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1章 D Dream of Tail
-4- 『当たりの地図』
しおりを挟む「はっ!」
「ユーステル!」
水から逃げるように突き出していた私の腕を、咄嗟にディザーが掴まえてくれていた。おかげ私は再び水に沈む事なくゆっくりと肺に空気を吸いこみ、咽せる。
空気だ、助かったんだ!
その思いに閉じていた目を見開いた。
光を望んだが、飛び込んできたのは闇だ。……さっきの光は?
すると眩しい光が私の、闇に慣れそうになっていた瞳を焼く。ディザーの影に隠れていたライトが誰かによってこちらに差し出され、私はディザーの顔を確認して安堵の溜め息をついていた。
「大丈夫ですか?」
トーチライトを掲げ持つラーンの姿もぼんやりと認識出来るようになる。
「うん、大丈夫、」
私は漸く水中から岩の上へ這い上がった。
水は、冷たくて思っていたよりもずっと体力を奪っていたみたいだ。陸に上がった途端どっと疲れが襲ってきて動けない。
深い息を吸って暴れる心臓を抑えながら私は、体に食い込んでいたロープを緩めた。
「全員無事ね、よかったわ」
アズサがライトを掲げながら近づいて来た。微笑してぬれた髪をかき上げる。その後ろに水を滴らせたクオレも続いている。
「さ、予定通りここで休憩しましょ。こうもびしょ濡れじゃ風邪をひくわ」
「その前に確かめたい事がある、」
クオレは、リュックを降ろし、手早く開けながら言った。
基本的にD3Sの装備は完全防水加工が施されている。
服も、襟元や袖口等から浸水しないような特殊構造になっている……とはいえここまで水に浸かってジャケットの中まで浸水していないと云うことはない、あくまで保険程度の事。おかげで下着までぐっしょりいっている気配がある。
クオレは濡れた手で構わずに、丁重にしまってあった古式な銃を掴み出した。火薬式なら濡れ手で扱わない方が良いと思うけれど……違うのかな?
「なんだそれ?」
ディザーの質問には答えずクオレは、無言でそれを鋭く斜め上へ向けた。銃口は何もない闇を指している。私達は一瞬何事か理解せずに緊張していた。
クオレが遠慮無くトリガーを引く。一瞬遅れて、高い鳥の鳴き声に似た音を響かせながら……闇に一筋の光が走った。
光は鍾乳洞の洞窟の壁を写し、そして更に闇へと溶けて行った。
そうしてから光が、不意に溢れる。
「!」
壁から壁に光が反射し、全てを照らし出す。
遅れて光線が天井にぶつかった、高い金属音が響いた。
閃光弾だ、辺り一面をすっかり照らし出した光はゆっくりと、日が暮れるように失われていく。
「……今のは魔法ですね、ライティングの類いの魔法具ですか」
ラーンの問いに、クオレは呆然とした口調で答えた。
「ああ、プレミア物だ。年期が入ってる」
冗談のつもりなのかもしれない……だけど、その気持ちもよくわかる。
……クオレは、興奮しているんだ。
クオレだけじゃない、私達全員が今、目の前に一瞬広がった光景に見入っていた。
再び闇に閉ざされてしまったこの洞窟の全貌。
天井は高かった、向こう側の壁は遥か遠く。
「まさか、本当にこんな広い地下空間があるなんて」
クオレが放ったライティングの魔法弾は、巨大な地底湖を抱いた、ドーム状の地下空洞を確かに照らし出してくれた。
天井から滴る幾つもの巨大な鍾乳石、そのほとんどがその下にある水に届いていなかった。
湖の水は青く澄んでいたと思う。一瞬、水があるという境界線を境にして、どこまでも深く湖の底別の世界が広がっているように見えた。
水は壁のあちこちから注がれていたのを見た。沢山の横穴があってそこから水が……。
「俺たちあそこから流されてきたんだぜ」
ディザーがライトを背後に翳しながら叫んだ。振り返れば、今いる所より数十メートルは上の所から、水が勢いよく吹き出してしぶきを上げているのが確かに見える。
その水が一旦プールを作り……多少急な川を作って曲がりくねっては、目の前の、私達がたどり着いた水場に続いていた。
水はそこから更に下っている。沢山の鍾乳石を育みながらずっと下の湖に流れ込んでいるのをディザーがライトで照らして行く。
そこまで目で追っている途中に、ついに光は薄暗く濁って消えてしまった。
