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元亀騒乱ー三方が原ー
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元亀2年12月。武田軍は大挙して浜松城の北に布陣した後、軍を北西に返した。遠江を抜け三河に乱入しようとする動きで、家康は激怒して武田軍の追撃を命じた。
徳川・織田連合軍は13000あまりで、武田軍の25000の半数程度。だが三方が原は丘陵地帯の台地で、坂を下り始めたころ合いで後方から追撃すれば勝てるとの見込みであった。
徳川の物見は服部半蔵率いる伊賀者が務めている。信玄本隊が坂を下り始めたころ合いで本隊への合図を出した。徳川本隊は台地の上に駆け上がり、敵の後陣に食らいつく構えを見せる。小山田の投石部隊が投げてくる印字打ちに足を止められてしまい、その間にもともと前後を入れ替えて布陣していた武田軍最後尾部隊が反転し、徳川勢に向かってきた。
兵の練度、指揮官の武勇と質は互角に近かった。あえて言うのであれば総大将の経験と、そしてある意味一番どうしようもない理由。兵力の多寡が勝負を分けた。次々と新手を繰り出す武田軍に対して、同じ兵が戦う徳川軍は徐々に押される。雪交じりの北風も災いし、弓と石つぶてが徳川勢を襲い、被害が増えてゆく。そのまま坂まで追いやられ、温存されていた四郎勝頼の兵が左側面に展開し圧迫しだすとついに耐え切れず戦線が崩壊した。
いち早く織田の援軍が後退を始めるが、一部隊3000ほどが反転し坂を下り切ったあたりに布陣する。旗印は佐久間の旗。織田の誇る退き佐久間の最も熾烈な撤退戦がここに展開されることとなった。
「第一陣、槍衾構え!」
信盛の叱咤に甥の盛政をはじめとする若武者が喊声を上げて布陣する。
長槍隊を横長の方陣に組み、両脇に鉄砲を配置する。騎馬武者の突貫も槍を突き出すことで防ぎ、包囲しようとする動きには鉄砲で牽制する堅牢な陣であった。
方陣内部からは弓隊が矢を放ち敵をけん制する。足止めが目的であり、敵を撃破することは考えていない。
「押せ、かかれ、かかれええええええ!」
武田の侍大将が部下を叱咤する。だが両脇は草木が生い茂る地勢で、伏兵を警戒して横には展開できない。
信盛がさらに采を振るう。
「前列は退け、中軍前進!」
二つ目の方陣を後方に展開され、先陣が徐々に下がって入れ替わる。この行程で、佐久間隊の位置も若干だが後退していた。
方陣を3部隊編成し、向後に入れ替えて、防戦、支援、休息を繰り返させる。これにより継戦能力を高め、足止めを行うのが目的だ。徳川からも将兵が参加しており、前衛部隊に襲い掛かる敵兵の側面を突くなどして、攻勢を寸断している。
しかしながら、いくら3000の部隊と言えども、すべての兵を押しとどめることはできない。一番大きな道を押さえてはいるが、平野部であり、小部隊の追撃部隊は通っている。それらは徳川の小部隊と熾烈な戦闘を繰り広げていた。
夕方から始まった戦闘は日が沈み、宵闇に包まれた中でもまだ続いていた。2時間ほどの撤退戦ですでに佐久間勢は疲労困憊しており、手負い討ち死にも多い。だが、秀隆の策を信じ、目印の篝火を見つける。といっても荷馬車を崩して火矢を射こんだものだ。さすがに普通の篝火があると怪しさ満点すぎる。そして、敵の大きな攻勢に、あえて崩れたふりをして目印の横を通過する。そこには夜陰に紛れて鉄砲隊が伏せているのがわかる。
ついに突き崩したと一気呵成に第2陣の四郎勝頼の部隊が突入し、そこに銃声が響き渡った。
すさまじい轟音とともに、勝頼の馬廻が落馬してゆく。織田の鉄砲隊はここぞとばかりに早合を使い、常識はずれの射撃速度で弾幕を張る。一度の射撃で、それ相応の間が開けば対応もできたのかもしれないが、第二射、第三射が間断なく降り注ぎ、不運なことに四郎勝頼が複数の銃弾に貫かれ即死する。
後続部隊もあまりの惨状に立ちすくむが、そこに本多忠勝率いる徳川の伏せ勢が側面を食い破った。これにより追撃部隊は潰走することとなり、後方からきていた信玄本隊と合流し、織田の伏兵により先陣壊滅の報告を行う。そして勝頼の生死不明の報に信玄は口から血を吐いて倒れた。
