ドランリープ

RHone

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1章 D Dream of Tail

-0- 『思い出している-1』 後半

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 南国の沙漠に埋もれた古い町跡、時期によっては砂山に沈む古跡発掘は、ミスト王の先々代に始まったと言う。
 かつて南国にあったもう一つの国、ファイアーズの首都の一部だったらしい。
 ファイアーズ国は随分昔に廃れ、カルケード国と統合し滅亡した。戦争等があったという歴史は伝わっていない。
 南国カルケードが滅亡したファイアーズの統治を引き受けるようになったのは間違いないが、なぜファイアーズが滅んだのか……その歴史は不明瞭で、未だはっきりとした事は分っていなかった。分かっている事は、ファイアーズの首都があった地域は廃れ、人の手が離れ沙漠に沈んでしまったという事だけ。そうして流れ着いた移民をカルケードの方で快く迎え入れたという歴史だけが伝えられている。
 ここ数年、発掘に加え出現した遺物の調査からファイアーズ国滅亡の糸口らしいものが見えてきた所だという。



「おう、遅かったなぁ」
 砂船が砂山を越えてやって来たのを見つけたらしい。
 ミストとキリュウは、大きく手を振っている東方人に出迎えられた。
 発掘調査隊の為にカナートが整備され、遺跡からやや離れた所に人工的なオアシスがあった。植えられた椰子やイチジクの木の様子からしてまだ若い緑地だ。
 レンガ造りの建物が幾つかと、南国のステップに暮らす遊牧民達が使っている立派なコテージがいくつか。
「お久しぶりです……貴方がこちらにおいでとは」
 人の往来がある分、堅く踏みしめられた砂の上、自然と砂船は止まった。
 碇である長い杭を差し込み、砂馬を外す作業を何も言わず、慣れた様子で男が手伝ってくれる。
「ちょっと無理言って、連れてきて貰ったんだ」
 癖のある赤茶色の髪を乱暴に掻き、作業ズボンにタンクトップ一枚というラフな格好の男は苦笑し、そのまま首の後ろを押さえて少し俯いた。
 緑掛った瞳を半開きに、足下の濃い影に視線を落とす。
「残念な事になっちまったなって、今更だけど」

 ああ、またこの人は。

 ユーステルが死んだのは自分の所為かと、全ての責任を自分一人で背負い込もうとしている。

 ミストとキリュウは同時に、彼の分りやすい感情を把握してそう思った。
 何度、こうやって彼は頭を下げただろう。キリュウの兄、リュステルの死に向けて。
 ミストの弟、エルークの死に際して。他、多く世界をむしばむ混乱の犠牲になった『全て』を彼は背負い込むつもりなのかもしれない。困った事に彼にはそれを背負う技量があったりもするのだ。彼にその気があって、周りにその悪意があるならばいくらでもそういう事に出来る。
 何しろ、事実としてキリュウの兄、そしてミストの弟を殺したのは彼だ。
 彼が、その手で……二人を殺めた。

 問題なのは事実などではない。

 ミストとキリュウは同時に、項垂れる彼の肩に、腕に手を置く。
「自分を責めすぎだ、ヤト」
 ミストの言葉にうつむいたままのヤトは自嘲を漏らす。
「悔しい事に、ランドールからもそんな事言われちまった」
 そう言ってからようやく顔を上げて苦笑を漏らす。
 そのヤトの言葉にキリュウがふっと眉を顰めた。
「ランドール……も、まさか、ここに来ているの?」
「来るだろ、曰くあいつユースに結構キツい事言っちまったらしいぜ。それで、珍しく落ち込んでたからな」
 あえて笑いを取ろうとしているのだろう、ヤトは口をへの字に曲げて腕を組み、
「彼女が死んだ要因があるならそれは、俺の方だ……とかなんとか言っちゃってさぁ」
 恐らくランドールの口まねをしたらしい。

 ランドール、名前は聞いた事がある……と、ミストは視線を空に投げた。

「確か……西方の魔王討伐隊を率いていたという、」
「あ、ミストはまだ会った事無いのか。てゆーか俺と奴は今だもって水と油だ、顔合わせるのも危険っちゃぁ危険で。危うく斬り殺されそうになったぜ」
 まぁそこは、ユーステルの墓の前だという事で今回は見逃して貰う事になったけどなと、ヤトは空元気に笑う。

