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第二章 後輩ちゃんと同期さんの出会いの話
08. 番の片割れ side. 楓
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葵先輩と悠斗さんが別れたと聞いたあの日。
葵先輩は引き継ぎを終えるとすぐに、プロジェクトに参加した。
真面目で人当たりが良い葵先輩は、プロジェクトメンバー達から歓迎されているのがわかった。
中でもプロジェクトリーダーの離田主任は葵先輩のことがお気に入りで、「葵ちゃ~ん」と猫撫で声で事あるごとに呼びつけ、先輩に仕事をどんどん押し付けているように見えて、少し心配になった。
その後、葵先輩は毎朝早くから業務を行い、毎夜終電まで離田主任と取引先の飲み会に連れ回され、休日は新規業務の勉強に費やしていると聞いて、更に心配になった。
……ブラックすぎじゃないですか?!
うちの課は、課長主導のもと月45時間以内の法定内残業を厳守していて、飲み会参加は任意でどんなに遅くても21時半には解散する。
同じ会社とは到底思えない労働環境の差に驚いた。
私は詳しい話を聞こうと、葵先輩をランチに誘ったのだけど、離田主任に阻まれた。
「葵ちゃ~ん、困るよ。今からオレとランチしながら打ち合わせでしょ?」
ーーーナチュラルに時間外労働させようとするな!
腹が立った私は、離田主任に詰め寄った。
「離田主任、お昼休憩時の打ち合わせが強制参加の場合、労働基準法違反になる可能性がありますよ?」
「うっわ、清宮サン、怖っ! てゆ~かオレ、強制してないって。ねぇ、葵ちゃ~ん? 強制してないよね~? 急ぎの仕事だから、葵ちゃんが自分で、オレと打ち合わせしたいって思ったんだよね~?」
すると、葵先輩が困ったように言った。
「……はい。そうですね」
そして、葵先輩は私に向き直って言った。
「ごめんね、楓ちゃん、せっかく誘ってくれたのに。本当に急ぎの仕事があって……」
すると、私が口を開く前に離田主任が言った。
「聞いた~? 清宮サン? 葵ちゃんの意思だから、強制じゃないんだよ~?」
ーーーお前が葵先輩に言わせたんだろーがッ!!!
……と、喉元まで出かかったけれど、必死に抑えていると、離田主任は続けた。
「そういうキツい言い方で余計なことばっかり言ってると、恋人できないよ~?」
ーーー余計なお世話だッッッ!!!
……と、やっぱり喉元まで出かかったけれど、必死に抑えて言った。
「……それ、セクハラですよ?」
「こっっっわ!!!」
離田主任がそう言うと、葵先輩が嗜めるような声で言った。
「離田主任。これ以上、楓ちゃんを傷付けるようなことを仰るなら、私も見逃せません」
すると、離田主任はヘラヘラ笑って言った。
「じょ~だんだよ~じょ~だん。じゃっ、葵ちゃ~ん、ランチ行こ」
そして、私の方を見て、嘲るように笑って言った。
「残念だったね、清宮サン?」
ーーーわざわざ人の神経を逆撫でするようなことを言うなッッッ!!!
こんな小学生の悪ガキみたいな離田主任が上司で葵先輩が大丈夫か、ますます心配になった。
その後、私は何度も葵先輩をランチに誘ったのだけど、その度に離田主任の横槍が入り、毎回葵先輩は連れて行かれてしまったのだった。
◇
そんなある日、葵先輩を更に追い込む出来事が起きた。
プロジェクトメンバーの1人の妊娠が発覚したと同時に『切迫流産』と診断され、休職することになったのだ。
離田主任はあろうことか、その社員の仕事を全て葵先輩に押し付けた。
しかも、葵先輩は進んで引き受けたらしい。
葵先輩に全部押し付けるなッッッ!!!
……でも、葵先輩も、何で引き受けちゃうかなぁ?