トーチライトの眩しい光さえ、瞬間見てしまっただだっ広い空間では空しく感じる。
「凄い所だ」
クオレの感嘆の呟きに、ラーンは息を飲み込んで頷く。
「と、とにかく休憩にしましょう」
その声にアズサも我に返って、ようやく荷物を解いた。
微かな風の流れが生まれている。
どこから流れ込んできたのだろうか。白く乾いた木の枝が、鍾乳石の隙間にたまって落ちているのを見つけ、それを集めて炎を起こし、濡れた装備を乾かす。
これだけ広いなら火を炊いてもも問題はないだろう、とクオレ達は言った。D3S装備は乾きやすい特殊繊維製とはいえ、火の暖はとてもありがたい。
澱んだ空気が、炎が生み出す上昇気流に巻き上げられては天井の闇へと消えていく。
「まるでフリーズドライ加工したみたいだね」
アズサが集めて来た白い木の枝を、私は叩いてみた。乾いた、不思議な音がする。
お互いに出し合った食料を整理しながらアズサは眉を顰める。
「乾燥しているっていうのは少し妙ねぇ」
「だよな、普通洞窟って言えば、ジメジメしてるもんだよな。ほら、こんなに大量に水が流れて来てるのに」
濡れてしまった服を絞って、広げる作業をディザーは繰り返している。D3Sに配布される特殊素材の服は、水を絞れば極めて早く乾く。
状況整理も含め、とりあえずここでキャンプする事に決まったんだ。
今後どうするかもきっちり決めなければいけない。
このままチームで動くなら、役割分担などをはっきり決めておく事も必要だ、とクオレは提案してきた。もちろん、彼の判断ならば私達は拒否する理由もない。
そうする事にして、お互いの装備品の確認を行っている所。
「もう洞窟に入ってだいぶ立つね、外は夕暮れ時かな……。ねぇ」
私ははリュックから特殊製のノートを取り出して言った。
「アズサ、私にマッパーやらせてくれないかな。多分これから何かのトラブルがあった時、私は大して力になれないと思うんだ。だから、この役は私が責任持ってやりたいと思う」
マッパーというのはD3Sのスラングかな。正確には『記録係』でD3Sセーバーが受け持つ事になっている。私はスレイヤー技能はあまり取得していない、元より観察調査を主にするつもりでセーバー技能に特化している。
マッパーの責任は……軽くはない。チームの取った行動などを正確に把握し、休憩時間などの予定の音頭を任される。食料などが少ない場合はその把握もマッパーの仕事だ。こういう洞窟探査であれば、マッパーの名前の通り地理を把握する能力も問われる。
アズサは、少し笑いながら食料を小分けしてしまい込んだ。
「自分からやるって言うんだから、それなりに自信はあるんでしょ?私は賛成よ。実を言えば私、マッピングって苦手なのよね」
「あ、俺も。何て言うか、めんどくさくてさ」
ディザーが口を挟んだのにアズサは目を細めた。
「そう言うのは問題外っていうの」
私は、二人のやり取りに笑ってノートを広げた。
「あなたは学習の余地ありね、ユース、ついでにマッピングのやり方彼に教えてあげたら」
「あたしの方法でよければ」
私は防水加工に加え、有る程度の耐熱加工もされているノートに記入するための専用ペンを取り出しながら笑った。
私のノートを……アズサとディザーが覗き込む。こういうの、少し照れるなぁ。
「食料調書、付けておきますね」
「うん、じゃぁよろしく。私はフリースタイルだから他人に見せられるようなノートになってないのよねぇ……こうやって綺麗に記録を付けられる技能、素直に羨ましいわ」
「そんな、」
褒められた、アスザがにっこりと微笑んでいるのに私は恥ずかしくなって……調書を書くに必死になった。
「うわぁ、これ、洞窟までのルートだろ?手書きで写したのか?」
「だって、ノートへの転写装置って高いし……」
ディックから引き出した情報をこのD3Sノートに纏めるに、特殊な転写機があるけれど駆け出しの私には手の届くものじゃない。レンタルやサービスもあるけれど、そういう細かな事を切りつめないと行けなかったから、必要な地図などの情報は自分でノートに書き写したんだ。
「すげーなぁ……成る程、あ、これは?」
「これはね……」
アズサは笑って携帯用鍋を取り出している。
「あ、私も手伝いますか?」
