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10~11章後推奨 番外編 ジムは逃げてくれた

◆BACK-BONE STORY『ジムは逃げてくれた -5-』

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◆BACK-BONE STORY『ジムは逃げてくれた -5-』
 ※これは、10~11章頃に閲覧推奨の、アベル視点の番外編です※

 檻から開放された魔物は、嘴の端に泡をこびり付け狂気を含んだ瞳で小さな獲物を捕らえていた。降りに入っている時から暴れていた、きっとまともな餌を与えられずに今日を迎えたのだろう。
 人々の歓声が怒号のように響き渡り、神経質なモンスターを苛立たせたのが分かる。一瞬で首のあたりの毛を逆立てたのがあたしには見えた。
 真っ白いふわふわした毛で覆われた、大きな鷲の頭と四本の足を持っているモンスター。高さは人間の背丈ほどで、馬を一回り大きくした位だ。翼や頭、足は鷲なのだけど体つきは馬。
 俗に、っていうのはリアルの方の知識を参照しての事だけど、グリフィンと呼ばれるモンスターが居るんだけど分かるかな?鷹と獅子が混じった様な奴。結構有名な方だと思うんだけど。その亜種でヒポグリフってのがいてね、それはそのグリフィンと馬の合いの子なんだけど、それより鷲の比率が高くて毛並みは猫っぽい感じ。四本足全部、鋭い爪が生えているものね。

 その鋭い爪のある四本の足が、地を蹴り、満足に飛べない様に羽を間引かれた大きな翼をばたつかせる。
広げると羽の無惨さが際立つわ、歯抜けの櫛みたいに穴だらけにされている。
 それが、突然高く跳躍した、穴だらけの翼でも、空中に若干滞空する位はできるらしい。
 
 背の低い少年の、更なる頭上から襲い掛かる鷲獅子の亜種モンスター。

 砂が舞い上がる。土壌に染み込んだ血によって、硬くなった地面を隠すように撒かれている白い砂が舞い上げられ、一瞬視界を奪う。
 けたたましい叫び声に、観客一同首を伸ばすようにして舞台を見下ろす。砂埃が散ると、モンスターは首を必死に伸ばして、左の翼にぶら下がっている少年を啄ばもうとしていた。

 圧倒的な速度、逃げられないであろう頭上からの攻撃を少年は、避けていたんだ。砂舞台の所為でその瞬間をあたしも見損ねたわ。
 正式な闘技試合は石畳でするルールがあるんだけど、それは試合前に張る事が多い。試合によっては容易く割られたり、血で汚れたりするでしょ?だから大抵の闘技場では舞台職人ってのがいて、試合内容に合わせて石を並べたり、剥いだり、試合後の後始末などまでを請け負っている。
 正式試合前のショータイムなので舞台は剥き出しの土の土台、でもそれだけだと衛生上よくないから砂を撒いてある。エトオノでは、この時あえて土埃が立つ様に細かい砂を撒いている、という話だった。

 あたしは目が良いので裸眼のまま、舞台の様子が良く見えるけれど……観客の多くは戦っている舞台の様子はあまり細かい所まで見えていないだろう。よっぽど舞台に近い、良い席は別だけどね。

 そう、あえて土埃を立てて残虐な様子を隠す意図がある。
 とはいっても気休め程度の様な気もするんだけども……。

 あの少年、事もあろうか襲い掛かって来た敵の一撃を避け、逆に左翼の腕に剣を突き刺している。
 避けた所までは良いわよ?でも、剣を突き刺すのはいけないわ。
 というのは、闘技で使われている剣の切れ味ってあんまり良くないから。毎日行われる試合にあわせて武器の調整はそんなにやっていられない。大体、剣なんてものは切る道具というよりは鉄の棒として薙ぎ払う武器なんだから。
 日本刀とは違うのよ、と……リコレクトするにイシュタル国では一般的な、多少切れるが基本的には殴り潰す為の頑丈な『剣』の他に、圧倒的に切れ味を追及した様な『剣』もあるわね。扱われ方的にも日本刀の様な所がある。基本的に管理や手入が必要で、値段が高く、良く斬れる事が価値の一つではあるものの実際には使われる事は無く礼式や宝物として儀礼に使われている、っていう。
 それこそ昔は、この良く斬れる『宝剣』で神への闘技を捧げて部族の代表同士が殺し合いをしたらしいのだけれども。
 闘技場で使われる剣は一般的には、相手の攻撃を往なす為にも強度と幅を必要とするからブレードソードが主流だ。重い分だじぇ扱う体力も必要になるから、剣の長さも控えめが好まれる。
 突き刺す事でダメージを与えるなら、柔軟性のあるフルーレや硬い鋼で出来たサーベルを使うべきだ。あの少年が手に持ってたのは普通のブレードソード、ちょっと短くて頑丈、単純な作りのそれは剣闘士に好まれるからか『グラディウス』と呼ばれている。こういう所、リアルと似た感じになるのよね……それに付随する歴史とかは違うんだけど、美味い事辻褄合わせがなされている。
 それはともかく、グラディウスを突き刺すなんて使い方、てんで素人の戦いだ。
 でも、それは仕方が無い事かもね。だって、あの少年はまだ13歳だもの。
 13歳の少年が、剣と盾など構えられるはずも無い。体つきはしっかりしているとはいえ、やはり身長が足りていない。見合った剣と盾が無かったのだろう。