そう疑問に思ったところで、私はあることを思い出した。
葵先輩には、どんな無茶振りも受け入れてしまう器がある。
でも、今までは課長の方針と悠斗さんの『毎日お迎え』という無茶振りがストッパーになって、葵先輩は仕事でそこまで無理をしなかった。
だけど今、悠斗さんというストッパーがなくなって、上司が変わり、チームマネジメントがポンコツすぎる上司の元で働くと、葵先輩はその無茶振りを受け入れてしまうのだ。
そして、更にもう一つ、私は思い出した。
そうだ。
葵先輩はメンタル不調で休職になった社員の代わりにプロジェクトに参加したんだった。
もしかして、休職になった社員のメンタル不調も、離田主任のポンコツマネジメントが原因かもしれない。
このままだと、葵先輩がその社員の二の舞になりかねない!
離田主任を見張ろう!
そして、悠斗さんの代わりに私が葵先輩を支えよう!
離田主任の監視と葵先輩のサポートのため、「私もプロジェクトに参加したい」と課長に掛け合ったら、「湖月さんも抜けて大変なのに、清宮さんまでいなくなったらうちの課、まわらなくなってしまいますよ~」と泣きつかれ、断念した。
◇
その後、日に日に顔色が悪くなる葵先輩に、私は思わず声をかけた。
「葵先輩! 大丈夫ですか? ちゃんと休めてますか?」
「楓ちゃん! うん、大丈夫だよ!」
葵先輩は、空元気、というのだろうか。
顔色はものすごく悪いし、目の下に濃いクマもある。
『大丈夫』では絶対無いはずなのに、笑顔と声だけはものすごく元気だった。
その姿が痛々しくて、私は思わず泣きそうな声が出てしまった。
「でも、葵先輩、最近体調が良くなさそうに見えて、……私、すごく心配で」
すると、葵先輩は目を瞬いた後、微笑んで言った。
「……楓ちゃん、心配してくれてありがとう。でもね、今、仕事してないと、わたし、ダメになっちゃうと思うんだ」
「……え?」
仕事で体や心を壊しそうに見えるのに、仕事をしてないとダメになる?
どういうことかわからなくて何も言えないでいると、葵先輩は眉を下げて微笑んだ。
「仕事で忙しくしてるおかげで、……辛いことを考えなくて済んでるんだ」
辛いこと。
悠斗さんのこと、だよね……。
葵先輩の哀しげな表情に、胸がぎゅっと締め付けられる。
私は力なく、「そう……なんですね」と答えるしかなかった。
すると、離田主任が葵先輩を呼ぶ声がした。
「葵ちゃ~ん! 無駄話してる場合じゃ無いでしょ~? 早くこっち来て!」
「あっ、すみません、今行きます! 楓ちゃん、また今度ね」
葵先輩は慌てて離田主任の席に行ってしまった。
その姿を見て、私は思った。
……は? 無駄話?
部下である葵先輩の健康を考慮した仕事の割り振りは、アンタの仕事ですよね?!
それができてないから、こっちはものすごく心配なんですけど?!
本来なら、私が首を突っ込むべき問題ではないのかもしれない。
でも、葵先輩は、悠斗さんと別れたショックを仕事で紛らわすために、明らかに許容範囲を超えたレベルで仕事を引き受けている。
そして、離田主任はそれにつけ込んで、葵先輩に仕事を押し付けてるんだ。
私は、今まで口出しすべきではないと思って我慢していたのをやめることにした。
葵先輩に「休んでください」「離田主任から仕事を増やされたり飲み会に誘われても断ってください」と必死に伝え続けた。
でも、葵先輩は哀しげに微笑むだけだった。
離田主任にも「葵先輩の仕事を減らしてください」「せめて飲み会に連れ回すのをやめてください」と何度も詰め寄った。
でも、離田主任は面倒くさそうに「わかったから早く行け」と追い払うだけだった。
部長にも必死に訴えたのだけど、「葵ちゃんは、本人がやる気だし、葵ちゃんももう4年目なんだから、任せればいいでしょ。ま、もう少ししたら葵ちゃんの後任も決まるから問題ないよ」と、全く取り合ってもらえなかった。
それどころか「離田くんは課長職昇進がかかってるからプロジェクトを成功させようと頑張ってるんだよ。応援してあげて」という的外れなことまで言い出して、部長に訴えるのは諦めた。
◇
その後、葵先輩は目に見えてやつれていき、先日の空元気もすっかりなくなってしまった。
日に日に表情が抜け落ちていくのがわかった。
それでも、休もうとしない葵先輩は、まるで自ら死に向かおうとしているように見えた。
その様子に、私は昔飼っていた文鳥のことを思い出す。
番だった二羽のうち、一羽が死んでしまった時、もう一羽が後を追って死んでしまったのだ。
幼い私にとって、可愛がっていた二羽をほぼ同時に失ったことはとてもショックな出来事だった。
会社から駅へ向かう帰り道、葵先輩と悠斗さんの後ろ姿を何度も何度も見た。
寄り添って歩く2人の姿は、ーーーまるで番みたいだった。
私の心臓はドクドクと脈打つ。
ーーー葵先輩も悠斗さんと別れたことで、番を失ったような状態になってるんじゃないか?