「マッパーは重要な仕事よ、纏めはお願いしておくわ。私は食べれるものを作っておくから」
「食べれるもの、って」
アズサはにっこりと笑顔をこちらに向ける。
「不味いという評価は、貰ったことが無くてよ?」
「ほ、本当かぁ?」
多くはその美しい顔に騙されているのではいのか、というようにディザーは疑っている。私は料理得意ってわけじゃないし、アズサの言葉だけど自分からやると言うからには自信がある野だと思うな。疑うなんて失礼だよディザー。
そのアズサはふと顔を上げた。
「そういえば水がまだ来ないんだけど、クオレったら何してるのかしら……あら?そういえばラーンはどうしたの?」
そう言って辺りを見回す。
一応の魔除けとして石を積み上げ、特殊な塗料で境界線を作ってキャンプを張る作業は終わっている。それをやってくれたのはラーンだ。
「ラーンなら、少し辺りの様子を地図と合わせてくるって言ってました」
「そう、」
何焦ってるのかしらね、と小さくアズサが溜め息を付いた。
私はしょうがないよ、と微かに笑って返す。
「嘘のはずの地図が、本物であるかどうか。ラーンはそれを調べに来た訳だし」
*** *** ***
俺は小さなライトを足下に置き、地底湖の岸に立っていた。
微かに波が立っている、地下に流入してくる水の流れがあるのだろう。
跪いてその水に触れた。ついで匂いを嗅ぐ。
……無臭、水面に顔を近付けて口に含んでみる。
「……軟水……か」
まるで冷たい空気を口に含んだようだ。なんとも奇妙な感じがしたが、思い出すにこの国の水は多く雨水に頼っている都合か、どこの地域でも飲料水はこんな感じだったな。
水面に顔を近付けたまま、僅かに近づいては遠ざかる波の気配を感じる。口に含んでいた水を俺は……ゆっくり舌で味わってから飲み込んだ。
D3Sとして世界各地を旅しているのだから、生水を飲むなど危険な行為である事は重々承知している。それでも、水を口に含まなければ死ぬかもしれない、D3Sをやっているとそういう極限の状態に置かれることもしばしば有るのだ。
外部からの人間には、地域特有の水と馴染めず、毒になる事もある。
この国の水は極めて安全だ。知識と、経験として俺はそれをよく知っている。
仕事の関係、まともな水を確保出来ないジャングル等の僻地にも行き慣れているから、猶更比較してその安全性が分かっている。自信過剰になるのは良くないだろうが……これで、体は丈夫な方と心得ていた。その分この国に向けの清潔さ、とやらを保っては居ないかもしれないが。
久しぶりに入国するに、あれこれと保菌チェックをさせられたものだ。
検査に時間が掛かりすぎて危うく入国許可が下りない所だったが、そこは強引に、知り合いのサーバーに手を回して貰って何とかした。
それで少し、脅迫紛いな事をやったな。
俺は、揺れる水面に自分の顔が写っているのを見て、ソイツに向けて意地悪く笑い掛けてやった。
この国は、少し過剰気味と思える程に何もかもが美しく清潔に保たれている。それが、当たり前という『文化』のようだ。
美しさが溢れているからこそ、紛れ込む醜さもまた際立つ。
人の手も入らぬ未開の地や、病蔓延る紛争地域、人の嫌がる所も構わず、仕事の為ならば何処にだって足を踏み入れるに迷いはない。
そうやって築いた…信頼と実績。
俺は汚れている。
決して綺麗ではない。清潔ではありえない。
ジャンルグで謎の高熱でぶっ倒れた事も数え切れない程あるし、虫下しの薬も手放せない。
俺は……きっとこの国では目立つ存在なのだろう。
もう一度呼吸をするように僅かに水位が上下する湖水に顔を近づける。
……この美しい地底湖も俺によって穢れるんだ。
取り留めもない妄想を追い払うように、俺はそのまま水の中に顔を突っ込んだ。
冷たい水が興奮した頭の中を一瞬凍らせるような錯覚を感じている。顔を上げて水を拭う。今一度、冷静になって俺は地底湖を見た。
冷や水を浴びても解けない、幻想。
「夢、じゃないのか……」
これは、なんて。なんて世界だ。
今に始まった事ではない。竜動に狂い始めた世界は、着実に動じないと強く地に足を着けているはずの俺をも狂わせ始めている。そんな気がした。
こんな洞窟がこの国に、存在するはずがない。
なのに今、確実に目の前にあって触れる事が出来る、この巨大な地底湖は何なのだ?
