異世界創造NOSYUYO トビラ

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11章  禁則領域    『異世界創造の主要』

書の8前半 行きて帰らぬ『……予定です。』

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■書の8前半■ 行きて帰らぬ Become Revenants scheduled

 ああ、また俺ぶっ倒れてる。
 窓の外にその様子を俯瞰しながら俺はため息を漏らした。
 戦士ヤトの姿をしている俺はエントランスと呼ぶ空間で胡座を掻いて、目の前に広がる窓を覗き込んでいた。
「あのさ、メージン」
「何でしょう?」
 エントランスでしか認識できないバックアップオペレーターのメージンがすぐ隣に立っていた。俺はそれに振り返り頭を掻く。
「ぶっちゃけてトビラの中で死んだらその後、俺はどうなるんだ?」
 そばかす顔の学生のメージンは小さく頷いて俺の問い、割と誰もがあえて聞いていないであろう問いに、システムの都合で答えてくれた。
「まず、この今いる方のエントランスからは追い出されちゃうみたいですよ」
「問答無用で?完全にログアウトするって事か……。そうなったら俺は、ここじゃなくて『あっち』で目を覚ますんだな」
 『あっち』っていうのはつまり。俺の世界だな。
 この場合の俺とはサトウ-ハヤトの事になる。当たり前だ。
 戦士ヤトはエントランスには入って来れない。それは、ずっとずっとトビラの中にいる。今も目を覚まさない窓の向うの俺の中にいる。それを出たり入ったりしているのは……いや、まぁ現実的にそうじゃないけど視覚的、概念的に理解しやすい言い方をすれば、って話な。
 出入りを繰返しているのは『俺』だ。サトウーハヤト。
「手順的には……エントランスBに退避するにはまず、ここエントランスAを経由する必要があります。一応通過はするようですけど」
 あっちとこっちでエントランスが二つあるんだ、システム的な都合でレイヤーを分けて置く必要があるんだと。
「ふぅん……。それで、戦士ヤトが死んだ事を把握するのは俺が、トビラを出た後か」
「それはそうです。自分が死んだ事を死んだ時、明確に理解出来るかどうかは分からないものでしょ?」
「そうか?」
「そうですよ。だって死んだ人は普通、その後起き上がる事はないのですし。僕は……個人的にそれは、夢を見る瞬間に似ていると思っていたりします」
 夢を見る瞬間?
 俺は何の話だと首をかしげた。メージンは笑って俺が胡座を掻いている隣に座り込んだ。なぜか正座だ。
「夢を見始めた瞬間、あるいは眠りに落ちる瞬間。それって、分からない事だと思いませんか?」
 ああ……まぁ、そう言われてみればそんな気もするが。
「どうやって意識が途切れ眠りに落ちたのかって、その瞬間が分からないものじゃないですか。思い出そうとしても思い出せるものじゃない、どうしても曖昧になっているような気がします」
「そうかな?」
 でも、寝た事や夢を見たな、という記憶はあるものだぞ。度合いは様々だけど。
「どのタイミングで眠った、とかいうのを意識出来るのは次に目を覚ました時でしょ?起きて初めて今現在と過去を比較して、何時寝たかというのを人は推測出来るにすぎないと思います。目を覚まさなければ何時眠りについたのかなんて自分自身では分からない。ああ、なんか変な話をしてしまいました」
 メージンは苦笑いして頭を掻いた。
「……いや、俺にはそういう思考が無理だからなぁ、なるほど」
 哲学的っていうの?俺には想像もつかない観点だ。正直関心する。
「言っときますけど何時もこんなこと考えてる訳じゃないですよ?ほら、僕ここでトビラのバックアップしてるし、それで……この世界、夢を見ている間に世界を共有するってどんなものだろう。夢って、どういうものだろう。そういう事をついつい考え込んじゃって」
 メージンの言ってる事は正直俺には難しい事だが、理解出来ない事ではない。
 ええと、ならば二次的に説明くらい出来ないとですよね?

