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#24 2月9日 粒胡椒/大根の葉/うさぎが寄り添う
しおりを挟む「あ、雪うさぎ」
洗い物をする私の背中に、湊咲の声が投げかけられる。
「そういえばそんなこと言ってたね」
最後に洗った土鍋を布巾で拭き上げて、とりあえずガスコンロの上に置いた。土鍋の重さでは水切りかごに入れられない。あとは空になった酒の缶を軽くゆすいで、並べて乾かしておく。
「作りましょうよ」
台所から戻った私へ向けて、湊咲は前向きな様子。
「いいけど……寒そう」
カーテンを閉めたままの窓を見る。昨日から一度もベランダには出ていなから、雪は積もったままだろう。
「酔い醒ましにちょうどいいかも」
気軽な湊咲の発言を聞きつつ、屋外の寒さを思い出す。あの冷たさなら確かに気分はリセットされるだろう。まぁ、ちょっとくらいなら大丈夫か。
覚悟を決めて窓を開けて屋外へ顔を出すと、雪は降っていない。意識もせずに呼吸をしたら、吐く息は凍りついたのではないかというほど長く形を残す。
普段は寝具を干す程度しか使い途のないベランダにも、もちろん雪は積もっていた。
「つめたっ」
早速しゃがみこんで雪に触れた湊咲は、小声で楽しげな悲鳴を上げる。
「素手か……」
雪遊びできるような手袋はこの家にない。
窓を開けた時よりも更に覚悟を決めて、湊咲のすぐ隣にしゃがんだ。
雪に指先を突っ込み、ずずっと寄せる。
「冷たい冷たい冷たい」
近所迷惑を考慮して小声ではあるが、思わず連呼してしまった。確かこんな作り方だったはず。
楕円形を意識して寄せたが、あまりきれいな形にはならない。整えるためにはまた雪に触れる必要がある。
近所迷惑にならないくらいの音量で、二人でこそこそと悲鳴を上げながら雪を捏ねくり回す。体や足先も、当然のように熱を奪われていく。
窓際の狭いスペースで試行錯誤しているうちに、どちらともなく肩から上腕のあたりが触れ合う。その接触はほんの少しとはいえ、確かに暖かくて。
私も湊咲も、一度触れてからは離れようとしなかった。
斯くして、二匹の雪うさぎが我が家のベランダに産み落とされる。形を整えているうちに、それなりの大きさになっていた。
二人で数秒、並んだうさぎたちを眺めて。
「……目と耳が欲しい」
「ですね」
このままではただの雪塊だ。
「うーん」
言いながら湊咲は立ち上がって台所へ。そしてすぐに戻ってきた。
「これ、どうですか」
小さな黒い粒が4つ。微かに香りが漂ってくる。
「……胡椒?」
湊咲はうなずいた。
「これくらいなら、惜しくないかなって……」
「まぁ……」
粒のままで売っているミル挽きの胡椒なんて、湊咲が来なければ買っていなかったくらい使用頻度は低いし。単価としても許容範囲ではある。
自分が作った雪の塊の、それらしい位置に埋め込んでみて。
「どう?」
「あー、まぁ、なんとなく?」
評価する湊咲の歯切れは良くない。私も同感だった。
「やっぱり耳も欲しい」
「耳ってどうやってつけるんですか?」
湊咲も自分の雪うさぎへ胡椒を埋め込んでいる。
「細長い……葉っぱとかじゃない?」
「葉っぱか……」
またしても台所へ向かう湊咲。冷蔵庫を開けてなにやら。
「大根の葉っぱはあったなって」
さっきの鍋の余りか。うさぎの耳というにはギザギザしすぎだけれど。
それでも無いよりはずっと良いだろうと思って、それっぽい位置に添えてみた。
「かわいいんじゃない?」
ついさっきの雪塊から、付け足した要素としては些細なものだ。それでも見栄えははっきり雪うさぎと言えるものになったと思う。葉の形や位置の微妙なズレも、愛嬌と呼べるくらいには愛らしいものになった。
湊咲も隣で同じようにして、小さく感嘆の声を上げる。
「おお、一気にかわいくなりますね」
完成した雪うさぎへ向けて、二人でスマートフォンのカメラを向ける。写真に撮ってみると、胴体の形がやや左右非対称であることが如実になった。何枚か撮って、少なくとも私たちが何をしていたのかははっきりと分かる記録を作る。
それから下向きに凝った首をほぐそうと思って、空を見上げた。
「あ、」
声が漏れる。
「星が」
雪が止んで、雲もなくなっていて、だから。
「すごく、きれい」
感想にもなっていない言葉が、白い靄とともに溢れた。
「ほんとだ、すごい」
湊咲が同じように呟く。
何をすべきかすぐに浮かんだ。
「電気、消してくる」
立ち上がると、しゃがみっぱなしで固まっていた膝が軋んだ。部屋の中まで取って返って、照明のスイッチを押そうとして。先に玄関まで行って、両手に二人分の靴を持った。肘を使って、今度こそ照明を消す。
「ちゃんと見よう」
湊咲の意見も聞かず、胡椒目の雪うさぎを避けた場所にお互いの靴を置いた。
靴に足を突っ込みながら、すっかり全身でベランダに出る。
手すり部分に積もった雪を払って、少しだけ乗り出すように。空を見上げる。
特徴的な三連星から、かろうじてオリオン座くらいは知っている。それ以外については、空を見上げるだけではたくさんの星としか認識できない。
凍った空気の遥か先、もっと冷たい空間の向こうで光を放っている。静かで色味もなく、感傷や語彙を挟む余地もない。
ただ美しく、綺麗で。
隣に湊咲も並んだ。見上げた視界に、彼女の吐いた息も侵入してくる。
寒いから、湊咲との間の0.3歩を埋めた。しゃがんで雪をかき集めていた時と同じように、肩を押し付ける。抵抗もなく、離れられることもなく。
空は見上げたまま。首が痛くなるのと寒さに耐えられなくなるのはどちらが先だろうか。
湊咲がスマートフォンを掲げて、何度かシャッターを切った。
「撮れた?」
尋ねてみる。
「撮れない……ですね。真っ暗で、よくわかんない感じです」
向けられた画面を眺めてみるが、のっぺりと暗いだけだった。
「スマホだとそうかもね」
夜空の写真を撮るには、ある程度ちゃんとした撮影機材が必要なんだろう。
湊咲はスマートフォンを持った手を下ろして、また空を見上げて。
「ちゃんと見ときます」
「そうだね」
黙って立っているだけで体温は奪われていく。風邪を引かないように、適当なところで切り上げなければいけない。
でも離れがたい。
柄にもなく感傷的になっている自覚はありつつ、思う。
こんな光景、次にいつ見られるのか分からない。もしまた見られたとして、その時に湊咲と一緒にいるのかどうかはもっと分からない。
だから、ただそこにある光を。
その一つ一つの意味を知らなくても、意味なんて存在しなくても。
きっと隣で同じようなことを思っているであろう彼女のことも。
できる限り先の時間まで覚えていたいなんてことを、強く思う。
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