目を閉じて滴る水に微かに、風を感じて目を開けた。
俺が察したのは風ではなく、音を極力排除したような微かな、足音。
「おかしいですね」
不意に声が掛かって振り向いてやった。
「どうして湖に波が立っているんでしょう」
ラーンだ、明らかに気配を消して近づいてきたが、その割に無遠慮に声を掛けて来た。……奴の意図は今だ、上手く掴めていない。
振り返るに、奴は地図とトーチライトを持っている。
思ったより遠くに居たが、暗闇の中で、お互いの場所を知るのは簡単な事だ。
「……風があるな、微かな空気の流れがある」
俺はようやく湖に来た目的を思い出して、幾つかの水筒に水を汲みながら答えた。
「風……ですか。いくらこの洞窟が広いとはいえ地下に風が吹くというのも奇妙な気もしますが。そう言えば、この地域の洞窟は風穴が多いのでしたっけ」
「この洞窟は富士山麓にある洞窟類より明らかに歴史が古い様だ。富士は活火山だが、割と早い周期で噴火を繰り返している。恐らく12世紀以上前にあった噴火によって溶岩流の下に沈んだ古い地層の洞窟……そう考えるより他に無い」
俺の言葉にラーンは成る程、という風に大げさに首を縦に振っている。
生物学者と名乗っていたな……地層学は専門外か。
学者と名乗る連中は自分の興味のある範囲の事しか把握したがらない。畑が違えば、どうでもいい事といい加減な知識で済ませてしまう事があるものだ。
「そうですねぇ、この洞窟地図についてもそのように書いてありました。この辺りの洞窟は色々と伝説もあるようですね。水の溜まらない地獄穴があるとか、それが海まで続いているとか」
「一部は本当のようだぞ。この洞窟も、水が流れ込むだけならとっくの昔に満水になっているはずだ。このあたりの地質だともっと地下へと潜り込んでいてもおかしくはない」
「そして海まで、ですか」
ラーンは話しながらこちらに近づいてきて……勝手に小さめの水筒を手に取っている。だが、水汲みを手伝いに来た……そんな雰囲気ではないな。
この男は確実に、俺が何者なのか察していてそれでいて、何をするつもりなのか探りを入れたいのだろう。
「何の用だ?」
「少し、地図と照らし合わせてみようかと思いまして。あまり個人で動き回るのは良くないでしょう、」
そうと分っているなら大人しくキャンプに居ればいい。
いや、この男も必死に押さえ込んでいるだけで内心、現場に興奮しているのかもしれない。
龍へと続く道、それが……ここにあるかもしれない、と。
元々空想の産物である龍を探す、空を掴むような調査に何かしらの進展が望めるかもしれないのだ。
「地図は……正確なようです。地形はあっていますね」
それもまた奇妙な話だ。俺はそのまま飲んでも問題ないだろう、綺麗な水を汲み終えてランプを腰に結わえ、両手に持って立上がる。
「ですが、この地図に地底湖の記述はどこにも見当たらないのですよね」
「まさか」
「戻って皆さんと確認しましょう。とにかく、その件で少しこれからの方向を定める必要があります。……貴方は、夢見ずにいられますか?」
ラスハルト、と……この男は何故か、恐らくわざと俺の、セカンドネームを呼ぶ。
それを少し忌々しく思い、僅かな光の中ラーンを振り返ると奴は穏やかな地底湖の岸を見つめていた。砕けた白い砂岩の岸辺に、透明な波が僅かに打寄せる様に見とれているようだ。
「これはひょっとすると、ひょっとするんです」
「ああ……そうだな」
俺はぞんざいに答えてやった。
この胸に抱く、俺の望み。
容易く人に語ってやるつもりはない。話さずともこの男は俺が、何を目論んでいるのか分っているのかも知れなかった。
逆に、俺はこいつの望みを知らないな。……探りを入れておくか。
「予言された『龍の最後』はここにある……と?そう思うか」
少し自嘲気味に俺は問いかけてみる。
「そうですね」
ラーンは迷うことなく俺の言葉を肯定してみせた。
「龍を、夢見る事は悪い事ではないと思いますよ」
そう言ってこちらを振り返り、笑う。