 ようするに『俺』の世界。
 現実とかリアルって言ってる世界では、仮想とかトビラって言っている世界とは色々と概念が異なる。
 リアルに寄せて作られてはいない。思いっきり、剣と魔法なファンタジーとして作られているゲームの世界なのだから当然と云えば当然だな。その明確な違いを上げるとすれば……。
 第一に死人は起き上がったりしない。
 色々詭弁を翻せばアリかもしれないが、比較してトビラ世界のように『死霊』という存在が世界によって保証され、死人が起き上がる事は、現実では在りうる事とは認識されない。……一般常識的にはな。
 『俺』達が真実に生きている現実ではそれは、無い。
 『俺』の生きている現実では死んだらその人は終わりで、死霊になって起き上がって偽りの人生を送ったりはしない。そこでその人の意識は途切れ失われるんだ。
 だから、死んだ本人が具体的に死に至った瞬間を知る事は出来ない。メージンが言っている理論で言えば、人が眠りに落ち夢を見始める瞬間に例えて―――次に目を覚ました時に、時間の推移から客観的に過去を推測して初めて知覚する事だから……って事だな。

 電車の中でのうたた寝に例えよう。
 東京駅から山手線内回りに乗ったとする。山手線ってのは、知っているとは思うが路線が輪っかになってて終点駅がない。最終電車はあるけどな。それはともかく電車から降りない限りとぐるぐる同じ路線を走り続ける事になる。
 そこで、俺は東京駅でそいつに乗り込んで目的地が……そうだな、上野だとする。内回りだからたったの4駅目が上野になる。ところがだ、その日俺は疲れていてたった4駅先だというのに空いていた座席に座ってうたた寝をしちまった。やべ、寝ちまった!と思って慌てて覚醒したらあれあれ?まだ秋葉原じゃねぇかと安心したりする。
 次の御徒町を超えた先が目的の上野駅だ。
 寝過ごしたかと思ったが瞬間的に意識がなかっただけかと安心するも、携帯端末を開いて度肝を抜かれる。
 東京駅で1時頃に電車に乗ったはずなのに現在時刻は2時過ぎ。山手線は一周するのにおおよそ1時間かかる……つまり。
 俺は瞬間的に意識が無くなった訳じゃなく、実は1時間すっかり電車の中で寝こけていて山手線で東京を一周してきてしまったというオチになる訳だ。

 うん、別段珍しい事じゃねぇ。いや、俺はあんまり山手線とか使う訳じゃねぇけど。そう云う事はままある事だろうと思う。
 東京駅から電車に乗り込んで、はっきりとした時間はよく分からないが間違いなく上野に着く前、たった4駅を巡る数十分もかからない間に俺は眠りに落ちた。
 そう云う事を後付け的に理解できる。それは、俺が眠りに落ちた後、目を覚ましたから出来る事だ。
 目を覚まさなければどこで眠りに落ちたのかは俺は、一生分からない。どこで寝たかという事に推理を働かせる事は出来ない。
 その後一生目を覚まさない。すなわち……俺がそこで死んでいたのならどこで死んだのかなんて『少なくとも俺は』一生理解できないって事。
 すげぇ当たり前の話だと思わないか?

 ちなみに他人は理解出来る世の中だ。
 司法解剖とかで死亡推定時刻とか出るからな。でもそれは既に死んじまってこの世界にいない俺は知り得ないだろう……多分。死後の世界があるかどうかは現実的には保証されていない事だ。保証されていない、システムとしてあるわけではない事はとりあえず、分からないと答えるしかない。

 成る程、ならトビラ世界において、俺がその世界において『全てが現実』と騙される程にリアリティがあるとするのなら……。
 戦士ヤトが死んだ事実について、トビラの中で『俺』が即座理解出来るのはおかしい。
 戦死ヤトを死なせてしまったと『俺』が知れるのは『俺』が目を覚ましてからに成るのは当然の話だよな。エントランスを通り抜けトビラを抜け、ログアウトして『俺』が現実で夢から目を覚ます。
 そうしてみて初めて俺は夢から目を覚ました事を思い出し、眠っていた事を思い出し……。
 ログを確認する過程トビラの中で、俺のキャラクターであった戦士ヤトを永久に失った事を思い出すんだ。

 俺は、今正規のログインをしていない。そういう意識はあるけれど、でもそれで俺は俺を殺してもいいものだろうか?もう死んでもいいのだと、命を粗末に消費するプレイをしていいのか。
 そんな捨てゲーはダメなんじゃないか?このゲームを一人で遊んでいるならまだしも、共同プレイで、オーディエンスも居るんだ。ゲーマーと自負する奴がそんなんでどうする?
 残機もボムもゼロであってもキアイでスタッフロールを拝める可能性が無いわけじゃない。『ゲーム』は、諦めたら何時でもそこで試合は終わるというのは本当に名言だよ。それをリアルに当てはめる必要はない、とゲームオタクでリアルをないがしろにしている俺は思ったりもしているがな。

