レトロな事件簿

八雲 銀次郎

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1章:香り

4 裏表

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 「まぁ、バイトと言ってもシフトを設けるわけではないです。香織ちゃんの好きな日に好きな時間に来てもらっても構わないです。いいですよね?マスター。」
 テーブルを拭いている古川マスターの手が止まり、こちらに向き直った。
 「私は、構いませんよ。私もこの年ですので、手伝って頂けるのは、大変歓迎いたします。」
 「だってさ、香織ちゃん。」
 またしても微笑んでくる。

 ここまで私に都合良い話がある訳がない。
 もともと疑り深い性格なので、何か裏があるのではないか。昨日の件もあるから、何かよからぬことに巻き込まれるのではないのか。
「あの、昨日会ったばかりで、どうしてそこまで?」
 こう聞くのが精いっぱいだった。
 どちらにせよ断ろう。その言葉を聞くまでは、そう思っていた。

 「何か裏があるんじゃないか…。そう思いましたね?裏のない事なんてあるんでしょうか…。この店のように昼の顔と夜の顔がある様に、僕にも、裏の顔がある。もちろん、マスターにも。」
 古川マスターを指さした。
 「おやおや、手厳しいですね。」
 「裏があるからこそ、表を主張できる。それは、コーヒーは表の部分を癒し、酒はその裏の部分を引き出す。」
 九条さんおもむろにフラスコに余ったコーヒーをさっきとは違う、白いマグカップに注いだ。そのあと、カウンター下に潜り、ワインボトルを取り出した。コルクを抜き、さっきのコーヒーカップに少し注ぎ、ティースプーンで少しかき回した後、私の目の前に置いた。

 「どうです?裏と表の世界を行き来してみませんか?」

 お酒には詳しくはないが、これは知っている。
 『カフェブルボン』ホットコーヒーに少量のシェリー酒を混ぜて完成する、コーヒーカクテルの一つだ。
 飲んだことはないものの、甘酸っぱい風味が加わり、コーヒーがより一層おいしくなるとかならないとか…。でも…。
 「すみません、まだ未成年なもので…。」
 「おっと、そうでしたね…。これは失礼。」
 と言い、ばつの悪そうな顔でカクテルを飲み始める。
 少し、気持ちが楽になった気がした。理由は多分だが、見当はついている。自然と緊張も解けていた。
 
 「あの、バイトの件、明日からでもいいですか?」
 そう告げた。九条さんは、柔らかい表情で微笑んだ後、「もちろん」と答えた。
 「しかし、本当にコーヒーがお好きなようで。」
 古川マスターが鍵の束と何やらメモ用紙の様なものを持って私の隣に座った。
 「作っている過程を見ていたとはいえ、コーヒーカクテルを見抜くとは…。」
 鍵の束を九条さんに渡し、メモ用紙を私の前に置いた。
 「一応、連絡先と住所をこちらに。出来れば、メールアドレスも。講義中、電話が鳴ってしまうと、ご迷惑でしょうから。」
 とメモ用紙をトントンと指で叩いた。

 「じゃあ、僕は着替えてくるから。マスター、頼みましたよ。」
 と言い残し、九条さんは店の奥へと消えていった。
 私は、言われた通り、連絡先等々を記入し、古川マスターに渡した後、夜のレトロ開店まで、まだ時間があるとのことで、古川マスターに店内を案内された。
 そんなに広くない店内なので、厨房や倉庫等含め五分ほどで終了した。
 レジの打ち方や電話の取り方などを教わっているとき、黒いチノパンと黒いワイシャツに着替えた九条さんが戻って来た。
 ワイシャツは第二ボタンまで外し、袖は肘近くまで捲っていた。
 
 「ちなみに、明日は何時頃来れそう?」
 「えっと、明日は、午前中で講義終わるので、お昼過ぎ頃からなら…。」
 「了解、じゃあそれまで、制服用意しておくから。」
 「明日から、よろしくお願いします。」
 私は頭を下げた。
 「こちらの方こそ。よろしくお願いします。」
 古川マスターも頭を下げる。
 「よろしくね。」
 九条さんは手をひらひらと振った。
 
 その後、店の準備を少しだけ手伝って、開店前に帰宅した。
 バイトは初めてではないが、こんなにすんなり決まったのは初めてだ。
 しかも、自分の好きな分野で、私の好きな環境で…。
 しかし、一つ気になることが、またできた。
 今日の九条さんは昨日の九条さんとは何か違う気がした。
 まるで別人のような…。
 また考えこんだら、眠れなくなると言い聞かせ、家路を急いだ。
 

 ―彼女が帰った後、まだ客が来ていない店内。
  静けさはいつも通りだが、何やら話し声が聞こえる。

 「よろしかったのですか?香織様を招き入れてしまって…。」
 「昨日言った通り、彼女にも暗い“裏”がある。それをうまく隠しているようですが、以上、放っておくわけにはいきません。」
 「いずれにしても、貴方も“嘘”をついています。ボロが出るのは時間の問題かと…。」
 「いや、香織ちゃんは気付いたと思うよ?同じ表裏を行き来する者として…。」
 「程々になさってくださいね、香織様はまだ未成年なのですよ。」
 「に注意されるほど僕は間抜けかい?」
 「手厳しいですね、私は釘を刺しただけですよ。さん。」

 すると、格子状の戸が動いた。
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