 だから少年、ジムは剣一本で戦っていた。

 唯一の武器、切れ味の悪いグラディウスを事もあろうか、……突き刺すとは何事か。
 あの短めで、重心が前に掛かる武器は投擲に向いてる方ではあれども。
 あたしは舞い散る血がどちらのものなのか、一瞬判別が付けられずに息を呑む。

 少年は武器を手放し、暴れるモンスターから飛び降りて転がり距離を取った。
 モンスターは懸命に翼を羽ばたき突き刺さった武器を払い落とそうとしているが……グラディウスはしっかりと翼を構成する腕の骨と骨の間を潜り抜けて突き抜けている様だ。刃幅が広く、厚さもあるので上手い事骨と筋肉の間に引っかかってしまっている様だ。
 偶然なのか、彼の実力なのか?骨を間を抜いて間に剣を突き刺すなんて。
 白い翼が血に塗れ、散らばる。
 異物が齎す痛みの感覚にモンスターは狂気じみた様子で暴れまわり、ついにはその鋭い嘴で左の翼そのものをを突き始めた。
 自分で自分の翼を傷つけ、その度に羽が散らばる。
 すでに目の前にいる少年の姿など目に入っていない様だ。
 鈍い音が聞こえる、自らの血に塗れた嘴で鋼の剣を突付く音が何度か響き渡り、モンスターの執念が勝りついに剣は抜け落ちた。
 その瞬間、吹き出す赤い鮮血。
 ふらりと、モンスターがバランスを崩した。その前で、ジムは立ち上がって仁王立ちになり、武器の無い手を上げる。そして気を引くかのように手を打ち鳴らし始めた。
 一瞬微睡んだ獣の瞳が見開かれ、乾いた手が打ち鳴らす音を警戒し姿勢を元に戻す。
 本能的に襲い掛かるモンスター、それから逃げ回るジム。
 たった一歩を素早く踏み出すだけで少年を捉えるはずの脚は空を凪ぐ、少年は魔物を見据えまま背後に、正しく魔物の歩幅分飛び退けばいい。
 翼に近い左前足はすでに血の巡りが悪いのか上手く機能していない、次の脚が出遅れる、届くべき距離を跳んで居ない。ジムを追いかけて脚を運ぶ度に吹き出す血。
 モンスターは……10歩も歩けなかった。
 突き刺した剣は大きな血管を破っており、魔物は出血多量で意識を失い前のめりに倒れ込む。

 ジムは敵に向ってゆっくりと近づいて行く。

 砂埃を上げて倒れたモンスターを見て、静かに側面を回り込み……モンスターの背後の、血溜まりの中から抜け落ちた剣を拾い上げる。
 そのまま背後からモンスターに忍び寄るジム。

 起き上がるな、もう起き上がるなモンスター。

 あたしは気が付けば手を握り、息を呑んでそれだけを祈るように頭の中で繰り返している。
 もう数歩という所で、ジムは慎重に近づく足取りを止めて突然、走り出す。
 モンスターが抵抗するヒマも与えず背中に飛び乗ると……思いっきり脳天に一撃を打ち落とした。
 血で滑ったのか、鈍い音でモンスターの脳天をかち割った剣はジムの手をすっぽ抜けて飛んでいってしまったが、その一撃でモンスターは鈍い叫び声を残し、血の泡を吹き出すと……自らの血溜りの中に首を沈め落とした。

