乾坤一擲

響 恭也

文字の大きさ
上 下
153 / 172

洛中騒動 -秀隆の暗躍ー

しおりを挟む
永禄十一年。
 信長の上洛に付き従い、秀隆も洛中にあった。ある公家の日記には、洛中は死体にあふれていた。川は水死体でせき止められ、四辻にも倒れ伏した死者が積み重なる。戦乱に荒らされた京は、信長という庇護者を得て復興するが、今はまだその事業も着手されたばかりであった。
 秀隆は妻の実家である商家、山崎屋を拠点として炊き出しを行わせ、そこで集まった人間をまとめて洛中の清掃事業を始めた。死体を放置すれば衛生面でも悪影響があり、疫病の原因にもなりかねない。問題は数が多すぎて荼毘に付すための燃料も追いつかない。郊外に大きく穴を掘り、そこにまとめて埋葬した。穴の上には簡単に墓石を置き塚とする。そしてあえて朝廷とつながりのない、末寺を指名して読経と供養を依頼した。
 同じく炊き出しを言い方は悪いが餌にして、孤児を集める。彼らは食っていけないがゆえに簡単に犯罪に手を出す。盗みを働き場合によっては徒党を組んで田畑を荒らす。元服前の年齢の者は敢えて罪を問わず、これも小さな寺に援助を与え、孤児院として機能させるようにした。孤児を世話し読み書きを教えさせる。才があれば、商家や織田家の下僚としての斡旋を行うとした。また多くの人材を輩出できた寺にはさらに別途褒美を与えるとした。
 この仕組みはのちに織田家の事業として全国に広まるが、今はその突端に過ぎない。伊勢で願正寺の勢力を弱めるための調略として孤児の世話と寺子屋業務をさせていた。同じことを京でやれないかと思い付きで始めたものである。
 信長の出した一銭切りの布告と、浮浪者、孤児の行き先ができ、同時に死体の片づけが進んだことで治安は急速に回復した。乱暴狼藉を一切許さない信長の姿勢は京の民に受け入れられたのである。

 信長が秀隆を重用していることは誰の目にも明らかであった。だがこの時点で、尾張の代官であることくらいしか目立った要素がなく、単なるイエスマンにしか見えていなかったようだ。実は信長に代わっていくつもの重要な仕事をこなしているのだが、表立っての地位がないため、その実情を知らない者からは侮られることも多かったようだ。

 そしてある日、事件は起きた。義昭の被官となって、将軍家につながる俺は偉いと勘違いした京周辺の豪族が、秀隆に因縁をつけたのである。
「貴様は織田様の威光を背に好き勝手をやっているようじゃの。貴様ら田舎侍は儂らのような筋目正しい侍の言うことを聞いていればよいのじゃ!」
「で、その筋目正しい侍とやらは何をしたのだ? 京を荒廃させ、主上の御威光も隠れ、将軍暗殺まで起きたこの京をどうにかできたのか?」
 プライドだけは高いその侍はあっさりと激高し、刀に手をかけた。
「いいのか? 将軍家最大の庇護者たる織田の一門に刃を剥ける意味を理解しているのか?」
「それが思い上がっているというのじゃ!」
「それはどっちがだ? 目に見える成果を残せぬような飾り物の芋侍に用はない。とっとと失せよ!」
 顔を真っ赤に染め上げ目が血走っている。そのさまを見て秀隆はちとやりすぎたかと冷や汗をかく。そこに駆けつけてくるは蜂須賀小六であった。
「そぉい!」
 駆け付けざまに飛び蹴りをくれる。芋侍が倒れ伏す。
「不意打ちも躱せないような御大層な武勇を振るって恥をかくのか?」
 小六の殺気みなぎる表情に恐れをなしてへっぽいこ侍は逃げ出した。
 さらに駆けつけてくる秀吉達。事情を聴いて彼らの顔から表情が消えた。それから先の展開は速かった。
 某侍は山城の一角に居城を構える小豪族であったが、摂津攻めの先陣に放り込まれ、兵力をすり潰された。のちに領内は山賊に荒らされ、そのことを訴え出るも逆に領地を守ることもできない無能と烙印を押され所領没収の憂き目にあう。義昭に訴え出るが、義昭もプルプル震えるだけでお話にならない。
 この事件後、織田秀隆の名はある種の恐怖とともに広まった。織田家中で信長に次ぐ、場合によっては信長以上の人望があり、彼が一声かければ文字通り命をとして立ち働く勇士や謀臣が数多くいる。
 何よりこの騒ぎで最も怒りを見せたのは信長であったとされる。義昭の足元に愛刀の長谷部国重をぶっ刺し、へし切長谷部の由来を語って聞かせたそうであった。そして義昭に体感してみますか? と伝えたとされる。あまりの剣幕に幕臣誰一人として信長を止められず、秀吉からの目配せで信長との間に割って入った光秀が、忠臣として名を上げた。
 すべては仕組まれていたとの後世の評価はあるが、信長を含め、秀隆は織田家の多くの者から信を得ていた。それだけは間違いのない事実であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう、愛はいりませんから