 まだ、あきらめるなよ……と、俺の中で誰かが叱咤している気がするんだ。
 それは、戦士ヤトをやっている『俺』には消えかかっている考え方な気がする。
 諦めているのは誰なんだよ。それが、まだ夢に足を突っ込んだままのエントランスAでは正直、よくわからない事だった。
 では、目を覚ませば、その思いに決着は付くのか?正しく思っていた感情を思い出せるのか?
 そんな事は無い。
 夢で見た事は、いつも儚く朧気で、自分が選びたい記憶によって『選び取られる』ものでしかない。

「……俺はいつになったらこのコスプレを止めると思う?」
「ヤトさん?」
「いや、懸念はわかる。別に俺は戦士ヤトに飽きたからさっさと死ねやボケ、とか自分に向けて言っている訳じゃない。むしろ、逆の様な気もする。ただ……俺ってやっぱ、バグってるんだよな?」
 おかしいじゃん俺。絶対おかしいって。その疑問にうまい答えが探せず俺はそのように他人に同意を求めてしまった。
 するとメージンは小さく鼻で息をついた。
「在る意味、何でも容認されてしまう世界だから現状の通りですよ。でもそれをバグって言ってしまうか、現状陥っている『事実』かって捕えるのでかなり違うと思います」
 メージンから真っ直ぐに見つめられ、俺は……それを真っ直ぐ受止める事が出来なくなって苦笑を漏らし目を逸らす。
「ああそうか……これも現実、か」
「そう考えてみる事は出来ない事でしょうか?」
 何度も何度も、それを見失ってつい足を止めてしまうんだな。
 俺は立ち上がり、見ていた窓を消す。
「今更だが俺、自分が何を望んでいたのか分かってきた気がするんだ。でも俺はそんなもの望んでない、望むはずがない。そんな風に自分を否定して、そうやっていろんな事をねじ曲げてるのかもしれない……そんな風にちょっと、考えちまってさ」
 心配そうなメージンに俺は肩をすくめて無理して笑う。
「それで、世界はそのねじ曲がった俺の望みを叶えやがった。大嫌いな自分を消し去ってしまいたいという根本がさ、叶っちまった様な気がする。でも、同時に思う」
 俺は笑いながら両手で自分の顔を覆った。
「そんな事を望んでどうする、そんなサトウハヤトみたいな逃げてるような事を戦士ヤトが望んでいるはずがないだろう、それはない、あり得ない。……俺は生きたいんだ。死にたいんじゃない。死にたいなどとは口が裂けても言うはずがない。俺は生きるんだ。生きていろと言われているからそうするんじゃない。どんなに現実が辛かろうと逃げずに生きる事を選択する、それが戦士ヤトの生き様だ。死にたいならさっさと死んでる。自害でも何でもやってる……って、」
 俺はそのまま額を抑え、深いため息を漏らす。
 自分の事ながらやりきれない気分になってきた。
「俺は、もしかするとレッドの事酷くは言えないかもしれないんだな」

 あの時……死にたいので貴方、僕を殺してくれますかなどと巫山戯た事をぬかしやがったレッドに言った俺の言葉、実は俺自身に全部跳ね返ってきてるんだ。
 あれは俺が、俺自身に向けて言った言葉だったように思えてきた。

 俺は仮面を被りに来た。
 トビラという仮想の世界に、戦士ヤトの仮面を被って戦士ごっこをやるために『あの世界』にいる。
 でもその戦士ヤトもやっぱり仮面を被ってて、自分らしさとは何かと勝手に自分自身を定義して本心という素顔を必死に隠しているなら……酷いもんだ。
 所詮、今トビラの中にいる俺は偽物だ。誰にも本心を語らずに勇者ごっこをやっている。

「俺は……やっぱり、死にたかったのかもしれないな」

 なんという単純な理屈。
 だからだ、だから俺はヘタな理論で武装して何人たりとも隣に存在を許さないんだ。
 巻き添えにしたくないからだ。
 誰も自分の消滅に引きずりたくないからだ。
 ところが、まさかそんなはずはないだろうというヘタな思い込みが俺の望みを見事なまでに歪めてくれた。歪めたのは俺で、それを叶えたのは世界だったりする。

 俺は簡単に死ねる存在で、その癖になかなか死ねないという変な状態に陥っている。
 ヘタな青少年マンガのキャラクターじゃあるまいに!

