると、あなたはレフィに子どもを産ませるべきなの。嫌だけど、そうしないと将来後悔するのは嫌、この子の未来はこの子が決める。だから、私はレフィにあなたの子を産んで欲しい」
「……嫌だと言ったら?」

「レフィが?」
「……あぁ、正直、男ってものは、愛とは別に女を抱くことで子どもを作りたい、自身の子を作りたいという欲求はあるんだ。計画性とか、子どものこととか、そんなものの以前に沢山子どもを作って誰でもいいから俺やキミ、その他の家族を覚えていてほしいんだ。だから、キミが許すというのなら、俺は必死になって拒絶はしないよ」

「レフィ、あなたはどう?アヌスのこと好き?」

 メリスは、アヌスを挟んで反対側にいるレフィに問いかけた。

 レフィはすぐには返事をせず、マナフィをジッと見ていた。

「どうしたレフィ?」

「……私、マナフィと結婚しない?」
「あぁ、それは私の悪戯だよ。アヌスがメリスだけじゃなくてキミも妻にする上に、他に四人の妻もいると分かっているから」

「……私アヌスが好きだよ、だから、マナフィがいいって言うならするよ?」
「いいと言っているだろ、それに、私ではキミを幸せにはできない。キミは私を愛していないからね」

 レフィはそれを聞くと椅子から立ち上がり、メリスの後ろに立って椅子越しに抱き付く。

「いいの?メリスはそれでいいの?」
「レフィ、私にとってあなたは妹のようなものよ、本当にあなただから許せる……だから、他の四人に関しては許さないから、分かっているいるでしょ……アヌス」

「も、もちろんだ」

 少し視線を泳がしたアヌスは、まさか知りもしない女と子どもをなんて考えないよな……しかも四人なんてさ、と内心考えていた。

 メリスもアヌスもレフィがどうしてとは考えることもないが、レフィはメリスと同じ番外席次の子孫であり、元を正せば西の国の王族の家系である。メリスと同じようにカテゴリーには縛られない、それゆえにアヌスの伴侶には相応しい。

「マナフィ」
「なんだいレフィ」

 レフィは、マナフィの前に立つと小さな胸を突き出して言う。

「はい、おっぱい一回揉んでもいいよ」

 それに対し苦笑いを浮かべたマナフィは言う。

「他意はない、本当に冗談だったのだレフィ」
「……おっぱい揉みたいって言ってたのに……マナフィ頭おかしいの?」

「そういう時は、様子がおかしいと言うのだ。そもそもこれまでの態度が全て戯れた行いだったのだよレフィ」

 そう言って頭を撫でると、彼女は悲しげに抱き付いてマナフィに言う。

「マナフィ、ありがとう」
「あぁ」

 マナフィはそれ以降、レフィに何も言うことは無く、隠れ家からも時折いなくなることが増えていた。

 もちろん、そのいない間にアヌスはメリスとレフィと仲睦まじい生活を送り、数か月後、子どもをその手に抱いていた。

 女の子、もちろん名前はイシス。

「本当に女の子だったな……なら、レフィのお腹の子はやはり男の子なんだろうか」

 イシスが生まれた頃には、レフィのお腹もそれなりの大きさになっていて、まるで早く生まれようと急いているようにも感じられた。

「アヌス、メリスの傍にいなくていいんです?」
「彼女は疲れて寝てるよ、マナフィがまさかお産で取り上げた経験があるなんて知りもしなかったな」

 椅子に座って茶を啜るマナフィは、一息吐くとアヌスに言う。

「つい最近学んできたのだよ、もちろん知識は元々持ち合わせていたが、体験に勝るものはないからな。それよりも、メリスが私がお産に立ち会うことを許可したことの方が驚かないか?以前だったら絶対に許さなかっただろう」

「それは、それどころじゃなかっただけだろ、辛そうだったし、実際辛かっただろうし」
「ま、女性は痛みに鋭敏な感覚を持っているからな、訓練された男ならば耐えられるかもしれんが、訓練された女性でも痛みに耐えられなくなるらしいからな」