「勝った……」

 あたしは荒い息をついているジムの代わりに呟いていた。

 こんなにドキドキしながら闘技場を見下ろしたのは久しぶりで、あたしはどっと疲れて椅子に座り込む。
「やりますね、あいつ」
 カーラスも感心したように今の戦いを、固唾を飲んで見守っていたようだ。
 遅れて歓声が場を包み込む。
「カーラス、」
「はい……ッ!?」
 振り返った奴の無防備な腹に向けてあたしは、思いっきりボディブローを叩き込む。
 崩れ落ちた邪魔な奴をその場に残し、あたしは……

 関係者立ち入り禁止の選手控え室に、走り込んでいた。


 *** *** *** *** ***


 その後、あたしはどうやって先生への思いを収めて……忘れていったのか良く憶えていない。
 暫くずっと、先生の事を忘れてしまうのを恐れていたけれど……戻ってきた日常は、徐々に先生との大切な記憶を『思い出』に変えていって……。
 それに伴いあたしは『それ』を口に出すのを止めた。

 いずれこの町を出るというあたしの夢の事だ。
 それは、ただの、夢で終わったのだった。

 その夢が今、全然無いのかというとそういう訳ではない。
 でも……何故町を出なければいけないのか、あたしはその意味を未だに上手く見つけられない。
 理由の無い夢を語る事が出来なくなったのかもしれない。

 先生を追いかける為に町を出る、そして、そしてあたしはその続きを……実行出来るのだろうか?
 きっと出来ない。その続きが上手く言えない気がして……。
 『それ以外』にあたしがこの町を出る理由として何が、あるというのだろう?
 町の外に出たいと言ったら、パパは『何故だ?』と聞くだろう。
 口ごもる。
 あたしには理由が無い。

 課せられている役割、アベル・エトオノという宿命からあたしは、逃げたいだけなんだわ。

 目の前にある現実から逃げたくて、ここではない何処か、違う場所へ、違う役割を得たいと思っていて。
 それだけが町を出たい理由で。
 あたしは知っている。……逃げた先に、新しい世界がある訳じゃない事を。

 あたしだけ逃げていいのかしら?
 確かに、あたしには逃げ出すだけの力がある。でもこの町には……逃げたくても逃げ出せない境遇の人達が沢山いる。
 その中であたしだけ、逃げ出していいのかしら?
 権力、財力、そして実力も含めて。あたしは余りにも恵まれていて、恵まれている環境に居る事が後ろめたい。もっと傲慢に振舞えばいいのにあたしにはそれが出来ない。
 ……先生はそういう能力はあたしに必要な事だと言っていたけどあたしは、そんなスキルは別に、本当に……欲しくないんだ。
 だから……逃げたいと思うのだし。

 あたしは『町を出る』などと口にするのは止めた。

 カーラスの事は相変わらず好きになれないし、パパの事は相変わらずウザいと思うけど。
 でも少しだけ妥協して、あたしは好き勝手に生きるのを止める事にした。


 パパには素直に頭を下げて、あたしはファミリーの一員として仕事をしたいのだと申し出てみた。
 現状維持させて欲しいとお願いした。
 本当はもっと経営的な事を手伝わせたかったみたいだけど……あたしは、現場主義のパパを真似てもっと『現場』と近い所で働きたい、とか主張してみた。そうすれば、パパもこれ以上強く言えないだろう事は計算の上でね。



「お嬢、暑くありませんか?」
 あたしは汗を拭きブラシを担ぐ。顔を出したラダに笑って顔を上げた。
「大丈夫よ、ほら、水洗いしたら気化効果でひんやりするでしょ?」
 とはいえ、こびり付いた汚れを落とすのに躍起になってブラシをこすっていたアタシは、本当は汗が噴出す程に暑かったり。
 ラダは相変わらず何かと気を揉むけれどいい加減、そんな気配りやめればいいのに。
「大体片付いたわ、そろそろお昼?」
「ええ」


 あたしはラダの飼育小屋仕事を本格的に手伝っている。いつだったか、ジムに嘘ついて言った事が現実になっちゃったのね。
 もちろんこれは、あたしが望んだ事だけど。
 午前中はラダの仕事を手伝って、午後からは闘技場の管理仕事を手伝っている。パパやベンジャーさんは事務仕事をさせようとしたらしいけど……無理無理、あたし数学って苦手だし。
 闘技場で戦う人達の世話焼いて、ドタバタ走り回る方があたしの性には合っている。最初はスタッフの人達から迷惑がられてたんだけど……あたしは遠慮されたりするの大嫌いだし、中途半端に仕事をするつもりもない。
 明るく振舞い懸命に仕事をするうちに皆、あたしのやる気だけは組んでくれた。
 まぁまだちょっと、いや……かなり足手纏いな方なんだけど……とにかく皆良い人達で、すっかり隷属剣闘士達の皆とも結構仲良くやっている。

