116 / 213
41~50話
究極の選択【上】
しおりを挟む
「お邪魔しまーす……」
いつも見ていたお向かいのドアをくぐる。
まだ前住人のおばあさんが住んでいた頃、何度かお茶に招いてもらったことがある。
棚などの大型家具はおばあさんが残していったものをそのまま使っているようで、記憶通りのどこか懐かしさを感じる室内に、しかし今は見慣れぬ甲冑のパーツや手入れ道具などが雑然と置かれていた。
「散らかっていてすまない……。何もないが、好きにくつろいでほしい」
「ありがとうございます」
ここはもう、手作りのキルトとハーブティーの香りに包まれたかつてのご近所さんの家ではない。
ヨルグの家――つまりは『恋人の家』なのだ!
きゃあきゃあと騒ぎだしたくなる衝動を抑え、視線だけで室内を見渡す。
おじいちゃんには、ヨルグが自宅から取ってきてくれた紙とペンを借りて『無事に戻りました。鍵を持ち忘れたので今夜はヨルグさんの家に泊まります』と書き置きを残してきた。
ドアの隙間から差し込んでおいたので、明朝居間に下りれば気付くだろう。
「あーっと……何か飲むか? と言っても、酒か水くらいしかないが……」
「いえ、夕食のときに十分いただいたのでお気遣いなく!」
使われている気配のないキッチンで、ガラガラの食料庫を覗いたヨルグが項垂れている。
手前に置かれた小振りなテーブルセットには椅子が一脚。もう一脚は、部屋の角に斜めに立てかけられているのが見えた。
「ああ、その椅子は脚が折れてしまって……。そのうち直そうと思い、それきりになっていた」
私の視線を追ったヨルグが、ばつが悪そうに首の後ろをかきつつ教えてくれる。
仕事ができて、優しくて、大人で――。自分とはまるで違ってなんだってできそうに見えるヨルグが、完璧な人でなくてよかった。
壊れて放置された椅子といい、サイズの合わない家具をそのまま使っていることといい、どうやら自分のことに関しては無頓着なようだ。
「ふふっ、この椅子だとヨルグさんには小さそうですもんね。……っふわぁ~ぁ」
押し殺しきれずに大きなあくびが出てしまう。
初めてのお宅訪問に緊張していても、睡魔はやって来るものらしい。いつもであればもうベッドに入っている時間なのだ。
「そこのソファに座っていてくれ。すぐに風呂の準備をしてくる」
「あの、何かお手伝いできることはありませんか?」
「俺一人で問題ない。リズはゆっくりしていてほしい」
ひと様の家であれこれ手を出すのもよくないかと思い直し、言われた通り居間の奥の一人がけソファに腰を下ろす。
私が二人並んでも座れそうなほどゆったりとしたベルベット地のソファは、おそらくヨルグが買い足したものだろう。ヨルグの姿が浴室に消えたこともあり、眠気も忘れてふっかふっかと弾む座面を楽しんだ。
いつも見ていたお向かいのドアをくぐる。
まだ前住人のおばあさんが住んでいた頃、何度かお茶に招いてもらったことがある。
棚などの大型家具はおばあさんが残していったものをそのまま使っているようで、記憶通りのどこか懐かしさを感じる室内に、しかし今は見慣れぬ甲冑のパーツや手入れ道具などが雑然と置かれていた。
「散らかっていてすまない……。何もないが、好きにくつろいでほしい」
「ありがとうございます」
ここはもう、手作りのキルトとハーブティーの香りに包まれたかつてのご近所さんの家ではない。
ヨルグの家――つまりは『恋人の家』なのだ!