「お前、それを女性に言うなよ、産みの苦しみはその人にしか分からないんだからな」
「だが、長い歴史の中で尋問に耐えられる度合いで言うなら、女と男では男の方が長く耐えられるのだぞ。それだけ見ても男の方が痛みには強いと察することができる」

 そんな会話をし終えると、マナフィは、アヌスの手に抱かれる女の子を見ながら言う。

「メリスが起きたら母乳を飲ませてやれ、じきに目を覚ますだろう」
「そうだな」


 そして、イシスが誕生した頃、勇者の里では巫女たちがある一つの未来視を告げていた。

「魔王が死に、勇者や英雄の称号がアルフレット家から失われるだと!」
「いかにも、いずれはこうなると分かっておっただろ?ベルクーリムント」

 勇者の里、オシリスたちの叔父であり、第37代勇者の兄であるベルクーリムント。

「女たちが聞いたら卒倒するぞ……あの女たちが威張っているのは、勇者や英雄を産んできたからだ。それが無くなるとなると、自ずと無能になっていく」

「蓄えもあるし、コネもあるのだから、何とかはするだろう」
「本当にそう思うか、ルナばぁさま」

「思わん」

 あ奴らは子を成す行為しかしてないし危機感もない。今まではそれでよかったが、これからはそうはいかなくなってくる。

「ま、大半は嫁へと出してそのアルフレット家の名声を利用して人脈を作ればよろしいだろうな、我ら巫女とて同じようなものだしの」

 そう言いつつも、彼女はベルクーリムントに話していないことがある。

 それは、巫女はルナレナのおかげでそのまま存続し続けることができることだ。

 そして、失うのはアルフレット家という名の名家のみであり、勇者や英雄の称号は、その血とともに次代へと受け継がれる。

「問題があるとすれば、ニーベルーナか……まさか結婚しない意味がそういう事だとは」
「ん?何か言いましたかな?ルナばぁさま」

 ルナはその頭を左右に降り溜息を吐いた。

 そんな話を知らずにラキウスたちは、里を出て西の街、魔王軍と人間軍との境にある街バータムを目指して旅立っていた。

 お伴はもちろん、剣士ファフィーと上級司祭マリーベルと魔法使いレベッカ、そして、巫女のルナレナである。


 勇者アヌスが旅に出た時には、徒歩で野宿が普通だったが、今回は4人も女性がいるということで、馬車に加えて睡眠時にはテントを設営して寝るようにしていた。

「ラキウス、何度も言っているけど、夜這いしないで」
「でも、僕はルナレナさんの事が好きで、魔王との戦いで死ぬ可能性もあるので、こういうことは早めにしておけと……」

「ならファフィーかマリーベルかレベッカにしなさい、私は嫌よ」

 勇者アヌスは里にいた頃からそういうことは済ませていて、娼館にも通っていたことを考えると、ラキウスは少し融通が利かない病に浮かされているようだった。

 そんな地に足も着けないラキウスに、運命の人まっしぐらなルナレナも同じように融通が利かず、片方が近づいても片方が離れていく関係は今に始まったことではない。

 アヌスとメリスのように互いが好き合っていてそうなっていたのと比べると、彼らは絶対に交わることのない平行線のようにも見えた。

「ラキウスが戻って来ましたよ、みんな寝たふりしないと」
「ちょっと、ファフィー!レベッカが過呼吸になってるわ!」
「うそ!大丈夫ですか?!レベッカさん!」

 三つのテントで一つはラキウスが、もう一つはルナレナが、最後の一つに残る三人が寝ている構図であり、三人はラキウスがいつ来てもいいように日々寝付くことなく起きていた。