さくたろう
恋愛
 ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。  王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。

転生したら悪役令嬢になっていましたが、婚約者が推しなので全力でフラグをへし折ろうかと思います!(改稿版)

七宮 ゆえ
恋愛
【9月分の更新についてのお知らせがあるので、宜しければ近状ボードを覗いてくださればと思います(*- -)(*_ _)ペコリ】 気が付くと前世で私が一番好きだった乙女ゲームの世界に転生していました。 しかも婚約者は前世の推し。 その事実だけでこのまま、また死んでも悔いは残らないです…! ただ、一つだけ。どうしても不満があります。 ——どうして悪役令嬢としてなの!!? 最悪の場合死にますよ?最良の場合でも国外追放ですよ? 少し…いえ、大分酷すぎやしませんか? しかも推しには嫌われる位置にいますよね、私って。 ……そんなの耐えられない。 いいわ、こうなったらフラグなんて全てへし折ってあげる! 当て馬になるつもりもないし、推しの隣を誰かに譲る気もないもの! ☆この小説は、『転生したら悪役令嬢になっていましたが、婚約者が推しなので全力でフラグをへし折ろうと思います!』 の改稿版となっております。

八百屋勤めの聖女様

RINFAM
ファンタジー
現代に転生した大聖女は、スーパーの八百屋勤め。今日も今日とて野菜の鮮度を保ちつつ、癒しの力でご近所を救う!?

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

マッチョな料理人が送る、異世界のんびり生活。 〜強面、筋骨隆々、とても強い。 でもとっても優しい男が異世界でのんびり暮らすお話〜

かむら
ファンタジー
 身長190センチ、筋骨隆々、彫りの深い強面という見た目をした男、舘野秀治(たてのしゅうじ)は、ある日、目を覚ますと、見知らぬ土地に降り立っていた。  そこは魔物や魔法が存在している異世界で、元の世界に帰る方法も分からず、行く当ても無い秀治は、偶然出会った者達に勧められ、ある冒険者ギルドで働くことになった。  これはそんな秀治と仲間達による、のんびりほのぼのとした異世界生活のお話。

輝夜坊

行原荒野
BL
学生の頃、優秀な兄を自分の過失により亡くした加賀見亮次は、その罪悪感に苦しみ、せめてもの贖罪として、兄が憧れていた宇宙に、兄の遺骨を送るための金を貯めながら孤独な日々を送っていた。 ある明るい満月の夜、亮次は近所の竹やぶの中でうずくまる、異国の血が混ざったと思われる小さくて不思議な少年に出逢う。彼は何を訊いても一言も喋らず、身元も判らず、途方に暮れた亮次は、交番に預けて帰ろうとするが、少年は思いがけず、すがるように亮次の手を強く握ってきて――。 ひと言で言うと「ピュアすぎるBL」という感じです。 不遇な環境で育った少年は、色々な意味でとても無垢な子です。その設定上、BLとしては非常にライトなものとなっておりますが、お互いが本当に大好きで、唯一無二の存在で、この上なく純愛な感じのお話になっているかと思います。言葉で伝えられない分、少年は全身で亮次への想いを表し、愛を乞います。人との関係を諦めていた亮次も、いつしかその小さな存在を心から愛おしく思うようになります。その緩やかで優しい変化を楽しんでいただけたらと思います。 タイトルの読みは『かぐやぼう』です。 ※表紙イラストは画像生成AIで作成して加工を加えたものです。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

【完結】18年間外の世界を知らなかった僕は魔法大国の王子様に連れ出され愛を知る

にゃーつ
BL
王族の初子が男であることは不吉とされる国ルーチェ。 妃は双子を妊娠したが、初子は男であるルイだった。殺人は最も重い罪とされるルーチェ教に基づき殺すこともできない。そこで、国民には双子の妹ニナ1人が生まれたこととしルイは城の端の部屋に閉じ込め育てられることとなった。 ルイが生まれて丸三年国では飢餓が続き、それがルイのせいであるとルイを責める両親と妹。 その後生まれてくる兄弟たちは男であっても両親に愛される。これ以上両親にも嫌われたくなくてわがまま1つ言わず、ほとんど言葉も発しないまま、外の世界も知らないまま成長していくルイ。 そんなある日、一羽の鳥が部屋の中に入り込んでくる。ルイは初めて出来たその友達にこれまで隠し通してきた胸の内を少しづつ話し始める。 ルイの身も心も限界が近づいた日、その鳥の正体が魔法大国の王子セドリックであることが判明する。さらにセドリックはルイを嫁にもらいたいと言ってきた。 初めて知る外の世界、何度も願った愛されてみたいという願い、自由な日々。 ルイにとって何もかもが新鮮で、しかし不安の大きい日々。 セドリックの大きい愛がルイを包み込む。 魔法大国王子×外の世界を知らない王子 性描写には※をつけております。 表紙は까리さんの画像メーカー使用させていただきました。

処理中です...