 彼は何時でもそうやって、自分を笑うようにと仕掛けて笑う。
 彼が、作り笑いが出来る程器用ではないのはみんな知っている、だからこそ本気で自分自身を笑い者にして……彼は、笑う。
 彼の心中を知る者は、時に……一緒になって笑う事が出来ないというのに。

「そう、だったんですか」
 キリュウが呆けたように呟いたのに、ようやくヤトは一人笑うのを止めた。
 遅ればせながら二人の間の空気を読んだのだ。二人が恋仲である事をヤトは知っているが、実は……結ばれる事が無いという事情等には疎い。それでも、何か怪しい空気が二人に流れているのに気が付いた。
「ミスト、実は……私に婿入りするという約束を交わした人は……その、ランドールなんです」
「え?」
 だから、驚いたのはヤトの方。
「婿入り?何それ、何の話だ?」
「ランドールの方からそういう話が、私の所へ」
「嘘だろ!?」
 ミストは、まだランドールという人物をよく知っていない都合、ヤトが露骨に驚いている都合が分らずそっちに驚いている。
「君が、そこまで露骨に嫌な顔をする程酷い男か?」
 そんな男にキリュウを譲らなければ行けない、という事実に向けてミストは、静かに怒りを燃やし始めた。それに気が付いてヤトは慌てて手を振る。
 状況は今だ良く分かって居ない。分からない事に極めて妥協が出来る大雑把な性格の為、今はその事実に対する追及をあきらめたらしい。
「あ、いや今はそんなに酷い奴じゃないとは……思うけど」
「今は!?」
「ああとまぁ、俺も奴とはいろいろと……ま、直接会って話付ければいいさ。ちょっと無礼な奴だけどそこはほら、俺もどっこいどっこいだから人の事言えねぇし」
 王様相手にタメ口はなぁ、と自分の事を苦笑する。
「構わないさ、君は……世界を救った英雄にして今は、立派な魔王職だろう?」
 一応『王』の職務にあるだろう、と言いたいらしいがそんな立派なもんじゃねぇよとヤトは慌てて首を振った。
「慣れねぇよなぁ、その呼ばれ方」
 ややがっくりと項垂れるのにキリュウは微笑んだ。それを見てヤトは顔を上げる。
「ああ、その微笑み」
「え?」
「……それはキリュウだなって、そう思ったから」
 思わず笑った口元をキリュウは抑えていた。
「俺の思い出の中で、ユーステルは半分キリュウの姿をしているからさ。彼女、じゃなかった。彼、が。もう居ないってのがなんだか実感わかねぇな…」
 キリュウは目を伏せ、小さく頷く。
 ややこしい事ながらミストと並ぶ程背が高く、少しばかり女性らしからぬ西端な顔つきの、要するに美丈夫なキリュウ。それとは対照的に、少女のような容姿でありながら実は王であったユーステル。
 二人は国を治める都合、精神と肉体を入れ替える……という練術式に手を出した。
 英雄、リュステルが王になるべく迎え入れる、シーミリオンの『王女』が必要だったからだ。その都合、少しの間ミスト王子やその他大勢の人を欺いていた時期があるのだ。

 それらの誤解を解消し、女王を必要のしない状況になり、二人がようやく元の体に戻ったのもつかの間の事。
 ……恐らく、ユーステルは早くからそうする覚悟をしていたのだろう。
 自分が、王女ではなくしかも『王』ですらない。
 不虞の体、許されない生まれである事をユーステルは暴露して国を出た。
 もちろんキリュウはそれを追いかけようとしたが……乱れきった自国の政治を導くに、英雄リュステルの妹であったキリュウは自由に動く事が出来なかった。まさか、共にシーミリオンを支えて来たはずのユーステルから、そのように裏切られる事など想定していなかったのだ。
 身動きが取れないキリュウの状況をいち早く察知し、手を打ってくれたのは現在の魔王、ヤト・ガザミの元で動く魔導士の協力による。その後、多くの人の協力を得て、国を出たユーステルが南国に入った事が突き止められた。……そして。
 この地で息を引き取った事を知った。

