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17. 私が「繁殖活動を行う部屋」に再び向かう途中で固めた決意

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「えっ、観覧中止?!」

 今日は動物園デート。
 手はいつものように恋人繋ぎ。
 驚く私の代わりに、彼は観覧中止の張り紙の内容を確認してくれた。

「『繁殖に向けた同居のため』だって。繁殖期の間、雄と雌の番で別室で同居するみたいだよ。その間は、妊娠が確認できるまで観覧できないんだって」

「そっかー、妊娠するまで会えないんだね。……残念」

 夢の中の私は、彼と一緒に次の動物を見るため歩き出す。
 ああ、懐かしい夢だ、と私は思った。

 すると、彼が口を開いた。

「……ねぇ、葵。あのゲームに出てきた『◯◯しないと出られない部屋』って覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。あの、人間になれるドラゴンのゲームに出てくる部屋だよね?」

「そうそう」

 以前、彼と一緒にプレイしたゲーム。
 ミニゲームを行う部屋が沢山あって、『クイズに全問正解しないと出られない部屋』『パズルを完成させないと出られない部屋』など、それぞれのクリア条件が部屋の名前になっていた。

 私はプレイした時のことを思い出して言った。

「あのクイズの部屋、なかなか出られなくて大変だったよね」

「うん、あれは大変だったね」

 二人でクスクスと笑い合う。
 そして、彼は続けた。

「……でさ、さっき、『繁殖期の間、妊娠するまで別室で同居する』って書いてあったけど、……『繁殖期の間、妊娠しないと出られない部屋』みたいじゃない?」

「確かに!」

 二人でまたクスクスと笑い合った後、私は口を開いた。

「でも、『妊娠しないと出られない』なんて、もし人間だったら大変だね。人間には繁殖期がないから『妊娠しないと』本当に出られないんだもん」

「そうだね。……葵はさ、突然そんな部屋に入れられたらどうする?」

「……うーん」

 私は少し考えてから、答えた。

「私、悠くんとだったら、むしろ入りたいかも!」

「えっ?!」

 彼は真っ赤になって驚いた。

「だってさ、動物園なら三食昼寝付きで、多分おやつも出るよね。手厚くお世話してもらって、悠くんと一緒にのんびり過ごせるなら、全然いいなぁ」

 すると彼は少し驚いた後、クスクスと笑い出した。

「ちょっと!悠くん?!」

「ごめんごめん、葵らしいなって思って」

「悠くんは?」

「え?」

「悠くんは、突然、私と『妊娠しないと出られない部屋』に入れられたらどうする?」

 ……そうそう。この後、彼は耳まで真っ赤になって、小さな声で「僕も、葵となら、いいかも」って言ってくれたんだよね。
 私の胸に、懐かしさが込み上げる。

 でも、夢の中の彼は、なぜか記憶とは違って、立ち止まった。
 そして、私の方に向き直る。

「僕は……」

 背景が動物園から研究所の、二人で過ごしたあの部屋に切り替わる。
 彼の姿に、今世最愛の人の姿が重なる。

 赤髪の短髪無造作ヘア。尖った耳。筋肉質の体。美しい金色の瞳が、銀髪の私を映し出す。

「俺は」

 その薄い唇から発されるのは、甘い重低音ボイス。

「アイデシアと一緒にいられるなら、どこだって構わない」


 ***


 私はベッドから飛び起きた。

 荒くなった呼吸を整える。

 この期に及んで、こんな夢を見るなんて……!
 未練がましい自分に嫌気が差す。


 ーーー「『妊娠しないと出られない部屋』みたいじゃない?」

 夢の中の、元カレの言葉が再生される。
 そうだ。きっと、この時の話が頭の片隅にあったから、あの部屋のことを『妊娠しないと出られない部屋』だと思い込んじゃったんだよね。
 結果、『妊娠』も『出られない』も勘違いだったなんて。
 バカだなぁ、私。


 ーーー「アイデシアと一緒にいられるなら、どこだって構わない」

 夢の中の、ユークリッド様の言葉が再生される。
 思わず両手で顔を覆うと、私の頬は涙で濡れていた。
 本当に、バカだなぁ、私。


 ◇


 ーーー私がユークリッド様の記憶を消してから一ヶ月。
 私の心と体はすっかり弱ってしまっていた。

 職員たちは、ユークリッド様を連れ戻そうと、私の説得を試みたり、尋ねドラゴンのポスターやチラシを作成しようとしてくれた。
 でも、私はその度に「やめてほしい」と、泣いてお願いしてしまった。
 ドラゴンの繁殖について研究を進めたい職員に、私情を絡めた我儘を言ってしまい、大変申し訳ないことをしてしまったと思う。