それで、死に向かおうとしているんじゃないか?
このままだと、葵先輩を失ってしまうかもしれない。
怖くなった私は、思わず葵先輩に声をかけた。
「葵先輩」
「……」
返事がなくて、私は、もう一度声をかける。
「葵先輩!」
「! ……あ、楓ちゃん」
葵先輩が力なく微笑んだ。
その表情に生気が感じられず、葵先輩を失うのではないかという恐怖が更に増す。
「葵先輩、お願いです! 本当に休んでください!」
「……楓ちゃん。私、先輩なのに、心配させちゃってごめんね。でも、大丈夫だよ」
葵先輩は力なく微笑む。
「でも、私、見てられなくて……!」
すると、 離田主任が葵先輩を呼ぶ声がした。
「葵ちゃ~ん! ちょっと急ぎの仕事、お願い~!」
これ以上、葵先輩に仕事を押し付けるか!
腹が立った私は、 離田主任に詰め寄った。
「明らかに業務過多の葵先輩に、また押し付けるんですか?!」
「は? 清宮サン、またうちのプロジェクトの話に首突っ込もうとするワケ? 本当、迷惑してるんだけど?!」
「だったら、ちゃんとチームマネジメントしてください! 離田主任は何としてもプロジェクトを成功させて課長職に昇進されたいみたいですけど、葵先輩の前任の方もメンタル不調による休職に追い込んでますよね?! 誰かを犠牲にしたチーム運営しかできないなんて、管理職昇進は絶対無理だと思いますよ?!」
私がそう言うと、離田主任は言葉を失くし、顔がみるみる赤くなり、ワナワナと震え出した。
見かねた葵先輩が、必死な様子で私と離田主任の間に入った。
「か、楓ちゃん……。大丈夫だから。今は自分の仕事に戻って、ね?」
「葵先輩、わかりました……」
葵先輩の必死な様子に、その場はしぶしぶ席に戻った。
だけど、その後、私が葵先輩に懇願したり、離田主任に詰め寄ったあとは必ず、離田主任がこれ見よがしに余計な仕事を葵先輩に回すようになった。
なぜそう思ったかと言うと、離田主任が葵先輩に仕事を回した後は必ず、私の方を嘲ったような顔で見るからだ。
コイツ!!!
葵先輩に余計な仕事を回すことで、私への鬱憤を晴らしているんだ……!
