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意外な訪問者2
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――生きるんだ! あの方の分まで!
海に放り出される直前、「彼」は、目の前の男は、そう叫んでいた。
この声だ。人の心を和らげるような温かみのある低い声。
「え? エウリ様のお母様の主治医って、海に放り出されて亡くなったんじゃ?」
デイアが戸惑ったように彼の足元を見た。
「……足があるから幽霊じゃないわね」
「……それに、十五年分、しっかり年を取ってますわ」
彼は母より十歳年上。エウリが三歳だった当時二十七か八だった。今年四十三にしては若々しく見えるが、やはり二十代の青年には到底見えない。
「……死んだと思い込んでいたエウリはともかく、デイアはポリュの父親のこいつとは何度も会ってるんだから紛れもなく生きている人間だと分かるだろう?」
パーシーは姪の発言に呆れている。
今の今まで忘れていた「彼」、パイエオン・イオニア。
母の主治医だった男。幼いエウリと共に母の最期を見届けた。
帝国行きの船に共に乗り込んだはいいが、海賊により彼を含めた男性達が海に放り込まれた
そんな男の事など思い出しもしなかった。幼い身で、たった一人で生きるのは大変だったからだ。
「……生きていたのね。パオ」
幼いエウリ(アネモネ)は「パイエオン」と言えず「パオ」と呼んでいた。
「はい、姫様……貴女は母君にそっくりになられた」
それだけ言うとパオは涙ぐんだ。
「……お父様達は、この事を知っていたの? 黙ってらしたの?」
パオと一緒に来た父親と叔父にデイアは視線を向けた。
「……俺は知っていたが」
「……私が知ったのは、ついさっきだ。こいつは今まで私を避けていたからな」
パーシーに続いて言ったオルフェは忌々し気な視線をパオに送った。
「……そういえば、あなた、ポリュ様の父親なのよね。という事は、レダ様の夫?」
レダ・マグニシアはポリュの母にしてクレイオの娘、オルフェの従妹でもある。プロイトス出版の翻訳部門の編集長をしている。
エウリはポリュの演奏会でレダに何度が会った。金髪に青い瞳の絶世の美女だ。母が生きていればレダと同い年(今年で三十三)、しかも同じ髪と瞳の色なので勝手に親近感を持っている。
「……私が飢えと寒さで苦しんでいる時に、あなたは綺麗な奥様や可愛い娘と幸せに暮らしていたのね」
ポリュはエウリの三つ下だ。パオが海賊に海に放り込まれた後、レダと知り合ってポリュが産まれたという事だろう。
帝国行きの船に一緒の乗ってくれた事は感謝している。いくら亡くなる間際の主(母)の頼みとはいえ無視してエウリを売り飛ばす事もできのだから。
エウリが飢えと寒さで苦しんでいる時にパオが幸せな家庭を築いていようと責める事などできない。頭では分かっている。
けれど、感情が納得しない。「私が苦労している時に、あなただけが幸せになっていたのか!?」という八つ当たりめいた思いが芽生えてしまう。
「……それは」
「違うわよ。エウリ様」
何も言えなくなったらしいパオを援護したのは意外な事にデイアだった。
「ポリュは、この方の実の娘ではないの」
「え?」
目をぱちくりさせるエウリをよそに、パオとデイアが会話していた。
「……ポリュが話したのですか?」
「ええ。言い触らしたりはしないから安心して」
「……どういう事かしら? あっ、言いたくないなら」
「話さなくていい」と言いかけるエウリに、しばし迷った顔をした後、パオは言った。
「……いえ、こうして姫様に会いにきたのです。お話すべきだと思います」
「……あなたが会いにきたエウリ様と一緒にいらしたお父様や叔父様はともかく、わたくしは帰ったほうがいいかしら?」
気を遣うデイアにパオは優しく言った。
「レディ・デイアは姫様の出自ばかりかポリュの事もご存知だ。聞いてくださって構いませんよ」
「……ポリュから聞いたのは、あなたがあの子の実の父親でないという事だけよ。それ以外は聞いてないわ」