 キリュウは、暮れ始めた空に少しだけ欠けた月を見つけて顔を空に向ける。 

 なぜ彼がここで死んだのか、この遺跡の調査が進むに連れて少しずつ、その謎が解かれようとしている。

 ミストはヤトその他から勧められ、ユーステルが倒れていたという遺跡に足を運んでいた。
 彼がその前に倒れていたという石碑はどうやら、元来墓だった事が今では知れているという。すっかり砂で削れた石碑の文字を復元するに、過去読みの魔導師を連れて来たそうだ。お陰でさっぱり進んでいなかった遺跡調査はここ数年足らずで一気に進んでいる。

 刻まれていた、一つの物語の報告はミストラーデ国王の元にも届いていた。

 それを思い出そうとするに……月明かりの元、石碑の前に何かが蹲っているのを見つけてやや驚いて足を止める。
「……驚かせたか」
 片膝を付き、どうやら墓に向かって祈っていたらしい男が、ゆっくりと立上がって白いマントを翻す。
「……?」
 月明かりを眩しく反射する、水気を帯びた鎧。見覚えがある、それはかつて『世界を救った』勇者がその身に帯びていた鎧だ。
 シーミリオン国でユーステルとキリュウから送られた……そして、今は西方のとある『勇者』に譲られたと聞いている。とすれば、男の正体に推測が働く。
「ああ、そうか……君がランドールか」
 白いマントを翻し、月明かりには闇と、判別の付かない黒髪を靡かせて男は、ゆっくり跪いた。
「お初にお目に掛ります、ミストラーデ国王陛下。ファマメント国にて魔王残党討伐隊隊長を務めております……ランドール・アースド・ウィンです」
「アースド?」
 名前に憶えがった。
 そして、目の前に立ちはだかる巨大な石碑を見やる。
「確か、ファイアーズ王朝最後の王の名前が……アースドではなかったか?」
「らしいな」
 さっさと立上がり、名乗りががあくまで形式に則っただけだったように素っ気なく、ランドールは答えた。
「どうでも良い事だと思っていたが……不思議と、この墓の前では気分が優れない。かといって離れたい訳でもない……我ながら不気味な感覚だ、忌々しい」
 大事なものでは無いというのならこの石碑、即刻かち割ってやりたいくらいだ、と小さく悪態を付いたのを聞いてミストは苦笑を漏らし額を抑える。
 成る程、先にヤトが言っていた『無礼な奴』の意味を把握するのだった。
「あんたはどうだ」
 相手が王、と分っていてもそんな事は彼にとって、どうでも良い事なのだろう。
 正直傅かれたりするよりは、対等な物言いが出来る関係を好むミストではあるが……多少の上下関係くらいは弁えて貰いたいと初めて思った。
 何しろランドールは互いの立場を全て理解した上でこの口調なのだ。

 ましてや、この男がキリュウと……。

 考えまいとしていた事にたどり着き、ミストは額を抑えたまま思わずランドールから顔を背けてしまった。
「ミスト王?」
「君から、そのように呼ばれる筋合いはないな」
 温厚と通っているらしいが、恋敵にまでのほほんとしていられる程ミストは穏やかではない。
「私の事をミストと呼んで良い者は限られている、弁えたまえ」
「……ふん、それは、失礼」
 恋敵である事実が、反感を煽る。
 無礼処の話ではないと、ミストは彼との会話に限界を感じ引き返そうとした。
 ミストは知らない事ながら、実はランドールはこれで随分大人しくなった方なのだが。
「それで、アンタはどうなんだ」
 これで二回目になる事ながら、王に対しアンタは無いだろう。
 ミストは……どうやらこれが彼の限界と理解を示してため息を漏らした。足を止め、振り返る。
「私が、何だというのだ」
「この石碑を前にして……どう思うかと聞いている」
「どうもこうも」
 月明かりに浮かび上がる白い石版を見上げる。元来は黄金律の長方形だったらしいが、すっかり角は取れてしまっている。文字が彫られていた凹凸が辛うじて判別出来る程度。しかも、上手く貼り合わせてあるがこの石碑は真っ二つに割れていたらしい。
 よくぞこの状態の石版から『あの』物語を復元したと、魔導師達の調査能力には舌を巻いたものだ。
「悪竜と、王子の説話……か」