私が葵先輩のために行動しようとすればするほど、葵先輩の状況が悪くなってしまう。
そのことに気付いてから、私は誰にも、何も言えなくなってしまった。
◇◇◇
そんなある日、葵先輩が飲んでいるペットボトルが目に入った。
あれはーーー。
◇
とある飲料メーカーの無糖のストレートティー。
葵先輩が悠斗さんと別れる前、私が飲んでいたら、先輩に「楓ちゃん、その紅茶好きなの?」と聞かれた。
私が「スッキリした味で好きです」と答えると、葵先輩が「その紅茶、悠くんも好きなんだよね」と、はにかんだような笑顔で教えてくれた。
葵先輩は大学の自習席で、うっかり悠斗さんの消しゴムを落としてしまったことがきっかけで、初めて話したのだそうだ。
「今思うと、一目惚れだったのかも。『これで終わりにしたくない』って思って、自習席を一緒に使わせてもらった上に、お礼に『飲み物を奢る』って言って、半ば強引に接点を作ったの」
『強引に接点を作った』だなんて、葵先輩の意外な一面だったから、すごく印象に残った。
「自販機で飲み物を奢る時、悠くんが選んだのがその紅茶で。だから、その紅茶を見るたび、懐かしくて頬が緩んじゃうんだよね」
「そうだったんですね」
そして、葵先輩は笑って言った。
「でも、私自身は甘くない紅茶は苦手で、飲めないんだけどね」
◇
ーーー苦手だと言っていたのに、想い出の紅茶を飲む葵先輩。
その姿が、声が枯れるほど泣き続ける文鳥の姿に重なった。
番で飼っていた文鳥の二羽のうち、残された一羽。
私にもよく懐いてくれていたのに、番を失ってからは私じゃダメだった。
失った片割れを探して、毎日呼び泣きを続けていた。
葵先輩も、ずっと呼び続けてる。
悠斗さんのことを。
ーーー私じゃダメだ。
私じゃ、葵先輩を止められない。
……でも。
ーーー悠斗さんなら。
悠斗さんなら、葵先輩を止められるかもしれない。
そう思った時、すっかり頭から抜け落ちていた疑問を思い出した。
ーーーどうして、悠斗さんは葵先輩と別れたのだろうか?
別れる直前まで、毎日お迎えに来るぐらい葵先輩に執着してたのに?
葵先輩の親に挨拶したいって言った直後に、何で?
やっぱり、何かがおかしい。
ーーー悠斗さんは、何かを隠している。
悠斗さんはきっと、また肝心な話をすっ飛ばして、葵先輩に別れを告げたんだ。
ーーー確かめに行かなくちゃ。真実を。
そう思った私は、悠斗さんに会いに行くことにした。
葵先輩は引き継ぎを終えるとすぐに、プロジェクトに参加した。
真面目で人当たりが良い葵先輩は、プロジェクトメンバー達から歓迎されているのがわかった。
中でもプロジェクトリーダーの離田主任は葵先輩のことがお気に入りで、「葵ちゃ~ん」と猫撫で声で事あるごとに呼びつけ、先輩に仕事をどんどん押し付けているように見えて、少し心配になった。
その後、葵先輩は毎朝早くから業務を行い、毎夜終電まで離田主任と取引先の飲み会に連れ回され、休日は新規業務の勉強に費やしていると聞いて、更に心配になった。
……ブラックすぎじゃないですか?!
うちの課は、課長主導のもと月45時間以内の法定内残業を厳守していて、飲み会参加は任意でどんなに遅くても21時半には解散する。
同じ会社とは到底思えない労働環境の差に驚いた。
私は詳しい話を聞こうと、葵先輩をランチに誘ったのだけど、離田主任に阻まれた。
「葵ちゃ~ん、困るよ。今からオレとランチしながら打ち合わせでしょ?」
ーーーナチュラルに時間外労働させようとするな!
腹が立った私は、離田主任に詰め寄った。
「離田主任、お昼休憩時の打ち合わせが強制参加の場合、労働基準法違反になる可能性がありますよ?」
「うっわ、清宮サン、怖っ! てゆ~かオレ、強制してないって。ねぇ、葵ちゃ~ん? 強制してないよね~? 急ぎの仕事だから、葵ちゃんが自分で、オレと打ち合わせしたいって思ったんだよね~?」
すると、葵先輩が困ったように言った。
「……はい。そうですね」
そして、葵先輩は私に向き直って言った。
「ごめんね、楓ちゃん、せっかく誘ってくれたのに。本当に急ぎの仕事があって……」
すると、私が口を開く前に離田主任が言った。
「聞いた~? 清宮サン? 葵ちゃんの意思だから、強制じゃないんだよ~?」
ーーーお前が葵先輩に言わせたんだろーがッ!!!
