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閑話 弘治2年正月ー兄弟相克ー
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弘治2年正月。秀隆が戦国の世に来て半年が経とうとしていた。
織田家というか、信長の恒例で新年の宴が開かれている。秀隆の供として藤吉郎も傍に控えており、末席ながら宴の相伴を許されている。秀隆自身も家中からはまだ定まった評価を得られていない。それゆえ彼が連れている藤吉郎にも胡乱な目線を向ける者が後を絶たなかった。
「前年は皆よく働いてくれた。今年もよろしく頼むぞ」
「「はは!!」」
出席者は佐久間信盛、森可成らの重臣から、池田、蜂谷、川尻などの馬廻衆。また最近斯波家から鞍替えした丹羽長秀。先日の戦で功を上げ、小姓から特別に参加を許された前田犬千代などがいた。
重臣代表で佐久間信盛が挨拶を行う。秀隆はその様子をじっと眺めていた。じつは脳内のデータベースで彼らの来歴などを確認し、彼の知る歴史でどのような未来を迎えるかを見ていた。
佐久間などは信長の勢力が絶頂に至ったタイミングで放逐されるなど、なかなかに悲惨な目に遭っている。川尻は本能寺の変の直後、土豪の一揆に取り込められ戦死した。池田は秀吉に着いた後、長久手の戦で戦死。森は志賀の陣で戦死。戦国武将らしく、畳の上で死んだのは前田と丹羽くらいである。
「喜六郎様、なにか心配事でもありゃあすか?」
「ん? ああすまん、ちと考え事をな」
「わしでよけりゃあ何でも申し付けてつかあされ、どんなことでもやり遂げて見せまするに」
「ああ、頼りにしている。藤吉郎」
秀隆が告げるとニカッと愛嬌のある笑顔を向けてくる。美男ではないかどこか心が和む男だった。
「おうおう、近頃はは猿も人の言葉をしゃべるのか」
酒が入ってやや質の悪くなった川尻与兵衛が秀吉に絡み始めた。秀隆の配下とはいえ、藤吉郎自身は小者の身分でしかなく、士分に取り立てようにも秀隆自身にその実績がない。
「これは申し訳ございません。お許しくだされ」
藤吉郎が土下座して詫びを告げる。だが酔った勢いでさらに絡む与兵衛である。
「川尻殿、我が家臣がなにかお主に失礼を働いたのかな? そうであれば家臣の不手際は主たる我の責である。丁重にお詫びいたそう」
「あ、いえ、秀隆様が詫びられるほどのことでは…」
「重ねて問うが、この藤吉郎が貴殿に何か失礼を働いたのだろうか?」
「いえ、あのその…こやつの顔が癇に障ったので」
「そうか、では一発殴らせろこの野郎!」
秀隆の拳が与兵衛の顎を撃ち抜く。膳をふっ飛ばし、座敷のど真ん中で大の字になってひっくり返った。むろんというか見事に昏倒している。
「何事じゃ!」
騒ぎを見かねた信長が割り込んでくる。
「見てのとおりですよ兄上。我が家臣を侮辱されたため制裁を加え申した。それがなにか?」
「なんだと! 貴様分をわきまえぬか!」
「ふざけてんじゃねえこの野郎! 自分の家臣一人守れねえで何が殿様か! 家臣に守られる分、家臣を守るのが責務だろうが!」
「なんだと、減らず口を!」
信長の平手が秀隆を襲うが、それをひょいっと体をそらして避ける。そして秀隆の右手が左右にひらめく。見事な往復ビンタであった。
「ふんぞり返ってりゃえらいのか? だったら俺でも務まるわ! このくそ戯けが! こっちが家臣を大事にして初めて家臣はその命を懸けてくれるんだ! 逆じゃねえ!」
張り倒された信長は虚を突かれた顔をした。
「与兵衛、おぬし秀隆の家臣に何をした。申せ!」
「…はは、顔を笑いものにしました。猿に似ていた故に」
「そうか…手打ちじゃ。死ね」
「やることが極端なんだよ!」
秀隆のローキックが信長を襲うが、がっちりとガードされ今度は秀隆がひっくり返る。
「ならばどうすればよい? 聞かせよ」
「藤吉郎に詫びを入れていただこうか」
