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番外編 補完記録13章  『腹黒魔導師の冒険』

書の3前半 僕の貴方の大失敗『飛んで火に入るなんとやら』

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■書の3前半■僕の貴方の大失敗 I we fumble

 僕の始まりは大凡、ここからだと言えるでしょう。

 師が望んだ紫衣を得て、魔導師達の最高位の一人となった僕は……この時『僕』がこの世界に持ち込んだ一つの『設定』を正しくロードしたのだと思います。

 性別を偽ってキャラクターを作ってしまった事に起因する、後出しされた『設定』です。

 性別を偽る事は出来なくはないのですが、場合によってはキャラクター構築に必要なポイントを根こそぎ奪う。
 後に色々と詳しいデータを取って分かる事なのですが、キャラクター作成時の性別というものは僕みたいに極めて任意で偽らない限り、ログインした人が『正しく望んでいる方』が、正規の値になるんですよ。
 例えば性同一障害の人ががどちらの性を選択し、ゲームがどちらを一致した性だと判断するかという話ですね。どうにも意識的に優位な方の性別を選択するケースが極めて高い事が分かっています。

 では、例えば同性愛者の場合はどうでしょう。

 また性的嗜好でしかない、異性装である『僕』の場合などは……どうなるのか。

 実は僕、自分の性に不一致を感じているのだと『思って』いたんですよ。
 例えばスカートとか、女性らしい服を着るのが何故か恥ずかしくてとても嫌でたまらないんですが、それは僕が女性でありながら男性型の性自己意識を持って居るからなのではないか、と疑っていました。
 しかし……疑い、というレベルで止まっていた。
 医師に相談して決着をつけていた問題では無かったという事です。あくまで自分の感覚的なものとして、漠然と自分の性に疑いがあり、その思いに正直に生きてきました。
 しかし一方で僕は、この自分の感覚をあまり信じてはいなかった。自分の性別に、強烈な違和感を覚えている訳ではなかった。趣味もどちらかと云えば男性が好む様な物を好きになりがちでしたが、だからと言って魅力的な男性に惹起されない訳ではありません。
 可愛い、美しいと感じる女性にも魅力は感じるのですが、どちらに性的な欲求が呼び起こされるかといえば、それが……正直、よく分からないで居たのです。

 だから、僕は……トビラというゲームにおけるキャラクターメイキングの仕組みを知って、後に詳しく調べる以前に、一番最初のログインの冒頭段階で躊躇したんですよ。
 ヘタをすればここで、自らの性の方向性が正しく見えてしまうのだろうな……と、察していた訳です。
 キャラクター構築で、現実を少なからず反映させてしまう。
 これはどうやらそういうシステムだ。
 夢を見る領域でゲームをする為に、キャラクターメイキングも夢の領域で行っている所為でしょうか?
 無意識的な事が容赦なく表に現れる、本当に望んでいる事が暴かれる。

 それで僕は、テストプレイヤー枠と云う事で極めて多く与えられていたキャラクターポイントの半分以上を消費してでも『偽った』性別を選んだ。
 そう、そうする事こそが『僕』というキャラクターの答えだったのです。

 眠りから覚めて、夢が終わってゲームを終えて現実に戻ってきた時、ゲーム内容は夢の様に儚い記憶でしか留めておく事が出来ません。思い出す為にはもう一度眠って夢を見て、リプレイするしかない。
 最初のログインを終えて、現実に戻ってリプレイした時僕は、ようやく……そういう自分の『答え』を前に思ったのですよ。
 僕は性同一性障害ではなく、単なる嗜好で異性装で、その上で性別を偽る。
 ゲーム、トビラの中での記録と云うのは、あくまで行動している自分を俯瞰するような形で見ている様な気がします。なんというか、重なり合わないのですよね……『思い』が。
 ログを積み上げる時、どういう事を『思って』いたのかが上手くリプレイされないんです。
 何故かログを見ている『僕』の方の思いが生じて、その所為でリプレイはどこか乖離したように俯瞰図になる。
 これはキャラクターメイキングの時からしてそうなんですよ、だって、もうその時から我々は眠っていて夢の中なんですから。