 この墓の下に眠るのは、かつて南国ファイアーズを脅かした毒持つ悪竜。そして……その竜を討取るに尽力したがその竜の呪いを受けて気狂いになったと伝えられる……ファイアーズ国最後の王。
 最後の王とはいえ、既にその時ファイアーズは国の運営をカルケードに譲っていたと伝えられている。王なのか、王子だったのかははっきりとしていない。
 しかしこの石碑には『ラスハルト・アースド・ファイアーズ王子』という記述があるという。

 ラスハルト王子と悪竜の騙し合いの説話がここには刻まれている。

 自国ファイアーズに巣くう悪竜を退治するに、ラスハルト王子が様々な戦いや知恵比べを仕掛ける。最終的に悪竜の信頼を得た王子は、悪竜を罠に嵌める事に成功しついに悪竜退治を成し遂げた。
 しかし長らくファイアーズを苦しめ、それでありながら守りもしてきた竜。
 王子は最後の最後で悪竜に慈悲を垂れ、悪竜の毒を振りまく死骸をここファイアーズ首都まで運ばせ、墓を作って丁重に葬ったとされる。

 しかし、物語には続きがあった。

 ミストは、月明かりに照らされる石碑を真っ直ぐに見つめる。
 石碑の裏側に、その続きが存在している事を思い出している。
 ラスハルト王子は竜を討取ったその後、墓を作ってより程なくしてファイアーズ国を解体し、カルケード国の傘下に下るように狂いの兆候を見せ始めた。
 ……この辺りの訳は怪しい、と聞いている。ファイアーズ国を解体するのが狂いの一端なのか、その後にもの狂いになったと書いてあるのか、古代南国の崩れた文字列からはどうとでも解釈出来るようで未だ、どちらが正しい訳となるのか論議が続いているらしい。
 とにかくラスハルト王子は竜の毒に当てられ、あるいは呪いの所為で気を悪くし、毒の溢れる墓の前を動こうとしなかったという。
 王子の心配をした者達が必死に彼を墓から遠ざけ、ついには地下牢に閉じこめる事にまで成ったという。そして……ラスハルト王子は獄中死し、彼の最後の望みを叶えるに竜の墓に入れる事になった……。

 表の丁重な語りとは対照的に、まるで慌てて彫り込んだように短く、乱雑で、文法も間違いの多い『続き』。

 伝えられているように、この墓から毒が出ているという気配は今の所は無いらしい。しかしこの遺跡の発掘当初。
 やや謎の事件はあったと南国の遺跡調査書には残っている。

「この遺跡を掘り当てたのは西方からの調査団だったそうだが」
「ああ……天使教の一派だそうだ」
 天使教はファマメント国が起こりの二大宗教の一角でもある。西方では西教が浸透していたが、その主な布教主であるディアス国の衰退が現在激しく、西方一の大国と成り上がったファマメントが自国特有の宗教を広げるに、現在は二つのやや似通った宗教が西方では信仰されている。
 天使教は布教活動に幾つかの指針を設けていてその都合、南国にも彼らの手が届くに至ったのだろう。
 南国の宗教感覚は独自で、比較的自由ではあるが文化的に西方のそれとは相容れない都合、未だ天使教も西教もあまり広がってはいない。
「死霊調伏団がここに、巨大な怨霊を感じて遺跡を掘り当てたらしい」
 ミストの言葉にランドールは無言を返した。
「……」
「西教では死霊は、鎮めて封印するかあるいは、元を断つ教義を徹底している。天使教は少し違うようだな……西教よりも縛りは少ない、だからこそ魂の自由を説くに至り、死霊も発生しやすいと西教寄りの者は言う」
「事実には違い有るまい」
 そして、そうなるにも理由がある。
「……天使教は調伏をする。しかも、積極的に。その為にこんな所まで来て墓を暴く必要はあったのか」
「さぁな」
 ランドールはそっけなく、転がっている石柱に腰を下ろして腕を組んだ。
「調伏は、失敗したのではないか……と、記録されている」
「……」
「実際どうなのだ、天使教はこの地での調伏記録をどのように処理しているのだ?遺跡発掘に立ち会った南国の者達は魔導にも、調伏にも詳しくはない。成功したのか失敗したのか、一体何が起きたのか……よく分っていないというのが事実だ。それがこの遺跡調査が長らく手付かずだった理由の一つでもある」
 ランドールに意見を求めるに視線を投げたミストは、明るい月明かりに照らされた彼を見て、一瞬息を呑んだ。
 白い肌、黒い髪……そして、月明かりの中明るく輝く青い瞳。
 何故そうと気が付かなかったのか。