 メージンの言う通り。俺はそれをどうせバグだって逃げていた。もちろん、バグかもしれない。
 けれど今戦士ヤトが陥っている紛れもない現実でもある。

「メージン、俺はこのねじれた現実を変えたい」
「……はい」
「人並みな死を取り戻したいんだ。変な言い方になるけれど……俺は今……死にたいと思う。死が欲しい。俺に存在しなくなったものを保証してくれる、普通の、今まであったはずの世界のシステムっつー真っ当な道までをも踏み外したいとは思ってない。……本心では、生きたいとは願ってないかもしれない。矛盾した願いからこんな変な事になっている。それでも死を取り戻したいんだ。それを俺が心から願えばそれは世界が叶えてくれるものだろうか?」
 思いのたけを、思いつくまま口に出してみて俺は、ちょっとだけ後悔をしたんだがまぁ今更だよな。なんか変な事口走って無いだろうか?っていうか、この感情のまま吐き出した言葉をメージンはちゃんと理解出来るのか?
 そっと隣を盗み見る。メージンは例の正座のままで、真っ直ぐ前を向いて穏やかに微笑んでいた。
「世界が何らかの因果律によって支配され、僕らが世界に作ったはずのキャラクターがその設定を生かすために世界が……僕らの望みを肯定するなら多分、そういう事になるかもしれませんよね」
 彼の視線の先にある、光の長方形を俺も吊られる様に見ていた。

 世界は辻褄を合わせる。
 トビラを潜ってたどり着いた異端者を受け入れる為に。

 それは、身勝手なプレイヤーが『望んで』作ったキャラクターを世界に許すという事だ。世界は俺達が望んでいる姿を世界の中に叶えると云う事。
 それをシステムだとか、世界だとか、トビラだとかプレイヤーだとか。そういう概念を取っ払うと正体が何だかよく分からなくなる。それが世界だという訳の分からない理屈は、結局安易に『神』とか『創造主』とか、そういう統合的な都合の良いアイコンに集約されて無理にも納得するしかなくなるんだろう。
 天使教的に言えば縁だな。
 人と人の意図を繋ぐイト。それを知覚したものが縁。

 イトを紡ぐのは世界だ。
 RPG的な主人公、プレイヤーの為にある世界において、このイトはシステムやフラグ、シナリオなんて名前でもってあらかじめ世界の中に仕組まれている。
 世界の上にプレイヤーが降り立つ場合イトは、やってくるプレイヤーに合わせて、辻褄を合わせなきゃ行けないのではないだろうか?それはつまりリアルタイムでイトが、何者かによって張り巡らされていく事に例えられるのではないのか。

 創造主、とは違うかもしれない。そいつは世界を作ったのではなく、世界を維持するために辻褄を合わせる者。
 守護者だ。世界を守る者。守るというのは今在るありのままを維持すると云う事ではなく、だくだくと変化して転がっていく世界が崖に落ちないように永遠とレールを用意する事に例えられる。

 それには『意図』があるのだろうか?
 つまり、人格があるのか?
 在ると考えるのは安易だ。システムに人格を与えて人間的に考えようとする事に似て実に安易な事。
 だが、システムにとっては負荷以外の何でもないだろう。
 そうだ、それもまたシステムなんだろう。大陸座とかいう別の階層にいるものを理解し、把握出来る俺達でもなかなか触れ得ない、理解できない、もっともっと上位にある……神様みたいなもの。
 みたいなもの、だ。神とは違う。
 だって、人間が作った神は人間形式を保ってなくちゃいけない。神が人間を作ったんじゃなくて人間が神って概念を作ったんだからな。俺はそう思っている。分かりやすく言えばようするに人間から見て理解出来うる存在が人間の神だ。
 理解できないならそれは神とは呼べない。
 そういうものを神と呼ぶのは、人間の尺度でそのわけの分からないものを必死に理解しようとしてその過程、神という形にはめ込もうとしているに過ぎないように思う。

 何か、としか言いようがないだろう。
 何かがトビラの中にはいる。そいつが、俺達がこのトビラの中にいる事を許してくれている。
 イトを紡いで。
 辻褄を、合わせて。