……と、喉元まで出かかったけれど、必死に抑えていると、離田主任は続けた。
「そういうキツい言い方で余計なことばっかり言ってると、恋人できないよ~?」
ーーー余計なお世話だッッッ!!!
……と、やっぱり喉元まで出かかったけれど、必死に抑えて言った。
「……それ、セクハラですよ?」
「こっっっわ!!!」
離田主任がそう言うと、葵先輩が嗜めるような声で言った。
「離田主任。これ以上、楓ちゃんを傷付けるようなことを仰るなら、私も見逃せません」
すると、離田主任はヘラヘラ笑って言った。
「じょ~だんだよ~じょ~だん。じゃっ、葵ちゃ~ん、ランチ行こ」
そして、私の方を見て、嘲るように笑って言った。
「残念だったね、清宮サン?」
ーーーわざわざ人の神経を逆撫でするようなことを言うなッッッ!!!
こんな小学生の悪ガキみたいな離田主任が上司で葵先輩が大丈夫か、ますます心配になった。
その後、私は何度も葵先輩をランチに誘ったのだけど、その度に離田主任の横槍が入り、毎回葵先輩は連れて行かれてしまったのだった。
◇
そんなある日、葵先輩を更に追い込む出来事が起きた。
プロジェクトメンバーの1人の妊娠が発覚したと同時に『切迫流産』と診断され、休職することになったのだ。
離田主任はあろうことか、その社員の仕事を全て葵先輩に押し付けた。
しかも、葵先輩は進んで引き受けたらしい。
葵先輩に全部押し付けるなッッッ!!!
……でも、葵先輩も、何で引き受けちゃうかなぁ?
そう疑問に思ったところで、私はあることを思い出した。
葵先輩には、どんな無茶振りも受け入れてしまう器がある。
でも、今までは課長の方針と悠斗さんの『毎日お迎え』という無茶振りがストッパーになって、葵先輩は仕事でそこまで無理をしなかった。
だけど今、悠斗さんというストッパーがなくなって、上司が変わり、チームマネジメントがポンコツすぎる上司の元で働くと、葵先輩はその無茶振りを受け入れてしまうのだ。
そして、更にもう一つ、私は思い出した。
そうだ。
葵先輩はメンタル不調で休職になった社員の代わりにプロジェクトに参加したんだった。
もしかして、休職になった社員のメンタル不調も、離田主任のポンコツマネジメントが原因かもしれない。
このままだと、葵先輩がその社員の二の舞になりかねない!
離田主任を見張ろう!
そして、悠斗さんの代わりに私が葵先輩を支えよう!
離田主任の監視と葵先輩のサポートのため、「私もプロジェクトに参加したい」と課長に掛け合ったら、「湖月さんも抜けて大変なのに、清宮さんまでいなくなったらうちの課、まわらなくなってしまいますよ~」と泣きつかれ、断念した。
◇
その後、日に日に顔色が悪くなる葵先輩に、私は思わず声をかけた。
「葵先輩! 大丈夫ですか? ちゃんと休めてますか?」
「楓ちゃん! うん、大丈夫だよ!」
葵先輩は、空元気、というのだろうか。
顔色はものすごく悪いし、目の下に濃いクマもある。
『大丈夫』では絶対無いはずなのに、笑顔と声だけはものすごく元気だった。
その姿が痛々しくて、私は思わず泣きそうな声が出てしまった。
「でも、葵先輩、最近体調が良くなさそうに見えて、……私、すごく心配で」
すると、葵先輩は目を瞬いた後、微笑んで言った。
「……楓ちゃん、心配してくれてありがとう。でもね、今、仕事してないと、わたし、ダメになっちゃうと思うんだ」
「……え?」
仕事で体や心を壊しそうに見えるのに、仕事をしてないとダメになる?