秀隆の要求に周囲が凍り付く。実際に血の雨が降ると感じた者も少なくなかった。
「であるか。わかった」
信長は真顔で立ち上がる。そして藤吉郎に向き合うとすっと頭を下げた。
「我が家臣が不調法を働いた。すまぬ」
「いえ‥あのその…か、か、カシコマリマシタ」
藤吉郎もあまりのことに混乱していた。言葉が片言になっている。
後ろで川尻与兵衛はもはや泣きそうな顔をしていた。自分の無作法で主に頭を下げさせてしまった。もはや死んで詫びるしかないと思い詰める。
「兄上、確かに。これにて水に流させていただきます。それと与兵衛には挽回の機会を与えてくださいますよう。かの男ほどの武者、なかなかおりませぬ故に」
「与兵衛。次の戦で手柄を立て挽回せよ。ただし、命を粗末にしてはならぬ。必ず生きて儂に報告を上げるように!」
「ははっ!」
なんかうまくまとまったと周囲の者は安堵の息を漏らした。そして秀隆がキュッと徳利から一気飲みで酒を飲み干す。
据わった目で秀隆が信長を見据える。
「兄上、正座!」
「え? おお?」
唐突な物言いに信長もあっけにとられる。
「正座しろと言っている。早く!」
「は、はい!?」
反射的に逆らったらまずい空気を感じ、信長は秀隆の前で正座する。
「おみゃあ、家臣をなんじゃと思っとるんじゃ? うちの藤吉郎をなんじゃと思っとるんじゃ? 顔で人を判断できるんか。大したもんじゃのお? お??」
「はい、申し訳ありません!」
「申し訳ないで済んだら切腹はいらんのじゃ!」
「はい!」
「お前らもそこに座れ!」
「「はは!」」
出席していた家臣たちも信長の後ろに正座する。小者たちは異様な雰囲気に立ちすくんでいた。
「先に言うておく、藤吉郎は天下に響く才を秘めておる。顔がちょいと変わっておるってことで馬鹿にする習わしが許さん!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「お前らの勝ちは強いか弱いかしかないのか! そんな戦しかしてないから負けるんだよ、この戯けどもが!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「人を見かけで判断したらいかん! そもそも兄上自身が自信を偽って過ごしておったじゃろうが! 兄上は天下一の弓取りとなるお方じゃ、その家臣たるお主らが兄上の名を辱めるふるまいをしてどうするか!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「兄上もじゃ、まず相手の人となりを深く知らねば家臣は離れてゆく。一人で何でもできるというなら、末森に一人で斬り込みなされ! それで勘十郎兄や権六を何とかしなされ、一人でじゃ! 兄上は稀代の英雄でござるが、一人ですべてできる者ではない。犬千代は良き武者じゃが兄上がその役割をすることはできぬ。皆の力をより集め、一人でできぬ大きな仕事をするが兄上の役目じゃ。そしてその力で乱世を終わらせるのじゃ!」
「喜六郎…それほどまでに儂を…」
弟の言葉に何やら熱い感情がこみ上げる。けして飲みすぎた酒が逆流しているのではないと自分に言い聞かせる。
「よし、今の言葉を肝に銘じよ。わかったな!」
「「はは!」」
その一言に満足げにうなずいた秀隆は真顔のままひっくり返った。慌てて藤吉郎が抱き起こす。
「藤吉郎よ。お主は果報者じゃの。秀隆のこと、頼むぞ」
「はい、殿様。わしはこの方に一生かけても返しきれん恩をいただきました。命がけで働いて見せまする」
「であるか。わしも今日のことは肝に刻んでおくとしよう。儂は良き弟を持った」
信長に説教した喜六郎の話は織田家に震撼をもたらした。というかこの一事で喜六郎の評価は定まったといってよい。信長の右腕にして良心。織田弾正忠家のナンバー2としてである。
そして目覚めた秀隆はそのことを全く覚えていなかった。酒の席の戯言として無礼を赦していただいたのじゃと家臣たちは勝手に秀隆を持ち上げる。藤吉郎はキラキラしたまなざしで秀隆を見る。
