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魔獣との遭遇

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 その日、わたくしは運命というものに初めて感謝した。日ごろから縁談が来ても、兄以上の英雄でないと嫁がないと公言してはばからない、そんな困った妹であっても、わたくしの中で至上の英雄たる兄は少し困った顔に笑みを浮かべて、許してくれていた。そして、あの日、南のグラナダ、オルレアンでの戦役。兄は乾坤一擲の戦であると宣言し、ほぼ全軍を率いて出陣していった。
 戦勝の報はほどなくやってきた。そしてその中で語られるのは英雄王の叙事詩サーガ見事な知略で自軍に倍する軍を完膚なきまでに叩き伏せる。それも相手はオズワルド最高の名将アレクサンドル公。初めて兄以外の男性に興味を抱いた。
「フレイア、お前に縁談を持ち込むのはこれが最後だ。相手は我が主君、フリード王レイル陛下。第一妃の座は賢者スカサハ殿が内定しているので、お前は第二妃となる。どうだ?」
「お受けいたします」
 迷いも逡巡もなかった。気が付いたら返答していた。そう、これが運命と理解していたのです。
「そうか。では、婚礼の日取りだが…」
「お兄様、今までお世話になりました。もはや今生で会う機会もないかもしれませんが、どうかご健勝で」
「あ、ちょっと、待て!?」
「では、おさらばです」
 自室に戻り荷物をまとめる。もともと軍人としての教育を受けており、行軍訓練にも参加している。厩舎に向かい愛馬を引っ張り出す。
 そして駆けだした。一路南へ。

「あのバカたれが…、おい、急使を陛下に送るのだ! 馬鹿が一人そちらに向かいましたと。ご迷惑をおかけすることを丁重にお詫びするように」
「「はは!」」
 クリフォード候はいつものように苦笑いを浮かべ、お転婆な妹に振り回されて右往左往するレイル王を思い浮かべていた。
「…そういえばフレイアは陛下の所在を知っているのか?」
「トゥールに駐屯されていることはご存知かと。ただ、東へ進軍することまでは…」
「まあ、軍が動けば痕跡はどうしても出る。それをたどる程度の才知はあるだろうよ。その程度のことができずして英雄の妻を名乗るなど役者不足にもほどがある」
 クリフォード候の部下は何とも言えない表情で立ち尽くしていた。

 レイルは東へ軍を進めていた。途上の領主で降伏してきたものは軍に加え、抵抗してきたものは居館を攻め落とされる。フリード山脈を南に見ながら行軍を続け、あるふもとの村にたどり着きそこを宿場とした。
「陛下、村長が目通りを申し出ております」
「ん? 代価は支払っているよな?」
「はい、それとは別にお話したいことがあると」
「そうか、わかった」
 ほどなくして老齢に差し掛かりつつある男がレイルのもとに通された。
「村長殿か、私に話があるとか?」
「はい、実はこの村は魔獣の被害を受けております」
「ほう? それはどのような?」
「巨大なオオカミの魔獣です」
「村人に被害は?」
「…実は出ておりません」
「なに??」
「ですが、村人は恐怖におびえており、畑仕事や採集にも支障が出ており、冬支度ができません」
「ふむ、害をなすなら討伐するが…」
「最初の犠牲者が出てからでは遅いのです! それにこのままですと十分な蓄えができず冬を越せませぬ」
「わかった。ではその魔獣が出る場所を教えてもらおう」
「おお、ありがとうございます。南の山に分け入り、少し先に泉がある広場があります」
「そうか、では向かおう」
「は??」
「セタンタ、行くぞ!」
「おう!」
「ちょ、え、ま?陛下?」
「ん?」
「自ら出向かれるので?」
「そうだが?」
「いや、あのその…それは無茶では?」
「なにが? それに人を襲っていないのだろう?」
「たしかに、逃げても追いかけてこなかったと聞いております」
「魔獣にはな、人と意志を通わせられるものがいる。一つ試してみようと思ってな」
「…わかりました、お気をつけて」
「ああ、ありがとう」

