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4 忘れられないクロエ(ハミルトン視点)

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 私はパリノ公爵家の長男としてこの世に生をうけた。婚約者のクロエ・ランドン公爵令嬢は亜麻色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ女性だった。肌は真っ白でシミひとつなく、ぱっちりした瞳のクロエはわたしの理想だった。

「ハミルトン様、この紫色のドレスが欲しいです! ハミルトン様の髪や瞳と同じ色をまとっていたいわ。いつも一緒にいる気持ちになれますもの」

 そのようないじらしいことを言ってくれる婚約者がとても愛おしい。だから彼女が望むことはなんでもしてあげたくなった。宝石が欲しいと言えば買い与え、観劇に行きたいと言えば毎日のように連れて歩く。

「いくらなんでも遊び歩きすぎです! いい加減に現実を見てください。クロエ様が婚約者となってからというもの、パリノ公爵としての仕事がなにひとつ片付いておりません」

 家令のハワードがわたしに何度も忠告したが、その忠告に従うことはなかった。

「ハミルトン様。クロエは最高に幸せですわ! こんなに愛されてとても嬉しいです」

 柔らかく微笑む彼女を見れば、私の行動が正解だと確信できた。

(そうさ、愛らしいピンクの唇から甘くささやくお願いにはあらがえない。ハワードに任せっきりにしてしまうのも仕方ない)

 そして、事件は起こるべくして起こった。

「ハミルトン様! 宝物庫が空っぽになっています」

 パリノ公爵家では、金や貴金属を保管するために特別に作られた宝物庫が、屋敷内の地下にあった。この宝物庫は堅固な扉と厚い石壁に囲まれ、その内部には大きな金庫や貴重な宝石の入った小箱が整然と並んでいた。ところが、その金庫の扉は開け放たれて、中にあった金は全て消えていた。宝石箱も一つ残らず持ち去られている。

「まさか、こんなことがあっていいのか? いったい、誰の仕業なんだ」

「ハワードがいません」

 執事たちが困惑して青ざめていた。パリノ公爵家には執事が3人おり、それを束ねているのがハワードだった。先代からずっとパリノ公爵家に仕えていた忠義者なのだ。裏切るなんてあり得ない。

 しかし、ハワードの部屋からは私物が完全になくなり、その光景から彼が二度とここに戻ることはないだろうという兆候が見て取れた。

(どうしたら良い? 絶望的だ)

 そこにいつもの明るい声が響いて、クロエが来訪したのがわかった。彼女はいつも午前中にやって来る。

「こんにちは! クロエ、また遊びに来ちゃいました。ハミルトン様、今日はどこに遊びに行きますか?」

「クロエ、今日は無理だ。明日も、明後日も、そうだな当分は無理だ。パリノ公爵家は破産する。負債はできるだけ背負いたくないので、一族の裕福な者に爵位を譲り、金に換えるしかないかもしれない」

「なぜですか? 莫大な財産が先代から引き継がれたはずですよね?」

「家令に全財産を持ち逃げされた」

「え?」

「大丈夫だ。爵位や金がなくても、愛があれば幸せに暮らせる。そうだろう?」

「私はもちろんハミルトン様をお慕いしておりますわ。けれど、そのようなことは、お父様に相談しなければいけません。今日は帰りますね」

 クロエは私のために、顔を青ざめさせるほど心配してくれたようだ。

(なんて優しい婚約者なんだ)

 だが、その翌日にはランドン公爵家から婚約破棄の証書が届いた。翌夕方、クロエはパリノ家に来訪し、泣きながら言葉を紡いだ。

「ごめんなさい。ハミルトン様。お父様に反対されましたわ。私の力ではどうしようもないのです。ランドン公爵家の娘としては、家の繁栄に繋がる婚約でないと困るのです。我が家の経済状況も決して良くないので。」

「そうか。すまないね。私が迂闊だったばかりに、こんなことになってしまった」

「そうですね。ハミルトン様が当主として足りなかった部分は、使用人達に甘すぎたことです。だから、主人を舐めてこのようなことをしたのですわ。私のお父様は『使用人達は鞭でしつける』といつもおっしゃっています。また、経済状況が良くなったら、お会いしましょう」

 クロエはふわりと微笑みながら、そっとキスをしてくれた。

「貴方を永遠に愛しますわ」
 
 鈴を振るような綺麗な声で、小さくつぶやいた。その日から、私はクロエのことがなお一層、愛おしいと思うようになったのだった。


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