 だから『僕』は思った。

 この『僕』の一種事実を知って、その上で自分の選択を……恥じたのです。

 本来はここまではっきりと可視化されるべきではない僕の『思い』が、性別というものにありありと反映されている。
 僕は、偽って別の性別を選んでいる。
 『僕』は偽って、異性を演じているに過ぎないのだという一つの、本性の様な物がゲームによって暴かれてしまった、そんな気がして堪らなくなった。
 夢から覚めて、ログをリプレイした時初めてそうだと気が付いて、……僕がどんな気持ちだったか想像できますか?
 勿論、僕以外の他の誰も僕のこの羞恥を理解していないのです。恐らく、気付く事も無いでしょう。
 でも、いつか気付かれるかもしれない。誰かが気付いてしまうかもしれない、その可能性はゼロではない限り僕の不安は消える事は無い。

 でもそういう風に僕が、キャラクター作成した事で犯した『失敗』の事など、トビラの中の僕はもうとっくに気が付いているんですよね。

 逆の性を強引に選択し、それを成立させてトビラの中に降り立った瞬間に気が付いているんです。

 そしてその瞬間、『僕』がトビラに入り、リコレクトコマンドを封じられたままイシュタル国のレイダーカ島にたどり着いた時に、その『思い』が生じて……レッドというキャラクターにロードされる事が後付け的に決まってしまったのでしょう。
 どうにも『世界』は設定に合わせて辻褄を合わせて来る。
 だって僕らは後出しでキャラクターを作って、すでに在るゲーム世界の中に来ているんですよ?辻褄と云うべき、背負われているはずの過去たる物語はどうしたって後から付け足されていくんです。今、僕がこうやって展開している冒険の書が過去を語っているなら、そのほとんどがそういうものなのです。

 設定していない事が、思い出そうとすれば思い出せるようになる。

 『僕』が感じた一種の絶望、それは後出しされたにも関わらずレッド・レブナントというキャラクターに強制的に、後付けで、インストールさせてしまったものでした。
 そう、レッド・レブナントのプレイヤーである『僕』が……当然ではあるのですが、レッドというあの困難なキャラクターを作ってしまった。
 そうして、彼の過去の記録に、その願いを生じさせてしまった。

 それは『僕は死にたい』と云う事。

 僕は『失敗した』と云う事。

 レッド・レブナントは『僕』というキャラクターのログインによって『自死』を望まない自分を発見し、望めない願いを叶えるために理論武装を行う。

 やり直したい、こんな捻くれた扱い辛いキャラクターを何故構築した?
 こんなふざけたキャラクターを作って、僕は一体何をしているのか。
 ではやり直せるとして、その後僕は……本当はどんなキャラクターを立てていたのか。

 これ、逆転していて理論的に正しくならないんですよ。

 僕の本質として、性別を偽ってキャラクターを立てたはずなのに、それが成立してから……偽った事に後悔している。それなのに、レッドの過去からすでに生きる事への後悔が刷り込まれている。ちょっと変な事になっていますけど、リコレクト・コマンドで思い出す事は世界が辻褄を合わせた事に過ぎないので違和感を感じる事は無い。

 ものの見事に僕はその『思い』に騙されている。

 ……僕の、この世界での望みは自分の消滅なのです。

 あの時、ヤトに罵倒された様に勝手に一人で死ねるならすでにそうしています。
 でも、このゲーム世界のキャラクターはそれが出来ないのです。容易く出来ないように、この世界では多分……そういう定義されていてこれを突破するのが大変難しい。
 死にたいという願い、思いは存在します。
 ですが本来意識にも上らない事ながら、そういう思いを叶える為に『自死』という選択肢が無い、抜け落ちている。