デイアもエウリと同じで、どんなに仲がよくても本人が話したがらない事に踏み込んだりはしないのだ。
「あなたがポリュのはとこで親友なのは、あの子にとって幸せですね」
実の娘でなくてもパオはポリュを慈しんでいる。娘を語る彼の柔らかな表情から、それは充分伝わってきた。
「わたくしにとってもポリュがはとこで親友なのは幸せよ。あなたがあの子の父親であるのと同じように」
デイアの科白はパオには思いがけないものだったのだろう。彼は虚を衝かれたような顔になった。
「ポリュは言っていたわ。血は繋がってなくても自分の父親は、あなただけだって」
「……私にっても、あの子は娘ですよ。ヘレネやストラと同じように」
ヘレネとストラことクリュタイムネストラはポリュの十歳年下の双子の妹達だ。この双子がパオの実の子供達か。
「長い話になりそうだ。座ろう」
この館の主であるパーシーが自分と同じく立ったままのオルフェとパオにソファに座るように促した。
パーシーは一人掛けのソファ、オルフェはエウリの隣、パオはデイアの隣のソファに座った。デイアがエウリの隣に移動しようとしてオルフェがとめたのだ。パオはエウリに会いに来たので彼女と話すには対面が一番いい。かといって、自分がパオの隣になるのは嫌だったらしい。
オルフェは冷静沈着な宰相として有名な大人の男性。こんな子供じみた事をする人ではないのは短い付き合いでも分かる。娘のデイアは勿論、エウリも驚いた。オルフェのパオに対する態度が刺々しく冷たいのは何か理由があるのだろう。パオは「オルフェを避けていた」みたいだし。
「……海賊に頭を殴られ海に放り出された私は、モレア島に流れ着きました」
モレア島は帝国の帝都アルゴスの東にある観光地として有名な小さな島だ。
「そこで意識を取り戻したものの頭を殴られたショックか、私は記憶を失っていたんです」
「……まあ」
エウリは思わず声を上げた。彼も彼でまた大変だったという事か。
「幸い失ったのは自分に関する記憶だけで一般常識や医者としての知識はそのままでしたからモレア島に住みつき医者として暮らしていました」
記憶喪失になっても彼は大人の男性。幼い身で、たった独りで生きなければならなかったエウリに比べれば、ずっと生きやすかっただろう。
「モレア島に流れついて一か月後、レダに出会ったんです。彼女は断崖絶壁で思いつめた顔で海を見ていた。身投げかと思い声をかけたのが出会いです。……記憶はなくても、あの方と同い年で同じ髪と瞳の色のレダを放っておけなかったんだと思います」
あの方とは母の事だろう。記憶喪失でも無意識下で母を憶えていて、母と同じ特徴を持つレダを放っておけないと思ったというのなら、それは――。
「……レダは父親が誰か分からない子を妊娠していた。産むと決意しても、家族にどう話せばいいのかと悩んでいたんです。モレア島に来たのも観光ではなく家族から離れて考えるためだった」
「……レダ様は、その」
エウリは「レダ様にとって望まない結果の妊娠だったの?」と訊こうとして、それでは踏み込みすぎだと何も言えなくなった。
そんなエウリに構わずパオは淡々と話を続けた。
「……当時のレダは今の貴女と同じ年頃で、どうにもならない事に苦しんでいた。誰にも相談できず夜の街をさ迷って……結果、妊娠したとしてもレダを責める事はできない。まして、ポリュは何も悪くない」
パオは、きっと妻と娘についてだけではなく母とエウリの事も言っているのだ。「貴女も貴女の母も何も悪くない」と。
「レダを放っておけなかった。あの方との同じ特徴を持つからだけではなく私は母子家庭だったから。……『父親』から一応経済的な援助はしてもらいましたが、やはり母親だけで子供を育てるのは大変です。それも無意識下で憶えていたのでしょうね。『記憶がない私のような男でよかったら、その子の父親になる』とレダに申し出たんです」
パオは淡々と感情を交えず語ろうとしているようだが「父親」と言った時だけ抑えようとしても抑えられない感情が口調や表情に表れていた。ただの怒りや嫌悪や憎しみなどというものではない。それら負の感情が煮詰まったものだ。
