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閑話 村木の戦い
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天文二十三年尾張国
尾張における今川氏の攻勢は厳しさを増していた。鴨原の山岡氏を攻め滅ぼし、緒川城の水野金吾を攻めるため、村木に向かい城を築いたのである。さらに寺本城が開城し、那古野から緒川城への通路が遮断された。水野氏を救援できなければ尾張南東部はすべて今川の手に落ちる。信長は窮地に立たされていた。
「大和守はいかがしておる?」
「はっ、今川に通じておるかは不明にござりますが、兵を集めておる由」
「叔父上の手勢は何時頃着く?」
「明日には」
この時点で信長は後ろ盾である舅の斎藤山城守に援軍を依頼している。こちらも一両日中には到着の予定であった。このことについて美濃勢を呼び込むなど利敵行為であると織田大和守信友から正式に抗議を受けている。しかし信長は意に介していなかった。
「早急に砦を落とさねば尾張は今川に飲み込まれる。それを理解せぬ奴らがたわけじゃ!」
信長は内心の焦燥を隠さなかった。だが家督相続後、織田弾正忠家は分裂の一途をたどっており、家中の信長の味方は叔父である信光が最有力で、幼い弟たちすら信勝の末森に身を寄せていたのである。
翌日、1月20日。安藤伊賀率いる美濃衆1000が着陣した。信長はすぐに加勢の感謝の意を伝え、出陣の触れを出すが、問題が起こる。林兄弟が美濃衆は信用ならぬとして、彼らを見張るため出陣せぬと言い始めたのである。
「そうか、なれば苦しからず。彼奴等の兵などおらぬとて砦は落とせよう」
態度は平静をよそっていたが信長の心中は煮えたぎっていた。だが大事の前の小事として、見逃した。ここで林兄弟を成敗などすれば遠征軍自体が瓦解する恐れがあったのである。
出陣前、信長の激例に弟たちがやってきた。末森から柴田勢が参陣するため、俺についてきたのである。
「兄上、ご武運を」
「喜六郎よ、必ず帰る故土産話を楽しみにしているがいい」
「はい!」
信長は出陣し、21日は熱田に宿泊、翌日渡海の手立てを講じた。だが船を出す船頭たちが天候の悪さを理由に出航を拒んだのである。
「船が出せぬと言うのか?」
「はい、お殿様。この風では到底無事たどり着けませぬ」
「なれば船首と艫を芋縄でつなげばよかろうが。それで転覆する危険は下がるであろう?」
それは航海中に大風が吹いたときの対策で、船二艘を並べて繋ぐことにより転覆を避けるための知恵であった。
「それは非常時の一時しのぎにすぎませぬ」
「そうか、だがのう……ここでこうしておって緒川が落ちたならば尾張は今川に飲み込まれる。そうなれば儂の首は落ちるのじゃ。そうなるのであれば今ここで貴様らの首かっ切っても同じことじゃ!」
船頭たちは震え上がる。信長の本気を感じ取ってその殺気にすくみ上っていた。
「わかりました。なれば我らも一命をかけお殿様のお供を仕る」
「うむ、武運があって勝ちを拾ったならば篤く報いようほどに」
「はは!」
こうして出航したが、沖合に出てしまえば波も収まり、追い風にのって一日で緒川城の傍にたどり着くことができた。信長の来訪を聞かされた水野金吾は、まさかこの風の中船で信長が現れるとは思っておらず、今川に降伏の算段をしていたのである。少なくとも信長の到着が1日遅れていたら緒川城は開城していた可能性が高かった。まさに薄氷を渡っていたのである。
水野金吾の手勢を加え、信長は南から村木砦に迫った。北からの攻撃に備え、北の塁は高く備えてあったが、南側はやや手薄であった。事前情報では義元自身が指揮を執っているとのうわさもあり、場合によっては義元をも討ち取ってしまおうと織田勢の士気は高かった。
24日払暁。織田勢は攻撃を開始した。ここで攻め落とさねば今川の援軍が来る危険が高い。そうなれば退路のない織田勢は全滅である。
砦の東に織田信光、西に水野金吾を配し、南は城壁と広大な堀であった。信長は鉄砲衆を率い、矢間に集中砲火をかけ、相手の応射を押さえつつ手勢を前進させた。信長自身が危険を顧みず前進し、自ら鉄砲を放って敵兵を倒す。その姿に兵は勢いづき、犠牲を度外視した我攻めが続く。
払暁から始まった戦は間断なく続き、昼下がりにはついに城壁を超えることに成功した。その際に流れ弾が信長の兜に当たり、昏倒したという。ほどなく目覚めたため戦況に影響はなかったが、流れ弾が飛び交う位置に総指揮官がいることは異常であった。
命がけの攻めを命じるための督戦であったことは疑いないが、信長がそれほどまでに追い詰められていた証左である。
夕刻に近づいて砦方が降伏開城を申し出てきた。戦闘続行は難しい情勢であったため、城兵退去を条件に信長もそれを受け入れる。
村木砦の戦いはこうして信長の勝利に終わった。信長は危機を脱したが、損害も大きかった。家督相続前からともに尾張の山野を駆け巡った小姓衆にも多くの戦死者が出ており、信長は彼らの死を悼んで号泣したという。
翌日、寺本城は再び織田方に付いた。尾張南東部の連絡線を辛くも維持した信長は27日那古野に帰還した。村木砦の堅牢さは斎藤方も物見を放っていたが、それを一日で落とした信長の指揮と果断さに道三も舌を巻いたという。
城を力攻めするのは下策。孫子にも書かれている。これ以降信長は味方の損害を減らすよう心がけるようになった。村木の戦いの戦死者は万松寺で供養され、信長の戒めとなったとのことである。