 がしかし、ラキウスの足音はルナレナのテントから、真っ直ぐ自分のテントへと戻ると、彼がそれ以降足音を立てることは無かった。

 旅に出て数週間、彼らはずっとこんな感じだ。

 勇者は恋に恋し、巫女は運命に恋し、剣士と司祭と魔法使いは初恋に恋していた。

 恋は盲目、愛は依存、恋愛は病である。もしも好きな相手を見つけても諦めろとは言わないが、努力はしよう好かれる努力をだ。

 三人娘のように男が言い寄ってくるのに、別の振り向きもしない男が振り向いてくるのを待っているなど言語道断、それは一生叶いはしないだろう。

 そんな彼らがバータムに到着する少し前。

 アヌスはメリスたちと別れて一人バータムにいた。


 勇者アヌス死後、メリスとアヌスも死んだだろうと思っていた兵士たち。そんな彼らがアヌスを見て幽霊が出たと思い腰を抜かしたのは言うまでもない。

「バーンズさん、驚き過ぎでしょ、司令官とは思えない反応ですよ」
「あ、アヌス!本当にアヌスなのか?」

「この通り、俺ですよ」

 アヌスは軍属ではないが、一時的に軍の訓練に参加していたことがあるため、バーンズとも顔見知り以上の仲だ。

 アヌスはあの日の話を彼にして、メリスが生きていることと今は子どももいることを話すと彼は泣いて喜びを表した。

「よかった!本当によかった!メリス様!」
「で、司令官どの、情勢を話してくれないかな?」

「アヌス、情勢など今はいい、キミとメリス様の生還を軍で盛大に祝おうではないか!」
「バカ、司令官だろ?そんなんでメリスが何ていうだろうな」

「きっとお叱りになるだろうな!だが知らん!今は私が司令官なのだからな!」

 司令官姿が様になるのも無理はなく、あれ以降魔王軍は度々このバータムを強襲していて、何度もバーンズは防いでいた。

 本来なら英雄の称号を持つ者が司令官を務めるものだが、実は勇者の里にはオシリス以降の英雄が誕生しておらず、今日の今日まで英雄が不在なのだ。

「英雄が不在でもこの街が守れている時点で揺らぎが生じつつある……マナフィの言葉通り、この世界が変化を迎えているのかもな」
「ん?アヌス?何か言ったかな?」

「いや、別に……みんな変わらないようで変わってんだな~ってさ」
「ふふ、お前やメリス様が死んだと思っていたのだぞ?嫌でもくるものがあったのだ」

「そうだな、勇者たちも俺も一瞬の敗北だったからな。ラドビットと勇者が俺たちを逃がすために体を張らなければ俺たちも死んでいたところだよ」

 アヌスは手元の酒を手に取るとグビグビと飲み干す。

「相変わらず酒に強いな、酒神ブラスエールの如しだな」
「少しだけ酒に強いだけさ」

 アヌスはそう言うが、実際には酒で酔えないのが彼の特性であり、つまり酔って現実から目を背けることができないのだ。

 そうしてアヌスが三日間の祝いに付き合っていると、ようやくラキウスたち新たなる勇者のパーティーがバータムへと到着する。

 そして、バーンズがそれを出迎えることはなく、ラキウスたちは兵士に案内されるがまま、勇者用の屋敷へと入るのだった。

「ふ~久しぶりのお風呂ですねマリーベルさん」
「テント生活も大変だったから、特に虫とかね」

「私はお風呂さえあれば文句はないですよ」
「レベッカはラキウスさえいなければいつも普通なのに」

「ファフィー、マリーベル面目ない……でも、もう大丈夫……もう慣れたから……」

 と言うわりに浴場でくつろぐ彼女は、ラキウスとこの旅で日に二言ほどしか話していない。

「それにしても、勇者ってもっと盛大に歓迎されると思ってたけど」
「そうですね、あれ?勇者?どうぞ~って感じでしたもんね」