翌朝、浜松城に家康が入り、徳川軍は酒井忠次が指揮を執る。織田は秀隆が指揮官となる。が、実質は佐久間信盛に采を預けている。
「いやいや、退き佐久間の手並み、誠に見事でござった」
秀隆が満面の笑みで信盛に告げると、表情の抜け落ちたような顔になっていた信盛の目に光が戻る。
「秀隆様、本気で片手の指では聞かない回数死ぬかと思いました」
「はっはっは、私は信じておったぞ」
「まあ、いいですけどね。大殿への褒美の件、よろしくお願いしますよ?」
「うむ、任せろ。摂津あたりに新たな地行を考えておる」
「はっはっは、それはありがたきってちょおおおおお、それ最前線!?」
「京を守る最も重き役割じゃ。今あの辺りは池田とか松永とかでな、譜代のおぬしが織田の重鎮としての働くのじゃ。期待しておるぞ?」
信盛はまた目から光がなくなりぶつぶつとつぶやき始めた。
「そうそう、あとで松永からもらった茶器を進ぜようほどに。好きなものを選ぶがいい。後、茶会の許可も出すよう兄上に伝えおく」
そのひとことで信盛が再起動した。信長が京で名物を買いあさったことは知られており、織田の経済力を天下に知らしめた出来事である。そのうちの一部を秀隆も拝領しており、改めて信盛への褒美として与えられることとなった。また、茶会を開くことは信長からの信頼の証とされている。
実際には秀隆がいろいろとでっち上げたのであるが、これからの武士は茶の湯への精通が教養として必要であると伝え(洗脳し)ており、一部の家臣というか、事実上信長と秀隆のみが茶会を開いていた。そこで家臣団の中で最初に許可をもらったとなれば、佐久間の面目もたつどころか、大きな名声を得る。
これで、知行を与えすぎて織田本家の力が衰えることも少なくなり、なおかつ、原価ほとんどゼロで適当に裏書を付けるだけで大きな富を生む。茶器の鑑定にかかる文化人や知識人は織田に抱き込まれており、信長が黒と言えば白でも黒になる状況であった。
これについても信長は秀隆のあくどさにドン引きしていた…らしい。だが、織田にもたらす利益を考えて黙認していたようだ。
武田軍から使者がきた。講和を結びたいとのことで、遠江の占領された諸城の返還が条件とされた。また、1年は相互不可侵とし、織田、徳川と戦うことはしないとの制約が交わされた。
秀隆は先に岐阜に帰還しこの講和を報告する。信盛は春先まで兵を率いて浜松にとどまり、武田の様子見をすることとなった。
年明けすぐ、武田の領内があわただしく動く。使者が行きかい、ついに信玄死去かとのうわさが流れた。同時に後継者と目されていた四郎勝頼の討ち死には確定情報がかなり早い段階で流れた。
仁科盛信が武田姓に復帰するという噂と、武田信豊を推すものもでている。また一門衆の信廉も担ぎ出されようとしていた。甲斐、駿河、信濃で各々独立の動きを見せ、内部分裂の兆しが見え隠れし始めている。
「掃部。諏訪大社を探れ。誓詞が収められるは、もっとも権威高いかの大社であろう」
「はは!」
織田掃部寛忠は信秀の勘気に触れ武田氏に仕えていたことがある。信長の代になって帰参し、武田との交渉役としてたびたびかの地を訪れていた。
そして秀隆の諜報網に複数の情報がかかる。信玄は勝頼死去の報告を受けその場で昏倒し意識が戻ることなくその息を止めた。そして一門衆が相争い始めていることもだ。徳川には、遠江の収穫を1~2年あきらめても釣りがくるほどの軍資金を送り、総動員して駿河を攻めとることを勧めた。
明智十兵衛が派遣されていた東美濃だが、遠山氏の面従腹背もあって一旦恵那まで引いていた。場合によっては孤立して全滅の危機があったようだ。信玄死去の報を流すと、遠山家は大混乱に陥ったらしい。改めて人質を差し出して降伏してきた。遠山氏には改めて西信濃の豪族の調略を命じた。
武田信玄の死去は本願寺をはじめとした諸侯に大きな衝撃を与えた。信玄を当て込んで戦っていた同盟には不協和音が響き、もともとあまり結束が固いと言えなかった彼らは方針を定めることもできず右往左往する。