 だから、レッドは自分が死ぬ為の舞台を整えるべく行動していました。

 リコレクトコマンドの解禁により、瞬間全てを理解した僕が感じ取った事は確かな『絶望』です。
 その思いを実現する為に正しく、レッド・レブナントというキャラクターは取得した特徴と技能の通りに『嘘を付く』のです。
 その道は険しい、容易くは無い。
 仲間達を裏切る必要性も出て来るでしょう、確実に自分と云う存在にトドメを刺す為に、仲間から絶対的な敵意を引き出す必要が在ります。

 魔王八逆星という存在はとても都合の良い存在でした。何しろ、彼らはレッドフラグというバグ扱いなんですからね。
 彼らに連なる事さえできれば、レッドフラグを取得出来なくとも……たとえプレイヤーキャラクターでも、裏切ってパーティから離脱して、命を取られる為のフラグが立てやすい。
 ブルーフラグもレッドフラグに感染出来るならばもっと話は早いだろうに、残念ながらそうはいきませんでした。

 しかも、僕では無く『彼』の方がそういう、命を取られる方の立場に立ってしまったとすれば……どうです?

 本当は僕こそが彼の立ち位置に居るべきだったんです。
 そう云うつもりで全てに対し、立ち回っていたはずなのに、彼に、ヤトに全て展開を持っていかれたら、そりゃぁ困るでしょう。何をしてくれているんだと思うでしょう。
 レッド・レブナントの焦る様が、よく分かるでしょう?

 僕は、必死に軌道修正を掛けるべく暗躍しました。その過程、彼は……死んでしまった方が色々と都合はよかったに違いないのです。
 でも僕は、ヤトを見捨てる事が出来なかった。
 どうしてそんな事を願ったのか自分でも良く分からずにいます。
 感情は、思いは……計画通りと云う訳には行かないのです。
 ヤトの立場に自分が立てればすべてが予定通りだったはずなのに、何かが狂って彼がそこに入ってしまった。
 それは、僕がそういう『立ち位置』を用意しようとしたからとも云えるでしょう?自分の都合に仲間を巻き込むつもりはあったとしても、その悲劇の舞台には間違っても上げるつもりは無かった。
 だから、ヤトを助けなければと『思った』のでは?
 ああ、これも多分、後出しの理由ですね。
 その時選んだ行動の意味を、理論を、魔導師の僕は分からないで居るのが堪らなく嫌なだけです。何らかの感情が在って理論を無視してしまっただろう、そんな自分の事が正直によくわからないで混乱している。

 でも僕は、彼を救う事についてはすでに選んだ事です。

 
 一旦状況をタトラメルツでの事に戻します。

 アーティフィカル・ゴーストを暴走させたヤトは、自らの命の危険を察し反射的にギルの、手加減された一撃を跳ね飛ばしました。しかし斬撃は防ぎきれずに彼の腹を裂いていた。
 這い出す影へ変質したアーティフィカル・ゴーストを、僕は身を挺して抑え込んだ……所まで話は戻ります。
 しかしなぜ?
 そもそも、なぜヤトにアーティフィカル・ゴーストが居るのか、という事に皆さん疑問を呈し始めている頃だと思います。
 これから少しその事についてご説明差し上げようと思います。

