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【完結話】或るシングルマザーの憂鬱

#2 息子も変人

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いつも野田がひょっこり営業1課に現れると同時にあたしは席を外して、給湯室かトイレに篭ることにしている。

あの奇天烈さを受けつける術を持たないあたしには、周りの人の野田に対する態度も気にくわないからだ。

普通の良い人たちなのに、良い人を演じているだけじゃないだろうかなどと、ひねくれた考えにまで発展してしまうことも避けたかった。

廊下に出た背後で笑いが起こり、早速笑いを提供している野田に舌打ちをする。

給湯室で飲みたくもないコーヒーを入れながら、楽しそうに笑っている営業一課の人たちの顔を思い浮かべてみた。

周りのみんながあたしのような排他的な感覚を持っている人たちならば、野田は気持ち悪がられて、明らかにのけ者になっていただろう。

でも、実際野田にイラついているのはあたしだけで、こんなんじゃあたしが悪モンでのけ者みたいだ。


「あ、小北さん。こんな所でサボリですか」


 振り返ると、鮫島くんが廊下から可愛い顔だけを出してこちらをのぞいていた。


「はあ。サボリたくもないのだけどね。なんかあの野田さんが苦手で。というか、かなりイラついてしまうんだわー」


「そうなのですかぁ。ぼくは野田さん、キャラが立っていておやじぽくなくて面白いと思うんだけど」


「いや、どう見てもおやじ丸出しでしょ。精神年齢が低いって意味なら、そうかもしれないけど」


 鮫島くんのおでこにかかる、茶色い髪を見ていると、

「さっきその話になって、野田さん、ネットで自分の精神年齢テストしたら、8歳って出たって言っていましたよ」


 と、身の付け根をクシャッとして笑ってきた。


「8歳…小3か。そのテスト、的確」


小3なら仕方ない。

妙に納得した。
それに若くて可愛い鮫島くんと話している間に、心も落ち着いてきた。

部屋に戻ると、野田はもうすでに帰った後らしく、電話を受ける三浦さんのきれいな声色や、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いていたりする、いつもの風景に戻っていた。

一人ぼっちの寂しい旅から、大家族の元へ帰ってきた気持ちになって、自分の席めがけて飛び込むようにダッシュした。

電話中の三浦さんと目が合ったので、「すみませんでした」と口パクで伝えて、机の上に目をおろした。


「ん?」


 見慣れているはずの机上が、何かおかしい。
間違いさがしをする要領でじっと目を凝らしてみた。


「はっ。なにこれっ」


あたしの電卓に、ベルマークがこれでもか、とセロテープで貼られている。

これは、これはまさか。

電話を切った三浦さんが、こちちを見て笑っている。


「野田さんのプレゼントじゃないの」


「集めてないし!」


汚れたモノをさわるように、あたしはベルマークをはがし、
「キシーー!」とヒステリックにわめいた。


「キシーって。何をカリカリしているのさ」

 三浦さんは笑いをかみ殺して、あたしをなだめた。


「こんな、こんなの嫌がらせじゃないですか」


「嫌がらせって、そんな。ちょいとしたイタズラじゃないの」


「やだ。気持ち悪い。意味わかんない」


あたしはセロテープで丸められたベルマークをゴミ箱に投げ入れた。


「そのベルマークをもっと集めて、保育園にお持ちなさい、ってこととじゃないですか」


斜め前に座っている鮫島くんが、嬉しそうに話に参加してきた。


「何その勝手な提案。うちの保育園では、そんな運動してないし」


 うんざりしてあたしは顔を背けた。


「あはは。野田さんってほんと意味わかんないねー」


可笑しそうに三浦さんが小首をかしげる。
あたしは全く面白くなくて、ますます理屈抜きに野田とは関りたくないと、考えるのだった。




 定時の17時半に退社し、あたしは子供乗せ自転車を立ちこぎして、ベルマーク運動などしていない保育園まで急いだ。

あたしには五歳になる子供、圭吾がいる。
二十歳のときに産んだ子だ。

父親は同じ大学に通っていた同学年のイケメンで、赤ちゃんができたと知ったとたん、あたしの前から姿を消した。

といっても、行方不明になったとかではなくて、彼は講義には通いながら、バイトには精を出しながら、友達とは今まで通り付き合いながら、全く普通に生活しつつも、ものの見事にあたしの前にだけはそれきり一度も現れることがなかった。