「いったいどうしてこうなった?」
秀隆の疑問に答える者は信長を含めて誰もいなかったのだった。
織田家というか、信長の恒例で新年の宴が開かれている。秀隆の供として藤吉郎も傍に控えており、末席ながら宴の相伴を許されている。秀隆自身も家中からはまだ定まった評価を得られていない。それゆえ彼が連れている藤吉郎にも胡乱な目線を向ける者が後を絶たなかった。
「前年は皆よく働いてくれた。今年もよろしく頼むぞ」
「「はは!!」」
出席者は佐久間信盛、森可成らの重臣から、池田、蜂谷、川尻などの馬廻衆。また最近斯波家から鞍替えした丹羽長秀。先日の戦で功を上げ、小姓から特別に参加を許された前田犬千代などがいた。
重臣代表で佐久間信盛が挨拶を行う。秀隆はその様子をじっと眺めていた。じつは脳内のデータベースで彼らの来歴などを確認し、彼の知る歴史でどのような未来を迎えるかを見ていた。
佐久間などは信長の勢力が絶頂に至ったタイミングで放逐されるなど、なかなかに悲惨な目に遭っている。川尻は本能寺の変の直後、土豪の一揆に取り込められ戦死した。池田は秀吉に着いた後、長久手の戦で戦死。森は志賀の陣で戦死。戦国武将らしく、畳の上で死んだのは前田と丹羽くらいである。
「喜六郎様、なにか心配事でもありゃあすか?」
「ん? ああすまん、ちと考え事をな」
「わしでよけりゃあ何でも申し付けてつかあされ、どんなことでもやり遂げて見せまするに」
「ああ、頼りにしている。藤吉郎」
秀隆が告げるとニカッと愛嬌のある笑顔を向けてくる。美男ではないかどこか心が和む男だった。
「おうおう、近頃はは猿も人の言葉をしゃべるのか」
酒が入ってやや質の悪くなった川尻与兵衛が秀吉に絡み始めた。秀隆の配下とはいえ、藤吉郎自身は小者の身分でしかなく、士分に取り立てようにも秀隆自身にその実績がない。
「これは申し訳ございません。お許しくだされ」
藤吉郎が土下座して詫びを告げる。だが酔った勢いでさらに絡む与兵衛である。
「川尻殿、我が家臣がなにかお主に失礼を働いたのかな? そうであれば家臣の不手際は主たる我の責である。丁重にお詫びいたそう」
「あ、いえ、秀隆様が詫びられるほどのことでは…」
「重ねて問うが、この藤吉郎が貴殿に何か失礼を働いたのだろうか?」
「いえ、あのその…こやつの顔が癇に障ったので」
「そうか、では一発殴らせろこの野郎!」
秀隆の拳が与兵衛の顎を撃ち抜く。膳をふっ飛ばし、座敷のど真ん中で大の字になってひっくり返った。むろんというか見事に昏倒している。
「何事じゃ!」
騒ぎを見かねた信長が割り込んでくる。
「見てのとおりですよ兄上。我が家臣を侮辱されたため制裁を加え申した。それがなにか?」
「なんだと! 貴様分をわきまえぬか!」
「ふざけてんじゃねえこの野郎! 自分の家臣一人守れねえで何が殿様か! 家臣に守られる分、家臣を守るのが責務だろうが!」
「なんだと、減らず口を!」
信長の平手が秀隆を襲うが、それをひょいっと体をそらして避ける。そして秀隆の右手が左右にひらめく。見事な往復ビンタであった。
「ふんぞり返ってりゃえらいのか? だったら俺でも務まるわ! このくそ戯けが! こっちが家臣を大事にして初めて家臣はその命を懸けてくれるんだ! 逆じゃねえ!」
張り倒された信長は虚を突かれた顔をした。
「与兵衛、おぬし秀隆の家臣に何をした。申せ!」
「…はは、顔を笑いものにしました。猿に似ていた故に」
「そうか…手打ちじゃ。死ね」
「やることが極端なんだよ!」
秀隆のローキックが信長を襲うが、がっちりとガードされ今度は秀隆がひっくり返る。
「ならばどうすればよい? 聞かせよ」
「藤吉郎に詫びを入れていただこうか」
秀隆の要求に周囲が凍り付く。実際に血の雨が降ると感じた者も少なくなかった。
「であるか。わかった」
