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【完結話】或るシンガーソングライターの憂鬱
#7 狙う、養う
しおりを挟む「旦那?旦那なんていませんけど。私、独身ですので」
お隣さんは、はたとよどんだ目になって僕を見つめる。
「え、そうでしたか。じゃあ、同棲している彼氏か」
大イビキをかく彼氏は、イビキに耐え忍んでいる、もしくは気にしていないという奇特なお隣さんを嫁にしてやっていないのか。
「恥ずかしながら、彼氏もいませんが」
「え、じゃあ、身内の…。お兄さんか、弟、お父さんですか」
「兄はスペインに住んでいまして、父と母は郷里で年金生活を送っておりますが」
お隣さんは簡潔に家族構成等を述べ、僕を見つめに見つめてくる。
「え、じゃあ、一緒に住んでいるのは」
同居人の正体に全く見当がつかず、お隣さんの視線から目をそらすことができない。
「一人です。一人で住んでいますが」
「え、一人!」
まさかのホラー再び。
僕は多分ヒーとか叫んで、部屋に入っていったと思う。
一人って。
ありえない。
じゃあ、あのイビキは細っちいあのお隣さんがぶっ放しているとでもいうのか。
それはない。
女のイビキなんかじゃないのだから。
男レベルだ。
いや、獣レベルだ。
一人だなんて何故そんな嘘をつくのだろう。
イビキの主を隠さなくてはいけない秘密でもあるのか。
「もしもし、201号室の斉藤ですけど、隣の、202のお隣さんが」
僕は無意識に大家の婆さんに電話をしていた。
「は。またおまえか」
面倒くさそうに婆さんが電話に出てきた。
「202のお隣さんが、独身だなんて言うのですよ」
「ああ、独身だわな」
「彼氏もいないって言うのですよ」
「ああ」
「そんで一人で住んでいるって!本当ですかそんなの」
「あぁ?何が言いたいんだ。ふざけた小僧だな。…おまえ、狙ってるのか」
痰がからんだ声で、婆さんは低くうめく。
「狙う?やっぱ何かいるのですか。あの部屋に」
202の秘密の核心に迫る。
僕は息を飲んだ。
「おまえ。何かいるとか、さっぱり言ってることがわからんが、一人暮らしの彼女を狙っているのか。ものにしようと企んでおるのか」
「は?」
「けっ。ギターいじっているガキがいい気なもんだ。おまえさん、アルバイトの身じゃろ。あの人はなあ、おまえなんかが敵うような相手ではないんだぞ。養っていけんのか」
「ちょっと待ってください。狙うとか養うとかって、あの人を僕が?んなわけないでしょ。僕が言いたいのは」
さっぱり言っていることがわからないのはこっちの方だ。
「断る」
「は?」
「仲を取り持て、ということじゃろ。断る。男なら自分でどうにかせい」
婆さんの痰を切る音が聞こえて、そのままチン、と電話が切れた。
耳元でやけに険しいツーツー音が響いている。
え、なんかすごい誤解をされてしまったのではないか。
狙うって。
なんでよりによって、あんなモッサリ女を。
かなうような相手ではないとか、どれだけ僕をこき下ろしているんだ、婆さんは。
しかし、今の婆さんとの会話によると、202のお隣さんは本当に一人暮らしのようだ。
得体の知れないものも飼っていないようだ。
だとしたら、あの轟音は一体誰がぶっ放しているのだろう。
そんなことより。
202のお隣さんが一人暮らしなら、あの身なりはどっかのパート面接に行くのではなく、ちゃんと働き口があって出かけていったのか。
僕はギタースタンドから丁寧にギターを持ち上げた。
小うるさいのがいない間にギターをおっ始めることにしよう。
イビキの謎は、夜に確かめてやればいい。
もしかしたら、202から来ていると思っていた轟音は、他の部屋から202を突き破って、うちにやって来ているのかもしれないし、そうならばお隣さんも被害者ってことになる。
イビキイビキと頭の中で繰り返しながらも、ギターでコードを弾いているうちに、サビのメロディが色を持って浮かんでくる。
コードとサビのメロディが自分の内にするりと落ちてきて、寄り添うようにはまっていく。
恍惚の境地だ。
これがあるから他は何もいらない。
彼女だってお金だって正社員の肩書きだっていらない。
何も求めないから希望も絶望もない。
楽だ。
楽過ぎてめまいがする。
僕にすくいあげられて意思を持った音は、居心地よさそうに部屋中に満ちていく。
もう誰に披露することもない名曲が生まれていく。
少し開いたカーテンの隙間から、弦を弾く右手に向かってまっすぐ日差しが届いてきた。
そこだけスポットライトが当てられたみたいに軽く熱を持つのを感じながら、月に一度ライブハウスでライブをしていた頃を思い出した。
つづく
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