 その扱いに違和感を持つのは彼女たちだけではなく、ラキウス自身がそれに違和感を感じていた。

「司令官がいないにしても、兵士くらいは出迎えるべきだろ。僕は勇者で魔王を倒すために来ているんだぞ」

 そう言いながら軍の施設を歩くラキウスは、人の気配のない訓練広場の前を通る。すると、聞き覚えのある声に彼は足を止めた。

「ん?ルナレナさんの声だ」

 訓練の広場を覗き込むと、そこにはルナレナが男に抱き付いている姿を見てしまうラキウスは思わず隠れてしまう。

「だ、誰だ?あれ」

 その金髪は短く乱雑に斬られてとげとげしているようだが、後頭部の一部だけは結べるほどの長さが保たれていて、黒い紐で結ばれている。

 その瞳は明るい金色で、顔は整っていて大人びて見えた。

 僕たちアルフレット家の者だろうか。

 金髪に金色の瞳は勇者の家系、ラキウスがそう思ってしまうのも無理はなかった。

「で、初めましてのはずだけど?何のようだいお嬢ちゃん」
「……私はあなたよりも歳は上のはずです、私はルナレナ、あなた様と結婚する者です」

 ラキウスは目を見開いた。

 今、彼女は何を言ったんだ?結婚?あの男と?

「……紺色の髪、紺色の瞳、巫女であるならば確かに俺と子どもを作るんだろうな」

 は?あの男!何をぬけぬけと!

「やはりそちらにも未来視を持つ方がいらっしゃるのですね、ならば話は早いです」
「いや、俺はキミを抱かないし妻にしないよ」

「……運命なのです!覆すことのできない」
「いやいや、未来というものは事象の一つであり、可能性の一つでしかなく、時に見える姿も変わるんだろ?ならまだ分からないじゃないか」

「ですが!」
「俺にはこう見えても妻が二人いて子も二人いるんだ。だからって三人目なんて正直不誠実極まるし、妻の一人もお前たちを許さないからと釘を刺されているからな」

「……それでも私の名前を覚えておいて下さい、あなたの伴侶となる者なのですから……、あとあなたのお名前をお聞かせください」
「俺か?俺は……聞いても驚かないでくれよ、俺の名は――」

 その言葉にラキウスは更に目を見開いた。

 その後、ラキウスは一人フラフラと部屋へ帰り、たまたまそこにいたレベッカと目が合う。

「あ……ラキウス……あの、お風呂、先に……」
「……あぁ、うん、そうだね、僕も入ってこようかな」

 そう言って、まだマリーベルとファフィーが入っている風呂場へと彼は侵入していった。

「あれ?レベッカ?忘れ物?」
「……いや、僕だよラキウスだよ」

「え!なななな!何でラキウスが?!」
「とうとう私たちを襲う気になったの?ラキウスお兄ちゃん」

 戸惑うマリーベルと少し頬を赤らめて照れながらそう言うファフィーに対して、ラキウスは何かを考えるようにして風呂の中へと入って行く。

 置き去りにされた二人は、少ししょんぼりして部屋へと戻った。

 一人湯に浸かるラキウスは、何かを思い立つように立ち上がると風呂から上がり、その日は流れるようにベットへと向かい眠りについた。

 翌日になると、勇者の歓迎式的に訓練広場に兵士たちが集まり、ラキウスたちもその場に立った。

 ファフィーやマリーベルとレベッカが、ラキウスの後ろから出てくる中、ルナレナだけは一人別の男のもとにいた。

「彼が第39代の勇者!ラキウス・アルフレットだ!皆!声援とともに彼を送り出そう!」

 バーンズがそう言うと、ルナレナの隣の男は呟いてしまう。

「声援だけかよバーンズ」

 そう男が呟いた直後だ。

「僕は!……私は勇者ラキウス!今日!ここで宣言する!私こそ!魔王を倒す男だと!そしてこの街には勇者を名乗る愚か者がいることを見逃しはしない!不届きものよ!出てこい!」