 その為、またしても僕の少し過去の話をさせてください。

 まずあの日、師アルベルトを殺傷して止めた時から、ジーンウイントからこの魔導、アーティフィカル・ゴーストを封じられました。僕はもうアーティフィカル・ゴーストを新規で構築出来ないはずですからね、その後に会ったヤトにそれが憑いているのはおかしな話になる事でしょう。
 ですが……先にも説明しましたが、一度憑けたゴーストというのは永続的に肉体と幽体に依存しています。そして、剥がす理論を僕は考えていなかった。剥がせるものとして作っていない、というのも一つにあります。失敗した場合を考えればキャンセル出来る方法を確立しておくべきなのでしょうが、そういう便利な魔法だという位置づけにあえてしなかったのです。
 逃げ道を作ってはならない、と思っていました。
 違法スレスレだと認識していたからこそ、その魔導を受け入れたものは存在の在り方を根本から変え、容易に元の道には戻れない覚悟を強いておきたかったのです。
 そうやって『抜け道』を最初から『あえて』塞いでおくのが僕が属する『長兄会』の魔導属性でもあります。
 いわば、アーティフィカル・ゴーストは後天的な魔物化を促す方法にも似ている技術と云えるでしょう。その道に足を踏み入れれば、後戻りは出来ないものとしてアーティフィカル・ゴーストを作ったのです。
 そうやって逃げ道を自ら塞いでいたのですがジーンウイントからは解除する魔導式の構築をするべきだ、と言われた訳です。アーティフィカル・ゴーストの魔導式は封じられましたが、これは成立が封じられているだけ。一応、どう封じられているのかはすでに試しに魔導式を発動させてみて確認しました。解除の魔導式を構築する為の邪魔はしない……すでに在るモノへの改変が可能な、新規構築だけをエラーとして叩き返す禁忌になっている様です。
 ところが、だからといってアーティフィカル・ゴーストを剥がす魔導が簡単に構築できるかというと、そうは問屋が卸してくれません。

 ここの詳しい話をやってしまうとまた行数が足りなくなるし退屈な話でしょうから詳細は省きます。

 結局の所、それはヤト達を連れて魔導都市ランに戻る直前まで、完成させる事が出来なかったのですよ。

 それで……師の開けたトビラを閉じる為、アーティフィカル・ゴーストを憑けた僕のソレはどうなったと思います?

 勿論……あの日から、変わらず僕の命を削り取っていましたよ。

 では僕は、黙っていても早く死ぬ事になったのかというと、これが皮肉な事なんですが……あの時必死になって最後に呼んだ死霊は多少、マシな力を持っていた存在であり、そこそこ強い概念になったんです。
 だから、ゴーストに頼ってその力を使えば極端に命を削る事もあったでしょうが、そういう場面に自分でして行かない事には日々削れる命など、微々たるもので済むくらいにはうまく適合してしまったと言えば、理解頂けるでしょうか?
 僕は元々実力のある魔導師です、自分で言ってしまいますが、アーティフィカル・ゴーストなんて憑けなくたって堂々高い地位を狙えるくらいには魔導センスは在ると思っていますよ。ぶっちゃけて師アルベルトをすでに超えているという評価はされていましたしね。
 僕は師であるアルベルトの為に結果を急ぎ、エルドロウをアーティフィカル・ゴースト化して制御する事で高位へのステップアップを狙って、あの事故です。

 ですから憑けた概念を使用せずとも紫衣の執務は可能でした。

 力を使えば自分の命を削る。
 ……この時、すでに自分の消滅を願ってはいるのですが、だからといって無計画に魔法を揮えるかというと、僕は紫衣という立場や師に変わり面倒を見る事になった弟子達の事など、様々な問題から無策無論でそういう無茶が出来なかったのです。だからこそ密かに、いずれ今以上の力を必要として自分の命を削り得る状況を作る事、あるいは自分を殺してくれる誰かを作るという……『舞台』を整える事を画策していた訳です。
 その為には、ジーンウイントが言った通りアーティフィカル・ゴーストを引きはがす魔法の開発、それを成す事も視野に入れる必要がある事でした。何より僕に憑いたゴーストが、僕が死ぬ事への障害に成りかねないのです。自分と云う存在を滅して欲しい、簡単言えば『殺してほしい』訳ですから、当然それは僕を凌駕した相手に事を任せる必要が在ります。
 アーティフィカル・ゴーストを憑けたままでは、僕を倒せる存在へのハードルが高すぎる。あるいは僕にゴーストを使わせる程の強敵を作れたのならば自分で自分の命を削る事にもなるのでしょうが、果たしてそんな舞台は無事整えられるものだろうか?
 そんな不安を思えば、アーティフィカル・ゴーストなんて引きはがして置いた方が都合が良いだろう、という考えになる訳です。