尾張における今川氏の攻勢は厳しさを増していた。鴨原の山岡氏を攻め滅ぼし、緒川城の水野金吾を攻めるため、村木に向かい城を築いたのである。さらに寺本城が開城し、那古野から緒川城への通路が遮断された。水野氏を救援できなければ尾張南東部はすべて今川の手に落ちる。信長は窮地に立たされていた。
「大和守はいかがしておる?」
「はっ、今川に通じておるかは不明にござりますが、兵を集めておる由」
「叔父上の手勢は何時頃着く?」
「明日には」
この時点で信長は後ろ盾である舅の斎藤山城守に援軍を依頼している。こちらも一両日中には到着の予定であった。このことについて美濃勢を呼び込むなど利敵行為であると織田大和守信友から正式に抗議を受けている。しかし信長は意に介していなかった。
「早急に砦を落とさねば尾張は今川に飲み込まれる。それを理解せぬ奴らがたわけじゃ!」
信長は内心の焦燥を隠さなかった。だが家督相続後、織田弾正忠家は分裂の一途をたどっており、家中の信長の味方は叔父である信光が最有力で、幼い弟たちすら信勝の末森に身を寄せていたのである。
翌日、1月20日。安藤伊賀率いる美濃衆1000が着陣した。信長はすぐに加勢の感謝の意を伝え、出陣の触れを出すが、問題が起こる。林兄弟が美濃衆は信用ならぬとして、彼らを見張るため出陣せぬと言い始めたのである。
「そうか、なれば苦しからず。彼奴等の兵などおらぬとて砦は落とせよう」
態度は平静をよそっていたが信長の心中は煮えたぎっていた。だが大事の前の小事として、見逃した。ここで林兄弟を成敗などすれば遠征軍自体が瓦解する恐れがあったのである。
出陣前、信長の激例に弟たちがやってきた。末森から柴田勢が参陣するため、俺についてきたのである。
「兄上、ご武運を」
「喜六郎よ、必ず帰る故土産話を楽しみにしているがいい」
「はい!」
信長は出陣し、21日は熱田に宿泊、翌日渡海の手立てを講じた。だが船を出す船頭たちが天候の悪さを理由に出航を拒んだのである。
「船が出せぬと言うのか?」
「はい、お殿様。この風では到底無事たどり着けませぬ」
「なれば船首と艫を芋縄でつなげばよかろうが。それで転覆する危険は下がるであろう?」
それは航海中に大風が吹いたときの対策で、船二艘を並べて繋ぐことにより転覆を避けるための知恵であった。
「それは非常時の一時しのぎにすぎませぬ」
「そうか、だがのう……ここでこうしておって緒川が落ちたならば尾張は今川に飲み込まれる。そうなれば儂の首は落ちるのじゃ。そうなるのであれば今ここで貴様らの首かっ切っても同じことじゃ!」
船頭たちは震え上がる。信長の本気を感じ取ってその殺気にすくみ上っていた。
「わかりました。なれば我らも一命をかけお殿様のお供を仕る」
「うむ、武運があって勝ちを拾ったならば篤く報いようほどに」
「はは!」
こうして出航したが、沖合に出てしまえば波も収まり、追い風にのって一日で緒川城の傍にたどり着くことができた。信長の来訪を聞かされた水野金吾は、まさかこの風の中船で信長が現れるとは思っておらず、今川に降伏の算段をしていたのである。少なくとも信長の到着が1日遅れていたら緒川城は開城していた可能性が高かった。まさに薄氷を渡っていたのである。
水野金吾の手勢を加え、信長は南から村木砦に迫った。北からの攻撃に備え、北の塁は高く備えてあったが、南側はやや手薄であった。事前情報では義元自身が指揮を執っているとのうわさもあり、場合によっては義元をも討ち取ってしまおうと織田勢の士気は高かった。
24日払暁。織田勢は攻撃を開始した。ここで攻め落とさねば今川の援軍が来る危険が高い。そうなれば退路のない織田勢は全滅である。
砦の東に織田信光、西に水野金吾を配し、南は城壁と広大な堀であった。信長は鉄砲衆を率い、矢間に集中砲火をかけ、相手の応射を押さえつつ手勢を前進させた。信長自身が危険を顧みず前進し、自ら鉄砲を放って敵兵を倒す。その姿に兵は勢いづき、犠牲を度外視した我攻めが続く。
払暁から始まった戦は間断なく続き、昼下がりにはついに城壁を超えることに成功した。その際に流れ弾が信長の兜に当たり、昏倒したという。ほどなく目覚めたため戦況に影響はなかったが、流れ弾が飛び交う位置に総指揮官がいることは異常であった。
命がけの攻めを命じるための督戦であったことは疑いないが、信長がそれほどまでに追い詰められていた証左である。
夕刻に近づいて砦方が降伏開城を申し出てきた。戦闘続行は難しい情勢であったため、城兵退去を条件に信長もそれを受け入れる。
村木砦の戦いはこうして信長の勝利に終わった。信長は危機を脱したが、損害も大きかった。家督相続前からともに尾張の山野を駆け巡った小姓衆にも多くの戦死者が出ており、信長は彼らの死を悼んで号泣したという。
翌日、寺本城は再び織田方に付いた。尾張南東部の連絡線を辛くも維持した信長は27日那古野に帰還した。村木砦の堅牢さは斎藤方も物見を放っていたが、それを一日で落とした信長の指揮と果断さに道三も舌を巻いたという。
城を力攻めするのは下策。孫子にも書かれている。これ以降信長は味方の損害を減らすよう心がけるようになった。村木の戦いの戦死者は万松寺で供養され、信長の戒めとなったとのことである。
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