 ラキウスの声は良く響いて、兵士たち全員にしっかりと聞こえた。

「どうしたのラキウス、いったい何を言っているの?」

 困惑するマリーベルたちは、ラキウスの行動が理解できていない。

 その行動を理解しているのは、ルナレナとその隣にいる男くらいだ。

「あなた様が出て行く必要はありません、勇者の一族とはああいう連中なのです」
「……俺が誰だか知っていてそれを言っているなら、キミはある意味バカなのかもしれないなルナレナ」

「な!」

 誰もラキウスの前に現れない、その状況にもう一度はっきりラキウスは言う。

「不届きもの!ハッキリ言わないと出てこないのか?!嘘つきアヌス!勇者の名を語りし愚か者め!」

 アヌスは少し眉間にしわを寄せると、軽い足取りで前へと出た。

 無言でラキウスの前に立つアヌスは、軽く十センチは身長で勝っていた。

 見下ろすアヌスに対して、ラキウスは少しだけ威圧感を受けつつ言う。

「歳はいくつだ?」
「17だ」

「ぼ、私より年下じゃないか」
「俺を嘘つきアヌスと呼ぶからには、ケンカを売ってるって思っていいんだな勇者」

「アヌス兄さんの名前を語ったのはお前だろ!ケンカを売っているのはどっちだよ!」

 その言葉にアヌスは鼻から溜息を吐くと、一応年上だしな……と思いつつ言う。

「俺はアヌス、英雄オシリスの弟子にして勇者アヌスのパーティーの一員だった。この名はオシリスに授かった宝であり、この命は友人にして仲間であるアヌスに貰ったものだ」

 アヌスの言葉にオシリスは動じなかったが、それはアヌスの話を理解してではなく、最初から嘘を吐くだろうと思っていたからだ。

 だが、ラキウスの後ろの三人は驚きアヌスに視線を留めた。

「嘘を吐くな!兄が弟の名を他人にあげるわけないだろ!」
「……もういい、多くを語るのは無しだ、俺にも誇りがある……剣で語ろうじゃないか勇者」

「望むところだ!」

 その瞬間バーンズは声を張り上げた。

「模擬試合だ!誰でもいい!賭けの主になる奴はいないか!」
「……」

 誰も手を上げない、ラキウスはそれが冗談だからそうなったと勘違いしたが、兵士たちは内心こう思っていた。

 アヌスが相手じゃ賭けにならない、と。

「まぁいい!アヌス!建物は壊すなよ!」
「了解」

 アヌスはその腰の剣を抜くと、青い柄が特徴的なその剣を見てラキウスは呟いた。

「オシリス兄さんの剣か……」

 ラキウスとしても、常に自身の剣の先にはオシリスという憧れを追いかけていた。だから、アヌスが手にするその剣を見てすぐに理解した。いや、勘違いしてしまったのだ。

「盗人が……」
「オシリスの形見だ……盗った訳じゃない……と言っても聞かないんだろうな」

 構えるラキウスに、心配そうにレベッカ見守っていた。

「大丈夫よレベッカ、ラキウスお兄ちゃんは強いから」
「そうです、勇者の里でも最も剣術に長けていて、聖剣技だって歴代一だと大婆様もそうおっしゃってたわ」

 マリーベルの言葉を聞いてもレベッカは心配そうに彼を見ている。

「あの人……魔法を使う……しかも、私より強い……力量が違い過ぎる……」
「魔法を使える剣士?それは興味ありますね」

 ファフィーは自身が剣士であるために、魔法をレベッカよりも扱えると聞いただけで少しその実力に期待してしまっていた。

 互いに構えて数秒後、アヌスは動かないまま、ラキウスが先に動き出し一合交えた。

 微動だにしないアヌスに対し、立ってはいるものの後ろに退かされたラキウスは手に痺れを感じていた。

「凄い……あの人、ラキウスお兄ちゃんの数倍上手の剣士ですよ」

 ファフィーの言葉にレベッカは顔色を変えた。

「つ、次……ラキウスが斬りかかったら……彼は魔法を放つ」