 ランドール・アースドの姿が一瞬、自分の姿に重なってミストは驚きを必死に隠す。
 ランドールは幸いこちらを見ずに、何か考えるように目を細め、石碑に視線を投げていた。

「……天使教がこいつを嗅ぎつけたのは。ハクガイコウの調査による所ディアス国の歴史書からだそうだ」
「それは、ホーリーと言う事か?」
 ディアス国の歴史書とは、すなわち西教の教典の事でもある。
 西教の聖典は今日に続く歴史を綴った書物である事は学の有る者なら誰でも知っている事だ。その書物全般はホーリーと呼ばれている。
 ランドールはミストの言葉に頷く。
「ホーリーに、南国で悪しき魂を封じたという説話があるらしい。それで、そこには封じられたままの悪霊がいるからとそいつを調伏して南国に天使教を広める足掛かりにしよう……そういう算段だったのだろう、との事だ」
「成る程」
 ハクガイコウ、天使教の最高神官の位に有るものの話ならば疑う余地もない。実際、ハクガイコウは南国の王と同じくお飾り職に近いらしいがこの所、実権を握って色々と革新的な事をやっている話は耳に届いている。

 また、かつてこの『世界』を救った一派の一人でもある。

 故に無条件で信頼の置ける、ファマメント国においてミストが信頼を寄せている権力者の一人だ。
「それで、調伏は……」
「調伏の作法は知らんのだろうな」
 高圧的な口調にミストは口を噤む。
「天使教も誰彼構わず作法を伝授したりはしない、だが……東の魔導師連中にはどうにも筒抜けらしいが」
 どうせ南国では魔導式は発達していないよと、ミストは小さく口の中で呟いてしまった。抱えている魔導師も少なく、調伏とやらが実際どのような式でもって行われているのか、ミストにはさっぱり分らない。
「俺も別段調伏士をやってる訳じゃない、魔王討伐に調伏は関係ないしな」
 そうだろうが、魔王一門には死霊部隊もあったはずだが……そういうのは、調伏しないで力でねじ伏せる方向なのだろうな、と想像がついてミストは苦笑いを漏らす。
「大雑把にしか知らんが……どうやら、すぐに完了する事も在れば調伏に時間が必要な場合もあるらしい。失敗か成功か、それは分らんと聞いている。だが恐らく、調伏は完了したとは言えないかもしれないと、聞いた」
「……ハクガイコウの話か」
「そう言えば信じるらしいが」
 ランドールに皮肉を言われ、ミストは素直にむっとして口を曲げる。
 ランドールはそんなミストの態度には興味がないようで再び石碑に視線を投げる。
「ここに眠ってた連中のどちらが死霊と化したか。わからんか」
「……どちらも、ではないのか」
「ハクガイコウ曰く」
 その断りがわざとらしく、ミストは更に気分を悪くしたが……もしかするとランドールはそういう気があってその様に言っているのではないのかもしれない。ミストに、話を疑われたくないだけなのかもしれなかった。
「悪竜の魂はとっくの昔にここを抜け出しているはずだ、と……言っていたな。珍しく根拠については聞くな、と言われた」
「ふぅん」
「つまりここで死を真っ当せず、死霊と化していたのはラスハルト・アースドの方って事だ」
 ランドールはそう言って……なぜか薄く笑っている。
「アースドの魂は調伏士に憑いて西に渡った。肉体を失った魂は……適度な入れ物を必要とし……肉を持ってこの世に再臨した暁には」
 青い瞳が不意とこちらを見る。
「この世の王となる事を望みとして」
 トンと、自分の胸を親指で差してランドールは月下に笑う。
「ようするに……それが俺だ」
「なに?」
 月は全面的に彼の味方をし、眩しくミストの目を射抜く。
「まぁもっとも……俺はラスハルトとは違う。ランドール・アースドだ。俺は、俺の方法で国を獲る……この野望が潰えた訳じゃない」
 他には秘密だぜ、と……すれ違い様に呟いて去ろうとするランドールの腕をミストは掴んでいた。
「いや……待て、聞き捨てならないな」