どういうことかわからなくて何も言えないでいると、葵先輩は眉を下げて微笑んだ。
「仕事で忙しくしてるおかげで、……辛いことを考えなくて済んでるんだ」
辛いこと。
悠斗さんのこと、だよね……。
葵先輩の哀しげな表情に、胸がぎゅっと締め付けられる。
私は力なく、「そう……なんですね」と答えるしかなかった。
すると、離田主任が葵先輩を呼ぶ声がした。
「葵ちゃ~ん! 無駄話してる場合じゃ無いでしょ~? 早くこっち来て!」
「あっ、すみません、今行きます! 楓ちゃん、また今度ね」
葵先輩は慌てて離田主任の席に行ってしまった。
その姿を見て、私は思った。
……は? 無駄話?
部下である葵先輩の健康を考慮した仕事の割り振りは、アンタの仕事ですよね?!
それができてないから、こっちはものすごく心配なんですけど?!
本来なら、私が首を突っ込むべき問題ではないのかもしれない。
でも、葵先輩は、悠斗さんと別れたショックを仕事で紛らわすために、明らかに許容範囲を超えたレベルで仕事を引き受けている。
そして、離田主任はそれにつけ込んで、葵先輩に仕事を押し付けてるんだ。
私は、今まで口出しすべきではないと思って我慢していたのをやめることにした。
葵先輩に「休んでください」「離田主任から仕事を増やされたり飲み会に誘われても断ってください」と必死に伝え続けた。
でも、葵先輩は哀しげに微笑むだけだった。
離田主任にも「葵先輩の仕事を減らしてください」「せめて飲み会に連れ回すのをやめてください」と何度も詰め寄った。
でも、離田主任は面倒くさそうに「わかったから早く行け」と追い払うだけだった。
部長にも必死に訴えたのだけど、「葵ちゃんは、本人がやる気だし、葵ちゃんももう4年目なんだから、任せればいいでしょ。ま、もう少ししたら葵ちゃんの後任も決まるから問題ないよ」と、全く取り合ってもらえなかった。
それどころか「離田くんは課長職昇進がかかってるからプロジェクトを成功させようと頑張ってるんだよ。応援してあげて」という的外れなことまで言い出して、部長に訴えるのは諦めた。
◇
その後、葵先輩は目に見えてやつれていき、先日の空元気もすっかりなくなってしまった。
日に日に表情が抜け落ちていくのがわかった。
それでも、休もうとしない葵先輩は、まるで自ら死に向かおうとしているように見えた。
その様子に、私は昔飼っていた文鳥のことを思い出す。
番だった二羽のうち、一羽が死んでしまった時、もう一羽が後を追って死んでしまったのだ。
幼い私にとって、可愛がっていた二羽をほぼ同時に失ったことはとてもショックな出来事だった。
会社から駅へ向かう帰り道、葵先輩と悠斗さんの後ろ姿を何度も何度も見た。
寄り添って歩く2人の姿は、ーーーまるで番みたいだった。
私の心臓はドクドクと脈打つ。
ーーー葵先輩も悠斗さんと別れたことで、番を失ったような状態になってるんじゃないか?
それで、死に向かおうとしているんじゃないか?
このままだと、葵先輩を失ってしまうかもしれない。
怖くなった私は、思わず葵先輩に声をかけた。
「葵先輩」
「……」
返事がなくて、私は、もう一度声をかける。
「葵先輩!」
「! ……あ、楓ちゃん」
葵先輩が力なく微笑んだ。
その表情に生気が感じられず、葵先輩を失うのではないかという恐怖が更に増す。
「葵先輩、お願いです! 本当に休んでください!」
「……楓ちゃん。私、先輩なのに、心配させちゃってごめんね。でも、大丈夫だよ」
葵先輩は力なく微笑む。
「でも、私、見てられなくて……!」
すると、 離田主任が葵先輩を呼ぶ声がした。
「葵ちゃ~ん! ちょっと急ぎの仕事、お願い~!」
これ以上、葵先輩に仕事を押し付けるか!