 勝たせて華を持たすなど考えも無く、ただただ、自身を魔人将との模擬戦と考えさせるつもりのアヌスは言う。

「今から、魔人将の剣を出す!これはオシリスを斬り、アヌスを斬り伏せた剣技だ!」
「なにを!そんな戯言!」

「心しろ、魔人将の剣は、俺の偽物よりも強いぞ!」

 空気が変わったことに気が付いたバーンズは少しだけ焦っていた。

「アヌス、まさか本気でやり合うつもりではないだろうな」

 まさかどころではない、彼はその時出せうる最強の威力を持って魔人将の剣を再現しようとしていた。そして、それは魔人将の剣を軽く上回った威力を持つ魔剣技だった。

「いくぞ!勇者!」
「何をするつもりだ!」

「魔剣技!」

 黒いオーラがオシリスの剣を染めると、レベッカは息を呑んだ。

 あれは闇の精霊、魔王以外には魔人将しか扱えない存在を人間が!

「!せ、聖剣技!」

 ようやく事の大きさに気が付いたラキウスは、聖剣技の壱の型を咄嗟に出した。

 もしもそれを出さなければ、そんなことを彼は後々思い返すことになる。

「ヤミガラス!」

 振るう剣が闇の精霊をカラスのような形に放つと、ラキウスの雷撃にぶつかり、それをかき消しつつ彼の右側を通過して少し後方で爆発する。

 地面を抉って、見学の兵士たちも少し爆風で後退るほどの威力。

「……あれ、やっちまったか、これ」

 ラキウスは放心状態で、兵士たちはアヌスに怒り心頭だった。

「何やってる!怪我人はいないか把握しろ!」

「バーンズさん、すまん!」

「謝るなら最初からやるな!」

 驚くマリーベルにレベッカとファフィー。

 ルナレナはその圧倒的なまでの強さに胸がキュンとしてしまい、その場にあった鎧立てにしがみ付いて悶えた。

「アヌス様……素敵です」

 そして、アヌスは放心状態のラキウスに歩み寄ると彼にだけに聞こえるように吐き捨てる。

「アヌスはあの剣を前に立ち向かい死んだんだ、その点だけでもお前はアヌス以下ってことだな勇者」
「……」

 アヌスはその後バーンズに頭を下げ、兵士たちに混ざって抉れた地面や飛び散った砂ぼこりを掃除しだして、ファフィーたちに連れたれたラキウスはその後も変わらずボーっとしていたが、ルナレナが部屋を訪ねるとようやく一言話した。

「ラキウスいる?」
「……ルナレナさん」

 ルナレナにラキウスが反応したことにマリーベルやファフィーは不満そうにしているが、ルナレナがそれを気にすることはない。

「私はアヌス様とともにあなたたちの手助けをすることにしました」
「……あの男とですか?あんな嘘つき」

「嘘つきではありません、彼は嘘など吐く必要のないほどにお強い。彼はあなたたちが魔王を倒せるように、一人魔人将と戦うおつもりです」
「ま、魔人将と!兄たちを殺した強敵と一人で!」

「そうです、彼が魔人将と戦っている間、もしくは倒してしまえたなら、あなたたちも魔王に辿り着き易いというもの、故にわたしはあの方とともにいます」
「……あの男が運命の相手なんですか?」

 神妙な面持ちでそう言うラキウス。

「そうです、あの方が私の運命」
「既婚者ですよ、それも二人も妻がいる」

「……やはり聞いていたのですね。それでも私の運命はあの方です」

 彼はそれ以上話すことは無く、ルナレナがいなくなると再び口を閉じた。

「ラキウス、大丈夫?」
「……」

 マリーベルはその態度にガッカリした様子で、そのままベットへ戻る。

「お休み……ラキウス」
「……」

 レベッカもそう言ってベットへ戻ると、ラキウスとファフィーは二人きりになる。

「お兄ちゃん、私は何してもいいよ」
「……」

「……傍にいるから」

 この日が彼らにとっての最後の安息となる。
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