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貞光さんと磯貝くんの場合。
磯貝くんと雨の日。
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「うわ、最悪だ……」
本日最後の講義が終わり、何となく窓の外を見た磯貝は、思わずそう漏らす。
昼頃は晴れていたはずなのに、いつの間にか大雨が降っていた。そして、こういうときに限って折り畳み傘やレインコートを持ってきていない。この雨のなかを、歩いて帰るのは気が滅入る。
小降りになるまで待ってみた方が良さそうだと、取り敢えずエレベーターホールに置かれたベンチに腰掛け、スマートホンの電源を入れる。
チャットアプリに、未読メッセージがあった。ちょうど一分前、貞光からだ。
『雨やべーな。こんなに降ってくるとは思わなかった……』
特に用事があったのではなく、ただの雑談で送ってきたようだ。時間を潰すのに困っていた身としては、ありがたい。
『俺もビックリしたよ。今、傘持ってないから雨宿り中』
返事を送信すると、すぐに既読が付いた。そして、数十秒後。
『今、どこ? このあとの用事は?』
貞光からの端的な質問に戸惑いながら、磯貝は返事を打つ。
『今は第二キャンパスの一号館にいるよ。このあとの用事は特にないかな。家に帰るだけ』
送信して、またすぐに返事がくる。
『了解。五分待ってて』
「……五分待ってて?」
思わず、声に出して読んでしまった。まさか、いや、さすがに迎えに来てくれるなんてことはないだろう。第一キャンパスからここまで、五分では来られないだろうし。
──などと、思っていたわけだったが。
「よ。おつかれ」
あれから五分後に来たメッセージに従い、一階まで降りていくと、トートバッグと傘を持った貞光が待っていた。
「おつかれ……て、もしかして、迎えに来てくれたの……?」
申し訳なさでいっぱいになる磯貝に対して、貞光はバッグを肩にかけ直しながら、答える。
「おう。今日は最後のコマが空いてたから、そこのスーパーで買い物していたんだ。ほら、第二キャンパスから道路を挟んで向かい側にある」
「ああ、あそこだね。俺もよく行くよ」
「そうか──それで、傘持ってないって言うし、帰る場所も一緒だし、ちょうど近くにいたから、迎えに来た」
傘を開き、こちらへと差し出す貞光。彼のこの微笑みは、きっと自分の抱く想いとは違う種類のものなのだろう。柔らかいもので包み込むように、この想いを仕舞ってから、磯貝は彼の右側へと立つ。
「ありがとう。──傘は俺が持つよ」
「いいのか?」
「うん。入らせて貰うんだから、これぐらいのことはさせてよ」
「……わかった。それじゃ、よろしく」
貞光から、傘を受け取る。一瞬、指先が重なって驚いた声が漏れたが、雨の音に掻き消された。
講義が終わったこともあったためか、キャンパスの敷地内の人口はそれなりに高かった。しかし、その外は対照的に、人通りがまばらだった。そのせいか、磯貝は嫌でも意識してしまう。
肩が触れ合う距離に、貞光絢也がいる。
天気が悪いため、あの太陽の様な虹彩を見ることはできないものの、その瞳がこちらへと向く度に、心臓が変な音を立てる。
一ヶ月前までは何とも思わなかったはずだというのに、一体どうしてしまったのか。
この様な悪天候のなかでも、彼から見える貞光絢也は輝いていた。
「……あの、貞光さん」
「ん? どうした?」
言ってしまおうか、どうしようか。
思い切って話を切り出したものの、決意はふわふわと逃げてしまった。
不思議そうにこちらを見ている彼に申し訳なくなり、代わりに別の話題を持ち出す。
「その……あと一ヶ月で冬休みになるね」
「そうだな。今年もそろそろ終わりか……」
「それで、なんだけど……冬休み、どこかで遊ばない?」
一日だけでいい。何なら、一緒にご飯を食べに行くとかでもいい。
しかし、貞光は「すまない」と前置きした上で、断った。
「冬休みは、祖父母のところに行くことになっているんだ。遠いし、色々と準備もあるから、ちょっと……」
「そっか。わかった」
貞光の祖父母といえば、恐らくグループの会長とかに当たるのだろう。ならば、仕方がない。諦めよう。
「──だが、二十四日は空いてるぞ?」
「──二十四日?」
思わずおうむ返しすると、貞光は頷いて、続ける。
「ああ。普通に講義はあるから、遊ぶとしても遅い時間になるが。どうだろう?」
「その日は、俺も空いてるから大丈夫──」
そう言いかけながら、磯貝はふと気付く。
来月の二十四日──つまり、十二月二十四日。たしか、クリスマスイブという日では?
