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第四章 後輩ちゃんの再起と同期さんの自覚

15. 約束 side. 楓

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 ぼんやりとした映像が、だんだんと輪郭を持っていく。
 ここは、いつも葵先輩とランチするカフェだ。

 私の目の前には、いつものように微笑んでいる葵先輩がいる。

「葵先輩と悠斗さんは、ケンカしたりしますか?」

「悠くんとケンカ、かぁ」

 私の質問に、葵先輩が首を傾げ、考える素振りを見せる。
 その姿を見て、首を傾げる葵先輩も可愛いなぁ、なんてほんわかした気持ちになった。

「うーん、そうだなぁ、滅多にないけど……」

 葵先輩は少し考えた後、口を開いた。

「一方的に怒って、拗ねちゃったことはあるよ」

「葵先輩が、ですか?! ……意外です」

「ふふっ、そうかな?」

「はい! ……でも、何で怒っちゃったんですか?」

「それがね……『葵はアザラシっぽい』って言われて」

「アザラシ、ですか?」

「うん。私、昔から自分の体型がコンプレックスで、デートで動物園に行った時、キリンを見てて、スレンダーで羨ましいなぁって思ったの。でも思ってただけじゃなくて、口からも出てたみたいで」

 確かに、葵先輩はたびたびそういうことがある。
 話しかけられたと思ったら、葵先輩は意図せず口にしてた……ということが。

「そうしたら悠くんに、『葵はアザラシっぽいよね』って言われて。暗に私の体型のこと、揶揄われたんだと思って。つい怒っちゃった」

 拗ねた顔をする葵先輩も可愛い。
 ……きっと悠斗さんも、私と同じなんだろうなと思って、私は言った。

「悠斗さん、たぶん葵先輩もアザラシも可愛いと思って、そう言ったんだと思いますよ?」

「え?」

 葵先輩が驚く。

「でも、悠くん、背が高くてすごく細くて、私みたいな体型の彼女でいいのかなぁっていつも心配で。だから私、楓ちゃんみたいに背が高くて、スラッとした体型だったらなぁって思ってて」

「えええええっ!!!」

 そんな……ふわふわ癒やし系の葵先輩が、私みたいな体型になっちゃったら、……私、泣くかもしれない。
 悠斗さんも泣いちゃうのでは?!

 だって、私のこの体型は一応見栄にはなるらしいけど、実際はめちゃくちゃ男ウケが悪いことを私は知っている。

「たぶん、悠斗さん、今の葵先輩の体型が本気で好きだと思いますよ?」

 私がそう言うと、葵先輩は瞳を瞬かせた。
 そして、少し困ったような微笑みを浮かべて、言う。

「そうかな……。楓ちゃん、励ましてくれて」

 ありがとう、と言ったはずの葵先輩の言葉は続かず、場面が切り変わる。

 ここは。

 ーーーあの会議室だった。

 葵先輩が、私のスマホを手にして、青ざめていく。

 画面に表示されているのは、悠斗さんの名前とアイコン、『僕も会いたい』というメッセージ。

 大粒の涙を流し、葵先輩は震える声を絞り出す。

「やっぱり悠くんはさ、背が高くて、スラッとしてて、美人な、楓ちゃんみたいな女の子が、好きだったんだね」

 違う!違うんです!葵先輩!!!

 悠斗さんが好きなのは……!!!
 悠斗さんが会いたかったのは……!!!


 ***


 ーーー葵先輩なんです!!!

 ガバッと上半身を起こしたところで、自分が自室のベッドの上にいることに気付く。

 夢だ。

 葵先輩が亡くなったあの日から、繰り返し見る夢。

 始めは葵先輩と過ごした、様々な幸せな時間の夢なのに、最後はいつも同じ。
 あの会議室で、葵先輩の絶望で締め括られる。


 あの日の帰り、同期さんに迷惑をかけたくなくて、「もう大丈夫です」って言ってしまったけど。

 全然、大丈夫なんかじゃなかった。

 特に一人になると、ダメだった。

 ーーー『お前が余計なことをしたから』


 私の中に、後悔と絶望が湧き上がる。
 息苦しくて、押しつぶされそうになる。


 ーーー『後悔してる気持ちの分、願おうよ』

 ……そうだ、今日は月命日。
 同期さんと願う約束の日だ。


 結局、あの日から2度、月命日に同期さんと会っていた。


 ◇


 初めての月命日は7月の土曜日だった。
 あの日、同期さんが駆けつけてくれた公園で、待ち合わせをした。

 あの時は今より酷くて、一人になる度に暗い気持ちに呑まれて涙が出てしまうことも多かった。
 でも、毎日きちんと出勤できていて、会社で涙が出てしまうことはなかったので、人の目のある場所なら大丈夫だろう、と少しだけ油断をしていたのだ。