 自らの滅びを願う、というのは……なんというか、この物語の根幹に成っていた所はあるでしょう。
 僕もその一翼を担っていた一人なのです。

 そんな未来を真っ黒く塗りつぶした様な僕の、後ろ暗い残りの人生がひょんな事で再び……何と言いましょうかね、この場合、狂ったというべきなのかもしれません。

 そもそも人生が自分の思い通りに進む事の方が稀な事なんですよ。今は振り返ってその様にも思えますが……とにかく、さっさと死ぬ為にせっせと下準備をしていたあの頃は、自分が用意した『なるべく早く死ぬ』為のシナリオの存在を信じていたのです。

 結論から言って、僕は……ヤトに出会わなければゴースト除去魔法を組み立てる事すら出来なかった。

 あの異常な魔力を持った男と出会った事が、僕のこの先を全てを……決めてしまったんです。
 僕の真っ黒いと信じた未来を、彼が覆した。
 それは、現実における『僕』の動機と似たようなモノでした。あの男と出会ったのは完全に事故であったと、リアルにおいての認識とそう変わらない。ああ、またしても事故として、僕は彼に出会い全部ひっくり返されてしまうのだと、ひしひしと理解出来て思わず、笑いましたね。

 ちなみに、具体的にどのようにリアルで出会ったかについては……先方がすでに覚えていないであろう事を、僕の方が覚えているその事実がぶっちゃけて羞恥極まりないので秘密にします★

 でも、今でもはっきりと思い出せるんですよ、その事故が。

 初めて彼と、ワールドワイドウェブの中で事故的な確率で出会った時の事を僕は、忘れる事は無いでしょう。
 それが、こうやって夢の中でも反復されてしまった。


 真っ暗だと思っていた空が青い事を思い出したように。
 ふいと世界に色が在った事を思い出すように。


 僕は……その時ジーンウイントからの命題、アーティフィカル・ゴースト除去魔法構築で煮詰まっていました。
 頭をすっきりさせようと、飲食店街でコーヒーを飲んでいたのです。
 魔導式だけではどうしても限界があり、極めて特殊な振る舞いをする魔法的な物質を組み込むことが出来ればあるいは光が見えるかもしれない、しかしそれを手に入れる事が極めて難しい、遭遇率としては死霊使いが最も高いと言われているにも拘らず、『死霊使い』という二つ名で知られる僕が未だ一度も遭遇した事が無いのです。それがどこにあるのかは雲をつかむような話で……と、指向的にドン詰まっていた所に彼は、唐突に現れました。

 その、手に入らないと悩んでいた物質で出来た首輪を着けた男が、フラフラと……まるでコーヒーの匂いに誘われた羽虫みたいに僕の目の前を横切って行ったのです。

 ……彼が、恍惚の表情でもってコーヒーを一杯所望したのを、僕は極めて珍しい虫が偶然飛んでいるのを見た様な、惚けた顔で眺めていた事でしょう。
 一瞬どころか数十秒、何が起きているのか頭が理解しませんでしたね。
 いや、大分煮詰まっていて、頭が上手く働いていなかったのでしょう。

 気が付けば、男と同じように僕は手元のコーヒーを啜っていた。

 ところでこの店、本当のコーヒーを出す店なんですよ。
 コーヒーっていうのは場所や時節によって極めて希少な嗜好品の類なのです。魔導都市においては酒と煙草に並んで依存性が認められており、健康を害する可能性があるので自己責任で嗜む様に、という一種法令が敷かれた存在です。飲み過ぎで胃に穴を開けた輩が居たのでしょうねぇ。
 そうですね、具体的に言うと税金が余計にかかってます。
 あと、煙草にリアル世界だと完全に違法薬物である類いを含みます。
 
