○○さんの諸事情。

アノンドロフ

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おまけ

飲み会。

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 修士論文の発表会が終わり、斑目はその打ち上げとして、おなじ研究室メンバーで居酒屋に来ていた。
 座敷へと案内されるや否や、解放感溢れる空気に包まれる。……その空気感についていくことができず、斑目は隅のほうに一人ポツンと座った。
 そんな彼の横に、貞光がやって来る。
「隣、いいか?」
 一つ頷いてみせると、貞光はホッとした様子で座布団の上に正座した。

「こういった場には、なかなか慣れないものだな……」
 どうやら、貞光も飲み会の空気感は苦手のようだ。
「だが、ここの料理は美味しいと颯──磯貝から聞いた。楽しみだ」
「そうか」
 斑目は相槌を打ちながら、「やはり、変わったな」と心のなかで呟く。
 変わったのは、もちろん貞光のことだ。
 見た目だけではない。──たしかに、以前と比べると彼は身なりを気にするようになり、ある時髪をバッサリと切ってきたときには研究室内が一時騒然としたこともあったが──何というか、肩の力が抜けたような、雰囲気が軟化したような、そんな風に斑目は感じていた。
 それも、磯貝のおかげなのだろう。二人の恋路を応援していた斑目としては、嬉しく思う。

「先輩方、なに飲みますか? というか、なんで主役がそんな端っこにいるんです?」
 発表会の感想を言い合っていると、注文を纏めている4年の谷田から声がかかる。そして、回ってくるメニュー表。
「俺は……烏龍茶にするか。貞光君は?」
「あー……谷田、こっち烏龍茶2つで」
「うっす」
 谷田が代表で店員に注文するのを聞きながら、斑目は以前から気になっていたことを貞光に言う。
「貞光君も、アルコール全然頼まないね」
 斑目がアルコールを飲まないのは、彼の父親の酒癖の悪さを知っているからだ。あのように、暴力的にだけはなりたくない斑目は、未だに飲酒したことがなかった。
 一方、貞光はというと──。
「えーと……俺は、どうやらアルコールに弱いみたいで。磯貝に止められてるんだよ」
 二十歳になった頃、記念にと二人で宅飲みしたそうだ。そのとき、磯貝に迷惑をかけたらしく、それ以来外で飲むのは止めた方がいいと磯貝に言われた──と、貞光は答えた。
 正直、意外だ、と思った。彼は非常にしっかりした人間であり、酒に飲まれるタイプだとは思わなかったのだ。
 そして、流れで思い出したのは、先日磯貝とバッタリ会ったときの会話。
 貞光と磯貝が変わらず仲良くしていることは知っているが、磯貝から話を聞くのはあまりなかったため、話を振ってみた。
 そのときの磯貝は、陸上に心血を注いでいたあの頃と同じ表情で、いかに貞光絢也が可愛くて格好よくて最高か──つまり、惚気話を始めた。普段の貞光からは想像つかないようなエピソードが彼の口から溢れ出たものだから、斑目は一瞬怯んだ。だが、すぐに応戦した。須応真人はかわいいぞ、すっごくな。独占欲強めなところとか好き。
 ……話は逸れてしまったが、貞光にはまだまだ知らない面が多く、おそらくその多部分は磯貝にしか見せていないのだろう、と斑目は結論付けた。