 シーミリオン国に近づいたのはその為か?
 視線で問われ、ランドールは鼻で笑う。

「出来上がってるものを横から得た所で何になるんだ?」
「お前は、自分の野望の為に国一つ足掛かりにしようとしているのかと、聞いている」
「ミストラーデ国王」
 今更改まって呼ばれ、どうやらこの男にバカにされているのを理解して、腕を掴む手に力を込める。
 至近距離で……ランドールは囁いた。
「どうやら貴方には聞えないらしい」
「何がだ?」
「そこに書いてある狂人の声さ」
 顎で石碑を指し、ランドールは笑った。
「成る程確かに、ファイアーズの王子は狂っている。世界を平和に、平和な世界の王に……それが、奴の切望だ。狂っていやがる。平和の世界って何だ?上っ面の平和で良い訳じゃない、心底平和って理想を唱えて、そういう国を自分は作るのだと意気込んでそうやってこの世にしがみついている。自分にはその国を作れる。いや、作らなければ行けない。そんな理由で死を放棄し、眠りを捨て、器を探して魂だけがフラフラとこの世を巡っている」
 魂、器。

 一般的ではない概念ながらミストには、ランドールが言っている事の多くが理解出来た。
「もう分るな?ミストラーデ国王陛下」
「……君は」
「唯一魂の輪廻を示唆する神話の残る南国のオウサマなんだから分っているんだろう?……一々俺に言わせるな」

 強引に腕を振り解かれた、その強い力に逆にミストの腕の方が痺れている。

 彼に向けて、あったはずの妬みや恨みが息を潜め、今はただ同情だけが胸にあった。

 なぜ……そうだと先に教えてはくれなかったのか。

 ランドール・アースド。
 その名前の通り、そしてミストに似通った容姿が示している通りだ。
 彼こそが『王の器』計画の最終到達者にして……完成系。
 痺れている指を見やりミストは小さくため息を漏らす。

 その計画は西に始まり北西に飛び火、そして最終的に南国に戻ってきた……と、聞いている。
 それを知ったのは酷く、最近の事。
 自分が、何か特別な生まれである事は容姿や、長らく隠されてきたが不思議な繋がりを感じていた双子の弟、エルークの存在からしてうすうす感じていた。南国の王の系譜に、黒髪は自分くらいしか居ないのだ。遺伝的に極めて珍しいと幼いころから言われて育った。
 しかし具体的に計画として、何が行われていたのか……叔父の反乱に巻き込まれ父王が全てを黙したまま山梔子と成った都合、ミストは事実を知るに時間が掛った。
 全貌を聞かされるに随分、酷い話だと憤る以外の感情は湧かなかった。
 それが他人事ではなく、自分の事だと知って……もはや言葉は出ずに呆れだけが心を支配したのだ。

