乾坤一擲

響 恭也

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唐入りー上陸ー

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 織田軍は対馬を発ち釜山に上陸した。この時点では内部に協力者を仕立てており、彼らの働きで大きな混乱もなく陣立てを整える。そして船団を目撃した釜山僉使鄭撥ていはつは急使を飛ばすが、中央では倭国ごときが兵を出すわけがないとその報告を黙殺。秀隆の命により、風魔一族が朝鮮の首都にまで間諜を潜り込ませていたためである。そして流した流言に寄り、水軍を率いるべき李舜臣が失脚していた。
 釜山に拠点を築き、近隣の住民を集め食料を配布して慰撫に勤める。鄭撥は中央からの援軍が来ないことに絶望して釜山を放棄して逃走した。この時点では戦闘は発生せず、情勢は静かに推移している。
 土台を固めた織田軍は第二陣の着陣を待って侵攻を開始する。この時点で近隣の兵をかき集めた鄭撥と野戦に及ぶが、秀吉率いる四万に対し、鄭撥の兵力は半数にも満たずほぼ一撃で粉砕される。鄭撥は討たれ、この敗残兵が漢城にたどり着いて、ようやく李氏朝鮮も状況を把握した。だまし討ちだとか鄭撥の報告を握りつぶしたのは誰だとか実りのない議論をしている間に織田軍は着々と進軍する。ただしいたずらに占領地を広げるのではなく、補給線の確保に主眼を置いていた。
 朝鮮の国土は乾いた砂のようなものである。潤そうと水をやっても際限なく吸い込む。何もしなくても焦土戦術に近い状態になるのだ。食料の現地調達などできるはずもなく、むしろ夜盗と化した現地の住民が食糧庫を狙って忍び込んでくる。秀吉は痛む胃を押さえつつ、夜盗の根切りを命じた。

 東莱城は漢城に通じる街道を扼す城砦で、首都を守る守りの要である。城将、東莱府使の宋象賢は城邑の軍民を急いで集めると共に、梁山郡守趙英珪らに周辺軍民の集結を命じた。だが釜山陥落の報を織田軍がばらまいており、怖気づく将兵の士気は上がらない。慶尚左道の指揮官である慶尚左兵使李珏は、「対処たるもの前線に出るべきでない」と屁理屈をこね逃げ出そうとする始末である。
 釜山を発った織田軍は東莱を包囲する。いつもの付け城戦術であるが、これはあまり効果がなかった。そもそも城兵が打って出てこないのである。亀のように城内に閉じこもっている。城内のやぐらでは上昇と思われる人物が太鼓を打ち鳴らし兵を鼓舞するが効果があるように見えなかった。
 攻城櫓を組み立て、城壁に向けて鉄砲隊が水平射撃を浴びせる。釜山の敗残兵が倭国の兵は鉄砲をたくさん持っていると報告し、木盾を用意していたが弾丸は盾をあっけなく貫通し兵をなぎ倒す。先手大将の宇喜多軍、明石全登は陣形を変化させ、城壁上の一角に射撃を集中させて敵兵を駆逐して城内に乗り込むことに成功した。これにより戦線は崩壊し、わずか一刻で場内は制圧された。

 敵兵のあまりのもろさに秀吉は官兵衛とあきれの表情を浮かべる、命がけで踏みとどまる兵がほとんどいない有様である。
「なんじゃ、唐の兵はもろいのう」
「100年戦い抜いておりますからなあ」
「そういうものかの。して官兵衛殿や、次はいかがするべきかの?」
「漢城に攻め寄せれば明は援軍をよこすでしょう。そこを叩くべきかと」
「ふむ、しかし官兵衛殿や。日ノ本の常識は捨てたほうが良いぞ。儂らの思いもよらんことをやってくる気がするわ」
「例えばどのような?」
「そうじゃのう、首都を捨てて逃げ出すとかかの?」
「そんな…まさか!?」
「こやつらは腑抜けじゃ。それで敵が逃げるからと際限なく追うと…」
 秀吉の言いたいことを理解した官兵衛の顔色が変わる。
 下手に漢城のような大都市を奪ってしまうと維持する必要が出てくる。それにより補給の負担が増えたり、場合によっては後方を美や化される可能性に思い至った。それでなくとも近隣住民の慰撫に少なくない負担がかかっている。支配地域の無秩序な拡大は厳に戒めるべきだった。
「諸将に言いきかせましょう。許可なき追撃は禁じると」
「そうしてくれい。特に島津には儂が言いきかせようかの」
「はは!」

 秀吉はさらに軍を北に進める。鵲院の地で隘路を利用して敵兵が迎撃してきたが、鉄砲の備えのない時点で彼らの運命は定まっていた。そもそも銃声に驚いて逃げ惑うのである。面倒くさいから空砲で追い払えと秀吉は心底うんざりした顔で命じると、本当に敵兵は潰走してしまう始末であった。
 そのまま5日ほど北上し、尚州城に向かう。その直前で敵兵がいるとの報を受け、さらに大物見を出したが、これが予想外の結果をもたらした。1000ほどの部隊に敵兵が驚き潰走したのである。
「あれじゃ、源平合戦にあったではないか。水鳥の羽ばたく音に逃げ惑ったとかいうやつじゃ」
「ああ…なんというか…うむむ」
 秀吉の意外な教養に驚いた官兵衛であったが、秀吉は別の解釈をしたようだ。
「まあ、あれじゃ。窮鼠となる可能性も捨てきれぬ。諸将には油断をするなと伝えるかのう」
「う? ああ、そうですね」
「なに、官兵衛殿のつむりが必要な時は今に来る。さすがに首都を捨てて逃げるようなことはなかろうて」
「ええ、まあ、楽ではあるのですが。これは…何ともほどい有様ですな」
「まあ、言いたいことはわかるぞい」
 そこに秀吉嫡男信吉が現れる。
「父上、敵兵は陣屋を築いていたようです。一目散に逃げており、食事などは煮炊きの途中でした」
「なんじゃと?!」
 あまりの有様に罠ではないかとの疑念がわくが、これまでの敵兵の様子から見るに、本当に逃げ出したのであろうと見当をつけた。
「とりあえず、適当に毒見をさせた後は兵に食事を与えよ」
 現地で雇った住民に食事をあたえて様子見をするように命じた。
「はい!」
 駆け去っていく信吉に秀吉は相好を崩す。だが、手を突っ込めばどんどん飲み込まれていくかのごとく戦況に頭を抱えていたのが正直なところだった。
「やれやれ、どうしなもんかのう…」
 秀吉のつぶやきは誰の耳にも入ることなく虚空に溶けて消えたのだった。
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