 今まで闘技場の存在自体が嫌いで、疑問だったりしたから……殆ど接触が無かったのよね。実は。

 パパ的には、闘技場を支える存在である剣闘士達と、意思疎通を積極的に図るようになったアタシの行動はそれなりに、嬉しい事らしい。
 今までノータッチだったファミリーの仕事の一端に触れ、理解した事も色々あるもんだから自然と、パパと会話する機会も増えちゃったしね。
 分からない事を聞いたら嬉々として説明してくれるパパを見ていると……ああ、パパはこの仕事大好きで、ものすごく誇りを持ってるんだなぁと分かってくる。

 あたし、ずっと自分の身の上、パパのやってる仕事が好きじゃなくて否定的で……無関心だった。
 娘がようやく自分を理解してくれた~みたいな気持ちかなぁ。


 あたしは……アベールイコは。
 そんなアベルの経験を思い出してふいと、お父さんの事を考えてしまう。
 仕事人間のお父さん、そういえばあたしはお父さんがどんな仕事をしているのか、良く知らないわよね。
 どんなお仕事をしているのって聞いたら父さんはパパのように、嬉しそうに笑いながら仕事の事を教えてくれるのかな?
 まさか、人に言えないような仕事やってる訳じゃないだろうし。
 パパと同じく父さんも、娘のあたしがそういうのに関心を持ったら喜んでくれるのかな。

 アベールイコのあたしはこっそり、今度実家に帰ったらちょっとその辺り、聞いてみようかなぁと思っていたりする。いつもだと家族からは大学の様子はどうだとか、質問攻めでちょっとそれが面倒で帰省するのが嫌な位なんだけど……。
 なんだかちょっと、次の連休が楽しみになってしまった。

 うん、でもこの『思い』は実際、リアルに持ち帰るのが大変だって事があたし、まだよくわかってなくってね。それを理解するのにまだちょっと、リアルの方の時間で掛かるんだけども。


 *** *** *** *** ***


 今年の夏も暑い。まぁ、夏は暑いものよね。
 イシュタル国の気候はかなり日本列島に近い、冬雪が積もるのに夏はこの暑さ。しかも梅雨もあるのよ?夏から秋に掛けて台風みたいな嵐も東方大陸から上がってくるし。
 イシュタル国の南側にあるエズは割りと、嵐の被害を受ける場合があるのよね。もっと北側だと北海道みたいな気候で梅雨も台風被害も無いみたいなんだけど……その分冬厳しいんだろうと思う。

 あたしは昼休みに軽く、転寝をして午後からの仕事の英気を養っていた。
 風通しの良い大きなケヤキの木の上によじ登って、大きな枝が又になっている所があたしの指定席。
 ラダの仕事小屋は闘技場の大きな建物の陰、人の出入りの少ない所にある。壁に囲まれた一角だ。雑音もシャットアウトしてくれてかなりお気に入り。

 カーラスもまさか、あたしが木の上で寝てるとは想像がつかないらしい。一度あたしを探して下を通りかかった事があった。
 今ではラダも多少の嘘ごまかしが出来るようになっている。だから、ちゃんと気を利かせて、あたしの居場所については誰にも洩らさずに居てくれている様だ。
 人の出入りが少ないというのは利点だと思っていた。静かにお昼寝をしたいあたしにしてみれば間違いなく利点であったはずなのだけど……。

 暑い夏のある日、あたしは人の気配を感じてふっと目を開けた。

 どん詰まりのこの場所は、存外風通しは良い。殆ど人が使わない狭い通路があって、そこが風を集めて通り抜けるのね。その……闘技場本館とエトオノ家の屋敷の間にある僅かな隙間をぞろぞろと人が歩いてくるのが、素晴らしい陰を作り出すケヤキの葉の隙間から見えてくる。
 あたしは目を細め、ごしごしと霞むをこすった。
 見間違いじゃない、明るい茶色の髪の少年の首に嵌っている、明るいエメラルドグリーンの首輪をあたしは見て取る。