そして信長は、武田に備えて動かさなかった尾張・美濃勢を率いて、近江戦線の出撃を宣言したのだった。
徳川・織田連合軍は13000あまりで、武田軍の25000の半数程度。だが三方が原は丘陵地帯の台地で、坂を下り始めたころ合いで後方から追撃すれば勝てるとの見込みであった。
徳川の物見は服部半蔵率いる伊賀者が務めている。信玄本隊が坂を下り始めたころ合いで本隊への合図を出した。徳川本隊は台地の上に駆け上がり、敵の後陣に食らいつく構えを見せる。小山田の投石部隊が投げてくる印字打ちに足を止められてしまい、その間にもともと前後を入れ替えて布陣していた武田軍最後尾部隊が反転し、徳川勢に向かってきた。
兵の練度、指揮官の武勇と質は互角に近かった。あえて言うのであれば総大将の経験と、そしてある意味一番どうしようもない理由。兵力の多寡が勝負を分けた。次々と新手を繰り出す武田軍に対して、同じ兵が戦う徳川軍は徐々に押される。雪交じりの北風も災いし、弓と石つぶてが徳川勢を襲い、被害が増えてゆく。そのまま坂まで追いやられ、温存されていた四郎勝頼の兵が左側面に展開し圧迫しだすとついに耐え切れず戦線が崩壊した。
いち早く織田の援軍が後退を始めるが、一部隊3000ほどが反転し坂を下り切ったあたりに布陣する。旗印は佐久間の旗。織田の誇る退き佐久間の最も熾烈な撤退戦がここに展開されることとなった。
「第一陣、槍衾構え!」
信盛の叱咤に甥の盛政をはじめとする若武者が喊声を上げて布陣する。
長槍隊を横長の方陣に組み、両脇に鉄砲を配置する。騎馬武者の突貫も槍を突き出すことで防ぎ、包囲しようとする動きには鉄砲で牽制する堅牢な陣であった。
方陣内部からは弓隊が矢を放ち敵をけん制する。足止めが目的であり、敵を撃破することは考えていない。
「押せ、かかれ、かかれええええええ!」
武田の侍大将が部下を叱咤する。だが両脇は草木が生い茂る地勢で、伏兵を警戒して横には展開できない。
信盛がさらに采を振るう。
「前列は退け、中軍前進!」
二つ目の方陣を後方に展開され、先陣が徐々に下がって入れ替わる。この行程で、佐久間隊の位置も若干だが後退していた。
方陣を3部隊編成し、向後に入れ替えて、防戦、支援、休息を繰り返させる。これにより継戦能力を高め、足止めを行うのが目的だ。徳川からも将兵が参加しており、前衛部隊に襲い掛かる敵兵の側面を突くなどして、攻勢を寸断している。
しかしながら、いくら3000の部隊と言えども、すべての兵を押しとどめることはできない。一番大きな道を押さえてはいるが、平野部であり、小部隊の追撃部隊は通っている。それらは徳川の小部隊と熾烈な戦闘を繰り広げていた。
夕方から始まった戦闘は日が沈み、宵闇に包まれた中でもまだ続いていた。2時間ほどの撤退戦ですでに佐久間勢は疲労困憊しており、手負い討ち死にも多い。だが、秀隆の策を信じ、目印の篝火を見つける。といっても荷馬車を崩して火矢を射こんだものだ。さすがに普通の篝火があると怪しさ満点すぎる。そして、敵の大きな攻勢に、あえて崩れたふりをして目印の横を通過する。そこには夜陰に紛れて鉄砲隊が伏せているのがわかる。
ついに突き崩したと一気呵成に第2陣の四郎勝頼の部隊が突入し、そこに銃声が響き渡った。
すさまじい轟音とともに、勝頼の馬廻が落馬してゆく。織田の鉄砲隊はここぞとばかりに早合を使い、常識はずれの射撃速度で弾幕を張る。一度の射撃で、それ相応の間が開けば対応もできたのかもしれないが、第二射、第三射が間断なく降り注ぎ、不運なことに四郎勝頼が複数の銃弾に貫かれ即死する。
後続部隊もあまりの惨状に立ちすくむが、そこに本多忠勝率いる徳川の伏せ勢が側面を食い破った。これにより追撃部隊は潰走することとなり、後方からきていた信玄本隊と合流し、織田の伏兵により先陣壊滅の報告を行う。そして勝頼の生死不明の報に信玄は口から血を吐いて倒れた。
翌朝、浜松城に家康が入り、徳川軍は酒井忠次が指揮を執る。織田は秀隆が指揮官となる。が、実質は佐久間信盛に采を預けている。
