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【完結話】或るシングルマザーの憂鬱

#12 狂う子

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「さあ、行くよ」


軽く野田を無視して手を引っ張る。
圭吾はピエロでも見たかのように少し喜んでいたが、地下道に入っていこうとすると足を止めた。


「どこにいくの。ここは、キュンキュン・ワールドのトンネルだからダメだよ」


気持ちは入ってみたくてウズウズしているのに、見えない力に制されているみたいに、圭吾は足を踏み入れようとしない。


「今日は大丈夫なの。入っていいのだよ。おいで」


地下道の中に先に入っていって、あたしは両手を広げた。
圭吾は恐る恐る、つま先立ってあたしに近づいてきた。
道路のアスファルトから、虹色に張り巡らされたタイルに足をつけると、わき目もふらずに腕の中へとび込んできた。


「お、おれ、はいれた」


口に手のひらを押し当て、圭吾は地下道の入り口を振り返る。

野田がひょっこり顔をのぞかせ、壁側を向いて入ってきた。
急かせて歩き出し、野田との距離を一定に保つ。
圭吾は、目を輝かせてトンネルを見渡している。

キュンキュン・ワールド入口まで続くドーム型のトンネル内は、キュンキュンとその仲間たちが描かれている。
途中から、みんなで冒険に出発しようというストーリーが展開され、絵に合わせた声や効果音が、スピーカーから流れてくる。

足を進めるごとに、キュンキュンやあたしたちを囲む景色が変わる。
ジャングルを駆け抜けたり、海底を散歩したり、巨人の国では、大きな足の裏が天井いっぱいに立体的に書かれていたので、今にも踏み清されそうな感覚になった。

遠近法を駆使した写実的な画は、大人の目にも充分楽しめた。
圭吾はキュンキュンとの冒険に心奪われている。

「助けてー。滝に飲まれちゃうよおー」とスピーカーからキュンキュンが助けを求めてきた時には、「あきらめちゃだめだ。がんばれ、がんばれ」と手に汗握って応援し、小人の国で活躍したキュンキュンに、小人たちがお礼の品を手渡す場面では、「キュンキュンはよくがんばった。おれ、そんけーするよ」と褒め称えた。

物語も終わりに近づき、トンネルの出口から自然の明るい光がこちらを照らし始める。

「また新たな冒険が始まるよ!」の声を最後に、冒険の話は終わった。


「もういっかい。もういっかい、さいしょから」


圭吾は悲壮な表情を浮かべてあたしにすがりついてきた。
他の子供たちは早くキュンキュン・ワールドへ行こうと、ろくにトンネル内の絵も見ずに通り過ぎているというのに。

野田がすぐ側までせまってくる気配がする。


「ほら、みんなキュンキュン・ワールドに行ってしまうよ。圭吾は行かないの?」


「え」


出口を指差すあたしを、圭吾は不思議そうに見上げる。


「キュンキュン・ワールド、まだ続くの?」


ああ、そうか。
このトンネルだけがキュンキュン・ワールドだと思っていたのか。全く愛いやつめ。


「こんなもんじゃないよ。トンネルを出てみな。キュンキュンの大きな風船が見えるかなー」


圭吾はハッとして、トンネル出口を目指して駆けて行った。

あたしは想像した。

圭吾がトンネルを抜けたとき、そのとき夢にまで見たキュンキュン・ワールドが目にとび込んでくる。

きらびやかな世界に圧倒され、それでも圭吾は嬉しさをかみ殺して振り返り、ニヤリと口角だけ上げて笑うのだ。
それを見たい。
ここでしか見れない。


「わぁー」


意外にも子供らしい声をあげた圭吾に駆け寄り、ゲート前の大広場から、中にそびえ立つ白いお城や白い山を二人で見つめる。

ようやく圭吾をこの場所へ連れてくることができたと、感無量な気持ちになった。

が、耳をつんざく、やたらめったら大きい雄たけびが突如叫ばれて、その発生源が圭吾だと気づいた。


「うごー!うごー!うごー!」


百獣の王ライオンも真っ青の雄たけびっぷりで、広場にいる全ての人たちが、何事かと注目する。

喜んでいるのか、怒っているのかわからない圭吾の怒涛の叫びは、その場で一分弱も続いた。

なだめてもすかしても、口をふさいでも止まらない。
ニヤリどころか、気が狂ってしまった。

笑って指差してくる子供たちや、白い目で見てくる大人たちが、あたしたちを遠巻きにしている。

一人野田だけが、こんな時にもふんわりした笑顔で近づいてきた。

思わず助けを求めそうになるが、こらえてシッ、シッとあしらう。

勇まし過ぎる奇声を発し続ける圭吾が、図らずも「うごーっ、っごほっ、ごほっ」と咳き込んだ。

そしてついに力尽き、仰向けに倒れてしまって、ようやく吠え終わったのだった。


「大丈夫?」


空を仰ぎ、悠遠の彼方にまで飛んでいった目をしている圭吾に尋ねた。


「おれ、もう、いっしょういいことなくても、いきていける」


そう言って圭吾は、ニヤリ、とほくそ笑んだ。この顔だ。
見入ってしまう。

あたしは何だか涙が出そうになった。
あたしもこれで一生いいことなくても生きていける気がした。

圭吾を起こし、立ち上がらせた。
圭吾の生意気に笑う顔を見て、吹き出してしまう。



つづく
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