 だから先日、職員たちから、私の繁殖相手の雄ドラゴンを募集すると聞いた時は、頷くしかなかった。

 もちろんユークリッド様以外の雄ドラゴンと繁殖活動をするだなんて、考えただけでも心が切り裂かれるように苦しい。

 でも、職員たちが私の繁殖相手として連れて来てくれたユークリッド様を、私が勝手に解放してしまったのだ。
 職員が他の雄ドラゴンを探してでも、研究のために私の繁殖活動を望むのは当然だろう。

 他の雄ドラゴンと繁殖活動をするのは苦しいけれど。
 繁殖に成功すれば、研究の役に立つことが出来る。
 今後、職員たちがユークリッド様を連れ戻そうとすることはきっとなくなる。
 そうすれば、私はユークリッド様の自由を守れるのだ。

 ユークリッド様の自由を守れるのなら、私の苦しみなんて、取るに足りないことのように思えた。


 ◇


 私はベッドから立ち上がる。

 頭がクラクラする。
 ーーーああ、これは。

 前世最期の日と同じだ。

 職員から『番の後追い死』について聞いてからずっと考えていた。
 前世の私の死因は、元カレを失ったことによる『番の後追い死』のような状態だったんじゃないか、と。

 前世でも、生涯唯一の番を持つ文鳥は、『番の後追い死』をすると聞いたことがあったけど、今まで自分の死因に当てはめたことはなかった。

 元カレは死んでいないし、元カレにとって私は唯一の番ではないから、『番』でも『後追い死』でもないのだけれど。
 唯一の番を持つ生き物が『後追い死』をする理由が、『番を亡くした喪失感』だったとしたら。
 私は、一方的に元カレを唯一の番だと認識して、その番が私の元を去ったことで、『番を失くした喪失感』で死んでしまったんじゃないか、と思った。

 確か、前世で私が死んだのは、元カレにフラれてからちょうど一ヶ月が経った日だった。

 今日は、私がユークリッド様の記憶を消してからちょうど一ヶ月。

 私、今世もユークリッド様を失ったことによる『番を失くした喪失感』で、前世と同じように死に向かっているのかもしれない。

 ーーーねぇ、私、また同じことを繰り返すの?


 ◇


「アイデシア!!大変だ!!募集していた繁殖相手が決まったんだ!!」

 職員の声で思考が中断される。
 私が暮らすワンルームの自室に職員が駆け込んできた。

「ああ、あの話、決まったのですね」

「もうね、繁殖相手の雄ドラゴンが来てるんだ!!申し訳ないけれど、今すぐに!あの3LDKの部屋に移動してもらえるかな?!」

「……え」

 ユークリッド様の記憶を消したあの日から、私は一人であの3LDKの部屋にいるのが辛くて、以前暮らしていたワンルームの部屋に戻してもらっていた。

 だけど、ユークリッド様と過ごした、あの部屋に今から行かなければならない。
 しかも、別の雄ドラゴンと繁殖活動を行うために。

 心臓がドクンと嫌な音を立てる。

「急な話で本当に申し訳ないと思ってる!だけどアイデシア、お願いだ!ボクたちの命を助けると思って!いや、研究所の危機を救うと思って!どうか、あの部屋に行ってもらえないだろうか?!」

「え?……ええ、もちろん構いませんよ」

 職員たちの命?研究所の危機?どういうことだろう?
 職員の鬼気迫る様子に少し疑問を感じたが、私は自室のワンルームを後にした。

 だけど、私の頭の中は不安でいっぱいだった。

 私はあのユークリッド様との思い出が溢れる部屋で、心がユークリッド様にある状態で、他の雄ドラゴンと繁殖活動なんてできるのだろうか?


