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【完結話】或るシングルマザーの憂鬱

#6 楽しい VS 楽しんじゃだめ

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朝8時に待ち合わせの約束をした駅前のクリスマスツリー横で圭吾と二人、やや緊張しながら突っ立っていた。
昼前にはクリスマスシーズンで賑わうセンター街も、まだ時間が早いからか人もまばらだ。


「もうすぐ来るよ。会社の友達」


いつもより数段寒いのを我慢している圭吾を後ろから抱き寄せた。

イブまであと一週間弱、イベント用に用意されたクリスマスツリーは、役目を終えるまでのあと少しの期間、心浮かれるカップルたちを見守る神様のようだ。
天辺が霧がかっているせいで、先端は天にまで届いているのかのように見える。
葉に霜が降りているが冷え冷えした感じはなく、むしろその霜に守られて全体に紗をかけたように、温かな雰囲気を醸し出している。

まもなく、黒いワンボックスカーでやって来た鮫島くんは、助手席の窓を開け、あたしたちに手を振ってきた。

にこやかに迎えてくれる鮫島くんに圭吾が挨拶をして、後ろの席に二人で乗り込んだ。


「2人とも後ろだと、何だかタクシーの運転手みたいだなー」


鮫島くんが苦笑いをして頭をかいた。
そんなふうに思うなんて考えもしなかった。

圭吾に前の席に行くようにすすめたが、


「おれ、うしろがいい。ママいけば」


と小声で言った。
あたしは鮫島くんに手招きされて、ためらいつつ、でも少し心弾ませて前の席に移った。


「圭吾くんは気が利くねえ。どう?小北さんとぼく、恋人同士に見えるかな」


ハンドルをせわしなく動かして、鮫島くんがおどける。
恋人同士、のところをあたしは流せずに聞き入ってしまった。


「……見えてもいいけど」


後ろからくぐもった声が聞こえた。


「あはは。そうかー。今日一日いっしょにいて、そう見えてくれたら嬉しいな」


鮫島くんは本当にそう思っているのか、あたしと仲が良いことを訴えて、圭吾の警戒心をとろうとしているのか、本音はわからない。

遠くに見えるビルが、もやで霞んでいる。
脇に佇む道路標識は「その他の注意」を知らせており、うまいところであたしに、浮かれすぎ注意報を出してきたな、と左の口元が引きつった。

毎日通る国道に差し掛かり、見慣れ過ぎた景色に、見続け過ぎたキュンキュン・ワールドの看板が見えた。

信号が赤で止まる。

右折すれば、キュンキュン・ワールドに続く門をくぐれる。


「キュンキュン・ワールド…」


あたしと圭吾が同時に口に出した。
開園前の門はまだ硬く閉ざされている。


「今日はちょっと遠出するからねー。こっちに帰ってくるのは夕方になるかなー。それからキュンワーに行くからね。夜のキュンワーはロマンティックだぞー」


キュンキュンワールドを略して言う鮫島くんに、若さを感じた。


「遠出ってどこへ行くの。あたしたち、キュンキュン・ワールドだけでも嬉しいのに」


「何言っているのですかー。クリスマスですよ。もっと、らしいとこ行きましょうよ。ぼく、ずっと小北さんと行きたかったとこあるんですよ」


ずっとあたしと行きたかったとこ。
一等注意が必要なセリフだ。

気を引き締めておかないと、ドキドキしてしまう。

国道を超え、素早いベルトコンベヤーのような高速に乗り込む。
前後横に他の車が迫っていて、どれかの車が少しのブレーキミスをするだけで、すぐに流れが止まってしまいそうだ。

BGMに流れるのは、知らないパンクバンドの小気味よいメロコアで、鮫島くんは曲に合わせて自分の思いつくままを勢いよく話している。


「こないだ友達に貸してもらったマンガにはまっちゃって。すごい笑えるのですよー。あ、少女マンガなのですけどー。育児マンガっていうのかなー。ドラマ化狙っていますよ、あれは」


「ぼく料理とか意外に得意でー。いつも自炊しているのですよ。本当は自分のお弁当も作っていきたいほどなのだけど、絶対女に作らせてるとか思われるからー」


途切れることなく鮫島くんは喋り続ける。
間が持たないから適当に話を続けている感じではなく、自分を知ってもらいたいという盛んなアピールのように聞こえる。

可とも不可ともつかない他愛ない中身だが、あまりにも楽しそうに話しているのが可笑しくて、あたしはずっと笑っていた。

相槌を打っている時に、ふと目が合った。

鮫島くんは、はにかんで下唇を噛み、それは会社では見たことのない、とんでもなく胸を打つ笑顔だった。

ため息が出た。

自分ひとりだけの気楽な恋愛。
そんな言葉が脳天に突き刺すように入り込んできた。

そんなものをもう一度してみたいなぁと、ゆっくり目を閉じた。

フリフワと地面のどこにも足がついていなくて、ニンマリ笑っているあたしがまぶたに浮かぶ。

これっていいもんだな。

とそう思った途端、急にパチンと電源を切られたみたいに、あたしは我に返った。

後ろを振り向き、圭吾を見た。

声の出ない人形みたいに座っている圭吾は、窓の外を見ているでもなく、前にいるあたしと鮫島くんを伺うでもなく、車内のどこでもない空間をくいいるように見つめていた。


「圭吾」


たまらず声をかけた。
圭吾はゆっくり目を閉じて、そのままうつむいた。


「眠っちゃいましたか」


鮫島くんがバックミラーをチラと見た。

眠たかっただけか。
あたしは安心して「そうみたい」と答えた。
前に向きなおし、息を細く長く吸い込む。

一度パーキングで休憩したが優に三時間は走っている。
圭吾にはハードなドライブだ。疲れたのだろう。



地図でしか見たことのない地名のインターチェンジを降り、ナビに示される通りに進んでいくと、「目的地に着きました」と機械の声が知らせてきた。

派手な外観の建物が目に入る。
いつかテレビで見た、ものすごく大きな水槽がある水族館だ。
テンションがあがる。

眠っていた圭吾を起こし、三人並んでゲートへ歩んでいった。

あたしと鮫島くんは、トンネル型の水槽の中を飛ぶように泳ぐエイに大喜びし、エスカレーターでいきなり最上階へ上がっていくという構造に驚き、海の一部をそのまま持って来たような巨大な水槽に感心し、水族館なのに、「なまけもの」がいることに大笑いした。

ゆるやかなスロープを下っていく。

次々に目に飛び込んでくる綺麗な魚や愛くるしい動物を、早く、鮫島くんと圭吾よりも早く見つけたくて、あたしはそれこそ小魚みたいに駆け巡った。

鮫島くんはあたしを追ったり、わざとすかして立ち止まってみたり、そのいちいちが楽しくて楽しくて、気が狂いそうだった。

圭吾はこんなあたしとは反対に落ち着いていた。

不備がないか慎重に見張る監視員のように館内をチェックしていて、よりよく見える位置にあたしを導いたり、あたしが疲れたころを見計らってベンチを陣取っていたり、気の利く裏方に徹していた。


「圭吾くん、退屈なのかな」


鮫島くんが、あたしの耳元で囁いてきた。


「そんなことないと思うよ。きっと、キュンキュン・ワールドのために力を温存してるのだわ」


「そうかー。じゃあ、ここを出たら、観覧車にだけ乗って、早々に帰りましょうかー」


名残惜しく水族館を後にして、近くのレストランで食事を済ませた。


つづく
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