信長は真顔で立ち上がる。そして藤吉郎に向き合うとすっと頭を下げた。
「我が家臣が不調法を働いた。すまぬ」
「いえ‥あのその…か、か、カシコマリマシタ」
藤吉郎もあまりのことに混乱していた。言葉が片言になっている。
後ろで川尻与兵衛はもはや泣きそうな顔をしていた。自分の無作法で主に頭を下げさせてしまった。もはや死んで詫びるしかないと思い詰める。
「兄上、確かに。これにて水に流させていただきます。それと与兵衛には挽回の機会を与えてくださいますよう。かの男ほどの武者、なかなかおりませぬ故に」
「与兵衛。次の戦で手柄を立て挽回せよ。ただし、命を粗末にしてはならぬ。必ず生きて儂に報告を上げるように!」
「ははっ!」
なんかうまくまとまったと周囲の者は安堵の息を漏らした。そして秀隆がキュッと徳利から一気飲みで酒を飲み干す。
据わった目で秀隆が信長を見据える。
「兄上、正座!」
「え? おお?」
唐突な物言いに信長もあっけにとられる。
「正座しろと言っている。早く!」
「は、はい!?」
反射的に逆らったらまずい空気を感じ、信長は秀隆の前で正座する。
「おみゃあ、家臣をなんじゃと思っとるんじゃ? うちの藤吉郎をなんじゃと思っとるんじゃ? 顔で人を判断できるんか。大したもんじゃのお? お??」
「はい、申し訳ありません!」
「申し訳ないで済んだら切腹はいらんのじゃ!」
「はい!」
「お前らもそこに座れ!」
「「はは!」」
出席していた家臣たちも信長の後ろに正座する。小者たちは異様な雰囲気に立ちすくんでいた。
「先に言うておく、藤吉郎は天下に響く才を秘めておる。顔がちょいと変わっておるってことで馬鹿にする習わしが許さん!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「お前らの勝ちは強いか弱いかしかないのか! そんな戦しかしてないから負けるんだよ、この戯けどもが!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「人を見かけで判断したらいかん! そもそも兄上自身が自信を偽って過ごしておったじゃろうが! 兄上は天下一の弓取りとなるお方じゃ、その家臣たるお主らが兄上の名を辱めるふるまいをしてどうするか!」
「「はい! 申し訳ありませんでした!」」
「兄上もじゃ、まず相手の人となりを深く知らねば家臣は離れてゆく。一人で何でもできるというなら、末森に一人で斬り込みなされ! それで勘十郎兄や権六を何とかしなされ、一人でじゃ! 兄上は稀代の英雄でござるが、一人ですべてできる者ではない。犬千代は良き武者じゃが兄上がその役割をすることはできぬ。皆の力をより集め、一人でできぬ大きな仕事をするが兄上の役目じゃ。そしてその力で乱世を終わらせるのじゃ!」
「喜六郎…それほどまでに儂を…」
弟の言葉に何やら熱い感情がこみ上げる。けして飲みすぎた酒が逆流しているのではないと自分に言い聞かせる。
「よし、今の言葉を肝に銘じよ。わかったな!」
「「はは!」」
その一言に満足げにうなずいた秀隆は真顔のままひっくり返った。慌てて藤吉郎が抱き起こす。
「藤吉郎よ。お主は果報者じゃの。秀隆のこと、頼むぞ」
「はい、殿様。わしはこの方に一生かけても返しきれん恩をいただきました。命がけで働いて見せまする」
「であるか。わしも今日のことは肝に刻んでおくとしよう。儂は良き弟を持った」
信長に説教した喜六郎の話は織田家に震撼をもたらした。というかこの一事で喜六郎の評価は定まったといってよい。信長の右腕にして良心。織田弾正忠家のナンバー2としてである。
そして目覚めた秀隆はそのことを全く覚えていなかった。酒の席の戯言として無礼を赦していただいたのじゃと家臣たちは勝手に秀隆を持ち上げる。藤吉郎はキラキラしたまなざしで秀隆を見る。
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