人の心を和ませる雰囲気のパオが一瞬とはいえ見せた強烈な感情にエウリとデイアは圧倒されたが、オルフェとパーシーは平然としている。
「レダと結婚して二年程経って、ようやく記憶を取り戻しました。その頃には、貴女と思われる子供がグレーヴス男爵の養女になったと噂で聞きました。それから時々、遠くから貴女の御姿を見に行くようになって……二年前、グレーヴス男爵邸をうろついているのをティーリュンス公爵様に不審に思われて問い詰められました」
パオに続いてパーシーが話した。
「君と出会った頃だ。こいつがグレーヴス男爵邸をうろついてる姿が何とも不審でな。こいつを無理矢理、家まで引っぱって話を聞いたんだ」
「……訪ねてくれればよかったのに」
わざわざグレーヴス男爵邸をうろつくのなら堂々とエウリを訪ねてくれればよかったのに。
「……私を憶えているか分からなかったし、何より戸籍がない存在しない人間ではなく、グレーヴス男爵令嬢として、あの方が望んだように自由に幸福に生きてほしかった。そのためには、貴女の出自を知る私は係わるべきではないと思ったんです」
「……確かに、今朝夢を見るまであなたの事を完全に忘れていたわ。……ごめんなさい」
今までの会話で、パオが、ただ主だった母に頼まれたというだけでエウリを帝国に連れてきたのではないと分かった。ただ医者として死を間際にした人間の頼みを果たしただけなら記憶を取り戻した後、エウリを見ようと何度もグレーヴス男爵邸をうろついたりはしない。
どんな想いであれ、パオはエウリを気にかけてくれている。だのに、そんな彼をエウリは今まで完全に忘れていたのだ。
「いいえ。私を忘れても母君を忘れなければ、それでいいのです」
「……お母様を愛していた?」
パオは目を瞠った。まさかエウリから、そう言われるとは思わなかったのだろう。
「……許されぬ想いです」
パオは遠回しにだがエウリの発言を認めている。だが、表情も口調も苦渋に満ちたものだった。
「人を好きになるのに許されないなんて事ないでしょう?」
エウリに続けて言ったパオの科白は、あまりにも予想外で衝撃的だった。
「……許されないんです。私も『あの男』の子供だから」
海に放り出される直前、「彼」は、目の前の男は、そう叫んでいた。
この声だ。人の心を和らげるような温かみのある低い声。
「え? エウリ様のお母様の主治医って、海に放り出されて亡くなったんじゃ?」
デイアが戸惑ったように彼の足元を見た。
「……足があるから幽霊じゃないわね」
「……それに、十五年分、しっかり年を取ってますわ」
彼は母より十歳年上。エウリが三歳だった当時二十七か八だった。今年四十三にしては若々しく見えるが、やはり二十代の青年には到底見えない。
「……死んだと思い込んでいたエウリはともかく、デイアはポリュの父親のこいつとは何度も会ってるんだから紛れもなく生きている人間だと分かるだろう?」
パーシーは姪の発言に呆れている。
今の今まで忘れていた「彼」、パイエオン・イオニア。
母の主治医だった男。幼いエウリと共に母の最期を見届けた。
帝国行きの船に共に乗り込んだはいいが、海賊により彼を含めた男性達が海に放り込まれた
そんな男の事など思い出しもしなかった。幼い身で、たった一人で生きるのは大変だったからだ。
「……生きていたのね。パオ」
幼いエウリ(アネモネ)は「パイエオン」と言えず「パオ」と呼んでいた。
「はい、姫様……貴女は母君にそっくりになられた」
それだけ言うとパオは涙ぐんだ。
「……お父様達は、この事を知っていたの? 黙ってらしたの?」
パオと一緒に来た父親と叔父にデイアは視線を向けた。
「……俺は知っていたが」
「……私が知ったのは、ついさっきだ。こいつは今まで私を避けていたからな」
パーシーに続いて言ったオルフェは忌々し気な視線をパオに送った。
「……そういえば、あなた、ポリュ様の父親なのよね。という事は、レダ様の夫?」
レダ・マグニシアはポリュの母にしてクレイオの娘、オルフェの従妹でもある。プロイトス出版の翻訳部門の編集長をしている。