 5人程の青年達に囲まれているのは……ジムだ。

 明らかに怪しい雰囲気がする、成績の良い後輩いびりなんて、どこの世界でもあるものよね。
 基本的にあたしは中立だし、ケンカごときに一々口を出す程おせっかい焼きじゃない。
 というか、ここでやらないで欲しい。
 あたしの昼寝を邪魔しないで欲しい。

 ……目を瞑って無視を決め込もうとしたのだけどやっぱり、こういうのって気になるのよねぇ。
 気が付くと様子を伺ってしまっていたり。

 壁際に追い詰められて、軽く小突かれながら何やら理不尽な事を散々言われているジム。
 生意気だとか、ガキの癖にとか、チビだとか……。
 立場を弁えろと、間違いなく5歳以上は歳の離れている先輩達に散々言われて、ジムはただ黙ってうつむいていた。
 まぁ、あの子は立場を弁えない子よねぇと、あたしは木の上で組んでいた足を振る。
 自信過剰というか、もちろんそれだけの努力をする子なんだけど。かなり、礼儀はなってない。それは確かだ。
 長くて邪魔そうなものだが、なぜか前髪を切りたがらない。それで視線を隠しているつもりらしい。ジムは無言で先輩達の理不尽な文句を受け流していたが……
 当然、何も言わないとなればそれはそれで、相手の機嫌を損ねる訳で。
 聞いているのか?返事をしたらどうだ、
 そんな風に言われ、乱暴に頭を押され、壁にぶつけられている。
 そのまま頭髪を掴まれ……あたしの所からは一人の影に隠れてしまって良く見えないけど、多分あの隠されている目が露になっているんだろう。
 なんだその目は、文句があるのか、などという逆上気味の声が聞こえてくる。

 ……ぶっ倒しちゃえばいいのに。

 あたしは楽観的にジムにそんな事を呟く。
 聞こえないんだろうけど、あんな群れてなければ後輩の一人もボコれない様なザコなんぞ返り討ちにしえやればいい。
 ジムは3歳年齢を偽って選手登録しているけれど……殆どの試合で好成績を収めていてすでに、ウチの名物戦士の一人だ。GMという名前と、その由来が結構、受けているらしい。

 モンスターという経歴、そして……そこに付随する汚い噂。

 猥雑な野次も飛ぶ。でも、ジムはそんなの気にしてないみたいで飄々としている。

 そんな風にリコレクトしているうちに、下では一方的な暴力がエスカレート。
 ジムは殴られて、腹を蹴られ……強引に立ち上がらせられると壁に打ち付けられ、ひたすら口酷くなじられている。
 やられっぱなしかぁ……面白くない。
 あたしは眉を潜めていた。なんで大人しくしてるのか、あたしはジムの意図が良く分からない。傍若無人な態度でいつも振舞うくせに、今日は何で大人しくしているんだろう?
 何度も頬を打たれてもやられっぱなしの相手に、嗜虐的な感情を煽られたのだろう。
 5人は笑いながら、さらに罵りを過激な方向にヒートアップさせて行く。
 服を引っ張られ、引きちられ……ズボンを引き摺り下ろす……って!

 あたしは流石にちょっと焦った。

 ちょっと待って、あたしは流石にその展開は嬉しくない。アインじゃないんだから。
 などと、アベールイコの素の方で慌ててしまう。
 だが止めない限り場はそのまま続く、連中は容赦なくジムの体を詰り始める。
 聞くに堪えない猥雑な囁きを洩らしながら、よってたかって揉み解して舌を這わすのをなんで、
 あのバカッ!

 どうすればいいのかあたしは今更焦り、木の上で迷う。
 あ、あの場面に乱入するのはちょっとなぁ、正直嫌だし。
 黙って無視を決め込もうにも見えるし聞こえるし、……見てるのも嫌だし……でも木を降りないと逃げられないし、降りたら見てたのバレちゃうし……。八方塞りよね。

 大体ジムがやられっぱなしってのがおかしいわ、あいつ、変!絶対変!
 グリーンを殺した経歴があるくせに何?もしかして元からそういう趣味?

 あたしの戸惑いと迷いは、瞬間ジムに対する嫌悪と怒りに切り替わった。

「ちょっと!誰、あたしの昼寝の邪魔すんのはッ!」
 木の上に居る、というのを主張すべく、あたしは叫んでいた。
 当然水をぶっ掛けられたように5人は驚いて顔を上げる。あたしは木から飛び降りる。
 真っ赤なあたしの髪の毛が風に揺れるただろう。
 一年、剣闘士のまかない手伝いなんかをやっている、このアベルお嬢様の顔や声を連中が知らない訳がない。

 悲鳴に近い声を上げて驚いて5人は逃げて行った。

 フンだ、ザコどもめ!これくらいのアクシデントで逃げ出すなんて男として小っちゃいのよ!