俺はそれに、敵愾心を返したいという秘めなければならない感情を煽られ、目を背けてしまっていた。
「私たちは『それ』を探しに来たんでしょう?隠しようもありません」
「さあ、どうだかな」
何処か逃げるように答えてしまった。ようやく冷静になりラーンを振り返る。奴もどこか冗談を言ったように微笑み返して来た。
「では、戻りましょうか」
器用にも片手で地図を折りたたみ、ポケットにねじ込みながらラーンにそのように促され俺は、小さく頷いた。
地底湖に背を向ける。
少し考え事をしていた、水を汲むにここまで来る必要はなかったのだろうがつい、地底湖の岸まで来てしまったのだ。
昔は水が流れていただろう道が出来ていて、それを辿って行ったら苦もなく、ここに到達出来たという事もある。
アズサ達三人が待っているだろう。何処に行っていたのか、恐らくその様に問いただされるに……素直に答える事にしよう。
それでまた何か小言を言われるかもしれないが構うものか。
「ところでインテラール、」
俺が辿ってきた道を、奴も分っているようで先に歩いている。
少し勾配のある石灰石の上をスパイクのついた靴で先んじていたラーンは俺の呼びかけに足を止め、振り返った。
「なぜ俺の事をセカンドネームで呼ぶんだ?」
何と言うことはないが……仕返しに奴のセカンドネームで呼んでやった。別段、ラーンはそれが嬉しい訳でも嫌な訳でも無さそうだ。
振り返っていつもの、嘘くさい笑みを浮かべて軽薄な事を言う。
「ああ、それは単にセカンドネームの方が私好みだから、それだけです」
「……」
おかしな男だ。
俺は、奴に分るように眉を顰めて見せてやった。
「嫌ですか?」
分っている癖に、お前はそんな事を俺に一々聞くのか?最も、言わされるのも嫌で目を伏せ、頭を軽く横に振って返してやる。
「……名前なんてどうでもいいが」
「そうかもしれませんね」
分っている、この男は俺の事を分っていないはずがない。
素っ気なくラーンは俺に背を向け、歩き出した。
どうでもいい。全て、どうでも良い事だ。
よく考えれば、俺が何者であるのかを恐らく分っていないだろうユーステルやディザーに向けて暴露してみたり、あるいは俺が秘めている事を見抜いて足下を見て、何か脅迫めいた事をしている訳でもない。
俺がクオレ・ラスハルトである事把握した上で奴は……俺を、俺として見て接してくれているのかもしれない。
奴は俺を焦らしているのではない。
俺が勝手に……焦れているだけ、か。
先が思いやられるな。
ラーンに気付かれないようにため息を漏らす。
出来れば、この探索は一人がよかった。仲間は……不要だったろう。俺は一人で行く、そう言いたかったがその言葉は封じられてしまった。
仕方ないとは思わない、結果に不満はない。……正直迷っては居たのだ。
一人の方が都合はよいのだが、D3Sとしてはあの状況、チームを組むのが正道。
俺は邪道を行こうと覚悟してここに来たが、今まで積み重ねてきたD3Sとしての経験と実績、そして割と自分勝手と把握している倫理感が、邪道を行けと叫ぶ感情を抑え込んでしまっていた。
何より、駆け出しでいきなりこんな所の個人探索をやらかしたディザーと、何やら……俺と同じで訳ありの気配がするユーステルを放っておく訳にはいかない。
3Sランカー、D3Sとして……だ。
そんなもの、捨ててしまえ。
そう思っているがこれは、そう簡単に捨てる事は出来ないんだ。
捨てたと思っていてもそう簡単に俺から剥がれるものじゃない。
それだけは身にしみて、分っている事。
俺は3Sランカーとして他D3S隊員の面倒を見なければ行けない、そういう業を背負っている。
その宿命から逃げたり出来ない、だからこそ俺は3Sランカーなのだろう?
そうなってしまった事実を手放さず、俺は自分が背負い込んだ荷物を持つ。俺は、俺として、この胸に深く埋めたどす黒い感情を『奴』に向けなければ行けない。
復讐を企むは『俺』だ。
それなのに『俺』を捨てて復讐に走っては意味がない。
ああそうか、ラーンはそれを知りたかったのか?