 だけど、待ち合わせ場所で同期さんの姿を見た瞬間、ダメだった。
 何も言えず目を伏せる私を、同期さんは車に連れて行ってくれた。

 車に乗り込んだ瞬間、私の涙腺は決壊した。
 私の涙が落ち着くまで、同期さんは待っていてくれて。
 その後、一緒に願った。

 帰り際、同期さんに「来月の月命日も、一緒に願ってくれる?」と聞かれた。
 同期さんにこれ以上、迷惑をかけていいんだろうか?
 心配になって少し迷ったけれど、結局私は頷いてしまった。


 ◇


 次の月命日は8月の火曜日だった。
 会社まで迎えに行こうか聞かれたけど、「あの公園で待ち合わせたい」と答えた。
 あの日、葵先輩が倒れたのはあの公園に隣接する動物園だったと聞いて、願うならあの場所が良いと思ったのだ。

 この時は、同期さんの姿を見ても泣かないでいられて、同期さんに「少し散歩しよう」と誘われた。
 並木道を歩いていたら、紫色のゼニアオイの花が咲いているのを見つけた。 

 葵先輩が「私の誕生日、誕生花がゼニアオイで、そこから名前をもらったの」と言っていたのを思い出す。

 私の瞳に涙が滲んだ。
 それに気付いた同期さんに連れられ、車に移動した。

「葵先輩のことを思い出す資格なんて、私には無いと思ってしまうんです……」

 こんな話したってどうしようもない弱音を、吐き出してしまう自分が本当に嫌だった。
 すると、同期さんは眉を下げた笑顔で口を開いた。 

「実はね、悠斗も葵ちゃんと別れてすぐの頃、後輩ちゃんと同じようなことを言ってたんだ」

「え?」

「『葵を傷付けた自分が葵のことを想う資格はない』って、葵ちゃんを心の中で想うことも、葵ちゃんの話をすることもやめてしまって」

「……」

「でも、俺はそんな悠斗を見るのが辛かったから、後輩ちゃんにも同じことをして欲しくない」

 そして、同期さんは私の方に向き直って言った。

「だから、後輩ちゃんがもしよかったら、俺に、葵ちゃんの話、聞かせてほしい」

 そう言われて、私は泣きながら、ゼニアオイの話を同期さんに聞いてもらった。

 その日も願ったあと、同期さんに「来月の月命日も、一緒に願ってくれる?」と問われて、私はすぐにこくんと頷いた。


 ◇


 そして3ヶ月目の月命日である本日は、9月の金曜日だった。

 今日も同じく、会社帰りにあの公園で会う約束をしている。

 ……いやいやいや、私、同期さんに迷惑をかけすぎでは?!

 そもそも、私は元彼たちと別れるたびに散々酷い陰口を言われてきたこともあって、陰口だとか愚痴だとかが大嫌いだ。
 本人が解決する気の無い問題への不満なんて、話してもどうしようもないことを、言うのも聞かされるのも嫌だと思ってしまう。

 なのに、私が同期さんに出会ってから、同期さんに話していることの大半が弱音で、『話してもどうしようもないこと』だ。

 同期さんは、プロのカウンセラーとかなんじゃないかと思うぐらい聞くのが上手い。
 だけど、仕事でもないのに、偶然お互いにとって大事な人が繋がっていたというだけで、同期さんが私の迷惑を被る義理なんて1ミリもない。

 流石にそろそろ、潮時だ。

 同期さんは優しいから、また次も誘ってくれるのかもしれない。
 これ以上、同期さんに甘える訳にはいかない。
 もし誘ってもらえたとしても、今日こそは断らなければ!

 今日が最後。
 今日ぐらい泣かないで、楽しい話をして過ごそう!
 そして、最後に、笑顔でお礼を言うのだ。

 そう決意をした瞬間、ピピピ……と目覚ましのアラームが鳴る。

 私は会社へ向かうべくベッドを出て、朝の支度を始めた。


 ◇


 会社では、すっかり葵先輩のことなんてなかったみたいに、みんな各々の仕事に取り組んでいた。
 私は相変わらず、以前と同じ課で仕事をしていて、例のプロジェクトには、呉東ごとうさんという女性社員が新しく加わった。

 午後、呉東さんが複合機の操作に困っているようだったので教えると、笑顔でお礼を言われた。
 その笑顔がほんの少し葵先輩に似ていて、胸が締め付けられそうになった。
 だけどすぐに返事をしていなかったことに気付いて、慌てて私も笑顔で「いえいえ」と返した。