なんという人でなし。

それでもあたしは、逃げ続けている彼をなんとか捕まえ言ってやった。

「無責任な人に責任を取ってなんて言わないから安心して。あたしたは勝手に一人で産む。だから将来どんなことがあっても、あんたはも子供に父親だ、って名乗り出てくるんじゃないよ」

あたしが未婚の母になることを、最初は大反対していた両親を説得して、大きくなるお腹を抱えながら大学に通った。

両親の援助を受けながら、出産・育児と勉学をこなし、無事卒業し就職も決まった。

就職と同時にあたしと当時二歳だった圭吾は、職の場近くのハイツに身を置くことになって今に至る。


「圭吾、お待たせー」


18時15分すぎに保育園に着いたあたしは、入り口ドアから大きな声で圭吾を呼んだ。

下駄箱の横に置かれているハロゲンヒーターのスイッチを入れて、冷え切った手や足を温める。
ドア付近から見える部屋では、延長保育を利用している園児らが、楽しそうにお絵かきしていた。

中からあたしと同じ年の保育士が気だるそうに出てきて、


「圭くん、ママがやっと来たって!」


と少々のイヤミを含め、奥に向かって声を張り上げた。

しばらくして圭吾がふてくされてやって来た。



フルチンだった。



「ちょっとー。パンツは?なんではいていないの!冷えるよ」


あたしは呆れながら、息子のオチンチンを見つめた。


「はけるわけねー。これでいいのだー」


圭吾はクルリと後ろを向き、おしりをこちらに突き出した。


「ぎゃっ!ウンチついてるじゃん。拭かないとダメでしょうが」


「ふけるわけねー。これでいいのだー」


「何、ふざけたこと言ってるのさ。あんたもう年長さんだよ。トイレに行って拭いてきて」


舌打ちを真似して「チー」と口にし、圭吾はトイレに向かった。

あたしと圭吾のやり取りを、さっきの保育士が大袈裟にため息をついて見ていて、


「延長しないのなら、もう少し早くお迎えに来てくださいよね!」


と、昨日も一昨日も言ったセリフを言いに近づいてきて、ハロゲンヒーターを切った。



ムカムカ保育園を背に、一方通行の道を抜けて車通りの多い国道に出ると、自転車の後ろに座っている圭吾がおしりを浮かして動き出す。

広い歩道に散らばって歩く通行人を避けながら、あたしは速度を落としてなるべく車道側を走ってやる。

道路を挟んだ向こう側にキュンキュン・ワールドという、キュンキュンと名付けられた犬のキャラクター遊園地があるからだ。

コマーシャルでも派手に宣伝され、毎月内容が変わるミュージカルが子供たちに大人気な大型施設だ。

高い壁に隠され顔の上半分しかお目にかかれない、キュンキュンをかたどった大きなバルーンを、圭吾は毎日行きも帰りも凝視し続けている。

一度、行きたいとねだってきたことがあった。

その頃は、今でもそうだけど、日々の生活を送ることに精一杯で、二人分の入園料や食事代諸々を払える金銭的な余裕などなかった。


「あそこの行き方を知らないなー。横断歩道がないでしょ。車を持っている人しか行けないのだー」


適当にはぐらかすと、


「トンネルがある。ほら、そこ」
圭吾がキュンキュン・ワールドに続く、地下道の入り口を指差した。


「あそこの入り方を知らないなー。歩く専用の道なんだよ。圭吾は自転車乗っているから入れないのだー」


ただの言い逃れを必死に語る。


「しかくがないのかあ」
「そう、資格がないのよ」


本当はお金がないのよ、とあたしは申し訳なく思った。


「しーかくがないから、しーかたがない」
圭吾は節をつけて歌いだした。

タクシーで行けばいいとか、自転車から降りればいいとか、口達者に言ってくるかと構えたが、幼いなりに事情を悟ったのだろうか、それから二度と行きたいと言ってこない。





つづく
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