 世界を一つに纏め、その頂きに坐す王の計画。
 それが『王の器』計画の趣旨だ。

 西で勢力を強めていたファマメント国が始めた計画だと言われるているが、詳細はまだ分かって居ない。これにどういう経緯か、シーミリオン国の錬金術師リュステルが合流する事になった。あるいは初めから彼の計画だったという説もある。
 そして、世界を巻き込んで『狂った』。
 ……ユーステル・シールーズという不完全な者が生まれ出たのが発端だったろうとキリュウは言うが、どうしてそれでリュステルが乱心する理由になるのか。リュステル自身が理解を求めないと言った通りミストには、到底理解できる事ではなかった。
 それがどれだけ異端であったのか、キリュウは詳しく話してはくれなかった。恐らくリュステルが思い込んでいるほど異端ではなかったのかもしれない。
 とにかく、ユーステルに流れている血は正規と呼べる王族のものとは言い難く、あくまで前王の戯れに生まれ出てしまった事だけは間違いないのだと云う。
 リュステルの仕業だ……と、キリュウは尊敬はしているが今は恐れも入り交じる、兄の所業に顔を伏せた。
 そしてこの計画はこれだけでは止まらずに、密かに南国でも続けられる事になった。
 そしてまた失敗した。一つとして生まれてくるはずの王子が、二つに分かれて双子として生まれた。
 それがミストとエルークだ。
 なぜそんな計画に父王が乗ったのか、なぜそれを母は知らずにいたのか。もしかすれば父も母もそうとは気が付かず、国を乗っ取ろうと働いた今は亡き叔父の仕業であった可能性も捨てきれない。
 とにかく今は、真相を知るもの達が皆この世にいない為に正確な事は分らないでいる。
 とにかく再び失敗した、そう判断し……リュステルは、方法論を変えて西に戻り研究を続けたらしい。
 その後リュステルは詳しい事をキリュウには語らなくなり、国に戻ってくる回数も減りついには……魔王討伐隊第一陣に自ら名乗りを上げ二度と、キリュウやユーステルの所に戻ってくる事はなかった。

 ユーステル、ミスト、ランドール。

 生まれ、姿、立場、あらゆるものが異なっているが一つ共通している事は……『王の器』と呼ばれる謎の計画によってこの世に生まれ出たという事。
 先にこの世を去ったがミストの弟のエルークもそうだ。
 そして、噂に寄ればこの計画によって生まれ出ている者はもっと他にもいるらしい。ウィン家の人間は多くそれだという話で、だとすると現在のファマメント国大統領のテリオスもそうだという事になる。だからだろう、この謎の計画があった事は一般には全く『知らされていない』

 ミストは改めて石碑の前に跪き、隣に置かれた新しい、小さな石碑に向かって頭を下げた。

「ユーステル……そうか、君がここに惹かれたのは……そういう意味なのか」

 魂の輪廻。
 そもそも魂、という概念が余りこの世では理解されていない。
 天使教の隆盛により近年認識されるようになった概念で……魂とは、精神と幽体の関係あるいはその二つの結びつきの事を言うのだという。

 八精霊大陸で一般的に信じられ、魔導師達を筆頭とする技術者達が基礎概念としている事がある。この世の生命体は物質・精神・幽体の三つで成り立ち、一つでも欠けた場合は生命である事を逸脱する。まして、一つである場合認識する事すら出来ない概念に成り下がる。
 一つ欠けた状態にもかかわらず生命体のように振る舞う存在は『死霊』と呼ばれ、忌み嫌われている。
 死霊は死を放棄し、生に縋った存在だ。
 欠落、あるいは分解された三要素を補う事は技術的に不可能とされている。……生き返りはこの世に存在しない。
 しかし『あらゆる理を無視する』力として『魔力』という理の働くこの世界では、詭弁的ながらも技術を要すれば……生き返りに近い事を再現する事も可能だ。そのような噂もある。

 生命体は死を迎えると成り立つ三界を解く。
 それが死だ。
 三界を解いてバラバラに。そうやって概念となり世に溶け行ったそれらにかつての個性があるのかどうか、その後どうなるのかは語られていない。
 語りようもない、誰にも察する事の出来ない事だからだ。
 三界が崩れ、単独になれば目には見えず触れられず、察する事も出来なくなる。
 ゆえに、八精霊大陸では死後、かつての姿や記憶を留めての生き返りがある事、輪廻転生と呼ばれる現象は起らないとされている。
 そういう思想そのものが希薄だ。
 しかし、死後を想像する事もまた自由であるためか、一部の宗教観の中には輪廻転生を信じるものもあるのだという。確実に言える事は……西教や天使教等、主な宗教ではその様な事は一切説かれていないという事。