 俺は目を閉じてすっかり強ばった肩を落としてもう一度、息を深く吐き出す。
「行ってくる」
「うん、……がんばって。僕も、何が出来るか分からないけど、出来る限りの事はするから」
「俺もだ、訳分かんない事グチってすまんかった……とにかく、今現状を精一杯……生き抜いてくる」
 メージンは無言で頷いた。それに見送られて再び俺はトビラを潜る。


 改訂が必要だ。


 見えてきた。覗き込んでも真っ暗で見えなかったものが今、ようやく……見えてきたような気がする。
 それから逃げ出すのはほら、やっぱり。事実はどうあれ。今はこう言うしかないよな。

 それは俺の、戦士ヤトのキャラじゃねぇって。




 目を覚まし、ぼんやりとした天井を見上げる。ああそうそう。俺一人またバカな事態になって……。
 額に掛かった前髪を掻き上げようとして持ち上げた右手が視界に入り動作が止まる。

 なんじゃこりゃぁ。

「あ、起きたね?」
 怪訝な顔のまま俺は首を横に動かす。ベッド横の小さなデスクで薬品整理をしていたナッツが立ち上がって、俺の中空で止めていた右手を取った。
「残っちゃったね、色素沈殿みたいだから……シミそばかすを消す種類の塗り薬をつかったり、あるいは焼き切っちゃって再生させる方向で綺麗にも出来るみたいだけど」
 何って、右手が指先まで見事にしましま模様になっているんだよ。いや、よく見ると何かの模様が右手を覆っているのだというのが理解できる。
 ナッツは俺の右手の甲の一部を指さした。そこだけぽっかり不自然に模様が消えている。成る程、その焼き切って再生ってのを試してみたってトコか。この模様は単なるシミだから手術すれば直る事を確認したんだろう。
 呪印の類ではなく、意味のある模様でも無い。何らかの後遺症として肉体に残存してしまっただけのモノ。
 ……てか、それはどこぞの美容整形手術かッ!
「いい、別にこのままでも」
「だよね。アベルみたいに傷跡とか気にするような奴じゃないよ、お前は」
「当たり前だろ、男にとって傷は勲章みたいなもんだ」
 俺は起きあがり改めて自分の右手を見た。っと、右手に限ってねぇや。左手も同じか。手というか、腕だ。二の腕までは届いていない。
 何やら怪しい、蔦模様みたいな黒い痣が残っちまっている。
 なんだこれ、とは思ったが俺はこれの正体を知っている。

 俺の中から這いだしてくる蔦模様、青い旗で押さえ込んでいる、俺が背負っている魔王八逆星としての『紋』だ。

 背負いきれなくなったらこれが俺を覆いつくし、黒く染まり、溶けて煙になって消えちまうんだ。
 クオレのように、ストアみたいに。

 あぁあ、これで俺が魔王八逆星側であるらしい、という噂は言い逃れが出来なくなったなぁ。まぁ、別にその現状が嫌なわけじゃないけどさ。普段はグローブと籠手で完全に隠せるし。大体、もはや真っ当に生きれるとは思ってない。
 赤い旗をこの世界から駆逐したら、その時は俺も存在が破綻するんだし。そうなったら俺はこの世界から消える。分かってる事だ。それがより現実的になって、その印がついちまったようなもんだろう。

「……ええと、あれからどうなった?」
 ナッツは広げていた道具を袋の中に仕舞い込みながら俺の問いに答えてくれた。
「ギルの封印については今、ワイズとレッドが詳しく調べているよ。下にギガースが埋まってるってね、本当かどうかはまだ分からないけど」
 俺は模様でシマシマの右手で額を抑える。本当にシミが残っちまってるだけで痛みもかゆみもない。まぁ、タトゥみたいなもんだと思えばいいだろう。こんな悪趣味な入れ墨は趣味じゃねぇけど。
 全くこんな事に成っちまったのは、なんでだっけ?状況を、思い出せ?何か大事な事を忘れてないか?
「……そうだ、ランドールは?ウリッグは」
 そこでナッツは深くため息を漏らす。
 そうだ、思い出してきた。

 俺、もしかして……ランドール……殺した……?