エウリはポリュの演奏会でレダに何度が会った。金髪に青い瞳の絶世の美女だ。母が生きていればレダと同い年(今年で三十三)、しかも同じ髪と瞳の色なので勝手に親近感を持っている。
「……私が飢えと寒さで苦しんでいる時に、あなたは綺麗な奥様や可愛い娘と幸せに暮らしていたのね」
ポリュはエウリの三つ下だ。パオが海賊に海に放り込まれた後、レダと知り合ってポリュが産まれたという事だろう。
帝国行きの船に一緒の乗ってくれた事は感謝している。いくら亡くなる間際の主(母)の頼みとはいえ無視してエウリを売り飛ばす事もできのだから。
エウリが飢えと寒さで苦しんでいる時にパオが幸せな家庭を築いていようと責める事などできない。頭では分かっている。
けれど、感情が納得しない。「私が苦労している時に、あなただけが幸せになっていたのか!?」という八つ当たりめいた思いが芽生えてしまう。
「……それは」
「違うわよ。エウリ様」
何も言えなくなったらしいパオを援護したのは意外な事にデイアだった。
「ポリュは、この方の実の娘ではないの」
「え?」
目をぱちくりさせるエウリをよそに、パオとデイアが会話していた。
「……ポリュが話したのですか?」
「ええ。言い触らしたりはしないから安心して」
「……どういう事かしら? あっ、言いたくないなら」
「話さなくていい」と言いかけるエウリに、しばし迷った顔をした後、パオは言った。
「……いえ、こうして姫様に会いにきたのです。お話すべきだと思います」
「……あなたが会いにきたエウリ様と一緒にいらしたお父様や叔父様はともかく、わたくしは帰ったほうがいいかしら?」
気を遣うデイアにパオは優しく言った。
「レディ・デイアは姫様の出自ばかりかポリュの事もご存知だ。聞いてくださって構いませんよ」
「……ポリュから聞いたのは、あなたがあの子の実の父親でないという事だけよ。それ以外は聞いてないわ」
デイアもエウリと同じで、どんなに仲がよくても本人が話したがらない事に踏み込んだりはしないのだ。
「あなたがポリュのはとこで親友なのは、あの子にとって幸せですね」
実の娘でなくてもパオはポリュを慈しんでいる。娘を語る彼の柔らかな表情から、それは充分伝わってきた。
「わたくしにとってもポリュがはとこで親友なのは幸せよ。あなたがあの子の父親であるのと同じように」
デイアの科白はパオには思いがけないものだったのだろう。彼は虚を衝かれたような顔になった。
「ポリュは言っていたわ。血は繋がってなくても自分の父親は、あなただけだって」
「……私にっても、あの子は娘ですよ。ヘレネやストラと同じように」
ヘレネとストラことクリュタイムネストラはポリュの十歳年下の双子の妹達だ。この双子がパオの実の子供達か。
「長い話になりそうだ。座ろう」
この館の主であるパーシーが自分と同じく立ったままのオルフェとパオにソファに座るように促した。
パーシーは一人掛けのソファ、オルフェはエウリの隣、パオはデイアの隣のソファに座った。デイアがエウリの隣に移動しようとしてオルフェがとめたのだ。パオはエウリに会いに来たので彼女と話すには対面が一番いい。かといって、自分がパオの隣になるのは嫌だったらしい。
オルフェは冷静沈着な宰相として有名な大人の男性。こんな子供じみた事をする人ではないのは短い付き合いでも分かる。娘のデイアは勿論、エウリも驚いた。オルフェのパオに対する態度が刺々しく冷たいのは何か理由があるのだろう。パオは「オルフェを避けていた」みたいだし。
「……海賊に頭を殴られ海に放り出された私は、モレア島に流れ着きました」
モレア島は帝国の帝都アルゴスの東にある観光地として有名な小さな島だ。
「そこで意識を取り戻したものの頭を殴られたショックか、私は記憶を失っていたんです」
「……まあ」
エウリは思わず声を上げた。彼も彼でまた大変だったという事か。
「幸い失ったのは自分に関する記憶だけで一般常識や医者としての知識はそのままでしたからモレア島に住みつき医者として暮らしていました」
記憶喪失になっても彼は大人の男性。幼い身で、たった独りで生きなければならなかったエウリに比べれば、ずっと生きやすかっただろう。