 南国はどうか。
 独自の宗教観、農耕民族である南国の民は太陽の巡りに合わせた独自の歴を頼りにし、4年に一度の復活祭に南神ルミザを奉る。今祭りは毎年行われるようになっていて、4年に一度の南国においての新年、夏の盛りに祭典は夜通し行われていた。

 方位神を語る説話において、邪悪な心を斬る聖剣士ルミザは見事その大役を果たし……南の地で『眠る』と伝わる。
 南国で眠るとは、死者を現す隠語だ。
 しかしルミザはいずれ目を覚まし、再び聖剣士として人の心を斬る剣を振るうとも伝わる。
 何と言う事のない説話だと、南国人はさほど気にせずにいたに違いない。
 しかし見方によってはどうだ。

 南方方位神の説話は唯一、魂は眠りにつくように一度死に、いずれまた同じ役を果たす為に目を覚ますと……輪廻する事が説かれているではないか。

 死んだ者は二度と、還らない。
 それがこの世の摂理ではないのか?
 方位神とて、この世の摂理から逸脱出来る訳ではない筈だというのに。
 ではなぜ、ルミザはもう一度戻ってくると云われているのか。
 それはどのようにして成し遂げられているのか。

 魂、それが死霊となり……死を忌避し、眠りを捨て器に宿りもう一度『目を覚ます』

 ミストはため息を漏らした。

 まるで、永久に……世界に囚われているような。

 ラスハルト王子は何か、悪い事をしたのだろうか。
 ランドールは大いに笑っていたが、一国を背負う事となる王子として、至極真っ当に平和を望み、その為に……悪竜を手に掛けた事はそれ程悪しき事だったのか。

 悪い事はしないようにと西教は説く。
 死んだ後呪われる、行いが還ってくる……正確には、悪い事によって犠牲となった者達の死霊に祟られる。それを防ぐ為に死者の弔いはどの地域でも厚く行われている。そうする事によって死霊の発生を防ぎ縁を切るのだ。
 だが縁は切ったら終わりだろうか?
 もしか罪が重すぎれば、……それを贖うためにもう一度生まれるというのが南国の宗教ではないのか。
 西の影響を受け、死霊発生を抑える為に作り出した南国特有の宗教だったのかもしれない。南の地に、眠れるものルミザと共に安らかな眠りを。聖剣士の御許で眠る事を許されるように生きよ。もしこれを怠れば。安らかな眠りは汝に訪れる事はない。

 ではルミザは、何か罪を犯したのでしょうか。

 はっと、ミストは顔を上げた。声を聞いた気がしたがそれは、空耳。
 だがどこかでその様に問いかけられた事を思い出している。
 そうだ、昔飽きることなく交わしたキリュウとの文の中で、南国に伝わる説話を説いて……その時に彼女が返した感想にそんな事が書かれてあった。
 自分は……それに、何と返したか。
 記憶を辿る。思い出す。

 彼は……ルミザは人の心を斬る。

 人の心、踏み行っては成らない領域に干渉した唯一の者だ。
 もしかすればそれは大罪なのかもしれない。そしてその大罪を背負うからこそ一種神として崇められているのかもしれない。

 我ながら随分格好付けた物言いで返したものだと、若かりし頃の自分に赤面する。
 あの時の文字での会話は、既に互いに心通じているのが分っていたからか。何を語るにも浮ついていて地に足を着けていなかったかもな、と今更反省した。
 その一方で……真理に密かに迫っていたのかもしれないとも思う。

 ルミザ、方位神として南に眠る者。
 彼の者が再び目を覚ますのは……死に切れぬ、そう思ったからか。

 月は明日には満ちる。そして満月の元、ユーステルがこの地で見つかった……命日だ。

 砂混じりの風が強くなってきていた。
 ミストはマントを翻し口元を抑える。

 未だこの地にルミザの魂は……彷徨い続けているのだろうか。
 そしてユーステルは。
 安らかに、かの戦士の御許へと行けたであろうか。

 天に手を投げ、緩やかに大地へと返す。
 南国式の弔いの儀式を、月の光だけが見ていた。
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