 飲み物も届き、本格的に飲み会が始まる。
 二人の前には後輩が次々とやって来ては、様々な話題を落としていく。皆、酒が入っているためか、話題が少々際どい。二人に恋人がいることは、研究室メンバーのほとんどが知っている事であり、それに関連する質問が度々飛んでくる。同性と付き合っていることもあり、答えにくいのだが、貞光は上手く質問をさばいている。流石だ。
 運ばれてくる焼き鳥を頬張り、追加の飲み物を頼む。
 斑目は見た目通りよく食べるが、貞光も意外と健啖家だ。後輩との会話を楽しみながらも、しっかりと食事も満喫している。
「恋人さんの写真とかってないんですか? 見たいんですけど」
「あるけど見せない。あいつに惚れる人間が増えたら困るからな」
「わあ、めちゃ気になる~」
 ……自然とそんなこと言えるの、強い。
 運ばれてきた飲み物を隣へとまわしながら、斑目は彼らの会話に耳を傾ける。
「じゃあ、好きになったきっかけは? それぐらいなら教えてくれてもいいでしょう?」
「……笑顔、だろうか。笑った顔が、魅力的だった。……だから、俺のそばで笑顔でいてほしいと思って、──できれば、その表情は俺にだけ向けられてほしいと思ってしまって──」
 ちょっと締まりのない顔で、照れくさそうに貞光は語る。後輩の女子たちが沸いた。
 ……と、いうよりも、なんだか貞光が眠そうな……と斑目が思い至ったタイミングで、別テーブルにウーロンハイではなく烏龍茶が届いていたことが知らされた。
 ……つまり、今貞光が手にしているそのグラスは……。



 そろそろお開きにしようという空気が流れ始めた頃。斑目は、頭を抱えていた。
 隣には、机に突っ伏してすよすよと眠る貞光。何度か起こそうと試みたものの、全く起きる気配がない。
 この状態の貞光を置いて、一人で帰れるほど斑目は非情ではなく、かといって彼を家まで送ろうにも場所がわからない。
 ……仕方ない。連絡するか。
 斑目はポケットからスマホを出して、チャットアプリから磯貝の連絡先を呼び出した。
 簡潔に用件だけを打ち込み、送信。丁度手が空いていたようで、すぐに返事がきた。
 そして、さらに十数分後……。
「すみません、絢さん迎えにきました!」
 明朗快活な声とともに現れた磯貝に、座敷内がざわつく。
 彼はそれを意に介さず、真っ直ぐ斑目たちの方へと向かってきた。
「連絡ありがとうございます、先輩」
「こちらこそ。急に呼び出してごめん。貞光君、全然起きそうになくて……」
 貞光の荷物を斑目が纏めている間に、磯貝は貞光の隣へと座って、彼の肩をぽんぽん叩く。
「おーい。起きてー、絢さーん」
「ん……む?」
 あれほど呼び掛けても起きなかった貞光が、磯貝相手だとすぐに反応した。
 彼はゆっくり頭を上げて、眠たげな両の目で磯貝を捉える。
「あ、起きた? 絢さ──」
 磯貝が言い終わらないうちに、貞光の両腕が彼の首へと回される。そして、何事かを磯貝の耳元でぽそぽそと呟いたのちに、甘えるように抱き締めた。

 静まり返る店内。顔を羞恥で真っ赤にした磯貝は、再び眠ってしまった貞光の身体を抱える。
「えっと……これ、貞光くんの荷物」
「あ、ありがとうございます……あはは……」
 斑目から荷物を受け取ると、貞光を連れて足早に出ていく磯貝。
 そんな彼の背中を見送りながら、斑目はさっき聞こえてしまった言葉を思い出す。
『会いたかった』
 甘さと色気とあどけなさを孕んだ声色で貞光はそう言うと、心の底から嬉しそうな表情で磯貝にハグをした。……あの人は、好きな人にはああいう一面を見せるのか。
 だから、今まで恋愛事に興味のなかった磯貝が、あそこまで貞光に夢中になったのだろう。ギャップは沼だということは、須応で思い知ったことだ。

 完全に彼らの姿が見えなくなった頃、今まで氷像のように固まっていた研究室メンバーたちが一斉に喋り出す。
「誰!? あの人!」
「急にイケメンが来たと思ったら……え? どういう関係?」
「てか、あんな貞光先輩みたことないんだけど!」
「ね! いつもは大人な感じでカッコいいのに、さっきのはなんというか……かわいかったね」
「あの人はあの人で、すごく幸せそうだった」
「まさか……先輩の恋人って……」

 皆の視線がこちらへと一斉に向く。
「斑目先輩って、さっきの人と知り合いなんですよね?」
 ……大変なことになってしまった。
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