乾坤一擲

響 恭也

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閑話 馬揃え裏側ー土佐の若殿ー

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 天正8年 安土城下
 その少年は叔父とともに国元から初めて畿内にやってきた。京の都は乱世の荒廃から立ち直り、古の賑わいを取り戻しつつあった。噂に聞くと道には死体が転がり、四辻には死体が積み上げられ、川が死者でせき止められるといった有様であった。京を収める権力者たちは都の復興に手を尽くす余力もなく、皇居すら塀が崩れ、荒れるに任せていたのである。
「叔父上、都はにぎわっておりますな」
「織田殿は今までのどのような権力者とも違う。私利私欲に走らずに主上を敬い、その権威を取り戻された」
「ええ。なかなかできないことです」
「そなたもいずれ兄上の後を継ぐ。であれば学ぶことは多いぞ。土佐の命運はおぬし次第となるのじゃからな?」
「ええ、わかっております」
 少年は長宗我部信親。土佐国主元親の嫡子である。父の若いころに似て面差しは少女のようであったが、顔に似合わぬ豪胆さよと評される。彼とともに上洛しているのは香宗我部親泰。兄の懐刀として辣腕を振るい、家宰として家中のことを取り仕切っていた。

 信長が主上を慰め奉らんと馬揃えの興行を発表したのは前年末のことであった。騎馬武者をえりすぐり行軍を行う。また早駆けを競う競技や、騎射の腕を競う流鏑馬、また見物人をそろえての祭りも予定されている。信親自身は信長より招かれており、本能寺に宿舎を与えられていた。
 このころの本能寺は寺社というよりも砦の様相を呈しており、水堀が掘られ塀は土塗りで火矢を防ぎ、鉄砲櫓が用意されていた。噂によると抜け道もあって、大軍に包囲されても持ちこたえ、いざとなったら脱出が可能な要塞となっていたのである。
 都の治安は信長の統治下にあって安定していた。近郊では行商人が荷物を枕に昼寝をし、街道に設けられた宿や詰め所で安全委休むことができる。さらに盗んだものは理由の如何を問わず斬刑となることもあって、道端に財布が落ちていても手を出すものはいなかった。
 強権は正しく用いられ、治安の安定は経済発展を招き、同時に復興を促す。信長の投じた資金もあって京と都に物資を流通させる商業都市は好景気に沸き、仕事にありついた流れ者は新たな集落にまとめられ安住の地を得た。流民も河原者も等しく扱われ、織田の民として保護を受けたのである。

「織田殿の施政はまこと理にかなっておる。しかもどれだけ金を持っているのかと恐ろしくなる。道端に立って警邏をしている兵すらあのような立派な具足を纏っておる。うちの一両具足のみなにもあのような良き具足を与えたいものよ…」
「末端の兵にまでしっかりとした装備があるということは、経済的に潤沢な証左にございますな。織田と戦うは…あり得ませぬな。土佐どころか四国丸ごと飲み込まれましょう」
「うむ、帰国したら父上とよく談じねばならぬ」
 二人は今日の殷賑を目の当たりにして、その富の源泉を探ることと、織田との同盟をさらに強固にすべしとの考えを一致させた。