「モレア島に流れついて一か月後、レダに出会ったんです。彼女は断崖絶壁で思いつめた顔で海を見ていた。身投げかと思い声をかけたのが出会いです。……記憶はなくても、あの方と同い年で同じ髪と瞳の色のレダを放っておけなかったんだと思います」
あの方とは母の事だろう。記憶喪失でも無意識下で母を憶えていて、母と同じ特徴を持つレダを放っておけないと思ったというのなら、それは――。
「……レダは父親が誰か分からない子を妊娠していた。産むと決意しても、家族にどう話せばいいのかと悩んでいたんです。モレア島に来たのも観光ではなく家族から離れて考えるためだった」
「……レダ様は、その」
エウリは「レダ様にとって望まない結果の妊娠だったの?」と訊こうとして、それでは踏み込みすぎだと何も言えなくなった。
そんなエウリに構わずパオは淡々と話を続けた。
「……当時のレダは今の貴女と同じ年頃で、どうにもならない事に苦しんでいた。誰にも相談できず夜の街をさ迷って……結果、妊娠したとしてもレダを責める事はできない。まして、ポリュは何も悪くない」
パオは、きっと妻と娘についてだけではなく母とエウリの事も言っているのだ。「貴女も貴女の母も何も悪くない」と。
「レダを放っておけなかった。あの方との同じ特徴を持つからだけではなく私は母子家庭だったから。……『父親』から一応経済的な援助はしてもらいましたが、やはり母親だけで子供を育てるのは大変です。それも無意識下で憶えていたのでしょうね。『記憶がない私のような男でよかったら、その子の父親になる』とレダに申し出たんです」
パオは淡々と感情を交えず語ろうとしているようだが「父親」と言った時だけ抑えようとしても抑えられない感情が口調や表情に表れていた。ただの怒りや嫌悪や憎しみなどというものではない。それら負の感情が煮詰まったものだ。
人の心を和ませる雰囲気のパオが一瞬とはいえ見せた強烈な感情にエウリとデイアは圧倒されたが、オルフェとパーシーは平然としている。
「レダと結婚して二年程経って、ようやく記憶を取り戻しました。その頃には、貴女と思われる子供がグレーヴス男爵の養女になったと噂で聞きました。それから時々、遠くから貴女の御姿を見に行くようになって……二年前、グレーヴス男爵邸をうろついているのをティーリュンス公爵様に不審に思われて問い詰められました」
パオに続いてパーシーが話した。
「君と出会った頃だ。こいつがグレーヴス男爵邸をうろついてる姿が何とも不審でな。こいつを無理矢理、家まで引っぱって話を聞いたんだ」
「……訪ねてくれればよかったのに」
わざわざグレーヴス男爵邸をうろつくのなら堂々とエウリを訪ねてくれればよかったのに。
「……私を憶えているか分からなかったし、何より戸籍がない存在しない人間ではなく、グレーヴス男爵令嬢として、あの方が望んだように自由に幸福に生きてほしかった。そのためには、貴女の出自を知る私は係わるべきではないと思ったんです」
「……確かに、今朝夢を見るまであなたの事を完全に忘れていたわ。……ごめんなさい」
今までの会話で、パオが、ただ主だった母に頼まれたというだけでエウリを帝国に連れてきたのではないと分かった。ただ医者として死を間際にした人間の頼みを果たしただけなら記憶を取り戻した後、エウリを見ようと何度もグレーヴス男爵邸をうろついたりはしない。
どんな想いであれ、パオはエウリを気にかけてくれている。だのに、そんな彼をエウリは今まで完全に忘れていたのだ。
「いいえ。私を忘れても母君を忘れなければ、それでいいのです」
「……お母様を愛していた?」
パオは目を瞠った。まさかエウリから、そう言われるとは思わなかったのだろう。
「……許されぬ想いです」
パオは遠回しにだがエウリの発言を認めている。だが、表情も口調も苦渋に満ちたものだった。
「人を好きになるのに許されないなんて事ないでしょう?」
エウリに続けて言ったパオの科白は、あまりにも予想外で衝撃的だった。
「……許されないんです。私も『あの男』の子供だから」
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