 ◇


 あの部屋へ向かう廊下を歩く。

 頭がクラクラする。

 今世の私も死に向かっている。
 タイムリミットは近い。なんとなくわかる。

 頭がクラクラする。

 私の頭の中には、元カレとプレイしたゲームの映像が流れる。
 どこまでも続く大空を翔ける、赤いドラゴン。

 私の愛しいあの人は、きっと今も自由気ままに大空を舞っている。

 ーーーねぇ、私、このまま死んでしまっていいの?
 こんなに大好きな人と、もう二度と会えなくていいの?

 ーーー嫌だ。
 会いたい。会いたい。会いたい。

 ……でも、今の私のままじゃ、ダメだ。

 一人で外で生きられない、空も飛べない、あの人の自由を奪ってしまう私じゃ、ダメだ。

『後追い死』しちゃうような弱い私じゃダメだ。

 後追い死……。後追い……?

 ……そういえば、『後追い』って『死』以外にも、使うんじゃなかった?

 ーーーそうだ!後を追おう。ユークリッド様の!

 だって私には、ユークリッド様の記憶がある。
 あの部屋で二人で過ごした愛おしい大切な記憶が。

 私が、ユークリッド様に会いに行けばいいんだ!

 あの部屋に今いる雄ドラゴンと繁殖活動をして、卵を産んで、研究に協力して。
 研究所で子育てをしながら、子供と一緒に自立の準備をするの。

 まずは飛ぶ練習をして。
 外で生きる力を付けて。

 そして、子供が巣立ったら、研究所を出て、私も一人で旅に出るんだ。

 どこまでも続く大空を舞って、ユークリッド様に会いにいくの。

 ずっと研究所で育った私が一人旅だなんて、きっと最初はうまくいかないよね。
 でも、ユークリッド様みたいに、私もたくさんの経験をして、少しずつ、成長していくの。

 そうして自立した私が、ユークリッド様に会えたら。
 そんな奇跡みたいなことが起きたら。

 私、言いたい。

 本当の気持ち。
 悠くんに言えなかったこと。

 ユークリッド様に言いたい。
 今度こそ。

「私、あなたのこと、絶対に離したくありません」って。

 もしかしたら、ユークリッド様の隣にはスレンダー美女がいるかもしれないけど。
 ……うん。それは、その時考えよう。

 でも、その頃には、私も少しは痩せているかも。
 だって外に出て、たくさん飛ぶんだもん。
 美女になるのは難しいけど、スレンダーになったら、きっと私にだってチャンスはあるよね?

 ふふっ。

 ーーーそこまで考えた時、私の心と体が軽くなっていることに気付いた。

 大丈夫。私はもう『後追い死』なんてしない。

 私は、ユークリッド様の後を追って、旅に出る。
 そのために、今日から繁殖活動を行うのだ。

 私は覚悟を決め、二人で過ごしたあの部屋のドアノブに手をかけた。

 その瞬間。

 中からドアが開かれた。

「アイデシア!!!」

 そこにいたのは、私の最愛の人だった。


 ◇


 ずっと恋焦がれていた声が、笑顔が、匂いが、温もりが私を包み込む。

 ユークリッド様が、私を抱き締めている。

 ユークリッド様は私を抱き締めながら部屋の中に引き入れ、玄関のドアを閉めた。

 何が起こったのかわからず、私の頭の中は大混乱だった。

「ユークリッド様……?」

 ああ。久しぶりのユークリッド様の温もりだ。
 二度と感じることなんてできないと思っていたもの。

「アイデシア……会いたかった」

 その瞬間、やっと私は状況に思考が追いついた。
 記憶を消したはずのユークリッド様が私の名前を呼ぶ。
 その意味は。

「ユークリッド様……まさか、記憶が」

「ああ、戻った。

 どうしよう。
 私、まだ全然自立していない。
 空も飛べないし、外で生きる力もない。
 ユークリッド様の自由を奪う存在でしかない。

「ユークリッド様……、私……、また……ユークリッド様の自由を奪って」

「いいや、アイデシア。違うんだ。誤解させてしまった俺が……が悪かったんだ」

 その瞬間、ユークリッド様の一人称が、口調が、声が、変わった。
 それは、ずっとずっと遠い昔、聞き慣れたもの。

 私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 ……初めて出会った時は、そうなんじゃないかと思った。
 でも、その期待は裏切られ、私は別人と認識した。

 でも、……でも。

 その薄い唇が、決定的な一言を発した。

「葵」

 その瞬間、動物園で迎えた前世最期の日に、私の意識が引っ張られていくのを感じた。
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