脳内がフリーズ仕掛けている磯貝の様子に気付いていないらしく、貞光は「そうそう」と追い討ちをかける。
「最近、お前の話を親にしたら、家に土鍋が届いて。寒くなるから友達と鍋でも食べなって言われているんだ」
「お鍋。いいね」
「ああ、いいよな、寒い日に食べる鍋。……それで、もしよければなんだが。二十四日、うちで鍋しないか? 親に会ったら多分鍋について訊かれるだろうから、祖父母のところに行く前に、やりたいんだが」
十二月二十四日の夜。
貞光の部屋で。
鍋。
「ありがとうございます」
「えっと、どういたしまして?」
鍋に何の具材を入れると美味しいか、シメはご飯か麺か──そんな話で盛り上がっているうちに、いつの間にかアパートに着いていた。
傘を返し、名残惜しい気持ちとともに部屋の前で別れる。
玄関扉を閉めてから、ふと右肩が濡れていることに気が付いた。普段なら落ち込んだ気分になっていただろうが、今はそれでさえも愛しく思えた。恐らく、あの人は濡れずに帰れたということだから──。
そして、さっとシャワーを浴びてから、大学に自転車を置いてきてしまったことを思い出す磯貝だった。
本日最後の講義が終わり、何となく窓の外を見た磯貝は、思わずそう漏らす。
昼頃は晴れていたはずなのに、いつの間にか大雨が降っていた。そして、こういうときに限って折り畳み傘やレインコートを持ってきていない。この雨のなかを、歩いて帰るのは気が滅入る。
小降りになるまで待ってみた方が良さそうだと、取り敢えずエレベーターホールに置かれたベンチに腰掛け、スマートホンの電源を入れる。
チャットアプリに、未読メッセージがあった。ちょうど一分前、貞光からだ。
『雨やべーな。こんなに降ってくるとは思わなかった……』
特に用事があったのではなく、ただの雑談で送ってきたようだ。時間を潰すのに困っていた身としては、ありがたい。
『俺もビックリしたよ。今、傘持ってないから雨宿り中』
返事を送信すると、すぐに既読が付いた。そして、数十秒後。
『今、どこ? このあとの用事は?』
貞光からの端的な質問に戸惑いながら、磯貝は返事を打つ。
『今は第二キャンパスの一号館にいるよ。このあとの用事は特にないかな。家に帰るだけ』
送信して、またすぐに返事がくる。
『了解。五分待ってて』
「……五分待ってて?」
思わず、声に出して読んでしまった。まさか、いや、さすがに迎えに来てくれるなんてことはないだろう。第一キャンパスからここまで、五分では来られないだろうし。
──などと、思っていたわけだったが。
「よ。おつかれ」
あれから五分後に来たメッセージに従い、一階まで降りていくと、トートバッグと傘を持った貞光が待っていた。
「おつかれ……て、もしかして、迎えに来てくれたの……?」
申し訳なさでいっぱいになる磯貝に対して、貞光はバッグを肩にかけ直しながら、答える。
「おう。今日は最後のコマが空いてたから、そこのスーパーで買い物していたんだ。ほら、第二キャンパスから道路を挟んで向かい側にある」
「ああ、あそこだね。俺もよく行くよ」
「そうか──それで、傘持ってないって言うし、帰る場所も一緒だし、ちょうど近くにいたから、迎えに来た」
傘を開き、こちらへと差し出す貞光。彼のこの微笑みは、きっと自分の抱く想いとは違う種類のものなのだろう。柔らかいもので包み込むように、この想いを仕舞ってから、磯貝は彼の右側へと立つ。
「ありがとう。──傘は俺が持つよ」
「いいのか?」
「うん。入らせて貰うんだから、これぐらいのことはさせてよ」
「……わかった。それじゃ、よろしく」
貞光から、傘を受け取る。一瞬、指先が重なって驚いた声が漏れたが、雨の音に掻き消された。
講義が終わったこともあったためか、キャンパスの敷地内の人口はそれなりに高かった。しかし、その外は対照的に、人通りがまばらだった。そのせいか、磯貝は嫌でも意識してしまう。
肩が触れ合う距離に、貞光絢也がいる。
天気が悪いため、あの太陽の様な虹彩を見ることはできないものの、その瞳がこちらへと向く度に、心臓が変な音を立てる。
一ヶ月前までは何とも思わなかったはずだというのに、一体どうしてしまったのか。
この様な悪天候のなかでも、彼から見える貞光絢也は輝いていた。
「……あの、貞光さん」
「ん? どうした?」
言ってしまおうか、どうしようか。
思い切って話を切り出したものの、決意はふわふわと逃げてしまった。
不思議そうにこちらを見ている彼に申し訳なくなり、代わりに別の話題を持ち出す。
「その……あと一ヶ月で冬休みになるね」
「そうだな。今年もそろそろ終わりか……」
「それで、なんだけど……冬休み、どこかで遊ばない?」
一日だけでいい。何なら、一緒にご飯を食べに行くとかでもいい。
しかし、貞光は「すまない」と前置きした上で、断った。
「冬休みは、祖父母のところに行くことになっているんだ。遠いし、色々と準備もあるから、ちょっと……」
「そっか。わかった」
貞光の祖父母といえば、恐らくグループの会長とかに当たるのだろう。ならば、仕方がない。諦めよう。
「──だが、二十四日は空いてるぞ?」
「──二十四日?」
思わずおうむ返しすると、貞光は頷いて、続ける。
「ああ。普通に講義はあるから、遊ぶとしても遅い時間になるが。どうだろう?」
「その日は、俺も空いてるから大丈夫──」
そう言いかけながら、磯貝はふと気付く。
来月の二十四日──つまり、十二月二十四日。たしか、クリスマスイブという日では?
脳内がフリーズ仕掛けている磯貝の様子に気付いていないらしく、貞光は「そうそう」と追い討ちをかける。
「最近、お前の話を親にしたら、家に土鍋が届いて。寒くなるから友達と鍋でも食べなって言われているんだ」
「お鍋。いいね」
「ああ、いいよな、寒い日に食べる鍋。……それで、もしよければなんだが。二十四日、うちで鍋しないか? 親に会ったら多分鍋について訊かれるだろうから、祖父母のところに行く前に、やりたいんだが」
十二月二十四日の夜。
貞光の部屋で。
鍋。
「ありがとうございます」
「えっと、どういたしまして?」
鍋に何の具材を入れると美味しいか、シメはご飯か麺か──そんな話で盛り上がっているうちに、いつの間にかアパートに着いていた。
傘を返し、名残惜しい気持ちとともに部屋の前で別れる。
玄関扉を閉めてから、ふと右肩が濡れていることに気が付いた。普段なら落ち込んだ気分になっていただろうが、今はそれでさえも愛しく思えた。恐らく、あの人は濡れずに帰れたということだから──。
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