 レイルが村を出ようとすると、スカサハが左側に立つ。リンとアレスが後方につく、セタンタは先頭に立って進む。村の裏手を抜け、山道に入る。けもの道を抜け透明な水をたたえた泉が見えてくる。日の光を弾き白銀のような輝きを見せている。艶やかな毛並みの黒い獣が輝きの中で際立って見えた。
【やあ、はじめまして】
 レイルは唐突に頭の中に響き渡った声に驚く。だがそれは不思議な懐かしさを持っていた。
【はじめましてじゃないさ、シリウス。久しぶり、かな】
【え、主殿はもういない、けど君からは主殿と同じ力を感じる…もしかしてレイルなのかい?】
【ああ、一緒に来るかい?】
【ああ、懐かしい。そうだね主殿。コンゴトモヨロシク】
 その一言の直後、狼の姿から妙齢の女性の姿に変わった。艶やかな黒髪に碧の瞳、そして今までなかったほどの強大な魔力。絶世の美女と呼んで差支えない顔で、人懐こく微笑む。一瞬ぽーっとしてしまったが、わき腹に走る激痛で我に返る。スカサハがすごい目つきでにらんできていた。
「主殿。つがいのメスは大事にしないと」
「レイル殿、いい子だな」
「変わり身はえーよ!?」
「まあ、とりあえず村に戻ろうか」
「まって、私がここにいた理由。もうすぐ魔物の封印が解ける」
「へ?」
 それまで神聖な輝きを放っていた泉の色が黒く反転する。魔力がわき出し渦巻く。球状になった魔力の繭から何かが生れ落ちる。四足の獣の背中からもう一つ頭が生え、尾が蛇に変わってゆく。
「キマイラとか初めて見たわ…」
 セタンタがつぶやく。
「エレス王が冒険者時代に討伐したとか聞くな」
 スカサハがのんきに答える。
「で、あれ倒さないとふもとの村とか跡形も残らないし、そもそも補給線が壊滅するよね」
「うむ、まずいな」
 リン&アレスが全く深刻さのかけらもない口調で問題を告げる。
「まあ、あれだ、逃げるって選択肢はないよな」
「「「当然」」」

 セタンタが槍を構えて突進する。リンが弓を構える。横でスカサハがルーンを刻んだ投げナイフを抜き放った。
 キマイラの背中から生えているヤギの頭が呪を紡ぐ。泉の水が凍りつき、尖った礫となって飛来した。
 シリウスが前に飛び出し無詠唱で防壁を張る。
 リンが放った矢がキマイラに命中するが、強靭な毛皮に弾き返される。正面から突っ込んだセタンタは目前で地を蹴り、横っ飛びに回り込む。獅子の牙が何もない空間をかみ砕く。真横に立って神速の刺突を放つがこちらもわずかな傷しかつけられない。セタンタが後ろに飛び、一瞬前まで彼がいた空間を蛇が放った毒液が通過する。目標を捕らえられなかった毒液は下草を一瞬で腐食させ、腐敗臭を放った。
「だああ、なんつう硬さだ」
「セタンタ、少し時間を稼いでくれ。後な穂先に魔力を込めて、手数じゃなくて力で突かんと無理だぞ」
「あー、魔力防壁があるな。そういうことか」
 二人は爪と牙の連続攻撃を捌きながら言葉を交わす。
 ヤギがまた魔法を放つ、光の球体から雷が全方位に放たれた。スカサハがナイフを放つ、ルーン文字が輝き、雷撃を吸収し、地面に突き立った。放電は地面を伝い瞬時に霧散する。ここでリンが切り札を放つ。ルーンが刻まれた鏃に魔力を込めて放ち、矢は過たずヤギの口中に突き立つ。
 頃合いを見計らっていたアレスが隠形を解除して背後からキマイラの尾を切り飛ばす。神経は連動しているのか、獅子の口からすさまじい咆哮というか悲鳴が放たれた。
 キマイラの意識は一瞬激痛にとらわれ、戦いから離れる。その機を逃すセタンタではない。真正面から突進し、二筋の刺突、キマイラの両目を貫いた。セタンタは真横に飛びのき牙から逃れる。再び怒りに任せた咆哮。そこにアンスズのルーンを刻んだナイフが突き立つ。魔力をルーンで方向づけられ、紅蓮の炎が巻き起こり、獅子の頭を焼き、鬣が燃え上がる。
 レイルは極限まで意識を集中し、それを二つに分割していた。集中と分割、その矛盾した行動の意味はすぐに現れる。
【告げる、古の盟約に基づき我が母イリスの名において命ず 広大なる大地を統べし汝 その御手の一端を貸し与えよ サモン・アース!】
 レイルをさらに成長させたような青年がレイルの横に現れる。召喚に応じて現れたゴーレムだった。
 そして内包された魔力が彼らを満たしてゆく。身体強化魔法だ。
 ゴーレムが剣を構えて突進する。キマイラが口を開けそこに魔力を集約して、自身を炙る炎を集めて放った。ゴーレムに直撃する。高熱をはらんだ爆風に皆が目を伏せる。風が止んだ後、無傷のゴーレムがそのまま立っていた。剣を水平に振るう。前脚を切り落とす。そして背後から疾風のように駆け込む人影。
 レイルがゴーレムの方を足場に跳躍し、後ろ脚だけで立ち上がるキマイラの頭上から剣を振り下ろした。
 裂帛の気合とともに振り下ろされた斬撃は、真正面からキマイラを両断する。勢いのまま草地を転がるレイル。魔力を使い切り薄れてゆく意識の中で、父を模したゴーレムが笑みを浮かべているように見えた。
 スカサハがすっ飛んでくる。彼女に抱き起される感触になぜか得も言われぬ安心感を抱きながら、レイルは目を閉じた。
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