 その時、背後から声がかけられた。

「清宮ァ、いい身分だな」

 離田主任に話しかけられるのはあの日以来だった。

 あの日の出来事がフラッシュバックする。
 心臓がバクバクと鳴り、指先が冷えていく。
 振り返ることも返事をすることもできないでいると、離田主任は私の前まで来て、言い捨てた。

「葵はお前のせいで死んだのに、自分だけ楽しくやってるなんてな」
 
「……っ」

 ーーー葵先輩。

 私、のせいで。

 息苦しくて、押しつぶされそうになった。


 ◇


「今日はお祭りみたいだね」

 同期さんの声で現実に引き戻され、喧騒に気付く。

 隣接する神社で、今日から週末の3日間、秋祭りが開催されるようだ。
 いつもより人が多く、喧騒の中、通行人の中にちらほらと浴衣姿が混じっている。
 
「少し行ってみる?」

「……」

 お祭り。
 子ども時代や学生時代、家族や友人とよく行った。
 みんなで笑いながら歩いて回った、楽しかった記憶。

 そうだ。
 今日は同期さんと会う最後の日だって決めたんだった。
 お祭りに行って、今日ぐらい泣かないで、楽しく過ごそう。
 それで、最後に笑顔でお礼を言うのだ。


 ーーー『自分だけ楽しくやってるなんてな』


 楽しいこと、私がしてもいいんだろうか?

 葵先輩を傷つけた私が?


 ーーー『葵はお前のせいで死んだのに』


 絶望の波に襲われそうになった瞬間、同期さんが申し訳なさそうに言った。

「……ごめん、そんな気分じゃなかった?」

「ち、違うんです!」

 私は、慌てて否定した。
 こんな暗い気持ち、吐き出したらいけない。

 でも、同期さんの顔を見たら、ダメだった。
 気付いたら、口から弱音が出てしまっていた。

「葵先輩を傷付けた自分が、楽しんだらダメだって、思ってしまって……」

 結局、今日もダメだった。

 そのあと何も話せなくなった私を、同期さんが車に連れて行ってくれて、私は泣きじゃくっていた。

 なのに、同期さんは願ったあと、やっぱり、「来月の月命日も、一緒に願ってくれる?」と誘ってくれた。

 こんな迷惑をかけて終わりだなんて、絶対に嫌だったのに。
 でも、もうこれ以上、同期さんに迷惑をかける訳にはいかない。

 私は、首を横に振った。

「……もう、同期さんに、迷惑、かけたくなくて……っ」

 言いながら、涙が出てしまった。

 最後は笑顔で今までのお礼を伝えたかったのに。

 最後の最後まで弱い自分に嫌気が差した。

「……」

 返事がなくて、同期さんも呆れて声が出ないのかもと思った。

 ちゃんと、同期さんの目を見て、笑顔で、お礼を言おう。

 意を決して、顔を上げると。

 同期さんの瞳から、一粒の涙が頬を伝っていった。

 驚いた私を見て初めて同期さんは自分が泣いていることに気付いたみたいで、ハッとしたように言った。

「ごめん、俺、泣いて……」

「だ、大丈夫ですよ! ……何か、ありましたか?」

 同期さんは、少しだけ躊躇うような素振りを見せたあと、口を開いた。

「俺、……悠斗と葵ちゃんが亡くなってから、何度も暗い気持ちに押しつぶされそうで、何度も何度もダメになりそうになって。……でも、後輩ちゃんとの約束のおかげで、俺は立っていられた。次の約束まで、俺は大丈夫って思えたんだ」

 同期さんの瞳からまた一粒、涙がこぼれ落ちる。

「俺なんかよりずっと傷付いてる後輩ちゃんに、依存するなんてダメだってわかってる。……でも、もし、後輩ちゃんが断る理由が俺に『迷惑をかけたくない』ってだけで、他に無いなら、俺は迷惑なんかじゃないから」

 同期さんは、懇願するような眼差しで私を見た。

「……来月も、会いたい」


 どうして私は、こんなに同期さんが苦しんでいることに気付かなかったんだろう。

 私はいつも自分のことばかりで、今も自分の価値観で、私は同期さんにとって迷惑だと勝手に思い込んで、同期さんを傷付けてしまったんだ。
 申し訳ない気持ちが込み上げ、これ以上、私なんかが同期さんと会うべきじゃないという気持ちでいっぱいになる。

 ……でも、同期さんが、この約束のおかげで立っていられるのなら、私はーーー。


「……私も、会いたいです」

 涙が止まらなくて、私が思ったことを少しも伝えられなかったけれど。

 同期さんは、心の底から安堵したように微笑んだ。
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