 状況を思い出せるが、なぜか俺はランドールに向けた殺意を思い出せない。巻き込み、締め付け、絞め殺した?殺そうとした?いやいや待て、……そうだ。
 俺はランドールを殺してやろうとは全く考えていなかったはず。
 だからあいつを木の幹の中に取り込んだ事までは憶えているが、その後本当に絞め殺したかどうかまでは分からない。覚えていない。
「器用な事をするよ。大丈夫、ランドールは生きてる」
 一瞬胃がすくみ上がった緊張がほどけた。
 何でか俺、あんなに嫌な奴なのに……今は殺したいとまでは思ってないんだよな。あいつの頭上には赤いバグ旗がついているってのに。同情しちゃいかんだろって思っているのに。
 何故か心底、ほっとした事に俺はちょっと……驚いているかもしれないな。
「まぁ、ドリュアートの大樹に埋まってたお前よりも酷い状態だったけどね。なんとか窒息死する前に掘り起こしたよ」
 俺は深く息を吐き出していた。
 そうだ。俺があの時明確な殺意を抱いた相手はランドールじゃなくてウリッグの方だ。
 ウリッグがランドールの『中にいる』事を俺はあの時把握していて、ウリッグにとってランドールは単なる入れ物で、そう考えればランドールは被害者みたいなもんじゃねぇかって……そう思ったんだよな。
 それになんだか少し、訳が分からんと思っていたあいつの事が理解できるような気がして……もう少し話をしてみたいかなと思ったりして……。
 それをウリッグの奴、邪魔しやがって。
「で、ウリッグは」
 ナッツは笑って肩をすくめる。
「逃げられちゃったね」
「うぉい、笑いながら言うな」
「しょうがないだろう、あれ捕まえるのに昔僕らは苦労したんだぞ?苦労して捕まえてワイズの封印を施してあったのにそれを、ランドールが壊しちゃって自由にしてしまったんだよ。お手上げさ」
「苦労して捕まえたって……お前は一体何をしたんだ。ウリッグに……それに、ランドールは」
「信じねぇとは思うが実は、ランドールは俺の弟なんだよ」
「うわっ!何だ!」
 ベッドの反対側、そこにあった窓から突然声が掛かって振り返る。ああ、ここ1階か!割と低い出窓を外から覗き込む形で突然声を……というか、変な事を言いやがったのはテリーだ。
 出窓に両手を組んで乗り出すような格好でこっちを覗き込んで来ている。
「……誰の弟だって?」
「だから、俺の」
 出窓に両手を組んで顎を乗せ、肘をついて自分を親指で差しながらテリーがあっさりと反復する。
「……兄がいるのだってここ最近知った話だというのになんだ?弟だと?……何言ってやがるんだお前?そもそもあいつはサウターでお前はウェシタラーだろう!しかもお前、純血西方人だっつったじゃねぇか!アレは嘘か?」
「嘘じゃねぇ。というかヤト、」
 テリーは目を細めて俺を見据える。
「今時純血西方人なんて超が付く程稀な存在なんだぞ。お前は世間知らずだから知らなそうだが」
「悪かったよ!どうせ世間知らずのド田舎戦士だよ!」
「そこまで言ってねぇ、とにかく……純西方人なんてのがいるとするならディアス国の方で、ファマメント国じゃありえねぇもんなんだよ」
 俺は情けない顔になってナッツを振り返っていた。このお兄さんの話がよく理解出来ないんですけど。ナッツは無言でゆっくり頷いて嘘じゃないよ、と俺に言っている。
「テリー、部屋に入ってきたら?」
「ここでいい、長話するつもりはねぇ。どうせこいつに詳細話したって理解しねぇだろうし。かといってレッドにこの事をバラすつもりはねぇ。大々的におおっぴろげたくない部類の話には変わらん」
「でも、ヤトには話すんだ?」
「腹ぁ据えたってトコだ。……親友だからな、それなのに俺だけコイツになにも話さずにおくわけにもいかねぇだろ。こいつは色々胸の内俺に素直に告ってくれてるってのによ。俺だけだんまりってのも釣り合わねぇ話かなって、そう思っただけだ」
 テリーが言っているのは俺の剣闘士時代の話だろう。
 仲良くなって酒飲み友人になってから、割と俺のグチとか酷い生い立ちとか、全部真面目に聞いてくれた最初の人なんだ。……言っただろ?テリーは唯一背中を安心して任せる事が出来る戦友と書いてトモと読ます、だって。お陰で俺は過去を笑い話に出来ているんだ。
 出来てなきゃ、一人で抱え込んで……間違いなく今こんな事はやってないだろう。
 何時までも一人で腐っていたに違いない。
「お前の話は色々聞いていたのに俺の家庭の事情は一切、お前に話していなかっただろ」
「ああ、そうだな。……別に俺も興味無かったから聞かなかったけど」
「そう云うお前の性格含めて俺には都合が良かったんだよ」
「何か?お前も家庭の事情が酷かった口なのか?」
 テリーはそこで一瞬口を止め、少し迷ったように視線を泳がせてから答えた。
「……酷くしたのは俺だ。一方的に酷い家族だと思ったのは俺で、実際には酷くも何ともなかったのかもな。……お前と違ってちゃんと両親いるし、兄弟いるし。家あるし、土地あるし貧乏じゃねぇしむしろ金持ちだし。しかも権力もある」
 う、なんかすげぇムカついてきたぞ。
 ああ、どうせ俺は持たざる者ですよ!!
「でも、俺ん家は一見まともに見えて全然まともじゃねぇんだ。みんなまともそうな顔をして平然としていやがるけど本当はそうじゃない。……俺はそれが嫌になった。例え何もかもを手放してしまってもあの家に属するのだけは我慢がならねぇ。それで、お前と同じよう方法で逃げ出してきた」
「……俺と同じ方法?」
「自分を売っぱらったんだよ」
「まさか」
「俺はお前の出生を笑わなかっただろうが。笑えなかったんだよ。……なんだよ、じゃぁ割と俺と同じだ、全然笑えねぇ、それが……お前がエズに来ちまった経緯を聞いた時に思った俺の本心だ」