 2月、皇居そば貴賓席。各国の来賓や、大名子弟がここにまとめておかれた。席自体も贅を凝らしており、真っ赤に染め上げた毛氈が敷かれていた。これ一反でどれだけの民を食わせられるかとめまいのする思いである。
 馬揃えの行進が始まった。主上も特別席で公家に囲まれて見物なされている。信長率いる一族連枝衆のいでたちはまことに美々しく、そこにつぎ込まれた財貨は織田の財力をこれでもかと見せつけていた。特に信長の衣装は軍神が揺らめき出たかのように威にあふれる。目前にいたならば思わず平伏しそうになるなと信親は考えていた。
 一糸乱れぬ統率で馬を歩ませる姿は練度の高さを見せつける。たくましくも美しい馬はどれも毛並みがそろい、一頭いくらするんだろうと親泰は目の回る思いであった。100を超える馬蹄の轟きは腹の底から揺さぶられるように響く。
 信長が手槍をもって馬を駆けさせる。選び抜かれた駿馬は素晴らしい速度で駆け抜け、その手から放たれた槍は具足を着せた案山子を貫いた。
「叔父上、あの甲冑は…」
「一両具足のものじゃな」
「流鏑馬の的になっている鎧も、うちのではないが、九州とかでよく使われているやつじゃないか?」
「しかも、胴部分をざっくりと打ち抜かれてるということは…」
「うむ、うちの具足だと織田勢の攻撃に耐えられぬ。紙羽織に等しいと言いたいのじゃろ」
「というか、そこらで顔色真っ白な方々がいますの…」
「まあ、似たようなことを思い知らされたのじゃろうなあ」
「ですなあ」
「叔父上。儂は四国の統一はあきらめようと思う。そのうえで土佐勢を率いて天下布武の一部を担う。それが長宗我部の行く末ではないかと思うのじゃ」
「うむ、儂もそう思いますがの。兄上が首を縦に振るかどうか…」
「降らせる。いざとなったら押し込められてもらおうぞ。あれと戦ってはうちの一両具足どもであっても木っ端みじんじゃ。それにだ、気づいておるか?」
「ええ、鉄砲が全く配備されておりませんね」
「まあ、誤射や暴発を嫌ったのじゃろうが、白兵のやり取りでもかなわず、そこに鉄砲隊が加わってみろ、どうやって勝つんじゃあんなのに。しかもじゃ、相手が圧倒的多勢なんだぞ?」
「織田殿に挨拶をしたらすぐに土佐に帰りましょう」
「もう二つあいさつの先がある」
「それはどちらで?」
「まずは母上の実家である斎藤家とその主君たる明智日向守殿のところじゃ」
「なるほど、もう一つは?」
「三好長治殿じゃ。今は表立って敵対しておらぬがもともと三好とは何度となく干戈を交えておる。織田殿に間に入ってもらって和睦の段取りをせねばならぬ。場合によっては彼らが先兵となって攻められることも考えねばならぬ」
「若…兄上にも劣らぬ戦略家ぶり。さてはやはり毛皮をかぶっておりましたか」
「父にはバレバレだったようじゃがの。まあ、どちらにせよあの戦力じゃ毛利も危うい。そして毛利を攻めるに四国からの援護を申し出よう。伊予を攻めれば、瀬戸内海の毛利の優勢を脅かせるからな」
「お見事!」
「幸いにして河野は来ておらぬ。毛利に遠慮したのだろ。なればこそ、ここで織田殿に取り入り、伊予攻めの名分を得るのじゃ」
(若、やはり虎の子は虎でありますな。これで長宗我部の家も安泰です)

 翌日信長に面会を申し込んだ信親は、三好との和睦の仲介と、毛利攻めの手伝いとして伊予の切り取りを申し出た。信長はこの若者の先見性をほめ、織田の一族の姫を嫁がせることを約した。
 帰国した信親は父元親を説き伏せ、三好との和睦と河野攻めを行うことを承諾する。というかもともと織り込み済みで、信親がその動きを見せなかったら親泰にそのように動くよう指示していたらしい。
 結局父親の掌の上であったが、一点だけ父の予測を上回ったことがあった。
「そういえば、織田殿の御舎弟、信行殿のご息女と婚約を結んでまいりました」
「そういえば…じゃないわ!? それ真っ先に報告するべきだろうが!?」
「ええ、御舎弟の秀隆様が言うには、さぷらいず、というらしく、父上が最も驚かれる話を最後にするべしと。そうすれば驚かせたうえで、私を侮りがたしと見てもらえると」
「うん、そうだね、そう思うんだがね…、そのサプライズとやらをばらしてどうする?」
「あ…てへ?」
「なんだそれは?」
「秀隆様に教わりました。答えに詰まったときはこうやってごまかすといいと」
「ごまかしてどうするかこの大タワケが!!」
 元親の怒りは信親のこめかみに拳をぐりぐりすることで発散されるのであった。
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