だから都度俺にだけ分るような挑戦的な事を言うのか。
ラスハルト、俺の名だ。
そこに迷いはない。
水の流れる音だけがこだまする。
*** *** ***
「なんか味付けが独特だけど、うん、けっこういける、」
アズサの作った雑炊を真っ先に口に運び、ディザーは暫く奇妙な顔をしていたけれど……口のものを飲み込む頃には満面の笑みに変わっていた。
「なんだ?面白い味だな、これ」
「美味しいなら素直に美味しいとお言い」
嬉しそうにアズサはディザーの、帯の巻かれた額を小突く。
結構強く弾かれたのか、ディザーが巫山戯ているのか大げさに頭をかしげ、額を抑えながら苦笑い。
「美味いですお姉様」
別にディザーを毒味にしたわけではないけれど、私も続いて恐る恐ると雑炊を口に運ぶ。
私には、少しだけ馴染みのある味だった。
「これ、日本食だね。アズサ、おミソ持って来たんだ」
「よく分ったわねユース、味噌はヘルシーで美容にもいいのよ、塩胡椒ばかりじゃ飽きるじゃない。あ、醤油もあるから」
「ふむ……だが、コーヒーは合わんな、だから東アジア人は茶を飲むのか」
クオレも慎重に味を確認しながら一人呟いている。
「あら、日本食初めてなの?」
「そうではないが、仕事のキャンプで振る舞われたのは初めてだ。多国籍になるからなかなか地域や文化の色というのは出すに、両刃な事があるだろう」
味噌を全国の誰もが美味しいと受け入れてくれる訳ではない、って事だね。
「そうね、そうかも。私は自国での仕事が多いし気心知れた連中とチームを組む事が多いから……」
「いや、悪いとは言っていない。美味い」
クオレがやや慌てたように弁解したのに、そんなのあんた達の顔を見ていれば分るわよとアズサは、嬉しそうに笑った。
「米食は賛同です、本職の都合偏食気味になる都合健康には気を使っていましてね。まさかこんな探索の地でこれ程贅沢出来るとは思いませんでした」
乾燥野菜と卵粉末を混ぜ込んだ雑炊、なんでだろう、本当に美味しい。
味噌が入るだけでこんなに美味しく成るものだろうか?何か特別な一味が加わってるのかもしれない、後でレシピを聞いてみよう。教えてくれるかな?
「味付けとかには自信ある、料理は得意よ。実際キッチンに立って料理なんて殆どしないんだけどね」
「それ分かるな、普通に町に住んでる分ならコンビニで用足りるもんな」
「普通に生活してるなら毎日外食だし。自分で作る事ってないのよね」
「アズサ、モテそうだもんなぁ」
ディザーの言葉に、アズサは笑って垂れかかっていた髪をかき上げてにっこりと笑う。
「そ、ろくでもない男共がわんさか群がってくるわよ」
「……嫌なの、かな?」
アズサの口調から、どこか付き合いを面倒くさがっている気配を感じて私はつい、聞いてしまっていた。
「奢ってくれる分にはいいけど、下心のある連中も多くて困るわ。勘違い君も寄ってくるし、やっぱり一人心に決めた人を作っておかないと面倒でダメね」
そう言ってアズサ、ややわざとらしくクオレを見た。
視線を送られた事を察したようにクオレもまた、わざとらしく視線を逸らす。
「お、何、アズサ姉さんは年上がいいわけ?」
「あらあらディザー君、私の好みを聞きたいの?」
「ディザー君も年上が好きなんですかね?」
ラーンの問いにディザーは慌てて少し咽せた。
「ちょ、何を言い出しますか!」
「いやね、私の専攻している部門的にこういうのは結構重要なんですよ」
ラーンがちょっと怪しい微笑みを浮かべて細長い眼鏡のブリッジを押し上げている。
「重要って、あんた何の学者なんだ?」
「生物学者です」
言いましたよ、ディザー君は記憶力に難ありですね、とか言われている。
図星なのかな、ディザーは口をへの字に曲げちゃった。
でも生物とは言っても……色々あるよね。 ラーンは一体生物学のどの辺りを研究しているのだろう?
「減るもんじゃないし、じゃぁ私の好みを教えてあげるわ。その代りあんたの専攻も話しなさいよ」
アズサも気にしてたんだね。ラーンは心外だ、というようにやや大げさに肩をすくめて見せた。
「別に秘密にしている訳ではありませんが、ちょっと理解と共感を得がたい部門かもしれません」
「ふぅん、まあいいわ。私はね、強いヒトが好き」
アズサとラーンが同時に、視線だけでクオレを見たのを私は見た。
……二人から見て明らかに、クオレは強い人、なのかな?