 あたしは仁王立ちで、流石に慌ててひき下ろされていたズボンを上げてベルトを締めなおしているジムを見下ろす。
「何よその情けない姿は」
「……居るならさっさと止めろよ……」
「人を頼るんじゃありません」
 長い前髪で隠れた表情は……やっぱり恥ずかしいらしくてちょっと、血が回ってて赤い。
「……言っとくけど、別に趣味なんじゃねぇからな。あいつらの頭が沸いてるだけだからな」
 立ち上がってそっぽを向くジムをあたしは見下ろして目を細めた。
 1年で一気に背は伸びたけど……まだまだあたしの方が背は高い。声変わりもまだで、声を聞くと一気にガキなのが分かる。前髪を伸ばしているのはその、幼い顔を隠す為なのかしらね。
「ふぅん?」
 腕を組み、すっかり上着を破られてしまったジムに近づく。
「な、なんだよ」
「じゃぁなんで抵抗しないよの」
「……勝ち目がないだろ、5人だぞ?」
「そうかしら?嫌だったらちゃんとその場で嫌だって言うべきだと思うわ」
 ジムはため息を洩らし、確かにそうすべきだったと素直に認めてうなだれた。
「……いずれ絶対あの5人とはトーナメントで当たるし」
 そして、続けて言った彼の言葉はゾッとするほどに冷たく聞こえる。
「堂々と観衆の目の前でトドメを差せるんだぜ。ちゃんと一対一だし」
「……あんたねぇ……」
「ボクだって色々考えて無抵抗を貫いたんだ、ケンカになってそれで、事故だって腕を折られるよりはマシな展開だった」
「いいわよ、それでいいから戦えば良いのに。私が骨繋ぎの魔法を使える医者ん所に連れてってあげるわ」
「ダメだって、大体シトウって言う奴?様はケンカだよな、ケンカしちゃいけないんだ。それに魔法で回復すると成長の妨げになるんだぜ、知らないのか?強引に繋いでもダメなんだよ、ちゃんと自力で直した方がいいんだ」
 あれ、ケンカってご法度だっけ?リコレクト、うん、確かにそれは剣闘士としてはまずい展開みたいだ。私闘は禁止されていて、それで負った怪我は自力で治す必要があって、怪我に関係無く、組まれたいた試合には出なければいけないのか。
 ごめん、それはすっかり『忘れてた』事だけど、あたしにとってはそんな事はどうでもいいのだ。
「トーナメントで当たるって、何?もしかして八百長って事?」
「何だそれ?」
「だから、さっきのヤツらから負けろと脅されたのか?って聞いてるの」
「ああ、多分そうだと思うよ」
 聞き捨てならないわね、まぁこういうのは割と横行する事ながら。
「大丈夫だよ、ボクそんなの聞く気ないし」
 笑って胸を張るジムをあたしは軽く小突く。
「そういう態度がお兄さん達をイライラさせるわけでしょ?ちゃんと師兄は敬いなさい」
 とはいえ、神聖なる戦いの上で手を抜いたりするのは余り良い事ではない。
「イヤだね、」
 ジムは腕を組んでそっぽを向いた。
「強い人ならともかく、あんな奴らに頭を下げるなんて冗談じゃないぜ」
 まぁ、確かにあの卑怯なちっちゃい連中を敬うのは、あたしがジムの立場だったら嫌だという気持ちも分からないでもないけれど……。
「とにかく、もうちょっと周りと仲良くしなさい」
「してるよ、」
 唇を突き出すように言い返され、あたしは笑う。そういう仕草が全然子供だ。
 風に乗って時間を知らせる鐘の音が響く。
「あ、昼休み終わっちゃった~」
 あたしは大きく伸びをして、その手でジムの腕を掴んだ。発達した筋肉のごつごつした腕だ、傷も多い。
「な、何だよ」
「ラダの所で体でも洗ったら?ついでに上着も見繕ってもらいなさい。あんたはこれから昼休みでしょ?」
「あぁ、うん」
 あたしはこれから、食事の終わった剣闘士達の食器の後片付けをやるのだ。だから鐘一つ前に仕事が始まる。
「ほら、早く」
 呆然としているジムを引っ張って、あたしはラダの小屋に向った。
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