腹が立った私は、 離田主任に詰め寄った。
「明らかに業務過多の葵先輩に、また押し付けるんですか?!」
「は? 清宮サン、またうちのプロジェクトの話に首突っ込もうとするワケ? 本当、迷惑してるんだけど?!」
「だったら、ちゃんとチームマネジメントしてください! 離田主任は何としてもプロジェクトを成功させて課長職に昇進されたいみたいですけど、葵先輩の前任の方もメンタル不調による休職に追い込んでますよね?! 誰かを犠牲にしたチーム運営しかできないなんて、管理職昇進は絶対無理だと思いますよ?!」
私がそう言うと、離田主任は言葉を失くし、顔がみるみる赤くなり、ワナワナと震え出した。
見かねた葵先輩が、必死な様子で私と離田主任の間に入った。
「か、楓ちゃん……。大丈夫だから。今は自分の仕事に戻って、ね?」
「葵先輩、わかりました……」
葵先輩の必死な様子に、その場はしぶしぶ席に戻った。
だけど、その後、私が葵先輩に懇願したり、離田主任に詰め寄ったあとは必ず、離田主任がこれ見よがしに余計な仕事を葵先輩に回すようになった。
なぜそう思ったかと言うと、離田主任が葵先輩に仕事を回した後は必ず、私の方を嘲ったような顔で見るからだ。
コイツ!!!
葵先輩に余計な仕事を回すことで、私への鬱憤を晴らしているんだ……!
私が葵先輩のために行動しようとすればするほど、葵先輩の状況が悪くなってしまう。
そのことに気付いてから、私は誰にも、何も言えなくなってしまった。
◇◇◇
そんなある日、葵先輩が飲んでいるペットボトルが目に入った。
あれはーーー。
◇
とある飲料メーカーの無糖のストレートティー。
葵先輩が悠斗さんと別れる前、私が飲んでいたら、先輩に「楓ちゃん、その紅茶好きなの?」と聞かれた。
私が「スッキリした味で好きです」と答えると、葵先輩が「その紅茶、悠くんも好きなんだよね」と、はにかんだような笑顔で教えてくれた。
葵先輩は大学の自習席で、うっかり悠斗さんの消しゴムを落としてしまったことがきっかけで、初めて話したのだそうだ。
「今思うと、一目惚れだったのかも。『これで終わりにしたくない』って思って、自習席を一緒に使わせてもらった上に、お礼に『飲み物を奢る』って言って、半ば強引に接点を作ったの」
『強引に接点を作った』だなんて、葵先輩の意外な一面だったから、すごく印象に残った。
「自販機で飲み物を奢る時、悠くんが選んだのがその紅茶で。だから、その紅茶を見るたび、懐かしくて頬が緩んじゃうんだよね」
「そうだったんですね」
そして、葵先輩は笑って言った。
「でも、私自身は甘くない紅茶は苦手で、飲めないんだけどね」
◇
ーーー苦手だと言っていたのに、想い出の紅茶を飲む葵先輩。
その姿が、声が枯れるほど泣き続ける文鳥の姿に重なった。
番で飼っていた文鳥の二羽のうち、残された一羽。
私にもよく懐いてくれていたのに、番を失ってからは私じゃダメだった。
失った片割れを探して、毎日呼び泣きを続けていた。
葵先輩も、ずっと呼び続けてる。
悠斗さんのことを。
ーーー私じゃダメだ。
私じゃ、葵先輩を止められない。
……でも。
ーーー悠斗さんなら。
悠斗さんなら、葵先輩を止められるかもしれない。
そう思った時、すっかり頭から抜け落ちていた疑問を思い出した。
ーーーどうして、悠斗さんは葵先輩と別れたのだろうか?
別れる直前まで、毎日お迎えに来るぐらい葵先輩に執着してたのに?
葵先輩の親に挨拶したいって言った直後に、何で?
やっぱり、何かがおかしい。
ーーー悠斗さんは、何かを隠している。
悠斗さんはきっと、また肝心な話をすっ飛ばして、葵先輩に別れを告げたんだ。
ーーー確かめに行かなくちゃ。真実を。
そう思った私は、悠斗さんに会いに行くことにした。
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