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#6 7月9日 責任感/メッセージ/たまにはいいか
しおりを挟む迷子もとい、酔っ払いもとい、羽鳥湊咲との再会から一週間が経って。
予定通りに写真集は入荷して、羽鳥湊咲は午前中早々に受け取りに来た。ちょうど他のお客さんがいたこともあって、そこではほとんど会話らしい会話はしていない。ただ彼女は律儀に手土産ないしお礼のお菓子を持ってきてくれて、それは受け取った。普通のお客さんからであれば受け取らないところだけれど、彼女の場合はその理由が色々あったし。
それはそれとして。
どうだろう、気に入ってくれただろうか。自分の紹介から本を買ってくれて、その旨を伝えられることは時々ある。そういう時は毎度、嬉しいと同時に少し緊張する。金額もそうだけれど、こんな時代にわざわざ店頭まで赴いて新品で買った本が“合わなかった”時のダメージは少なくないと思うから。本の当たり外れに慣れている人間でなければ、結構ショックなのではないだろうか。
もちろん大抵の場合、面白くなかったという報告を聞くことはない。強いて言えばSNSのコメントに時折届く事はあるが、比率で言えば面白かったという報告の方が圧倒的に多い。
そんな中で、どこかの誰かがひっそりと本を敬遠する要因になっていないかどうか、気にはなる。今回の場合は特に妙な関係の相手だから、気分の落ち着かなさはいつも以上だ。
そんな風に落ち着かないまま、その後の一日を過ごした。
帰宅してシャワーも浴び終え、今日の読書の時間。普段はお茶しか用意しないが、今日は羽鳥湊咲にもらったお菓子を添えることにした。
座椅子にぐったりと体を預けて、本を開く。
しばらく読み進め、SNS紹介用のメモを書く付箋に手を伸ばしたついでに紅茶を啜った。もらったお菓子にも手を伸ばす。可愛らしいクッキーボックスだ。
一口大のクッキーにはしっかりとした硬さがあって、噛み砕く音が骨伝いに心地よく響く。同時にバターの香りが綺麗に鼻から抜けていった。たぶん、ちゃんと良いやつだ。
そうやって読書、クッキー、紅茶をまったりと繰り返して。日付が変わるよりも少し前。スマートフォンが小さく唸った。静かな部屋に響いた振動音に驚いて筋肉が痙攣する。動悸を感じつつ手にとって見れば、メッセージが来ていた。メールではなく、電話番号で送るショートメッセージだ。
“こんばんは、羽鳥湊咲です。覚えてますか?”
スパムの類いかと思ったら違った。そういえば、電話番号を渡していたな。
覚えているかという問いの奇妙さというか、その導入の不器用さに思わず笑ってしまう。
“しばらく忘れられそうにないです”
迷子に酔っ払いと、律儀な客。出会い方としてはこれ以上ないほど強烈だった。少なくとも私には。
“ごめんなさい…”
“お菓子美味しかったから、気にしないで”
大したやり取りではないのだが。名前も聞かずに助けた形になって、もう縁はないだろうと思っていた相手だから不思議な気分だった。
“よかったです。それと今日受け取った本、すごく素敵でした。”
“それは何よりです”
まさにその懸念が拭えていなかったから、返したメッセージの字面以上に安堵を感じる。
“写真って、こんなに綺麗になるんですね。”
そんなメッセージが送られてきた。私の方も読み返したくなって、既読本の中から引っ張り出してきて開く。
風景写真ばかりなのに、美しい物語を感じるような本だった。文字で綴られたら明確になりすぎてしまいそうなイメージを、漠然としたまま鮮やかに描写していたという印象だ。
“私も普段あんまりこういう本は手に取らないんだけど、これは紹介しなきゃって思いました”
視覚へ直接的に寄ったコンテンツを好きになることは滅多にない。大抵の場合、文字とその解釈の方が私にとっては魅力的に映る。
この一冊に関しては、偶然その写真家が撮った作品が表紙に使われた小説を読んでいて、その縁で手にとったものだった。そんな出会いの経緯も含めて比較的強く印象に残っている。
ここまで言って思い出したことがあった。せっかくだし伝えておこう。
“その本の作家さん、今度個展やるらしいですよ”
“本当ですか”
数日前の職場での記憶を思い出しながら。
“こないだ宣伝のポスター入ってきたから、間違いはないと思う。良さそうな雰囲気でした”
私自身も行こうかどうしようか迷っているところだ。基本的に出不精だから、行けず仕舞いになりそうな予感もしている。
そこでしばらく返信が途切れた。その間に私は写真集をめくり続けて、やはり良いなと再確認したりして。
“すごく良さそうですね…”
数分経ってそんな文言が送られてきた。展示会について検索していた間だろうか。
“あの、もしよければ一緒に行ってもらえませんか?”
そして、そんなメッセージが続いた。
突然といえば突然なような、やり取りの流れとしては違和感がないような。
なんと返信したものか、指が画面の上を彷徨う。
驚いたような、戸惑ったような。私はその提案に対してどう思ったのだろうか。どうしたいのだろうか。
羽鳥湊咲を警戒する必要は、たぶんもうほとんどないと思う。返答を躊躇ってしまった原因は、きっと新しい人間関係が億劫だから。
それだけといえばそれだけだ。
相性が悪かったとしたら、もしくは彼女がろくでも無い人間だったら、そのまま関係はフェードアウトさせられるだろう。気楽といえば気楽な間柄になることは想像できる。
妙な出会い方をして妙な再会をしてしまった彼女に対して、興味がないと言えば嘘になる。運命の出会いなんて陳腐な妄想をしているわけではないけれど、せっかくならもう少し羽鳥湊咲について知ってみたいのは確かだ。
向こうも同じようなことを考えているのではないか。
気の迷いの類いではあるかもしれないけれど、悪いことではないだろう。
そもそも私だってこの展示会に興味はあった。そして一人で出かけるほどかどうか判断に迷っていたのは事実。だからそういった意味でも良い機会と捉えることもできる。
深夜で思考が鈍っている可能性は否定できないけれど、そう思ってみることにした。そして気が変わってしまう前に、やや焦るような気負いで指を走らせる。
“いいですよ。いつにしましょう?”
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