視線を受けてクオレは呆れた声を出す。
「お前らは……何の話をしている」
「何って、人の選り好みの話ですよ。興味はおありでない?」
「無いな」
素っ気なく、クオレは答えてそっぽ向いてしまった。
私は興味あるよ、でも……好みのタイプなんて、アズサみたいに堂々とは言えないし、言いたくないなぁ。なんだか恥ずかしいもの。
こっちに話の矛先が向かなければいいなと思って、私は口を挟むのを自主的に止めていた。
「私よりランクの低いD3Sなんててんでお話にならないわねって、それで多くの男性のプロポーズは蹴ってきたかもしれない」
「それはお強い……しかし男性もねぇ、そういう強い女性が好きなんですよ」
「らしいわね」
心当たりでもあるらしい、アズサはやや苦笑いでラーンに答えている。
「貴方はこういう事には無頓着と思ったけれど……それで、一体何を研究しているの?」
「私は、分りやすく言えば生物の繁殖について研究しています」
「繁殖、ね。ああ、だから男女の恋愛観の把握も重要って事?」
そんなに分りにくい学問かしら?とアズサは首をかしげている。
「まぁ、そう言った所です」
ラーンもまた、なんだか少し歯にものが引っかかったような言い方をするのね。私は、気になってしまったので聞いちゃおう。
「分りやすく言わないとすると、専攻は何なの?」
私の問いに、ラーンは軽く苦笑いを投げて……答えてくれた。
「性行為の多様性について、ですが」
「……」
アスザとディザーの表情が変わった。
「何ですって?」
「だから言ったじゃないですか、理解と共感は得にくい専攻だって」
「……多様性?それにどうして人の恋愛観が必要なのよ」
「必要でしょう?正確に言えば私は繁殖に至る前のプロセスについての研究ですが、あくまで生産的なスケールの多様性を研究しているんです。言っておきますが、人間は一研究科目に過ぎません。時に対比によって研究というものは前に進むのです、その為に人間のケースも把握しておく事は重要という事ですよ」
「その繁殖の多様性についての研究者が、なんでまたD3S許可なんか取ってフィールドワークに出かけてる訳?」
「必要でしょう、私の専攻範囲は生物の枠を超える事もある。魔物も研究対象になりうるのです。少々、魔種への研究に傾いてきているのが現状ですかね」
生物学的な見知からして、魔種は一般理論を超えた繁殖を行っている事も少なくない。
魔物管理を行うディックとしては私のような学者をセーバーに迎える事は有益なんですよ。
ラーンはそう言って苦笑する。
「これで、私の目的は……知れたでしょう?」
「……そうね」
アズサはそっとクオレに目配せした。私はこっそりクオレを伺うと、彼はさっきからずっとそっぽを向いているようだった。
「でも私の目的は言わないわよ」
アズサは挑戦的に笑って雑炊をすすり上げる。
「おや、残念。お聞きしていれば何かお手伝い出来る事も有るかと思いましたが」
「とりあえずこの場の全員、目的が一緒なのは確かでしょ」
お互い、それと口に出しては居なくとも分っている。
私達の目的は……この探索の果てに何を求めているのか。
龍だ、龍の実在を問いかけている。その答えに繋がる何かを探している。
「ディックとしては探査にゴーサイン出したけど、実際には『存在しない』がD3Sの常識よ?あたしの国に取らぬ狸の皮算用って言葉があるわ、目的を語るのは狸を捕えてからでいいじゃない」
「……なんだって?今の、もう一度言ってくれ」
ディザーから言われ、アズサは『不実を元にそろばんを弾くな』という意味を繰返した。
「ああ……卵が還る前から雛を数えるな……か」
「俺の所では牛乳売りの少女が震えて牛乳を零す、だが」
忘れそうになるけれど私達、それぞれに違う言語を話しているのよね。
その事をすっかり忘れれてしまう程、スムーズな意思疎通が出来る。
これはD3Sが優先して受ける事が出きるサービスの一つ。D3S許可証には、取得したランクによってディック専属の魔導師が魔法を付加してくれるんだ。二級以上から貰える付加魔法は『意思伝達』で、お陰で言語が異なっていても普段通り、話をするだけで相手に言葉が通じる。
ただしそれは、相手が同じ二級以上のD3Sに限る訳だけども。
現代で使われている魔法の解析数や流通量はさほど多くはない。
その中で、『意思疎通』は恐らくもっともフォーミュラが解かれて魔導式が洗練されている魔法かもしれない。