「いやいや、退き佐久間の手並み、誠に見事でござった」
秀隆が満面の笑みで信盛に告げると、表情の抜け落ちたような顔になっていた信盛の目に光が戻る。
「秀隆様、本気で片手の指では聞かない回数死ぬかと思いました」
「はっはっは、私は信じておったぞ」
「まあ、いいですけどね。大殿への褒美の件、よろしくお願いしますよ?」
「うむ、任せろ。摂津あたりに新たな地行を考えておる」
「はっはっは、それはありがたきってちょおおおおお、それ最前線!?」
「京を守る最も重き役割じゃ。今あの辺りは池田とか松永とかでな、譜代のおぬしが織田の重鎮としての働くのじゃ。期待しておるぞ?」
信盛はまた目から光がなくなりぶつぶつとつぶやき始めた。
「そうそう、あとで松永からもらった茶器を進ぜようほどに。好きなものを選ぶがいい。後、茶会の許可も出すよう兄上に伝えおく」
そのひとことで信盛が再起動した。信長が京で名物を買いあさったことは知られており、織田の経済力を天下に知らしめた出来事である。そのうちの一部を秀隆も拝領しており、改めて信盛への褒美として与えられることとなった。また、茶会を開くことは信長からの信頼の証とされている。
実際には秀隆がいろいろとでっち上げたのであるが、これからの武士は茶の湯への精通が教養として必要であると伝え(洗脳し)ており、一部の家臣というか、事実上信長と秀隆のみが茶会を開いていた。そこで家臣団の中で最初に許可をもらったとなれば、佐久間の面目もたつどころか、大きな名声を得る。
これで、知行を与えすぎて織田本家の力が衰えることも少なくなり、なおかつ、原価ほとんどゼロで適当に裏書を付けるだけで大きな富を生む。茶器の鑑定にかかる文化人や知識人は織田に抱き込まれており、信長が黒と言えば白でも黒になる状況であった。
これについても信長は秀隆のあくどさにドン引きしていた…らしい。だが、織田にもたらす利益を考えて黙認していたようだ。
武田軍から使者がきた。講和を結びたいとのことで、遠江の占領された諸城の返還が条件とされた。また、1年は相互不可侵とし、織田、徳川と戦うことはしないとの制約が交わされた。
秀隆は先に岐阜に帰還しこの講和を報告する。信盛は春先まで兵を率いて浜松にとどまり、武田の様子見をすることとなった。
年明けすぐ、武田の領内があわただしく動く。使者が行きかい、ついに信玄死去かとのうわさが流れた。同時に後継者と目されていた四郎勝頼の討ち死には確定情報がかなり早い段階で流れた。
仁科盛信が武田姓に復帰するという噂と、武田信豊を推すものもでている。また一門衆の信廉も担ぎ出されようとしていた。甲斐、駿河、信濃で各々独立の動きを見せ、内部分裂の兆しが見え隠れし始めている。
「掃部。諏訪大社を探れ。誓詞が収められるは、もっとも権威高いかの大社であろう」
「はは!」
織田掃部寛忠は信秀の勘気に触れ武田氏に仕えていたことがある。信長の代になって帰参し、武田との交渉役としてたびたびかの地を訪れていた。
そして秀隆の諜報網に複数の情報がかかる。信玄は勝頼死去の報告を受けその場で昏倒し意識が戻ることなくその息を止めた。そして一門衆が相争い始めていることもだ。徳川には、遠江の収穫を1~2年あきらめても釣りがくるほどの軍資金を送り、総動員して駿河を攻めとることを勧めた。
明智十兵衛が派遣されていた東美濃だが、遠山氏の面従腹背もあって一旦恵那まで引いていた。場合によっては孤立して全滅の危機があったようだ。信玄死去の報を流すと、遠山家は大混乱に陥ったらしい。改めて人質を差し出して降伏してきた。遠山氏には改めて西信濃の豪族の調略を命じた。
武田信玄の死去は本願寺をはじめとした諸侯に大きな衝撃を与えた。信玄を当て込んで戦っていた同盟には不協和音が響き、もともとあまり結束が固いと言えなかった彼らは方針を定めることもできず右往左往する。
そして信長は、武田に備えて動かさなかった尾張・美濃勢を率いて、近江戦線の出撃を宣言したのだった。
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