 あの時、というのは俺が身の上を初めてぶっちゃけた時、だが。
 俺はテリーがどんな顔をして俺の話を聞いていたのか憶えてない。
 辛い事ってさ、勢いでも何でも一回口に出しちゃうとすげぇスッキリするもんなんだよな。どういう経緯で俺はそれをテリーにぶっちゃけたのか憶えてない。もぅ、憶えてないくらい過去だ。
 俺は今、自分の過去は何も辛くない、でも昔はそうじゃなかった時があったんだ。そうだ……辛かった時もあったんだって事を今更ながら思い出している。
 あの時はそうやって全部吐き出す事に必死で、吐き出されている相手がどんな顔してて、どんな返事をしていたのかなんて全く憶えてない。俺はテリーに興味はなかった。事実、俺は好んで奴の過去を尋ねるような事はしなかった。

 俺はあの時、自分自身を認識するのに必死だった。

「具体的に話すと……ルルが、あのクルエセルの次期当主だったルル・クルエセルが偶々ファマメント国首都レズミオに居た事があったんだ。そいつが発端かな」
 テリーはそういって、一つため息を漏らす。
「ルルはアベルと同じく閉じた血族の遠東方人だ、若干寿命が長いのは知ってるだろ?奴は学業中って身分で各国ウロウロしていてな。……俺は、自国を抜け出すためにルルに自分を、売ったんだ」
 俺は少し唖然として今テリーが話してくれた事を整理してみる。
 違和感があるな?俺とテリーの違い……そうだ。
「……いや、だったらお前は専属剣闘士じゃないだろう。俺と同じ隷属になるはずじゃないのか?」
「知らねぇよ」
「知らないって」
「ルルが勝手に決めた事だ。俺は、逆らえる立場じゃねぇ」
 ああ、だからテリーはルルの事嫌ってたんだな。奴の事を俺に聞くな、話すなって言われた事がある。
「奴の都合で俺は、専属での所属を強要された」
 専属っつーのは隷属とは違う。ようするに特別扱いされた個人の剣闘士と考えて貰って構わない。確かに……テリーはちょっと特殊な扱いになっていたよな。
「……それで。すまんが俺は……エトオノ潰しの指揮を執らされたていた」
 俺は目を見開きテリーを見据えた。
「……何だと?」
「だから、……俺とお前の初戦の結果を見てルルはお前に目を付けた、次の対戦が巡ってきてもお前を殺すな。奴に近づけ、手駒にするから仲良くなってこいって……」
 窓越しに俺は腕を伸ばし、テリーの胸ぐらを掴み上げていた。
「じゃぁ……お前は!」
「全部演技だったのかって?いや……それはねぇ。俺は、その時既にお前と同じで……自分がやった事のバカバカしさに気が付いて辟易していた。ルルの言いなりになってたまるか、例えあいつに根本握り込まれていても、それでも精一杯反逆してやる。あいつに噛みついてやる。あいつの思い通りに何もかもを運ばせてたまるか。そう考えていた。お前と握手で儀式を終えたのは俺の意思だ。ルルの意図じゃねぇ」
 剣闘士の対戦は、エズでは『儀式』とも呼ばれる。実際、それは戦いの神に捧げる『儀式』だ。
 俺はテリーの胸ぐらから手を放していた。
 怒りはない。
 ちょっと驚いたからつい手を出しちゃったけどホント、自分でも呆れる程何も憤ってはいない事に気が付いた。
「……怒るのは当たり前だよな。結果、お前は」
「いや、いいよ。俺お前を信じるから」
「……あっさりと言いやがる」