きゃあきゃあと騒ぎだしたくなる衝動を抑え、視線だけで室内を見渡す。
おじいちゃんには、ヨルグが自宅から取ってきてくれた紙とペンを借りて『無事に戻りました。鍵を持ち忘れたので今夜はヨルグさんの家に泊まります』と書き置きを残してきた。
ドアの隙間から差し込んでおいたので、明朝居間に下りれば気付くだろう。
「あーっと……何か飲むか? と言っても、酒か水くらいしかないが……」
「いえ、夕食のときに十分いただいたのでお気遣いなく!」
使われている気配のないキッチンで、ガラガラの食料庫を覗いたヨルグが項垂れている。
手前に置かれた小振りなテーブルセットには椅子が一脚。もう一脚は、部屋の角に斜めに立てかけられているのが見えた。
「ああ、その椅子は脚が折れてしまって……。そのうち直そうと思い、それきりになっていた」
私の視線を追ったヨルグが、ばつが悪そうに首の後ろをかきつつ教えてくれる。
仕事ができて、優しくて、大人で――。自分とはまるで違ってなんだってできそうに見えるヨルグが、完璧な人でなくてよかった。
壊れて放置された椅子といい、サイズの合わない家具をそのまま使っていることといい、どうやら自分のことに関しては無頓着なようだ。
「ふふっ、この椅子だとヨルグさんには小さそうですもんね。……っふわぁ~ぁ」
押し殺しきれずに大きなあくびが出てしまう。
初めてのお宅訪問に緊張していても、睡魔はやって来るものらしい。いつもであればもうベッドに入っている時間なのだ。
「そこのソファに座っていてくれ。すぐに風呂の準備をしてくる」
「あの、何かお手伝いできることはありませんか?」
「俺一人で問題ない。リズはゆっくりしていてほしい」
ひと様の家であれこれ手を出すのもよくないかと思い直し、言われた通り居間の奥の一人がけソファに腰を下ろす。
私が二人並んでも座れそうなほどゆったりとしたベルベット地のソファは、おそらくヨルグが買い足したものだろう。ヨルグの姿が浴室に消えたこともあり、眠気も忘れてふっかふっかと弾む座面を楽しんだ。
30
お気に入りに追加
1,030
あなたにおすすめの小説
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです
石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。
聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。
やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。
女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。
素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。
「白い結婚最高!」と喜んでいたのに、花の香りを纏った美形旦那様がなぜか私を溺愛してくる【完結】
清澄 セイ
恋愛
フィリア・マグシフォンは子爵令嬢らしからぬのんびりやの自由人。自然の中でぐうたらすることと、美味しいものを食べることが大好きな恋を知らないお子様。
そんな彼女も18歳となり、強烈な母親に婚約相手を選べと毎日のようにせっつかれるが、選び方など分からない。
「どちらにしようかな、天の神様の言う通り。はい、決めた!」
こんな具合に決めた相手が、なんと偶然にもフィリアより先に結婚の申し込みをしてきたのだ。相手は王都から遠く離れた場所に膨大な領地を有する辺境伯の一人息子で、顔を合わせる前からフィリアに「これは白い結婚だ」と失礼な手紙を送りつけてくる癖者。
けれど、彼女にとってはこの上ない条件の相手だった。
「白い結婚?王都から離れた田舎?全部全部、最高だわ!」
夫となるオズベルトにはある秘密があり、それゆえ女性不信で態度も酷い。しかも彼は「結婚相手はサイコロで適当に決めただけ」と、面と向かってフィリアに言い放つが。
「まぁ、偶然!私も、そんな感じで選びました!」
彼女には、まったく通用しなかった。
「なぁ、フィリア。僕は君をもっと知りたいと……」
「好きなお肉の種類ですか?やっぱり牛でしょうか!」
「い、いや。そうではなく……」
呆気なくフィリアに初恋(?)をしてしまった拗らせ男は、鈍感な妻に不器用ながらも愛を伝えるが、彼女はそんなことは夢にも思わず。
──旦那様が真実の愛を見つけたらさくっと離婚すればいい。それまでは田舎ライフをエンジョイするのよ!
と、呑気に蟻の巣をつついて暮らしているのだった。
※他サイトにも掲載中。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる