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第三部

第七章 二度目の恋と最後の愛 9

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 カインの私室に連れて行かれたシーナは、所在なく部屋の入口で立ち止まっていた。
 そんなシーナに、カインは優しい笑顔を向けてからソファーに座るように促した。
 恐る恐るといったように、シーナは勧められた広いソファーの隅っこに座った。
 シーナが座ったタイミングを見計らったかのようなタイミングでメイドがお茶と茶菓子を持って現れた。
 手早くテーブルにセッティングしてから、静かに退室していった。
 
 カインは、対面にあるソファーではなく自然にシーナの座るソファーに腰掛けた。
 そして、シーナの方を向くような体勢になってから言った。
 
「さっ、茶が冷める前に頂こう。この菓子は、母上から頂いた蜂蜜パイだ」

 カインにそう言われたシーナは、目の前に置かれたキラキラと輝くパイに目を向けた。
 パイ生地にたっぷりと蜂蜜が染み込んでいて、見るからに美味しそうだった。
 しかし、カインの言った言葉に食べるのを躊躇させていた。
 そう、カインの母上ということは、王妃から頂いたものという事だ。
 シーナはただの一般人なのだ。そんなシーナが恐れ多くも王妃からの頂き物を口にしてしまっていいのかと戸惑っていたのだ。
 カインは、そんなシーナの戸惑いを知ってか知らずか、フォークを手に取り目の前のパイに刺して食べやすい大きさに切り分けていた。
 そして、小さく切ったパイを刺したフォークを戸惑うシーナの口元に運んできたのだ。
 口元に運ばれてきたパイからは、蜂蜜とバターの香りがしてシーナの食欲を誘っていた。
 小さく唇を噛みしめて、食べたい衝動を我慢していると、カインはイタズラっ子のような表情になり我慢するシーナの唇をパイで軽くノックでもするかのように触れたのだ。
 それでも、シーナは頑なに口を開けようとはしなかった。
 カインは、諦めたかのようにシーナの口元に持ってきていたパイを自分の口に持っていき口にしたのだった。
 
「うん。甘いな。しかし、くどくない甘さがいい。口当たりも軽くていいな」

 そう言って、用意されていた紅茶を口にした。
 
「ふむ。パイの甘さと紅茶が良く合うな。口の中がさっぱりして、これならパイがいくらでも食べられそうだ」

 そう言って、意地悪そうな表情をしてみせたのだった。
 シーナは、堪らずに唇を舐めていた。
 先程、一瞬触れた蜂蜜パイの仄かな甘さが唇に残っていたため、舌の上に広がる優しい甘さにシーナは自然と喉を鳴らしてしまっていた。
 
 カインはカインで、シーナが無意識に唇を舌で舐めた行動に目が釘付けになっていた。
 ちらりと覗いた舌が、赤く色づく唇を舐める姿が幼い見た目に反してとても妖艶なのもに見えたのだ。
 カインは、湧き上がる衝動を必死に堪える必要があった。
 そうでないと、直ぐ側にいるシーナの小さな唇を奪ってしまいそうだったからだ。
 ミュルエナに言われたからではないが、ムードのある雰囲気の中で唇を重ねたいとカインも考えていたのだ。
 決して衝動的に無理やり奪うことはしないと。
 しかし、カインは自分の衝動に負けそうだった。そんな時に、シーナが恐る恐るといったように、カインに声を掛けたのだ。
 
「カイン様……。あの……、私、やっぱり。欲しいです……。はしたない子だって、呆れないでください……」

 そう言って、頬を赤らめて少し潤んだ瞳でカインを見上げてきたシーナを見た瞬間、カインの理性は、呆気なく陥落していた。
 カインは、シーナの細い顎に手をやり、少し顔を上げさせた。
 そして、震えるその小さな唇に口付けをしようとした時に、シーナの視線が明らかに下に向かっていることに気が付いたのだ。
 カインは、既のところでシーナの言っている意味に気が付いたのだ。
 シーナは、パイが食べたくなったとカインに言ってきたことにだ。
 
(あっぶないところだった。危うく、ムードもへったくれもないキスをする所だった。しかし、この体勢をどうすべきか……。だが、シーナは近くで見ても本当に可愛いな。肌は極めが細かく、滑らかでさわり心地もいい。日に焼けづらいのか、肌も白いな。まつげが長いから、まつげの影が出来ている)

 カインは、気がつけはシーナの顔を近距離でまじまじと見つめていた。
 さすがのシーナも恥ずかしくなり、か細い声を上げたのだった。
 
「カイン様……。あの、顔、ちっ、ちかいです……。あまり見られると恥ずかしい……」

 そんな、シーナの声を聞いたカインは慌てて誤魔化すように言い訳をしながら離れていった。
 ただし、一切誤魔化せていなかったが。
 
「すまない。お前が可愛くてつい見てしまった。可愛いお前が悪い。いや、悪いのは俺だ。俺は大人なんだから、自重しないといけないが……」

 カインのまったく言い訳になっていない言葉を聞いたシーナは、顔を赤らめながら小さく言った。
 
「えへへ。カイン様に可愛いって思ってもらえるの、凄く嬉しい」

 小さな呟きが聞こえたカインは居ても立っても居られないと言わんばかりに、シーナのことを抱きしめた。
 そして、軽いシーナのことをひょいと膝の上に乗せてから、背後から抱きしめるようにしてシーナのうなじに顔を埋めてから言った。
 
「好きだ。シーナ。俺の妻になってくれ。愛してる。世界一幸せにすると誓う。愛してる」

 そう言って、シーナのうなじにキスをした。何度も何度もただ触れるだけの優しいキスをしたのだ。
 シーナは、その口付けにくすぐったそうにしながらも抱きしめるカインの腕に手を添えてカインの行動を受け入れた。
 そして、カインと向き合うように体勢を変えるべくもぞもぞと体を動かした。シーナは、カインの膝に座ったまま、跨るような体勢になってから、カインの顔に手を添えてからその金色の瞳を見つめて言った。

「はい。私もカイン様のこと大好きです。私をカイン様のお嫁さんにしてください。世界一大好きです。愛しています。私も、カイン様のこと世界一幸せにします」

 想いの通じ合った二人は自然と顔を寄せて、額同士をくっつけて微笑みあった。
 カインは、シーナの頭に手を添えてから瞳を瞑った。
 シーナは、目を瞑ったカインを見て「あれ?どうしたんだろう?」と思いつつも、カインの顔に見惚れていた。
 しかし、気が付くと顔同士が物凄く近づいていて、ぼやける程になっていたのだ。
 近すぎる距離にシーナが驚いていると、唇に何か温かく柔らかいものが触れていた。
 その柔らかいものは、少し乾いていてカサカサしていたが、嫌ではなかった。
 柔らかいものの正体について考えていると、唇がその柔らかいものに挟まれていた。
 ヤワヤワと唇を食まれるような感覚に驚き少し口を開くと、何かが口の中に侵入してきた。
 歯列を割り、熱くてヌルっとした何かがシーナの口の中を蹂躙していった。
 侵入してきた何かは、歯の裏をなぞってから、シーナの舌を絡めるように動いていた。
 呼吸も出来ずに、息が苦しくなっていたシーナは次第に意識が遠くなっていくのが分かった。
 意識が遠ざかる中、シーナはようやく唇に触れたものが何だったのか、その正体に気が付いたのだ。
 
(そっか、私……。カイン様に唇を吸われてたんだ……。苦しいけど、一つになれている気がして嬉しいかも……)
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