 ええ、そうです、お高いんですよこの店。

 もちろん、安価なコーヒーを提供する店だってこの界隈には在ります。豆の品質や焙煎職魔導師の技能によって味も値段もピンキリです。
 それなのに事も在ろうか、あの明らかに魔導師ではない、どこぞから迷い込んだ一般人風の田舎臭い男が……ああ、武器所持してる所からして所謂、日雇い労働者の類でしょうか、とにかく……場違い極まりないあの男は……どうなってしまうのか。
 偽物を出されて追い払われるか?いや、無いですね、この店の主人はそういう事はしないはず。

 相手に金銭の支払い能力が無さそうと見ても、求められれば容赦なく最高の一杯を出してくる、そういう腐っても生粋の魔導師が経営する至高のコーヒースタンドなのです。品質にこだわりの強い店である事を僕も把握している。コーヒースタンドでありながらも一部店舗は喫茶店として展開しているため、要するにリアル日本における『スタバ』とか『ドトール』とかそういう感じお店です。
 ましてや、あの男の表情は心底この店に漂うコーヒーの匂いに心酔している様子です。
 オーナーは場違い男の事をコーヒーの良し悪しが分かる者と認識し、畏まりましたとオーダーを受け付けたのが聞こえて来て……僕は、そっと給仕を呼んだ。
 無言で何用かと控えた女魔導師に、僕は無言でカウンターで今コーヒーを待つ田舎者を指さして……懐からキャスを取り出す。
 僕が何を言いたいのか察して、すでに顔なじみの給仕は微かに笑った。
「お優しいですね、そういう方だとは存じ上げませんでした」
「先行投資ですよ、」
 あの男にそれだけの価値があるのかと、紫魔導師が目を付けた男を給仕は密かに振り返り見る。こちらの様子には気づいた気配は無いですね。
 畏まりましたと全て飲み込んだうえで給仕は一旦奥に下がり、暫らくしてから店のキャスを手に戻って来る。
「この事は先方には、」
「秘密にしておいてください」
 心得ているように笑って軽く頭を下げた給仕の差し出すキャスに、僕もキャスを翳しました。魔導都市の独自通貨であるキャスを交えて、バカ高いコーヒーを頼んでしまった事に気が付いていない男の為に支払いを済ませてやったという訳です。
 
 
 その後、暫くして戸惑った様子の男がスタンド喫茶から出て来たのを、僕は別の店に移って伺っていました。きっと、とんでもない請求書を突き付けられて驚いたところ、親切な魔導師が奢ってくれたという事にようやく気が付いてた事でしょう。
 魔導師と云うのは押し並べて利己的で在る事は……あの場違いの男も既に存じているものと思いますが。とりあえずあの男の素性を調べてみましょう、こっそりとね。
 恩を売った事については後々請求して行きますよ。ええ、勿論タダで施しをしてやるほど魔導師というのはお人よしではありません、僕も含めてね。
 密かに後を追う、という技能に置いて魔導師と云うのは本来秀でていると言えます。
 魔法と云う手段を封じられない限り、諜報活動に最も適している部類だと言っても間違いではないでしょう。それなりに学もあり、魔法によって遠視透視、聞き耳に盗聴、果ては心読まで、不用心な相手の全てを丸裸にすることが出来ます。
 魔法使いの中でも理論的に魔法を使う魔導師は、必要な形式と作法さえ整えれば大抵の魔法を行使出来るのです。最低でも赤位と呼ばれる赤い魔導マントを纏う位のレベルが必要でしょうが、赤位は既に独立が許される魔導技術を有したという印でもあります。東国ペランストラメールの外に散らばる魔導師の多くは赤位です。兼位として緑色への転位も許されていますしね。ただし緑位はこれ以上の昇位が出来ません、赤位の上、弟子を取る事が許される師衣黒位を目指すなら、赤位のまま魔導を研鑽する必要が在ります。

 そこを、僕はすでに紫位、許される位の中で最高位なのですから……田舎男の後を着けるなんて朝飯前、一定の人物にだけ姿や気配を隠しておく事だって出来るんです、容易いだろう思っていました。
 そう、朝飯前のはずでした。
 と、言うからには……思っていたよりも手古摺ったという事実があるのですが。
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