すでに専属魔導師を必要とせず、魔力さえ確保出来れば誰でも発動させる事が出来る一般フォーミュラの一つ。もっとも、魔力の流通自体は一般的ではないからやっぱり、魔法そのものは希少に違いはないのだけれども。
魔力、と呼ばれるものは生命体、あるいは無機物にも備わっているもので備わった値は一切変化しない。人間は元々魔力が低いらしく一般的には殆どそれを認識できないそうだ。
潜在する魔力は遺伝によって上下して、初期値が異なると言われている。
ディックが管理している魔物は……時に、高レベルな魔力を有している事がある。魔物の駆逐権限をディックが全て持っているという事は、自動的にディックが世界に流通する魔力の管理を行っている事も意味している。
実際そうなんだ、魔力は殆ど魔物と同じ扱いを受けていてディックの管理下にある。だからこそ、魔法は一般流通は少なく、魔物を相手にするD3Sにだけ所持と使用が許されている様な所がある。魔法の存在や、フォーミュラと呼ばれる基礎解析方程式は稀に流通してしまうけれど、基本的には社会的に隠されて取り扱われて来た歴史があるみたいだ。
D3Sになるにあたり学ぶ、魔種歴史学で私はそのように教えられている。
それも、魔物が時に町にも現れるようにあった現代、ううん。本来魔物や動物が住むべき場所に進出した人類が、かな。
とにかく、長らく接触する機会が少なかった魔物達は、住処を追われ人の住む地域にも平気で紛れ込むようになってきた。
ずっと影に隠れていた存在が露になり、それと同時に魔法の存在も、オカルトと片付けられることなく実在する事が当然と罷り通りつつある。
それは割と……近年の事。
ディックの設立だってまだ1世紀立っていない。
魔物と魔法の情報や、そのものについての一般流通は始まったばかり。
やや秘密主義的に固く独自路線を守ってきたディックが今、竜動によって大きく揺れている。
魔法の違法流通も21世紀、竜動が始まってから顕著になりはじめたと言えるのかもしれない。
食事を終えて、私達はそのまま休息を取る事になった。
洞窟の中、太陽は見えない。時間的にはとっくに太陽は沈んでいる。
今後の作戦会議も明日にしようと言う事になり、たわいもない会話をしながら私達は寝袋を用意して横になった。
火は炭となり、赤く灼熱して時折はぜている。
その音以外は何もない……いや、雨とは違う、微かな水の音があった。
「魔物も動物も、虫すらいないんだな」
不意に、ディザーが呟いた言葉が私の耳に届く。
それに答える言葉はなかった、お互い……もう寝ている『つもり』なのかもしれない。
寝られるのかな、この状況。
疲れているのに頭の中が熱い芯を持っているように疼く。
考えなければならない事が沢山あって、ありすぎて何を考えて良いのか分らない。
それは私達、みんな同じ状況なのかもしれないな、と思った。
何もいない。
ディザーの呟きに私も、確かにそれはおかしいかもしれないと、ようやく何を考えるべきなのか手掛かりを得る。
この洞窟に入って、遭遇したのは特に害のない蝙蝠の群れと青いユニスライムの群れだけ。常に足下に水があった事や、視界が良くない事もあって他に生物らしいものを見つけられずにいる。植物は……コケ類の繁殖は見たかな。暗かったからあまり確認してない。
魔除けは張ったけれど、それが効力を発揮するのはこちらを意図的に察知して近づいてこようとする生物に限られる。
実は、蚊とかにも有る程度有効らしい。
これも魔力を使った魔法道具、一般には流通していないものだ。
D3Sが持っているとしても高価だから……私には手が出せない装備の一つ。ラーンってお金持ちなのかもね、魔法装備が多いんだもの。
魔除けがあるから虫もいないのかな?
乾燥した石畳みに寝袋を敷いて寝ているけど、今更ながら疑問が浮かぶ。
この地下洞窟には、いるべき生物の気配が感じられない……?
飛ぶコウモリもいない。
モンスターも潜んでいない、襲ってこない。
乾いた木の枝、無機質な水……。
何かがおかしい?
寝袋から出している顔に、頬に……風を感じる。
水が、動いているんだ。
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◇◇◇
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(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
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