 テリーは苦笑して頭を抱えてしまった。
「それにあれは……あれでよかったって俺は思ってるぜ。大体どうしてルルが双方の闘技場潰しを画策したのかなんて、お前は知らないだろ?知らないからお前もあいつを理解出来ない、他の奴らもルル・クルエセルを狂人って言って『理解を拒んだ』んだ。ルルも他人に理解を求めようとはしなかったんだろうなぁ……」
「お前は……理解出来るってのか」
「いやぁ、よくは分からんけど。キリさんが……大陸座イシュタルトが言ってたんだ。アレは全部自分の所為だって。自分が自由になる事を望み、それをルルが叶えようとした結果だって。だから全部自分が悪いって言ってたんだよ。それに結果としてアベルは今自由だろ?」
「……ヤト」
「ああでもしなきゃ奴は今、自由の世界に放たれてねぇんだからさ。ほら、ナッツも彼女には出会えてないんだぞ?」
「そこで僕に話を振るなよ」
 ナッツ、俺の不意打ちにも全く動じずヒラリと交わしましたね。流石。
 テリーはまだリアル・カトウーナツメの事情を知らないので何の話か理解せず怪訝な顔をしている。
 俺は苦笑して腕を組んでテリーを振り返った。
「だから、そこは責めねぇよ。疑ったってしょうがない事だしな、ちゃんと話してくれたし。俺、疑うのヘタだからよくよく騙されるんだよなぁ。でも別に騙されてもいいじゃねぇかって最近、レッドとかと付き合ってたら開き直ってきた。……俺は信じる。酷い事にレッドが言ってやがっただろ。信じる事、それだけは俺が、何よりも勝って出来る事だろうってさ」
「じゃぁ俺もお前にこの際はっきり言っておく」
 ようやく顔を上げ、テリーは俺の額を指して強く言った。
「俺はお前に嘘はついてない。絶対にだ、」
「その代わり不都合な事は一切口にしないって訳だ」
「ああ、俺嘘とか好かねぇからな。……だからこれは嘘じゃねぇ。ランドールは俺の弟だ」
「じゃぁなんで純西方人と南方人が兄弟なんだ?あ、異母兄弟って奴?」
「似ているが、違う」
 テリーはそこで鋭い視線を俺に投げ寄越す。
「……ウィン家に正当な血の繋がりなんて存在しない」
「じゃぁ、ええと、この場合は養子縁組?」
 俺は、どうなのよとナッツに確認するように振り返る。
「それが一番近いんじゃないかな」
「でもなぁ、お前と兄貴のテニーさんは俺から見ても似てると思うけど……」
「でも、歳が離れすぎているって思わなかった?」
 ナッツの言葉に確かに、それは思ったとリコレクトする。
 テニーさん、あれはかなりおっさんぽい。実年齢はよく分からないがテリーとは10年以上の歳の差があると聞いたようにリコレクトする。
「実は、な。俺もアレなんだよ」
 口を濁してテリーが言った言葉に俺は突っ込んでやりますよええ、遠慮無く。
「アレって何だよ」
 テリー、そこで大いに戸惑って頭を掻きながらそっぽを向く。
「……王の器」
「ランドールがそれだ、という……?」
「不都合があってな。俺に弟が出来たんだ」
「……話がよく分からんが」
「だから俺は、純西方人として意図的に作られた存在だって事だよ。で、ランドールはその2号。分類でいえば同じようなもんだ。だから、あれは俺の弟なんだよ。血の繋がりはねぇけどな」
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